何を言われているか理解するのに時間が掛かった。
気付いたら視界が小十郎の顔で一杯になっていて、その後ろに天井が見えた。背中に軽い痛みが走っている。押し倒さ
れたのだとようよう知れたけれども、あんまり小十郎との距離が近過ぎて腰から下がひくりとも動かせない。

「抵抗しねェなら、了承と取るが」

声と一緒に、帯に手を掛けられる。
ひくりと体が揺れる。制止を促す声は言葉になる前に尻すぼみに消えていって、目を覆いたくなるような無様な呻き声
にしかならなかった。おおきな、いつも頭を撫でていたてのひらがするりと緩まった帯から袴に滑り込んでくる。丸い
佐助の目が千切れるほどに見開かれて、目の前の男を凝視する。
小十郎は凪いだ海のように表情を移さない。
骨張った指が、下帯をぐいと引いた。

「―――――――――ッ、ぅ、あ」

するりとそれが性器に絡みついてくる。
思わず声が漏れた。それを両の手で抑えようとしたけれども、片方の手は小十郎に握られていたので叶わない。小十郎
はおのれが握っている佐助の手をすいと佐助の目前まで持ち上げて、手甲越しに指先に口付けた。かちゃりかちゃりと
金属が触れあう音がする。性器に絡みついた指が、するすると動き出した。
佐助は目をきつく閉じて、首を倒して視線を小十郎から退けた。かさついた指の感触が性器の表面をを蛇のように這っ
ている。指先が冷えているので、じりじりと熱を増している性器にそれが触れているとひやりと凍えて奇妙な感触にな
る。つうと背筋を通って首の後ろまでそれが響く。首がくんと反って、顎が天井を向いた。
さるとび、と小十郎が静かな声で淡々と言う。

「いやか」

なら止める。
どうする。
なんてことを聞くんだと佐助は思った。
熱で頭が浮かされるような心地がする。性器は一撫で二撫でされた程度で既にゆるゆると勃ち上がっている。いやに決
まってるだろうと佐助は掠れた声で笑った。あんたこれが、何になるンだい。
小十郎はすこし黙って、口付けていた佐助の手を離して佐助のほおに添える。くい、と顔を正面に向けて、顔を近付け
た。鼻先が掠める程まで近づけて、そうして俺は、と独り言のようにつぶやく。

「俺は政宗様に接吻はせん」

それからひとつ口付けを落とす。
佐助はきつく唇を引き結んだ。舌は入り込んでは来なかった。小十郎はすぐに口を離して、また佐助の性器を撫でる指
に集中し出す。根本から撫で上げられると息が深く零れる。
引き離そうとすれば出来ないことはない。佐助は息を小刻みに吐き出しながらぼんやりと思った。小十郎は両膝で佐助
の足を挟み込んでいるけれども、もう手は両方とも解放されている。急所を握られているとは言っても、すぐさまにい
くつか武器を持ちだして小十郎の動きを止めることは出来る。それに。性器の先端を爪先で抉られた。眉を寄せる。爪
はそのままぐいと食い込んでくる。

「ん、ぁ」

滑稽な上擦った声が零れた。
耳が熱くなる。小十郎は黙々とただ佐助の性器を撫でている。
佐助は大きな声をあげて笑いたくなった。そうだ。それに。それに。

それに佐助が一言「止めろ」と言えば、小十郎はこの行為を続けないことを佐助は知っている。

くちゅりと水音が鳴った。
ひくりと体が震える。小十郎の眉がすこしあがる。
既に袴は解かれて、膝の辺りでくしゃくしゃと纏まっている。外気にさらされた性器は、おのれでも良く解る程に熱を
孕んでいる。つうと熱い液体がそれを伝っていく感触に背筋が震えた。小十郎の指がその伝った液体を拭って、上にす
るすると指を伝わせていく。声が漏れる。くちくちと水が擦れる音が鳴る。
喉が潰れでもしたように、口からは無意味な呻き声と吐息しか出ては来ない。
ふいに体の上の影が消えた。小十郎が体を起こして、佐助の左足を抱える。ひゅうひゅうと可笑しな息を零しながら、
佐助は眉を寄せて体を起こそうとした。小十郎が蹲る。
次いで、性器にぬるりと熱いなにかがまとわりついてきた。

