に ゃ ん に ゃ ん に ゃ ん !






















その子猫を見つけてきたのは、末っ子の十助だった。

「ちちうえににてる!」

そう言って差し出してきた子猫は、ごくふつうの黒猫だった。しかしよく見てみると、その鼻の頭
には赤毛のしのびとおんなじように、模様が入っている。それはほおの部分にもあって、大きな目
と相まって、成る程似ていないとも言えなかった。
当のしのびのほうは、ここ一月奥州へは来ていない。
片倉小十郎はその子猫に夢中になる三人のおさなごを見ながら、つらつらとそんなことを考えてい
た。前に来たのは年が明けた直後で、ほとんど生きているだけの屍になるほど忙しかった小十郎と、
負けず劣らず忙しいしのびは、お互いに取るものも取り敢えずにまぐわって、―――朝になったら
しのびのほうは居なくなっていた。
そんな戦場でするよりなお味気ない情交以来、会っていない。
それから一月経って、奥州にもすこしずつ春が染みこみつつある。梅の蕾も膨らんで、根雪も解ら
ぬほどかすかに、しかし確実に溶けつつある。
もうすぐ春が来るだろう。
しのびはいまだ来ないけれども。

「ははうえ、このねこ、かってもいいですかっ」

庭で猫と遊んでいた十助が嬉しそうに駆け寄ってくる。
まるいほおに赤みが差している。ただでさえきらきらとひかるしのびに似た赤い目が、期待に満ち
てますますそのいろを増している。小十郎は書見台の兵法書を見たままで、自分で世話をしろよと
言ってやる。わあとはしゃぐ三人は、そのまま雪の上で猫の名前をなににするか相談をし始めた。
構われなくなった子猫は、庭から縁側に上がり、丸くなっている。

「どんなのがいいかなあ」
「あのしのびに似てるからなあ、サルとかどうだ?」
「猫なのに猿はおかしい」
「おかしい!」
「なんだよ二人そろって馬鹿にしやがって―――――、じゃあ幸はどうしたいんだよ」
「そのままでいいと思う」
「そのまま?」
「そう、」

子猫が伸び上がり、欠伸をする。
膝の近くに寄ってきたそれを、小十郎は視界の端で確認したが、放っておいた。
こそこそとこどもらは内緒話をしている。動物の名前なんてなんだっていいだろうと思うけれども、
確かに名前があると愛着が沸くのも確かだ。しのびが勝手に寄越した鴉も、なまじ名前をつけてし
まったためにおかしな情が沸いて、気付けば十年以上も居着いてしまった。
今も呼べばすぐに出てくる。
どこかの赤毛とちがって、鴉はとても賢い。
子猫は知らぬ間に小十郎の膝の上で丸くなっている。ぬるい体温が不快ではなかったので、そのまま
にしておいてやる。庭では三人がいつの間にか消えた子猫を探しているようだった。

「ちちうえ、ちちうえ、どこ?」

十助がそう言いながら、木の陰を覗き込んでいる。

「父上」
「おい、しのび、どこだ?」

幸と弁天丸もそういいながら庭を駆け回っている。
さすがに気になったので、小十郎は顔を上げた。

「何の話をしてるんだ、おまえら」
「あ、母上。先刻の猫どこに居るか知りませんか?」
「猫」
「はい」
「今父上とか言ってなかったか」
「あのね、さすけ、ってなまえにしたの」
「―――――――さすけ?」
「ねこを!」

十助が嬉しそうに飛び跳ね、その拍子に小十郎の膝で眠りこけている子猫を見つけたらしく、庭か
ら座敷へと上がり込み、小十郎の膝に飛びついてきた。書見台ががたんと揺れる。猫が驚いてニイ
と叫んで逃げていった。

「ああ、ちちうえぇ」

十助が情けない声を出しながら、小十郎の膝の上でばたつく。
小十郎はうっとうしげに十助をつまみあげ、放った。待ち構えていたように弁天丸がそれを受け止
める。幸も一緒に座敷へ上がってきて、猫がどこに居るのかをきょろきょろと見回している。
父上父上、と幸も言う。
賢いはずの長女の他愛ない姿に、小十郎は呆れた。

