佐助が俺様は行かない、と言ったとき、正直なところ小十郎はとても驚きましたし、腹も立ちまし た。そしてすこしだけ、淋しいとも思ったのです。 幽霊屋敷がある―――のだそうです。 ムーミン谷から一日ほど歩いたところに、ぽつりと。 それは信玄の持ち物でした。信玄も謙信も、こんな辺鄙なところに住んでいますけど、ほんとうは とてもお金持ちなのです。管理は他の人に任せっぱなしなので、小十郎はもちろん政宗も幸村も、 二人がどれくらいお屋敷や船や宝物を持っているかは知りません。 ともかく、幽霊屋敷です。 ほんとうは暑くなってきたので、みんなで避暑がてらそのお屋敷へ出掛けようという話になってい たのでした。でもお屋敷は管理人さんがすこしばかり―――五六年ほど、怠けていたために、幽霊 が住み着くほどに荒れ果ててしまっていたのです。 信玄はべつにそれを聞いても落ち込みませんでした。 謙信は「それもまたふうりゅうですね」と微笑みました。 そして政宗と幸村は、幽霊退治ができる、と多いに喜んだのです。 「目に浮かぶようだなあ」 ムーミン屋敷からすこし離れた川辺にテントを構えている佐助はそう言って笑いました。 釣る気があるのかないのか、釣り竿を地面に置いたまま寝転がっている佐助の隣に腰を下ろし、 小十郎はきらきらひかる水面を眺め息を吐きます。 小十郎は幽霊なんてぜんぜん興味がないのです。 「そんな荒れ果てた屋敷に行って、一体台所があるかどうかすら定かじゃあねェってのに」 「ふふん、良いじゃないか。冒険だよ。楽しんでらっしゃい」 小十郎は顔を上げました。 佐助は日除けに鍔の大きな帽子を顔に乗せたまま、俺様は行かないよ、と言います。 「夏は暑く、冬は寒いもんでしょう。俺はムーミン谷の夏がすきだからね」 行かないよ。 小十郎は黙りました。 小十郎がこの話を佐助のところへしに来たのは、もちろん佐助を幽霊屋敷へ誘うためだったので す。幽霊には興味がありませんが、佐助と一緒に旅に出るのはそんなにつまらないものでもない だろうと思ったのです。 小十郎は水面にひかるおひさまのひかりを見ながら、いつ佐助に話を切り出すかをずっと考えて いたのでした。 でもぜんぶ無駄になったようです。 佐助は一緒には来てくれないのですから。 「そうか」 小十郎はそう言って立ち上がるしかありませんでした。 出発の前夜、窓を叩く音で小十郎は目を覚ましました。 ベッドから体を起こすと、窓の向こうに赤い影がちらちらしているのが目に入りました。慌て て窓を押し開けると、縄ばしごに掴まった佐助が小十郎を見上げてへらりと笑います。 「今晩は、月がきれいじゃない?」 佐助はそう言って、小十郎の横をすり抜けて部屋へ入ってきました。 小十郎は解れた髪を掻き上げ、ほう、と迷惑そうな息を吐きますが、佐助はまったく聞いてい ないようで、椅子に腰掛けて帽子をくるくると振り回しています。 「こんな時間に何の用だ」 「うん、あんたに会いに来たンだよ」 佐助はまたへらりと笑います。 小十郎はベッドに腰掛けて舌打ちをしました。 「明日は早ェんだ。留守番するおまえとちがってな」 「それなんだよねえ」 「なんだって?」 「うん、あのさ」 佐助は帽子を机の上に置きました。 それから立ち上がり、ベッドに座る小十郎の横に腰かけ直します。佐助の赤い目で覗き込まれ ると、なんだかやけに迫力があって、小十郎は知らないうちにすこしだけ背中を反り返らせま した。 「片倉さんさあ」 怒ってるでしょう、と佐助は首を傾げました。 「俺が、着いていかないから」 小十郎は目を瞬かせます。 佐助はほうと悩ましげに息を吐いて首を振りました。 「でもね、解ってないンだよ、それは」 俺はね、と佐助は勿体ぶって言います。 小十郎はいろいろな言いたいことを―――べつに怒ってなんかいないだとか、早く帰れだとか、 おまえなんて来なくてもべつにまったく構わないだとか、―――でも、明日からしばらく佐助 とは会えなくなるのだし、なにもそんな日に喧嘩することもないんじゃないかと思ってぐっと 我慢していました。 佐助は小十郎のほおに手を伸ばします。 ぬるい指が皮膚に触れたと思った瞬間に、小十郎の唇に佐助の唇が触れていました。 「俺はさ、一度くらい、あんたのことを待ってみたいんだよね」 いつも待たせてばっかりだから。 佐助の唇はすぐに離れていったので、小十郎は文句を言うこともできません。佐助はへらりと 溶けた笑みを浮かべ、旅をしてるとどうしてもずっとあんたのことを考えてるわけにはいかな いから、一度くらいあんたで頭のなかを一杯にしてみたい。 だってあんたは冬中そうしてくれてるもんね? ぎゅ、としあげに両手を握られます。 「冬眠中は考えるも糞もねェだろう」 言ってからしまったと小十郎は思いました。 これでは冬眠のとき以外は佐助のことばかり考えていることになってしまうからです。 小十郎は黙りました。佐助も黙って目を丸めています。でもそのうち佐助の丸い目がまったく 三日月みたいに細くなって、それから満面に笑みが浮かぶのとおんなじに、また小十郎は佐助 にキスをされてしまいました。今度は随分長いキスでしたけど、小十郎はやっぱり文句を言う ことはできませんでした。 しばらくキスを繰り返してから、佐助はベッドを立ち上がり、窓を開けました。 「じゃあ、待ってるから。早く帰って来ておくれよ」 縄ばしごに掴まりながらそう言って笑う佐助を見下ろし、小十郎は息を吐きます。 解っていないと佐助は言いましたけど、それは佐助のほうだって一緒だと小十郎は思います。 「俺は」 すきじゃねェ、と小十郎はつぶやきました。 佐助が目をぱちぱちと瞬かせます。小十郎はまた口を開きました。 「待つのも、待たれるのも、すきじゃねェ」 冬の間はどうしたって会えないのです。 小十郎が眠る前に佐助は行ってしまうし、起きる前にムーミン谷へ帰ってくるときはいいです が、そうではないときは春にもまた佐助を待たなくてはいけません。 待つのはすきではないのです。 でも待たせたいとも思わないのです。 だってどちらにせよ、そこに佐助は居ないのです。 「冬でもねェのにどうしてそんな面倒なことしなけりゃならねェんだ、阿呆」 ずっと一緒に居られるわけではないのですから。 一緒に居られるときはずっと一緒に居たいと思うのは小十郎だけなのでしょうか。佐助は目を 丸めて、ほおを赤くして黙り込んでいます。 小十郎は苛立たしげに窓を閉めました。 ぱたん 窓から空を見上げると、お月様が呆れたように、細くへの字に曲がっていました。
015:待 つ
アニメの幽霊屋敷の話ではなぜかスナフキンが着いてきてくれないのです。 ムーミンは絶対不満だったと思うんだという主張でした。 2010/07/21 プラウザバックよりお戻りください。 |