「ぃ、ひぁ」

一瞬何をされたか理解出来なかった。
ゆるゆるとその感触がおのれの性器の根本から先端までをなぞったところでようやくそれが小十郎の舌だと佐助は理解
した。信じられない、と思った。天井がぐらりと揺れて落ちてくるような錯覚が起こる。こめかみがぐわんと鳴って、
そこから後頭部にかけての一本線がひりひりと痛む。ぴちゃ、と犬が水を啜るような音が下半身から響いてくる。佐助
は半ば放心して、両の手を額に押し当てて、嘘だろう、と絶望するように吐き捨てた。
熱い感触が性器から離れた。

「嘘じゃねェよ」
「は、は、ふぅ―――――――――何の、じょうだ、ん」
「冗談でもねェよ、生憎な」
「じゃ、ぃうッ」
「黙れ、煩ェ」

ぐいと性器を握られると言葉が出なくなる。
響いてくる浮遊感のような感触が、鼻先にまで伝わって涙が出そうになった。けれども佐助はそれを必死で押し止める。
再び小十郎は佐助の性器に舌を這わせ出す。とろとろと溶け出した熱を丁寧に舐め取られると、息が荒いで体中が痺れ
て、それから下腹の辺りがぐるぐると渦巻き出す。手甲の嵌った手で、畳に爪を立てる。藺草がほつれて、そのにおい
がする。ああ、と佐助は呻くように声を漏らした。
目を閉じて、小十郎の手の感触にだけ全身を傾ける。
音が鳴る。くちゅり、くちゅりとおのれの体からこぼれる音がする。不愉快だなと佐助は思った。火鉢が爆ぜる。雪が
屋根から落ちる。かちゃかちゃとおのれの身に付けている手甲やら具足が音を立てる。小十郎と佐助と、両方の纏って
いる装束がかさかさと衣擦れの音を立てる。不愉快だ。佐助は思った。この世の中から小十郎が出す音だけが残って後
は消えてしまえばどれだけ良いだろうか。
舌先が食い込むように性器の先端を抉った。
佐助は歯を噛みしめて、それでも耐えきれなかったので下腹の緊張を解いてそのまま達した。すこし死んだような心地
になる。直ぐに意識は戻ってきて、ふわふわと中途半端な浮遊感が残った。こくん、と何かを飲み干す音がした。飲ま
れたのだと、達した後のぼんやりと霞がかった頭で佐助は遠く思った。
小十郎がゆっくりと体を起こして、口元を拭いながら佐助を見下ろした。佐助は虚ろになった目をゆるゆると上に向け
て、ひたりとひとつ雪に零れた墨のように鮮烈に黒い目におのれの赤茶けた目を向ける。焦点を合わせて、それから首
を反らせて声を張り上げて笑った。

「あははは、は、あは、はははははは」

てのひらで、顔を覆う。
気狂いのように一頻り笑って、てのひらを持ち上げてみる。涙は出ていない。佐助は安堵にほうと息を吐いた。
小十郎は黙ったまま笑い続けている佐助を見下ろしている。佐助はまだ笑いながら怠い体を半身だけ起こして、すこし
も乱れていない小十郎の直垂の胸元にてのひらを押し当てた。首を傾げて、またくつくつと笑う。

「それで、あんたはこれからどうするンだい」

俺を抱くのか。
こんなに静かな胸の音で。
小十郎の鼓動は絶望的な程に静かだった。とん、とん、とん。規則正しい脈動がこんなにも残酷だと思ったことはない。
触れていた指は終始つめたかった。小十郎の顔はひくりとも動かなかった。
夜色の目は静かに凪いだ夜のままだった。

