・・・ 小豆洗い ・・・









狐にでも化かされたような心地だった。
片倉小十郎はぼんやりと川縁で立ちつくす。川の水は昨夜の雨で増えていて、流れの音は叩きつけるようだった。だ だだだ、と岩を水が削る音がする。小豆洗いとはえらいちがいだな――――――と、小十郎は何とはなしにつぶやい た。傍らにいた先ほどの札撒き御行がおや、とたのしげな声をあげる。

「さっきも思ったけど、考え物の先生は随分博識のようだね」
「趣向だ。好き者でね」
「へえ」

御行はするりと頭に巻いていた布を解く。
それから人懐こい顔でへらりと笑った。布の下から現れたのは目に痛い程の赤で、小十郎はちらりと眉を寄せる。細 められた目もおなじいろだった。それこそ小豆のような、濃い赤である。御行――――――小股潜りの猿飛佐助は笑 みを浮かべたままに、小豆洗いってなぁこんな日には出ないのかい、と小十郎に問うた。

「小豆洗いの由来は」
「知らないな」
「ありゃァ、音だ。砂利を擦る水音が、小豆を洗うそれと似ているからそう名付いた。
 こんな轟音じゃァ、小豆は流れる」
「おやまぁ、それじゃあ先生は信じてらっしゃらないのかい」

昨夜はあんなに怒ってたじゃないか。
佐助はたのしげに小十郎を下から覗き込む。小十郎は眉を寄せて、視線を逸らした。昨夜佐助が小十郎を遮りあやか しの存在を否定するようなことを漏らした折、ついむきになって抗ってしまった。悪い癖である。
普段は冷静なほうだと自負しているが、ことあやかしの類の話になると蓋をしてある感情がとろとろと零れる。小十 郎はあやかしは居る、と思っている。居てほしい――――――と言ったほうがただしい。
そしてそういう想いがあやかしを象るのだろうとも思っている。
佐助は一度解いた布をまた頭に御行振りにまき直しながら、なにもかも解りきったような飄々とした顔で、なンだか 化け物屋敷を出たばッかりの童のような顔をしてなさる、とけらけらと笑う。今見たものが偽物なのは解ってるけど、 そうは思いたくないってぇ面だぜ。

「こりゃ愉快」

博識の先生だと思いきや、その実あんたは随分深い夢見てらっしゃる。
佐助は笑いながら小十郎の袖を引いた。すこし先に居る山猫回しのかすがが、呆れたように佐助の名を呼んでいる。 佐助はそれに先に帰ってろよ、と返してまた小十郎に向き直った。袖をくいくいと引きながら、先ほど見せた人懐こ い笑顔をまた浮かべる。

「片倉の旦那、あんた江戸から来たんだろ」
「そうだが」
「そいじゃぁ、俺様とおンなじだ。
 どうですか。旅は道連れ世は情けって言うよ。あんたさえ良けりゃ、江戸まで一緒に帰らないかい」

小豆洗いの話、もっと聞きたいな。
佐助はへらりと笑う。小十郎はむっつりと黙り込んだ。
得体の知れぬこの言霊使いと共に江戸までの旅路をあゆむ。それはすこし考えればひどく危険なのだろう。佐助はい わゆる無宿人だ。士農工商の身分の外から出た男だ。そういう人間を見下そうと思ったことはないが、それでも身分 を持つ人間より失うものがないぶん、彼らが罪を犯す割合がたかいのは否めぬ事実である。
小十郎は口元に手をやって、それから佐助を見た。
佐助はへらへらと笑っている。

「――――――邪魔にならんなら」

声が漏れた。

「ご一緒させて頂こう」

佐助の目がくるりと丸くなる。
それからくしゃりと線になった。

「こいつぁいいや。
 江戸までたのしい旅路になりそうだね」

じゃあ行きましょう。
急な山道の岩から岩へ、ひょいと佐助は飛び移る。そして長い腕をぬう、と小十郎のほうへ伸ばして、危ないからど うぞ、と首を傾げてまた笑う。小十郎はすこし考えてから、伸ばされたその腕のてのひらにおのれのそれを、ついと 重ねた。








2007/07/22



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