それまで米沢の城下に屋敷を持っていただけであった片倉小十郎が、とうとう城持ちになることになり、 いっとう喜んだのは当人ではなく、その主である伊達政宗のほうだった。なにしろ政宗は、五年以上も 前から延々と小十郎に城をやろうと口説いては振られ、口説いては振られを繰り返してきたのである。 その喜びようは相当なもので、結果、白石に建てられることになった小十郎の城は、設計から建築に至 るまで逐一政宗が目を通し、現場へ趣き、注文をつけたものになった。
小十郎は、呆れた。

「一国の主がすることではありますまい」
「いいんだよ、俺がしてェんだから」

どれほど諫めても、政宗はそう言って笑うばかりだった。
小十郎も最終的には諦める他なく、せめて余り豪奢なものにしてくれるなと注意するくらいが精々で、 政宗はそれに頷きながらも、解ったのだか解っていないのだか計りかねる楽しげな様子で職人と顔をつ きあわせ始めるのが常だった。
小十郎はそれをなんとも言い難い難しい顔をして見て居た。
当人からすれば、城などはどうでもいいものでしかなかったのである。家人もそう多いわけではない片 倉の家格で、城持ちなどは時期が早すぎるという以上に、単純に不要なのだ。政宗は頻りに小十郎に褒 美をやりたがるが、当人が真実何も欲しがっていない以上、主の思いやりはただ宙に浮いて消えていく 他ないのである。小十郎が断ると、政宗はいつも決まって、すこしだけ目を細めた。
それがすこし長引きすぎて、年若い主が哀れに思えた。
だから小十郎はようやく城を持つことを承知したのである。
面倒は多かった。代々伊達家に仕え続けてきた重臣連中の中にはもとより小十郎を快く思わぬ者もすく なくはなかったし、とうとう龍の右目が独眼龍から離れると聞いて、日頃から少なくはない仕官の誘い もうんざりするほどに増えた。それらはすべて雑音であり、小十郎はそういった些末なことに逐一神経 を毛羽立たせては自らのくだらなさに幻滅せずにはいられなかった。
そうして小十郎が何を得るかと言えば、ただの空洞なのである。
豪奢で、大仰で、戦の折には籠城もできるやもしれぬけれども、空洞は空洞である。
城など、と小十郎は吐き捨てたいような心地で思った。
そこの中央に居るのが自分であるならば、如何ほどの価値も持ちようがない。戦の為の拠点としてなら ばいくらでも籠もりもしようが、政宗は単純に褒美として、そのうつくしい空洞を自分に与えたいと言 っているのである。
主の思いやりを無碍にはしたくない。
しかし小十郎は、その空洞にこれからひとり移り住むかと思うと、矢張りうんざりしないわけにはいか なかったのである。












城の完成は神無月の初旬だった。
完成間近の頃からすでに小十郎は家人や家具、諸々のものをその城へと移動させていたので、完成した からと言って一度に何かが変わるということもなく、半ば引っ越しの作業は済んでいたようなものだっ た。それでもいざ完成した城を見るというのはまた格別なものだろうと皆が言った。小十郎はそれにあ いまいに頷いただけで確とした返答を避けた。
出来上がった白石の城はうつくしかった。
豪奢にするなと言った進言は無視されたらしかった。
大きくはないが細部に意匠が凝らされて、自分のような野暮天には勿体無いと、何の卑屈でもなく小十 郎は考えた。主は完成した城に一番に乗り込んで、小十郎を連れて隅々までを案内した。

「この襖画は態々京から呼び寄せた絵師に描かせたんだぜ。どうだ、見事な孔雀だろう。あっちの欄干 もそうだ。透かしが効いてンだろ。この座敷を誂える為だけに、おい、何人の職人が要ったと思う?」
「見当も付きませぬな」
「言うだけ言ってみろ」
「では、十」
「Not correct!」

嬉しそうに主は笑い、二十だ、と二本の指を立ててからからと笑い声をあげた。
政宗はすべての座敷のすべての襖画や天井画の図柄を把握していた。芸の道にも長けた主らしく、それ らはすべて最上のものだった。むしろ最上過ぎた。知識としてそれらの価値を知っていても、感情として 愛でる術を持たない自分には不相応である。小十郎にはそれらのうつくしい筆滑りや彫刻が、今まで自分 の使ってきた粗末なものと、ただ「違う」というくらいにしか思えなかった。
小十郎は喜ぶよりも前に矢張り呆れた。

「小十郎には過ぎた城です」

政宗はまったくそれには頓着していないようだった。

「いいんだよ。俺が俺の右目に城をやるんだ。生半可なものをやるわけにはいかねェだろう」

政宗はそう言いながら、寝所の襖をぱんと開いた。
ここがいっとうSpecialなんだぜ、と言う。小十郎は政宗の後からそこへ入ろうとした。しかし 政宗は襖を開いた格好のまま動こうとはせずに、悪童のような顔でこちらを見上げている。先に入れと 言うことらしい。小十郎はすこしためらうように眉をひそめてから、一礼をして政宗より先に寝所へと 足を踏み入れた。
寝所は中庭に面していて、開いた障子の先に裸の木が見えた。