「ねえ、どうやって俺を抱くッてのさ。
 あんた勃ッてもいねえだろう。まあしゃぶってやってもいいけどね、あんまり滑稽で途中で笑っちまいそうだ」

佐助は肩を震わせて笑って、顔を近づけて口付けた。
小十郎の目がゆるゆると閉じる。舌で唇をなぞって、それから歯列をなぞる。すこし開いたそこに舌を潜り込ませると
直ぐに小十郎の舌にぶつかった。絡めようとすると、ひくりとそれが揺れる。佐助は堪らなくなって、そのまま口付け
を止めて、小十郎の肩に手を掛けてぐいとおのれから引き離した。
なあ、と佐助は小十郎に縋るように言った。笑っているつもりだけれども、おそらくひどく顔は引き攣れている。なあ、
あんたさあ。あんたさあ、俺に一体なにをしたいわけよ。

「抱きたくもねえくせにこんな真似するってなあ、どういうことよ。
 接吻で舌絡ませンのだって躊躇うくせに、どうして俺を抱こうと思ったの」
「―――――――――おまえが」

おまえが、と小十郎は言う。
おまえがそうでもしなけりゃ、

「俺の言うことを聞かねェだろう」
「あんたの言うこと」

佐助は繰り返して、鼻で笑う。

「そんなの嘘ばッかりで、聞いたって意味がありゃしねえ」
「おまえは、一体何が嘘だとぬかしてやがる」
「全部だよ。ぜえんぶだ。だってそうじゃないか」
「ちがう」
「ちがわない」

佐助は撥ね付けるように強い語調で返す。
小十郎は痛ましげに眉を寄せる。佐助はにいと口角をあげた。ちがわないだろ。あんたの言うのは全部丸ごと、嘘ばっ
かりだ。お願いだからさ、と佐助は笑ったまますこし顔を下げて言った。お願いだから。
放っておいてくれないかな。

「俺、あんたに惚れてるって言ったろう」

一度触れてしまえば、直ぐに解ることだ。
小十郎にその気がないことも、熱が一向に上がらぬことも、火を見るよりも明らかだった。それを。佐助はけらけらと
笑った。顔をあげて、首を傾げる。眉を下げて、困ったように笑う。
それを、それでもいいやと思ったのは、佐助だ。

「どうしたらいいのかな。どうしたらあんたは俺を放っておいてくれンですかね。
 なあ、あんたに懸想したのはそんなに悪いことだったわけ。そりゃあ男に惚れられるなんて気色悪いかもしんねえし、
 迷惑も一杯かけたしさあ、申し訳ねえとは思ってるけど、そろそろ堪忍してくれよ。
 あんたがこんなことしてきたら、俺は拒めねえンだよ。仕様がねえだろう。惚れてンですよ。触られれば嬉しいに決
 まってるだろ。接吻されりゃあ興奮するわ。どんだけてめぇが阿呆だと思ったって、こればッかりはどうしようもね
 えことじゃん。ねえ、だからさ、可哀想だと思ってくれてるンだったらさ、どうか放っておいてださいよ。
 あんたが居なけりゃ、俺は泣くことなんてきっともう無くッて済むんだよ」

俺に泣き止んで欲しいなら、放っておいてくれよ。
小十郎の肩に縋りながら佐助は言葉を絞り出す。小十郎は黙っている。下を向いていたら、ぽたぽたと水が零れだした。
随分と久し振りに見たので、しばらくそれが何か解らなかったけれども―――――――――じいとそれを凝視していた
らそれは涙なのだと知れた。鼻先を伝って、ぽろぽろと玉のように大きな涙が膝の上に落ちていく。
佐助はうんざりと息を吐いた。
水を堰き止めていた堤防が決壊したのだと思った。

「猿飛」

小十郎の指が、さがっている佐助の顔を掬うように下から目元に添えられる。
零れた涙が小十郎の指を伝って、てのひらに落ちていく。量があんまり多いので、小十郎のてのひらに収まりきらなく
なった涙は更に小十郎の手首を伝って落ちていく。小十郎は随分長い間そのままの体勢で黙り込んでいた。佐助はただ
きつく眉を寄せて、涙をどうにか止めようとしていたけれども、発作のそれが常にそうであるように一向にそれはその
勢いを緩めてはくれなかった。
さるとび、と小十郎が佐助を呼ぶ。
ゆるゆると目を開く。小十郎が覗き込むように佐助を見ていた。