「名前がそうだからといって、べつにあいつがおまえらの父親なわけじゃねェだろう」
「でも、名前が父上と同じなものを、呼び捨てにはできません」
「そういうものか」
「そういうものです」

たまにしか来ない男でも、それなりに尊敬はされているらしい。
弁天丸はしのびしのびと言いながら這いずり回って猫を探している。あちらも普段憎まれ口をきい
ているわりに、嫌っているわけではないのだ。馬鹿げて複雑だ。
来ないならば、忘れてしまえばいいようなものだ。
同じ名前なんてつけてしまえば、二度と来なくなっても忘れることすらできなくなる。

「別の名にすりゃいいだろう」

軽くなった膝を軽く払い、つぶやく。
幸だけがそれを聞いたようだったが、矢張り賢い娘は聞こえないふりをした。



































子猫は結局夜になっても見つからなかった。
もともと野良だったのだから、どこかに親が居たのかもしれない。
十助は泣いていたし、弁天丸も最後まで諦めがつかないような顔をしていた。幸はあまりいつも
と変わらない顔をしていたけれども、腹のなかで何を考えているのかは解らない。こどもらと一
緒になって家人らもてんでに屋敷中を探していたが、暗くなったのでとりあえず捜索は明日に持
ち越しになったようだった。冬になるととかく暇で、家人たちも退屈していたのだろう。
小十郎はもちろん、探すのを手伝ったりはしなかった。
動物はきらいではない。しかしあえて自分のものにするのはためらわれた。しかも名前がよりに
よって、あのしのびのものであるのがよくない。
もし、仮に、あのしのびがついに来ないようになったとして。
それでもこの家にはあのしのびの名前が残るのだ。ぞっとしない話だ。
空は晴れ渡り、しろい月がまんまるく浮かんでいる。寝所へ続く廊下を渡りながら、小十郎はま
だ冬の月を浮かばせる空を仰いだ。冬はもともと、奥州という土地にひとを寄せ付けない季節だ。
だからこの季節にあのしのびが来ないとして、それはまった不自然なことではないのだ。
いつもなら気にもしない。
一月やそこら、来ないことなんてざらにある。
ぺたぺたと足音だけが夜に響く。息は白く、鋭い寒気がかすかにさらされる肌を刺した。真冬の
頃に比べればはるかにぬるいはずの寒さが、今晩に限っていやに染みいるように、堪える。

「阿呆臭ェ」

知らず、声がもれた。
常なら思い出しもしないのに、あの三人のせいで不意打ちに思い出してしまって、そうしたら忘れ
る方法を忘れてしまった。癪なことだ。しかしあのおさなごらを責めるわけにもいかない。
恋しいのだろう、あのこどもらも。
苛立たしい感情そのままに、障子を乱暴に開く。

「―――――――、」

小十郎は、その場で目を見開いた。
真ん中に一畳台を置かれた寝所の、まさにその布団の上に、先まで片倉家総出で探していたはずの
子猫が丸くなって眠っていたのである。
小十郎は息を吐いて、そっと障子を後ろ手に閉めた。
布団の上にあぐらを掻くと、子猫をゆっくりと持ち上げる。くたりと骨までなくなったかのように
それは簡単に持ち上がり、小十郎の手の中に収まった。
ぬるまったい温度に、冷えた指先が溶けるようにゆるんでいく。
間抜けた顔で眠りこけている子猫を見ていたら、ふ、とほおのほうもゆるんでしまう。鼻の頭にあ
る模様を見ていると、見れば見るほど確かにあのしのびのことが思い出された。そのままの姿勢で
じっと猫を見つめていると、さすがに目を覚ましたらしい子猫の丸い目が、ぱっちりと開かれた。

「――――にゃあ?」
「起きたか」

笑みを薄くひいて、子猫を顔の高さまで持ち上げる。
子猫は小首を傾げ、ちいさな手を小十郎に向けて懸命にのばしている。その姿がいやに健気に見え
て、小十郎はその手がほおを軽く叩くのをゆるしてやった。
肉球がやわらかく、ぬるまったい。
にいにいと鳴く声は高く、耳に心地よかった。
小十郎はしばらく子猫とたわむれてから、膝に戻してやる。それでも子猫はしきりに身体を伸ばし、
小十郎の胸に縋り付いてくる。
小十郎はちいさな頭を撫でながら、ふと目を細めた。