「あれは」
「おう、柳桜だ。春にはさぞ見事に咲くだろうよ」
「それは風流ですな」
「うん」

来年の春になったら、此処で飲もうぜ。
主はおさなげに笑みを崩した。小十郎も釣られてほおを緩ませる。
障子の先の中庭は、ちょうど寝所の真ん中から見ると一枚の画のように刳り抜かれている。もちろんそ のように誂えたのだろう。折れ曲がった柳のしなやかな曲線と、周りの雑裁と岩のいろが混ざり合い、 障子の先にあるのが狭い庭であるというふうにはまるで思えないほどの奥行きが感じられる。

「これが一番の意匠ということですな」

小十郎が言うと、政宗の口がにんまりと笑みの形に歪んだ。

「No kidding!上を見てみろ」
「上?」

小十郎は言われるままに上を見上げた。
そうしてはっと息を飲み、すぐさま主へと顔を向け直す。すると弾かれたように主は大声で笑い出した。 してやったりというような満足げな笑顔に、小十郎は一瞬みとれ、それから苦々しい顔をその上に貼り 付けた。

「お人が悪い。始めから仰ってくださればよいものを」
「気付かねェおまえが悪いんだろう?」

政宗は笑いながら目線を天井へと上げた。
天井には、一面に龍の画が描かれていたのである。しかもただの龍ではない。独眼の龍である。青い鱗は おそろしく鮮やかで、嵐の中をかいくぐるような躍動感は見る者を惹き付けずにはいられない。なにより 鋭い右の爪は、何処かを探るように伸ばされていて、それはまるで天井から此方へと伸びてくるようにす ら見えた。小十郎は息を吐き、政宗を見る。政宗は満足げに笑みを浮かべ、すこし首を傾げて見せた。

「どうだ、見事だろう?」
「確かに見事です。見事ですが、これはとうてい寝所に相応しいとは思えませぬな」

いろのすべてが鮮烈過ぎる。 だいいち、嵐の中を龍が躍動する画を見ながらどんなふうに眠ればいいのだ。
小十郎の言葉に政宗は益々満足げに笑みを深めた。そうしていいや、相応しいンだよ、何処よりもな、と なにやら意味深げなことをつぶやき、それきり黙り込んでしまった。












主の言葉の意味が知れたのは、白石に移り住んでから一月ほど経った頃だった。
正確に言えばその効果を認めるのに二月かかった、というべきだろうか。小十郎は始め、余りにも他愛の ないその謀に絡み取られる自分をなんとか否定しようとした。しかし日が経てば経つほどにその謀の内側 へと引き込まれていくばかりであることに、ようよう気付かないわけにはいかなかったのである。
小十郎は年の暮れ、しかし歳暮の挨拶にはまだ早い頃に米沢を訪れた。
名目上それは歳暮の挨拶であった。しかし対峙した主の顔はにやにやといかにも人の悪いふうに笑み崩れ ていて、内心はすべて見通されているのだと、悔やむよりは諦めるような心地で小十郎は頭を垂れたので ある。
政宗は、開口一番こう言った。

「存外、保ったじゃあねェか」

小十郎は態と言葉の意味を解さないふうを装った。

「お久しぶりでございます、政宗様にあられましては、何か変わったことなどございませぬか」
「Ah,何もねェ。おまえが居なくなった以外はな」
「ならば重畳でございます」
「おい」
「何か」
「顔を上げろ、小十郎」

言われるままに顔を上げると、ひどく間近に政宗の顔があった。
小十郎は耳元に熱が集まるのを感じた。喉が渇くのも解った。しかし顔にはそれらを出さぬように細心の 努力を払った。しかし主は嬉しそうに喉を鳴らし、腹空かせた犬みてェな面しやがってと、撫でつけてあ る前髪をくしゃくしゃに乱して、小十郎の襟をぐいと掴み上げた。
そうして、否定など元より想定しないというような目をして笑い、

「俺に会いたかったンだろう」

と言った。
小十郎は一瞬黙り込んだ。
そしてそれから、堪え切れぬ笑みを口の端から溢して、頷いた。政宗はふふんと鼻を鳴らし、いっとう力 を入れさせた甲斐があるってもんだ、なにしろおまえは放っておくと、半年でも俺に会わないでも平気な 顔をしやがる野郎だからな。
すこし体を引き、立ち上がる。
そうしてくるりと小十郎に向き合って、政宗は腕を組んで笑みを浮かべる。

「どうだ。本物のほうが、何倍もCoolだろ?」

小十郎は長く細い息を吐き、比べようも御座いませぬ、と答えて笑い返した。
















001:焦 が れ る



小十郎は天井絵の独眼竜を毎晩見てたら本物にどうしても会いたくなって会いに行っちゃいました(せつめい
こんだけアレでも伊達主従は特に恋愛関係ではないのがMOEです。


2010/09/29



プラウザバックよりお戻りください。