今晩は催涙雨だね、とレースのカーテンを閉めながら猿飛佐助が言った。
食器を洗っていたかげつなは、シンクから顔を上げ、カウンター越しに窓を見据えて首を傾げる。

「なんだって?」
「催涙雨」
「なんだそりゃァ」
「知らない?七夕の話」

七夕なら知っている。
仕事をしなかった馬鹿な男女が川の彼岸と此岸に分けられたが、一年に一度は再会できるという なんだかよく分からない話だったはずだ。今日は頻りにその話の特集をテレビで組んでいた。 かげつなが説明してやると、佐助は困ったように笑った。

「まあ、そう言えなくもないンですけどね」

でもそれじゃあんまり散文的だよなと佐助は言う。

「いちおう、ロマンチックな悲劇なんだぜ、その話」
「どこが」
「可哀想でしょ。恋人同士が一年に一回しか会えないンじゃ」
「自業自得じゃあねェか」

働かなかったのだから。
死ななかっただけ有り難いと思うべきだろう。

「わお、シビア」

佐助は笑いながらソファに寝転がった。そうするとかげつなの視界から赤毛が消える。かげつな は再び皿洗いに集中し出したが、茶碗に手をかけたところで、そういえば結局「さいるいう」が なんであったかを問いただしていないことにはたと気付いた。
顔を上げるが、赤毛の同居人はまだソファに沈んでいるようで、姿が見えない。
かげつなは水を止めて、キッチンを出てソファを覗き込んだ。

「おい」

佐助は仰向けになってクッションを抱えながら寝転がっていた。
ひょいとかげつなが顔をのぞかせると、丸い眼だけ開いて声に応えようとしている。その横着な 態度に腹が立ったので、かげつなはクッションを取り上げて腹に投げつけてやった。
佐助が軽く唸る。

「痛いな」
「それで、「さいるいう」ってのは、なんなんだ」
「ああ」

再びクッションを抱え直した佐助が気の抜けた声を出す。

「今日雨でしょ」
「そうだな」
「でもさ、雨降ってると天の川出ないじゃん」
「まァ、そうだろう」
「天の川出ないと、織り姫と彦星会えねえでしょ」
「うん」
「だから「涙」を「催」す「雨」で、さいるいう、っていうんだって」
「ふうん」

かげつなは首を傾げて、ソファの背もたれにほおづえを突いた。

「あんまり納得しない感じ?」

佐助が半身を起こしてかげつなの顔を覗き込んでくる。
背もたれ越しに向かい合いながら、かげつなは佐助の赤い眼に映る自分の顔を眺め、ひょいと 肩を竦めて眉を上げた。

「いずれにせよ自業自得であることには変わりがねェな」
「厳しいね、かげつなさん」

佐助は喉を鳴らして笑いながら、背もたれに顔をぺたりと貼り付け、上目遣いにかげつなを見 上げる。首を傾げるとなにか悪戯をするこどものような顔をして、丸い目をやたらに瞬かせる と、あんただったらどうする、と佐助は唐突な質問をかげつなにぶつけてきた。
俺とあんたが、天の川のあっちとこっちに離されちゃったら。

「ね、どうします?」

かげつなは黙って佐助を見た。
目の前に居る赤毛の同居人は、こういったひどく無意味な例え話をとても愛好している。かげ つなは佐助の意図するところがまったく理解できない。佐助の話はとても無意味だ。
なぜなら佐助とかげつなは織り姫と彦星ではない。
かげつなが黙り込んでいると、佐助はちらりと目を細めた。

「つうか、―――あんたが一年も我慢できるわけねえよな」

急に声が低く、陰気になる。
またなにか勝手な仮定をして、勝手に落ち込んでいるのだ。
それがいったいどういった仮定で、佐助がどのように落ち込んでいるのか、それはかげつなに は解るはずがない。けれどもこのあと放っておくとますます落ち込んだ赤毛が一種の暴走行為 に出るか、あるいはさらに際限なく落ち込んでいくか、―――いずれにせよ面倒なことになる ことだけは、かげつなにも解っている。
かげつなは息を吐いて、佐助の髪をくしゃりと掻き混ぜた。

