「俺様とかくれんぼをしましょう。見つけるまで、絶対に出てきちゃ駄目だよ」 召使いにそう言われたとき、王子様はとてもとても喜びました。 最近召使いはぜんぜん王子様と遊んでくれませんでしたし、休みになるとすぐに何処か へ行ってしまって、帰ってくるのは夜遅くになってからだったのです。王子様はクロー ゼットに隠れて息を潜めました。そしてそのうち、眠り込んでしまいました。 目が覚めたのは、なにか外で大きな騒ぎ声が聞こえたからです。 王子様は目を開けて、クローゼットを開こうとしました。でも扉に手をかけたところで、 召使いとの約束を思い出したのです。王子様はもうすこし待つことにしよう、と思いま した。だって今まで召使いが王子様の言うことを聞いてくれなかったことなんて、一度 だってなかったのですから。 でもそのうち、お腹が空いてきました。王子様はとうとう耐えられなくなって、クロー ゼットの扉を開いてしまいました。 外はすっかり夜になっています。 「誰か居ないのか?」 部屋には誰もいませんでした。 城中を探しても、やっぱり誰もいませんでした。 王子様はしかたがないので、召使いを捜して城の外に出ました。 城の外は大変な騒ぎでした。見知らぬ兵士たちがたくさん町を歩いているし、みんな何 かに怯えています。そして国の中央にある広場には、おそろしく大きな処刑台が設置さ れていました。王子様は首を傾げます。 こんなものがいつできたんだろう。 でもそれに答えてくれるひとも、王子様の周りには居ないのでした。 王子様は更に召使いを探し歩きました。召使いがかくれんぼの前に着せた粗末な洋服と 深いフードのおかげで、国のひとびとは誰も彼を王子様だと気付きはしませんでした。 それに王子様は、誰もがしあわせになってしまうようなあの笑顔を、もう浮かべてはい ませんでした。いつも一緒に居た召使いが居ないと、そんな笑顔を浮かべるような気分 にはとてもなれなかったのです。 王子様は疲れ果て、またお腹も空いていたので、とうとう道端で倒れてしまいました。 目を開くと、王子様はベッドに横たわっています。 体を起こしてみると、そこはどうやら、どこかの宿屋のようでした。狭い部屋に、ちい さなベッドと机がひとつ。決して高価な部屋ではありません。 机には男がひとり、座っていました。 左のほおに傷のある男は、起き上がった王子様に水をくれました。 「道に倒れていたんだ。覚えているか」 王子様は首を傾げ、それからそれを横に振りました。 男はそれ以上はなにも聞かず、お腹の空いた王子様のために食事を頼んでくれました。 それはお城で食べていた食事に比べればはるかに粗末なものでしたけれども、お腹がと んでもなく空いていたので、王子様はぺろりとそれを平らげてしまいました。 男は旅人なのだと名乗りました。 この国の王子様の処刑がおこなわれるというので、それを見に来たのだと言いました。 「処刑?」 王子様は首を傾げます。 だって王子様は自分なのです。それに王子様が処刑されるなんて、そんな話は聞いたこ とがありません。 王子様はそう言いました。 男は大変に驚きました。ではおまえが王子か。王子様はすぐに頷きました。隠すことな んて、ただのひとつもないのですから。男は黙り込んでしまいました。王子様はすこし 不思議に思いましたが、構わずに男に召使いの居場所を知らないかと尋ねました。 赤い髪で、赤い目で、魔法が使える召使い。 男はまた驚いたように、息を飲みました。 「では、―――おまえが」 男はまた黙り込んでしまいました。 しばらくそうして黙り込んだあと、男は急に口を開き、明日王子様も一緒に処刑を見に 行くようにと誘いました。 王子様はなにも考えずに頷きました。 処刑の時刻は、午後三時でした。 教会の鐘が、高らかに鳴り響いています。 旅の男に連れられて、王子様は処刑台に一番近い場所に立ちました。周りにはひとがた くさん居ます。見知った顔もいくつかありました。でも旅の男が喋ってはいけないと言 うので、王子様はフードを深く被ったまま、粗末な洋服で処刑の時間を待ちました。 やがて、時間が来て、処刑台にひとりの少年が姿を現しました。 王子様は、その少年の姿を見て、息が止まるほどに驚きました。 「さ、」 召使いの名前を呼ぼうと口を開きましたが、隣に居た男に口を塞がれました。 