片倉小十郎は一個の思想である。 猿飛佐助は常々そう考え、かの男と付き合うことにしている。あの男は生き物というよりも、よ り抽象的な概念なのだ。そう思う。そうするといろいろな物事の辻褄がすっきりと解ける。佐助 は安心して小十郎と対面し、会話をし、ときには笑いあったりすることもできる。それはそう悪 くない。あくまでも一個の思想としての小十郎とのそれ、ということになるけれども。 ともあれ、小十郎は思想だ。 しかもとてもよく出来た、確固とした思想だ。 たとえば小十郎は実は寒がりで甘味が好きで女も好きなら男だっていける口で、抱くのにも抱か れるのにも抵抗がなく、ひとを殺すことを虫を殺すほどにもためらわず、むしろ殺し方のあざや かさを内心誇ってみることすらするような、要するに彼は一種の快楽主義者なのだけれども、そ れを知っている者がこの世界にどれほど居るだろう? 答えは一人。 佐助しか居ない。 佐助がそれを知ったのも、まったくの偶然である。 「だからしのびは苦手なんだ」 小十郎は苦虫を噛み潰したような顔でそう言っていた。 佐助だって知りたくて知ったわけではなかった。佐助はそれらの真実を知るまでは、極めて単純 な意味で小十郎に好意を抱いていたのだ―――つまり、真面目で清廉でありなおかつ切れ者の他 国の軍師として。その軍師は厳めしい顔に似付かわしくなく、休みには自ら畑仕事をするような 酔狂さも持ち合わせており、なにより忠臣という言葉を具現化したような誠実さを持っている。 そう思っていた。 できるなら、今からだってそう思い直したいくらいだ。 しかしそれが不可能であることを佐助は知っている。佐助はもう十分に小十郎を知ってしまって いて、それを今更真っ新に戻すことなどできようもない。 どれも、見つけようとして見つけたものではなかった。 寒がりであることを知ったのは、冬に偶然見かけた小十郎が屋外に行くのをためらっているのを 見てしまったからだし、甘いものが好きなことは佐助の主である真田幸村と思いの外話が合って いるのを聴いたからだ。殺し方は見ればすぐに解る。なんのためらいもない、ぞっとするほど無 駄のない殺し方には、あきらかに技巧を誇るかおりが漂っていた。佐助はそれにとてもあからさ まに嫌悪感を抱いた。見えにくいのがなんともいやらしいと思ったのだ。 ぼんやりと抱いていたあいまいな好意は途端に嫌悪へとすり替り、随分長い間佐助はそのことに ついてひとり静かに混乱していたのだけれども、それがすっきりと収ったのは、矢張り彼が思想 なのだと感付いたことに起因している。 小十郎は思想だ。 その思想を名付けるとすれば、それはもちろん「龍の右目」である。 小十郎は龍の右目なのだ。 極めて抽象的な概念としてのそれに、彼は務めて自分の体を沿わせようとしている。表向きにあ るものと、内側に隠れた薄汚さのおそろしいまでの溝は、そのために開いている。それは真実の 片倉小十郎と、思想としての片倉小十郎との間にある溝でもある。彼はそれだけ自分を偽り、別 のなにかになるべく日々自分を作り替えているのだ。 それを知ったとき、佐助はひっそりと感動した。 おかしな話だけれども、とても健気だと思った。 小十郎のしていることは、すこしだけ愚かな犬に似ていた。犬は懸命に主に尽くす。そして尽く すと尽くしただけの返しを求めるのだ。しかし大抵の場合それが与えられることはない。なぜな らば犬は犬である以上主に尽くすものだし、それを特別なことだとは誰ひとり考えてはいない。 だから犬はほんとうに返しを求めるのであれば、犬であることをやめるべきなのだ。犬が犬らし くしても何も起こらない。しかしたとえば、犬が刀を持って敵陣に突っ込み、大将首を引っ提げ て戻ってきたらどうだろう?宝の在処を吠えて教えればどうだろう? 小十郎がしていることもそれに似ている。 「龍の右目」になるために、彼はたくさんのものを踏み潰している。潰しているのは彼自身のさ まざまな部分だ。それを小十郎はためらいもなく足で磨り潰す。しかしそれは、彼の求めるもの を必ずしも彼に与えない。なぜならば、世界中が彼を「龍の右目」だと考えているからだ。誰も が犬を犬だと思うように、ひとは彼を「龍の右目」だと思う。 しかし小十郎は愚かな犬のように「龍の右目」でありつづける。 人前で甘いものは食べないし、寒さなどないかのように平気な顔をして極寒の地に居を据えて、 たとえ敵であれども弔いの儀は忘れない。まるで聖人のような痛ましげな顔をして小十郎は右手 をかざし、目を閉じ、黙祷をするのである。 果たして甘味と龍の右目との間にそこまでの間隔があるのかどうか? そんなことはもちろん佐助は知らない。 佐助が知っているのは、つまりこういうことだ。 片倉小十郎は、思想である。 ところで、佐助が小十郎が女色も衆道もこなすことを知っているのは、誰でもなく佐助こそがそ の衆道の相方であるからだった。 