「―――、さすけ」

ちいさな、蚊の鳴くような声で呼んでみる。
にゃあ、と子猫が返事をするみたいに鳴いた。ほう、と息がこぼれる。さすけ。また呼んでみる。
にゃあにゃあ、と嬉しそうに子猫が返事をする。
小十郎は再び、子猫を抱き上げた。

「さすけ、さすけ。佐助」
「にゃんでしょう?」

小十郎はびくり、と肩を固めた。
子猫は不思議そうに小首を傾げている。罪のない顔だ。もちろんそうだろう。この子猫にはなんの
罪もないのだ。言うまでもなく。
言うまでもなく、声の主は後ろに居る。

「久々に会いに来てみたら、俺の代わり見つけちゃった感じ?」

さみしいなあ、と言う声はあきらかに笑いを含んでいる。
肩にするりと手がかかり、慣れたつめたい鉤爪の感触に小十郎は舌打ちをした。子猫を下ろして振
り返ろうとすると、半端に首をひねったところでちゅ、と口を吸われた。
ぬるい唇の感触に、眉間のしわがきゅっと寄る。すかさずそこにも唇が降ってきた。

「小十郎さん」

甘く、ぬるい、骨に染み込むような声が耳に注ぎ込まれる。
鉤爪が顎にかかり、ゆるい力で振り向かされる。逆らってもよかったが、特別由もないのでそのま
ま振り向いてやった。
寄るでもなお赤い目が、上弦の月のように細くなる。

「そっちの佐助もいいけど、俺様のことも見て頂戴な」

にゃあん、とわざとらしく高い声で、赤い目と赤毛の男が―――猿飛佐助が猫の鳴き真似をする。
小十郎は隠すことなく舌打ちをした。くつくつと佐助は喉を鳴らし、小十郎の手からひょいと子猫
を奪い取ると、ぽい、と後ろへ放り投げた。
みゃあ、と子猫が抗議の声をあげる。

「ふふん、猫のくせに生意気だっつうの」
「おい、止せ。餓鬼だぞ」
「餓鬼だからなによ。こちとら忙しいなか、ようやく来れたってのにあんたは猫相手に俺にも呼ん
だことない呼び名使ってやがるし、あんなやさしい顔までしちゃって、嫉妬くらいする権利、ぜん
ぜんあると思いますけど」

なに佐助って、と佐助がほおを膨らませる。

「あいつらがつけた名だ。俺は知らん」
「あいつら?あいつらって、あの三人?」
「そうだ」
「ふうん、」

佐助はちらりと子猫を振り返った。
子猫のほうはあきらかに佐助を敵と認識したのか、毛を逆立てて威嚇をしている。佐助はしばらく
じっと猫を見つめてから、成る程ねえと機嫌がよさそうに笑みを浮かべると、鉤爪と鉢金を外し、
だらりと小十郎の肩に正面からしなだれかかってきた。

「俺様に似てるね。あの鼻のあたりらへん」
「らしいな」
「でも俺のほうがさ、ずっとかわいいと思わない?」

小首を傾げ、またにゃあん、と鳴く。
あんまり似合わないので、小十郎は思わず軽く吹き出してしまった。佐助もけらけらと笑いながら
小十郎の顔をぺろぺろと舐め始める。まだ猫の真似でもしているつもりなのかもしれない。ぬるく
濡れた感触に、小十郎は目を閉じた。

「さすけ」

と、呼んでやる。
すると佐助が嬉しそうに、にゃん、と鳴いてぎゅっと抱きついてきた。










おわり

 





ほんとはにゃんこを中央にふたりがにゃんにゃんするとこまでやりたかったんですが
時間がなかったのでとりあえずアップ。こっそりと続きのエロをそのうちあげたいです。
そしてタイトルは何も思いつかなかった。今は後悔してる。

空天
2011/02/22

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