処刑台に上がった少年は、どこからどう見ても王子様そのものの姿をしていました。で も王子様が驚いたのはそんなことではありません。王子様とおんなじ姿をしている人間 なんて、べつに珍しくもなんともなかったのです。 召使いの魔法にかかればそれくらいのこと、簡単なことだったのです。 王子様は目を見開きました。処刑台に上った少年は落ちついた様子でギロチンに首をか けました。王子様は目の前の光景の意味がまったく理解できませんでした。 だってあそこに居るのは、ずっと探していた召使いではありませんか。 ギロチンの刃が、午後のやわらかいひかりに照らされてきらきらとひかりました。 王子様は思わず男の手をふりほどき、処刑台に縋り付きました。周りの兵士たちが王子 様の体を羽交い締めにします。兵士たちは王子様が王子様であることをまったく気付い ていないようでした。 その騒ぎに、ギロチンにかけられた首がかすかに動きました。 王子様の姿をした少年は、―――召使いは、王子様に気付いたようでした。王子様は召 使いの顔を見上げました。召使いはびっくりしたような顔をして、王子様を見下ろしま した。そしてすこし間を置くと、とても嬉しそうに、にこりと笑いました。 ガシャン。 ギロチンが落ちる音がしました。 そして王子様の目の前から、召使いの顔は消えてしまいました。 王子様は目を瞬かせます。後ろから男の手が伸びてきて、兵士たちから王子様を奪い返 しました。王子様は辺りをきょろきょろと見回します。 召使いはどこへ行ってしまったのでしょう。 男が王子様の耳元で、どこか哀しそうな声で言いました。 「もうどこにも居やしねェよ」 ころころと、石畳の上でなにかが転がっているのが視界の端に映りました。 それから王子様は何年か男と一緒に暮らしました。 お城に居た頃のように、男は王子様の言うことを聞いてはくれませんでした。王子様は 自分のことは自分でしなくてはいけませんでしたし、男は王子様に構ってはくれません でした。男は十日に一度、笛を吹きました。笛の音色はなんだかかなしげでした。男は 一月に一度、花を持ってどこかへ出掛けていきました。どこへ行っているのかは、決し て王子様には教えてくれませんでした。 男は決して王子様のことを好きではないようでした。 それでも王子様と一緒に暮らしてくれるのは、友達のためだと男は言いました。それが 誰なのか王子様は知りません。男はそれ以上話してはくれなかったのです。王子様はあ まりしあわせではありませんでした。でもそれは男が言うことを聞いてくれないからで も、構ってくれないからでも、王子様のことを好きではないからでもありません。 いつまで経っても、召使いが王子様を捜しにこないからです。 王子様は窓の外を見ては、いつも召使いが自分を探しにくるのを待っていました。 何年か経ったある日、男は王子様をひとり置いてどこかへ行ってしまいました。男の大 事なひとが、男との約束をとうとう果たしてくれたのだといいます。 男は最後に、王子様をある場所へ連れていきました。 そこには森の奥にひっそりと建てられている、ちいさなお墓がありました。 「長い間名前を刻めなかった。俺はあいつの名を、知らねェからな」 おまえが刻め、と男は小刀を王子様に手渡して去っていきました。 墓標には確かに名前が刻まれていませんでした。そして男がいつも吹いていた笛が供え られていました。さっき置いていったのでしょう。 王子様は小刀を握ったまま、ずっとその墓標の前に立っていました。 夜が来て、朝が来て、また夜が来てもずっとそこから動きませんでした。 三日目、王子様はとうとう小刀をやわらかい大理石に突き立てました。 そして丁寧に名前を彫り始めました。けれどもどうしても綺麗に刻むことができません。 どうしてだろうと思って首を傾げると、その拍子に涙がぽろぽろと目から零れました。 王子様は次々にこぼれてくる涙を必死で拭きながら、どうにか墓標に名前を彫り終えま した。そしてその名前を、ゆっくりと口の中で呼んでみました。 それから王子様は膝を突いて、大声で泣きました。王子様が泣いたのは、産まれて初め てのことでした。王子様はようやく、なにもかもが解ったのです。 もちろんぜんぶ、遅かったのですけれど。 ああ、もう自分を探しに来てくれるひとはどこにも居ないのだ。 王子様はいつまでもいつまでも、ちいさなお墓の前で泣き続けました。 おわり |