「嘘を吐いた」

小十郎は佐助に視線を合わせたまま、一言そう言った。
ひくりと肩が震えた。そんなことはとうに知っていたことだ、と佐助は思った。そうだずうっと前から、それこそこの
男を恋うていると知った瞬間からもうすでに知っていたようなものじゃあないかと佐助は幾度も幾度も頭のなかで繰り
返した。そうだそうだ。この男はひどい嘘吐きなんだ。
それはかなしいことではない。悔しいことでもない。
解りきった自明のことだ。

「俺は嘘を、ひとつ吐いた」

小十郎は佐助の顎をひょいと持ち上げて顔をあげさせる。
それからすこし首を傾げて、ぺろりと眦の涙を舐め取る。そのまま舌をゆるゆると降ろして、涙の痕を追うように舐め
ていく。温い感触が顔中を這っている。右が終わると、小十郎は左の顔も同じように舐めた。
まるで儀式のようにそれを終わらせて、小十郎はようようまた口を開いた。

「俺は多分、おまえが泣きに来るのを待っていた」
「―――――――――知ってるよ」
「ちがう。おまえがだ」

始めは、と小十郎は言う。
始めは梵天丸様を見ているようだった。
けれども梵天丸はひどく我の強いこどもだった。人前で泣くようなことは殆どしなかった。まして嘘泣きなどするはず
もない。嘘泣きをしているのだと知ったときはひどく呆れた。それから哀れんだ。嘘泣きをしてまで、一体この男はな
にを望んでいるのだ。それとも、と思った。
それともそうでもしなければ、泣けないのか。

「難儀な男だ」

そう思った、と小十郎は言う。
なあ猿飛。小十郎は佐助の涙をてのひらで抑えるようにしながら佐助を呼ぶ。

「俺はおまえを恋うてはいない」

そういう感情が良く解らん、と小十郎はすこし笑いながら言った。
佐助は知っていた言葉を―――――――――それも随分前から知っていた言葉を言われただけだったので取り乱しはし
なかったし、殊更に涙を零すこともなかった。そうだね、とすこし笑った。笑った拍子に小十郎の手の甲にぽろぽろと
涙が零れていった。何の涙なのだろうかと佐助はぼんやりと、泣き過ぎてふわふわと覚束ない頭で思った。小十郎がお
んなじように問うた。なあおまえはどうしてそう泣く。
佐助は首を振ってへらりと顔を歪めた。

「あんたが放っておいてくれねえからさ」
「俺が放っておいたら、おまえはもう泣かんのか」
「泣かないよ。泣きませんともさ」
「ひとりでもか」
「ひとりで泣いたって」

蜘蛛しか見ねえよと佐助は笑ってやった。
小十郎は眉を寄せて、佐助のほおを包んでいた手をするりと下ろして顎に掛ける。くい、とそれをあげさせて、痛みに
耐えるような奇妙な顔でくつりと笑った。酷ェ顔、と言う。
惨めッたらしくて薄汚ェ、どうしようもねェ面だな。

「そんなものは、他人に見せるもんじゃねェ」

佐助はほうけた。
蜘蛛も止せ、と小十郎は言う。
袖口で顔を擦られる。上等な紗の生地はするすると滑らかな感触がした。小十郎は相変わらず笑っているのだか不機嫌
なのだか判断しかねる顔で佐助を眺めている。薄い唇がすこし開いたが、すぐ閉じられた。迷うように小十郎は唇を噛
んで、それから諦めたように息を吐く。
どう言っても勝手にしかならんなとすこし笑う。
ひりひりと眦が痛んでいる。佐助は瞬きをするのも止して小十郎を見た。小十郎は口を開いて、俺だけに、とちいさな
声でつぶやいて、佐助の目を擦っていた手をゆっくりと下ろした。俺の前でだけ泣くと言ったな、と言われて佐助はち
いさく頷いた。主の前でも、誰の前でも泣かないのかと問われて佐助は矢張り首を縦に振る。

「そうか、なら」

小十郎はすこしだけ首を傾げた。

「泣くなら、俺の前だけにしろ」
「―――――――――は」
「他の誰の前でも泣くな」

俺の前でだけ泣け。
小十郎はそう言い切って、そして黙った。
佐助はほうけて、ほうけたまま小十郎の声を聞いて、それからそのまま落ちた小十郎のてのひらを拾って、両の手でき
つく握りしめる。あんたは、と佐助は口を開いて、結局閉じた。
それが誰の話なのかは良く解らなかった。
幼い主の欠片なのか、それとも佐助自身のことなのかは良く解らなかった。
小十郎はもう言うことが無くなったと言うように黙り込んでいる。佐助は小十郎のてのひらを握ったまま、ああそうか
と今更のように思って、すこし笑った。手を掲げて、指先に口付けて、あんたは俺に泣いて欲しいんだね、と言うと、
小十郎は首を振る。ちがう、と言う。ちがう。
泣かないならそれでいい、と言う。

「泣かなかったら、俺はあんたにとってどうなるンだい」
「どうもならねェよ」
「何でも無いものになるってことか」
「ちがう」

泣けと言ってるんじゃあない。
ただ、泣くなら、と小十郎が言うのを佐助は遮って、けらけらと笑い声をそれに被せる。
どうにも涙が止まらない。決壊した堤防が治ることは永劫無いような気がした。きっとそうなるだろうと思った。なん
で俺は泣くんだろうね、と佐助は言った。なんであんたと一緒に居るだけで、こんなに泣けンだろう。
信じるよ、と佐助は泣きながら笑って、小十郎の肩に額を押しつけた。

「信じる。信じるよ。
 あんたが言ってることを、俺は信じましょう」

泣きたくなったらあんたのところに行くよ。
泣かないときでも、あんたに会いに行こう。
誰の元にでもなく、ただあんたのところに。

小十郎は何も言わずに佐助の髪に指を潜り込ませた。耳の後ろを撫でられると、息が漏れた。
指先はひやりと冷たい。恋しいと思わなければ良かったのかなと佐助はぼんやりと思った。こんなに小十郎は佐助のこ
とを思っていて、こんなに指先は慈しむようにぬるまったく蠢くのに、些っとも満たされないおのれの欲深さが吐き気
がする程にいやだった。恋うてはいなけれども、小十郎は佐助を見ているとこんなに言っているのに、
小十郎の背中に爪を立てるようにして、ちいさく笑い声を立てて、






「信じるよ。信じる―――――――――あんたを信じるよ」






佐助は矢張り、嘘を吐いた。







































会うのは頻繁ではない。
一月に一度、半年に一度。きっと機会が無ければひととせでも会わない。
佐助は小十郎と会うと矢張り泣く。それはもう偽りのそれではなくて、それでもどうしても止めることが出来ない。小
十郎は黙ったままそれを拭って、泣き止んだ後にすこしだけ泣きそうな―――――――――小十郎の泣き顔など見たこ
とはないしこれからも見ることは無いだろうから佐助の勝手な思い込みに過ぎないけれども―――――――――泣きそ
うな顔でちらりと笑う。佐助はへらりと笑い返す。

その後ですこしだけ抱き合う。

佐助が小十郎の肩に額を押しつけて、背中に腕を回す。
そうすると小十郎は迷うようにしばらく手を彷徨わせてからそれでも矢張り佐助の背中に腕を回す。
強くは抱き締められない。佐助がそれをすれば小十郎は戸惑うだろうと思うので、佐助からは殆ど動かない。次第に、
幾度か抱き合う度に、すこしずつ小十郎の腕に力がこもってくる。その度に佐助は息を飲み込んで、けれどもそれに気
付かれぬようにゆるゆると息を吐き出す。
もしかしたらいつか情を交わすかもしれない、と思う。
小十郎の指はひやりと冷たい。それでも佐助の涙を拭うそれの動きは痛ましい程にやさしく、髪に潜り込んでくるとゆ
るゆると、慈しむように撫でてくるので佐助はいつも息を飲む。いろいろなものが溢れてきて堪らなくなる。あんたが
すきだと時折叫びたくなる。勿論叫びはしない。ただ小十郎の指の感触に集中して、溢れるものを抑えつける。時折、
小十郎が拒まないと口付けることもある。触れ合うだけの口付けをする。小十郎は殆ど拒まない。そうすることで、こ
の行為が他の誰でもなくて、佐助との行為だと証明しているのだとでも言うかのように、拒まない。それでも小十郎は
矢張り佐助を恋うてはいないのだろうし、佐助は小十郎と会うと泣かないでは居られない。
偽りのそれのつもりはないけれども、例えば佐助が泣かないなら小十郎は佐助の口付けを受けるのだろうか。

「猿飛」

と、小十郎は佐助を呼ぶ。
そうすると息苦しくなる。
息は、吸ってから吐くのか吐いてから吸うのか、どういうものだっただろうかとすこしの間混乱する。
もしかしたらそのうちに情を交わすのかもしれない。佐助は思う。佐助が小十郎を抱くのかもしれないし、小十郎が佐
助を抱くのかもしれない。底の無い谷のように、情の深いあの男は、いつか哀れなおのれを抱くかもしれない。抱かせ
ろと言えば今すぐにでも抱かせるかもしれない。それは同情ではなく、憐れみでもなく、やさしさでもなくて、贖罪で
もない。そういうもので、あの男は動くことはない。もしあの男がおのれに劣情を抱くとしたら、それはほんとうにた
だそうしたいからそうするのだろうと思う。そういう日が、いつか来るかもしれない。
それでも、と佐助は思う。そうなっても、きっと俺は泣くんだろう。

小十郎が幾度おのれの名を呼んでも、佐助にはそれがほんとうには聞こえない。

あんなにあの目は真っ直ぐなのに、それがほんとうにはどうしても見えない。
抱き締められれば息が止まるような心地がする。口付ければ溢れるように体中が熱くなる。
それでもぽっかりと腹の底に穴が空いたように、どうしても埋まらない場所が体の何処かにひとつあって、そこに収め
ようのない切なさがどろどろと流れ込んでくる。夜の間に抱き合って、体を離してすこしだけ口付けて、そうして別れ
て朝を迎える前に、その体に満ちた切なさで死ねないだろうかと佐助はちらりと考える。
どれだけ辛くてもかなしくても、痛みが体中を覆っても流れない涙がこんなに流れるほどに切ないのに、どうしてまだ
俺は生きているんだろうと時折考える。抱き合っても、口付けても、体を重ねても、それとは一切関係がない。
小十郎と別れると、傍らに居る時より更にそれは増す。
それでも涙は出ない。もう全部小十郎に持って行かれたのだろうと思う。せめておのれが望んだときに泣くことが叶う
ならば、こうも死にそうなほどに切なくなることもなかっただろうと思うのだけれども、まるで躯は小十郎の言葉で呪
われでもしたように、律儀にあの男の前でだけ涙を外に放り出す。おかげで佐助は気が狂いそうなほどに、あの男と会
った後は切なさが過ぎて死ねるのではないかと思う。けれどもどれだけ待っても一向に死は訪れず、ただ躯は無様に痛
みを伴ったまま朝を迎える。そんなもので死ねるほど、佐助は弱くはない。
佐助はそうして幾度も小十郎の着物の肩口を濡らしながら、繰り返し繰り返しつぶやく。


「俺は矢っ張り、幸運なんだよ」


こうやって意味のない睦み合いをする。
泣かないで良い日は来ない。小十郎を信じる日も来ない。


















それでもこれが嘘吐きなおのれらに許された幸福な日常なのだと、ゆるゆると目を閉じながら佐助はすこし笑った。




















おわり

 





しあわせ・・・?(首傾げ
まあ書きたかったのは勃たない片倉さんなので割に楽しかったでs(黙れ
嘘を吐きすぎているひとは、誰かの言ってることも嘘に聞こえてしまうような気がします。佐助はきっとそういう
男なんじゃないかなあと思いながら書きました。切ない話になってればさいわい。

空天
2007/09/30

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