「下らねェ話をするな、阿呆」

佐助は黙って目を細めている。
まだなにか引っかかるものがあるらしい。よくよく面倒な赤毛だ。
かげつなは膨らんでいる佐助のほおを何度か手の甲で叩いてやって、ほうと息を吐き、だいい ち、と舌打ちをしながら口を開いた。
だいいち、そりゃ無意味な話だ。

「なんで俺が一年も我慢しなけりゃァならねェんだ」
「だってそういう決まりでしょうが」
「何故」
「一年に一回しか、天の川の渡しが出ねえの」
「だから」

雀は深く息を吐く。

「それが無意味だと言っている。渡しなんぞなくても、渡りたけりゃひとりで川くらい渡る」

佐助は無言で目を瞬かせた。
それから間抜けに「あ」と口を開いて、それからソファをぱん、と叩いた。

「―――そういや、あんた鳥でしたね」
「今更気付いたか」
「なあんだ」

佐助はへらりと笑って、かげつなの背中に手を回した。
ちょうど肩胛骨の辺りを確かめるようにてのひらで撫でながら、満足げに顔を崩している。そ うか飛べるのか便利だなあと言う。その言葉もやっぱり今更だったので、かげつなは呆れてし まったが、背中を撫でる指の感触がきもちいいので放っておいてやった。
肩胛骨を撫でながら、あんたが星じゃなくて雀でよかったよ、と佐助が真面目に言う。
あんまり馬鹿馬鹿しいのでかげつなも釣られて笑いながら、佐助の髪を撫でてやった。

「精々大人しくいい子で待ってろ。天の川の一つや二つ、すぐに飛んで行ってやる」

そう言うと、急に目の前から佐助が消えた。
見るとソファにうつぶせになって倒れ込んでいる。

「どうした」

返事がない。
肩を揺らして仰向けにしてやると、佐助はクッションで顔を隠した。

「何をしているんだ、おまえは」
「死んだ」
「何故」
「ときめき死」
「はあ」
「尋常じゃなく胸がきゅんきゅんする」

ヤバイ。
死ぬ。
再びうつぶせになった佐助がぱたぱたと足をばたつかせる。

「阿呆か」

雀はソファの正面に回って、再び佐助の体を引っ繰り返す。クッションを放り投げて、素手に なった両方の手首を引っ張り上げ、体を無理やりに起こさせる。
佐助はまだ死んでいるらしい。
体をだらりと後ろに脱力させて、背中を反り返らせている。

「この程度で死なれちゃァ困る」

かげつなはクラゲのようになった佐助を見下ろし、腕をぐいと引き寄せた。

「ちゅうしてくれたら生き返るかもしんない」

ぱ、と手を放すと佐助はそのままソファに仰向けに倒れ込む。
それはもう七夕とは関係のない、他のおはなしではなかったか。雀はそう思ったが、何も言わ ずにソファに乗り上げて佐助の口に自分のそれを重ねた。
キスすることに関してはなんの異論もなかったのだ。
佐助がぱちりと目を開いた。
かげつなは目を合わせたまま二度目のキスをした。

「もう生き返りましたよ」

唇から耳へとキスの場所を移すと、くすぐったそうに佐助が笑う。
ふうん、とかげつなは鼻を鳴らして佐助の髪に指を絡めた。正直なところ、もうそんなことは 雀にとってはどうでもいい問題であって、まだシャワーを浴びていない佐助の首筋からいつも よりも濃い汗のにおいがしているということのほうが、今はどれだけ重要な問題かしれない。
くんくんと鼻を動かす。
佐助がすこし抵抗するように身動いだ。

「俺様臭くない?」
「べつに」
「―――シャワー」
「いい」
「や、でもですね」
「いらん」
「はあ」
「おまえの匂いがする」

こっちのほうがいい。
そう言ってやると、佐助は黙って両腕を顔の前に重ねた。かげつなが訝しげに眉をひそめると、 首を振ってもう駄目と言う。

「今度こそほんとに死ぬ」

かすかに見える佐助の顔は髪と目とおんなじように赤く染まっている。
雀はとりあえず、同居人を再び生き返らせようと、クロスしている腕を解いてまたキスをして やった。
















016:と き め く



季節外れですが雀が天の川を飛んでいく映像を脳内キャッチしたので。
当サイトの甘み成分の八割は雀が担っております。


2010/07/21



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