もう良人に期待するのは止めよう、とつたは決めていた。
良人は誰よりも良い「良人」であるが、しかしそれ以上には―――以外と言うべきか――― 彼の性質上、なり得ないのである。良人は何でも人並み外れてこなすことができる。だから、 「好い良人」という役割もとても上手くやってのける。
しかしそれは、単にそれだけの意味しかない。
良人は、片倉小十郎は、つたをあいするから慈しむのではない。
慈しむのが適切であるから、慈しむだけなのだ。
小十郎の元に嫁ぎ、一年も経たぬ間にそれを知ったつたは、しかしもう、そのことについて なにかしらの感情を揺らすような愚行は犯すまいと決めたのである。たとえ、つたが喉が枯 れるほどに泣いたところで、足下に惨めたらしく縋ったところで、きっと小十郎は眉ひとつ 動かさずにそれを受け流すことは目に見えている。だとしたら自分の感情のなんと哀れなこ とだろうか。生まれても、誰に見取られることなく流れていくだけなのだ。
つたは腹の上にてのひらを置く。
ここに、小十郎の子が居る。
まだ生まれえぬこのこどももまた、小十郎によって流されそうになった。
良人は主よりも先に子を持つことをよしとしなかったのである。皮肉なことにその主である 伊達政宗の口添えによって、いまだつたの腹には命の種が宿っている。つたはもう片方の手 も重ねて腹の上に添えた。ぬるい温度に、ときおり鼓動が混じり、ことことと揺れる。
自分の感情は、もういい。
つたはそう思った。
このこどもさえ、生を受け、育ち、皆に見留められればそれで十二分だ。
そう考えるのはひどくかなしかった。折に触れてつたは誰もいないところでひとり泣いた。 つたはまだ若く、今まで両親に慈しまれ、家人にあいされて育った娘である。もちろんひと の悪意に触れたことが今までになかったわけではない。十人並み以上にはうつくしい容姿が 嫉妬の対象になったこともままあることであった。下卑た物言いで揶揄されたこともあった。 しかし小十郎のそれは悪意ですらないのである。

あれは無関心というのだ。

良人はおそらく、どうでもいいのだろう。
つたのことも、自分のこどものことも、出来るならば考えたくないのだ。余所事に考えを巡 らせればその分だけ、彼の命よりも大切な主について考える時が減る。良人はそれを厭うの である。伊達政宗という、あの綺羅めかしい主以外、良人の目には入らない。
また涙が出そうになったが、つたは堪えた。
期待をするから、涙など出るのだ。
期待をするのは止めよう。
そう、つたは決めたのである。
















十月十日よりも随分早く、つたは産気づいてしまった。
子が産まれるのに、夜半から朝方までかかった。赤児の泣き声と一緒に小鳥のさえずりが聞 こえた。つたが覚えているのはそこまでで、我が子を抱く前に意識は飛んで、気が付くと衣 服が整えられた状態で寝所に寝かされていた。辺りは暗い。一体どれほど事切れていたのか 分からなかった。
視線を巡らせると、座敷の隅に良人が座り込んでいた。
つたははっと息を飲み、目をきつく瞑ってから再び開いた。しかしそこに居るのは矢張り良 人である片倉小十郎だった。規則正しい寝息が、虫の音に混じって聞こえる。
つたは混乱した。
身を捩ると良人の顔が持ち上がった。

「つた」

骨を鷲掴むような低音が、自分の名を綴る。
つたは息を止めた。眠ったふりをしようにも、目と目が合ってしまっている。小十郎は立ち 上がると布団の脇まで寄ってしゃがみ込み、つたの額にてのひらを押し当てた。ひやりと冷 えた皮膚の感触に、つたは思わず目を閉じる。

「気分はどうだ」

もう二日眠っていたんだぞ。
良人の声はやわく、ぬるい。
ずぶずぶと何処か暗いところへ引きずり落とされていくようだ。

「まだ顔色が悪いな」

どうしてそんなことを言うのだろうとつたは思った。
自分の生死に興味などないだろう。妻など誰だってよかったはずである。子とて流すつもり なら、そのまま死ねばいいと思っていたのではないのか。
今更何を言うのだ。
嗚呼、でも、いつからあそこに居たんだろう。
よく解らない。
つたは唸った。

「どうした」

小十郎の手がさらりとつたの前髪を掻き上げる。
その手つきに籠もっているのが愛情のようで、息が苦しくなった。錯覚である。誰にでもや さしくすることができる男なのだ。無関心ならば無関心なだけ、彼の声はやさしくなる。そ んなことはもう何度も確認したことではないのか。
今更だ。
今更揺らいでどうなるのか。
止めてください、とつたは良人の手を振り払い、首を振った。
止めてください、止めてください。
あんまりだわ。

「あんまり残酷ですわ。おまえさまは、酷いおひとです、酷い、酷い、酷い」

つたは両の腕で目元を隠して泣いた。 小十郎がすこし戸惑ったように、また名を呼ぶ。つたは激しく頭を振った。

「私もう止めたんです。もう、もうそういうことをあなたに期待するのは止めたんですわ。 なのにどうして邪魔をするんです。どうしてそんなところにいらっしゃるんです。どうし て私の安否など気遣うのです。どうして、どうして―――嗚呼、止して頂戴」

殺したはずのものがきりきりと軋んでいる。
良人の手が背中に回るのを拒絶することができない。抱き寄せられたつたは小十郎の胸元
に顔を埋めた。大きなてのひらが宥めるようにつたの背中を撫でる。
どうした、という声が耳に注がれる。
低い声。
背中が震えた。

「―――あんまりだわ」

つたは繰り返したが、止めてくださいとはもう言えなかった。















003:諦 め る



ホモの嫁h(略
管理人はDKA(駄目な片倉さんを愛する会)の会員001です。


2010/07/10



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