む ず か し い な か よ し 初めまして、幸といいます。 このあいだ五つになりました。兄の弁天丸と一緒です。 一緒に産まれたので、一緒に歳をとります。わたしはわたしのほうが先に産まれたのだと思っていますが、弁天丸はち がう俺のほうが先だ、と言います。なので弁天丸が兄上です。わたしはどっちでもいいです。母上に聞いたらわたした ちは小松菜から出てきたそうなので、どっちが先かというのはとてもどうでもいいことのようです。母上もどっちでも いいだろうがそんなことは、と言っていました。母上は割とその手のことに関して、雑です。 母上は、母上、と呼ぶと怒ります。 「俺は母上じゃねェ」 たしかに母上は他の母上とはちがうようです。 大きくて堅くて、それからあんまり優しくありません。時々わたしと弁天丸のことを忘れているのではないだろうかと 思います。母上は政宗様が大事で大事で大事でしょうがないのです。でもわたしも政宗様はだいすきなので、いいと思 います。いつかわたしも母上と一緒に、政宗様の背中を守れる武将になりたいです。 弁天丸はすこし政宗様が苦手のようです。ふしぎです。弁天丸は政宗様とおなじ顔なのです。自分をきらいだと言って いるようなものだと思います。けれどそう言うと怒るのがわかっているので、わたしはなにも言いません。 弁天丸はきらいなものが多すぎます。にんじんも里芋もきらいなので、母上はよく弁天丸を怒ります。弁天丸は母上が 世界で一番すきで、世界で一番怖いので、そうすると泣きそうな顔になります。そうすると、母上は昔の政宗様を思い 出すらしくてそれ以上怒らなくなります。ふしぎです。わたしはすききらいはありません。 弁天丸にはもうひとつきらいだ、と言っているものがあります。 髪の色です。 「だいきらいだ」 そう言います。 でもわたしも同じ色です。 「ゆきはべつだ」 「どうべつなのか」 「べつったらべつだ。ゆきのはいいんだ、それで」 「ふうん」 弁天丸の言っていることは、よくわかりません。 でもどうしてきらいなのかは知っています。わたしたちの髪の色は、父上と同じだからです。 父上は普段奥州には居ません。ときどきひょっこり来て、いつのまにか居なくなっています。居ないときのほうが多い です。普段は甲斐に居て、真田様に仕えているそうです。さみしいと思ったことはありません。わたしにとって、父上 はときどきやって来るひとだからです。 でも父上のこともすきです。 父上は母上よりも母上らしいです。 来ると必ず抱き締めてほおずりをして、それから接吻をしてくれます。母上にそんなことをしてもらったことはないで す。それからいろんなおはなしを聞かせてくれて、わたしのはなしを聞いてくれます。わたしはあまり喋らないので、 父上はすこし残念なようです。でも笑って、幸は小十郎さんに似てるねえと言ってくれます。 わたしは母上がだいすきなので、そう言われるのがとてもすきです。 それに、父上は母上のことを普段は「かたくらのだんな」と呼んでいるので、小十郎さん、という呼び方はわたしだけ が知っていて、それがとても父上が母上をすきな証拠のような気がして、うれしくなります。呼べばいいのに、と思い ますが、たぶんそうすると母上は怒るのでしょう。母上はすぐ怒るのです。 特に父上のことはすