・・・ 飛閻魔 ・・・









廓のなかは、雑然としていた。
香と白粉のにおいが片倉小十郎にまとわりついてくる。小十郎はかすかに眉をひそめた。廊下の奥からのそのそと遣 り手婆が現れ、小十郎の姿を見てその顔をくしゃりと歪めて、店はまだだよ、と吐き捨てるように言った。

「――――――いや」

店に来たわけではない。
小十郎がそう言うと、婆はよりいっそうその顔を醜悪に歪める。冷やかしなら帰れと言われて、小十郎はさてどうし たものかと顎に手をやった。此処まで来て帰るのは馬鹿らしいが、かといって廓に来て男を探しているとも如何なも のだろうと思う。
考えているうちにも婆は小十郎を追い出そうとすり寄ってくる。
意を決して小十郎は探し人の名を口にするために、その薄い唇を開こうとして、


「おやまあ。こりゃあ、物書きの先生じゃないの」


二階から降ってきた声にそれを阻まれた。
婆と小十郎は同時に顔をあげる。ふわりと揺れる薄汚れた白い布がふたりの目に飛び込んできた。片倉の旦那と廓と はこれまた珍奇な組み合わせだねぇ、とけらけらと笑う声が廓に響く。

声の主は、小十郎の探し人の猿飛佐助そのひとだった。

婆が不機嫌そのものの声で、ナニサあんたの知り合いかい――――――と言う。
佐助は四つんばいになって部屋から顔だけ出し、そうだよ、と頷く。その後ろからわらわらと遊び女たちが佐助に群 がる。目に痛いような小袖を着た女たちは、小十郎の姿を見て黄色い声をてんでにあげた。

「なんだィ、随分いい男の知り合いが居るじゃないかァ」
「そうサ、折角なんだから紹介おしよ佐助サン」

女達にせがまれて、佐助はそれを振り払いながら馬鹿お言い、と小十郎を見下ろす。
赤い目にいきなり見据えられて、小十郎はかすかに戸惑った。こんな場所で見ると、今までどこか現実離れした存在 として認識していた猿飛佐助という男が、いやに生々しくて直視しづらい。
佐助は小十郎を見ながら、楽しげに遊び女たちに口上し出す。

「小十郎さんにおまえらみたいなの近寄らせて堪りますか。
 ――――さぁさぁ、片倉の旦那。そんなところに突っ立ってると、そこの妖怪婆に取って食われちまいますぜ」

佐助のことばに婆がこの小股くぐりが、と吐き捨てる。
小股潜りというのは佐助の通り名で、意味はあまりいいものではない。簡単に言えば嘘つきということだ。が、佐助 は言われ慣れているので気にも止めず、手で小十郎を二階へと招く。
小十郎はそれに従って狭い階段をのぼり、女たちの間を縫って佐助の前に立った。遊び女らはきゃあきゃあと小十郎 に群がろうとしたが、佐助に止められてそれはかなわない。
女のひとりが、拗ねたように唇をとがらせて、


「なんだィ、こんだけいい女が居て、サテなんで靡かぬと思うたら、
 ――――――――――――――――――佐助サンはこっちの人かィなあ」


と笑った。
すでに佐助に誘われ、座敷へと入り込んでいた小十郎はそのことばに目を見開く。が、佐助はにやにやと笑ったまま 襖を閉めながら、女達に覗かないでね、と言い捨てた。
かたん、と襖が閉まる。
女達の奇声がかすかに聞こえた。

「おい」

小十郎は難しい顔をして佐助を睨み付ける。
佐助はやはり笑ったまま、なあに、と首を傾げた。誤解されるだろうと言えば、俺にその気はありませんよとただ白 い御行の衣装をまとった男は笑う。

「からかってんのさ。あんたみたいな堅物は、まァこういう場所とは縁がないからねえ」
「おまえもか」
「そうだな。まァ、あんたのことは面白いおひとだとは思ってるけどね」

畳のうえには花札が散らかっている。
佐助はそのうちの一枚を手に取り、しげしげと見つめている。小十郎には視線を向けず、それで俺様になんのご用で す、と発せられたことばに小十郎はわざわざ吉原にまで足を向けた理由をようやっと思い出した。

「小股潜りに用がある」

小十郎がそう言うと、佐助は視線を札から小十郎へと移した。
そう、と首を傾げ、それはまた珍奇な、と笑いながら佐助は持っていた札をとんと畳に置いた。




「片倉の旦那の頼みなら、例え火の中水の中。
 いつどこなりとてお引き受けいたしますがねえ――――――さて」




お仕事は一体なんでしょう。
佐助は小十郎の目を見据えつつ、にい、と唇を下弦に歪めた。








2007/07/22



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