それも由はあまり覚えていない。 しかしおそらく、彼が思想であることを認識したあとであったことはまず間違いがない。そうい う認識に辿り着くまでは、佐助は小十郎という人間をどうにも捉えかね、その捉え損なった感触 に嫌悪感を募らせていたのである。 だからたぶん、彼と寝たのもそのあとのはずだ。 いくらなんでも、好いてもいない男と寝るほど佐助は物好きでもなければ、節操なしでもない。 だからたぶんきちんと小十郎のことをそれなりには好いていたはずだ。と、佐助は思う。思うだ けならば誰も文句は言わない。 小十郎は抱くことも抱かれることもとても上手だ。 佐助を撫でる手の動きは魔術のように巧みだし、息を止めて顔を赤らめるときの彼は普段の岩の ような男と同じ生き物だとはとうてい信じられない。佐助は小十郎を抱くのも、抱かれるのも、 とても気に入っていた。もちろん小十郎もそのはずである。そうでなければ易々としのび風情に 体を許したりはしないだろう―――もっとも、佐助とちがって小十郎は随分節操なしではあるの だけれども、それでもだ。 小十郎の元を佐助が訪れると、たいていは体を重ねることになる。 どちらが上になるか下になるかは、日によってちがう。佐助の意見が通ることはまずない。そも そも佐助は自分の意見など言ったためしもない。ただ小十郎は、抱いてほしいときにはそれとな くそういった素振りを見せるし、逆に抱きたいときは何の前置きもなしに佐助を床に引き倒すの である。佐助はそれに逆らわず、諾々と彼の言うがままにしてやる。 佐助は小十郎と体を重ねると、ほとんど気が違うほどに愉快な心地になる。 普段あんな厳めしい顔をして、あらゆるものを押し殺して、一筋の無駄もない「龍の右目」であ るはずの男が、佐助のような決してうつくしくもたおやかでもない男と情を交わすその無意味さ をどう考えているのか。それを考えるだけで佐助は小十郎がいとおしくって仕様がなくなる。そ れは完璧な思想としてあるはずの小十郎の内側に、矢張りそれに抗っているなにかがあって、そ の発露としてこうも無意味に現われているのではないか、と佐助は思う。 そしてその相手が自分であったことを―――なにしろそれは完全にただの偶然であるので余計に ―――とても、幸運なことであったと思うのだ。 「右目の旦那」 情を交わすとき、佐助は小十郎をよくそう呼んでやる。 そうでもしないと、彼はどこかにほろほろと崩れてしまいそうな顔をしている。 佐助が小十郎をそう呼んでやると―――彼の思想としての部分をきちんと名指してやると、小十 郎は途端にほっと安堵したような顔をする。そしてご褒美だとでも言うように佐助の口を吸って くれる。佐助はもちろんそれを喜んで受け入れる。 佐助と情を交わすとき、小十郎は思想ではない。 生々しい、下らない、その辺りにいくらでも転がっていそうな男に過ぎない。 小十郎はそれを知っている。佐助もそれを知っている。だから情を交わしたあとは、小十郎は慌 てて「龍の右目」の衣を纏い、あっという間に自分の生身の肌を隠してしまう。その滑稽なまで の健気さに、佐助はいつも腹を抱えて笑い転げそうになるのを必死で堪えている。 嗚呼、なんといういとおしさだろう! そう思う。 そして彼の口を無理矢理に吸ったりする。 すると小十郎はたいてい、もの凄く厭そうに佐助を睨んでくるのだ。 要するに、佐助は小十郎が生々しいひととしての自分と思想としての龍の右目との間を行ったり 来たりしているのを見ているのがすきなのである。めしいだ者が同じ場所を右往左往しているよ うに、ぐるぐるぐるぐる歩いている小十郎のことがとてもすきなのである。 その光景は、とても滑稽で、哀れで、健気で、あいらしい。 俺だけだ、と佐助は思う。 俺だけだ、このおひとのこんな姿を見れるのは! 世界中に叫んで回りたいほど、佐助はそのことがほこらしくって仕様がない。 けれどもそれは誰にも言えないことだ。彼が自分の命よりあいしている彼の主だって知らないこ となのだ。だいいち、誰かに言ってしまえば、誰も知らないという、この事実の価値は減ってし まうだろう。優越感にも陰りが出る。それではまったく意味がないのだ。 なんとも悩ましい。 甘やかな悩みに佐助はほうと息を吐く。 すると体の上に居る小十郎が不思議そうに、どうした、と問う。佐助は笑みを浮かべながら首を 振り、なんでもないんだ、ただあんたのことがとてもすきだと思ったンだよ、と甘ったるい声で 囁いて、首に腕を回してやった。 「おかしな奴だな」 小十郎がかすかに笑う。 いっとうおかしいのはあんただ、と佐助は思ったが、口には出さないでおいた。
017: 己 惚 れ る
佐助による片倉さん語り。 佐助はこうやってひとりで弱み握ったつもりでにやにやしていたら実は小十郎にも ばっちり弱みを握られてたりすればいいんじゃないかと思うんです。 2011/02/21 プラウザバックよりお戻りください。 |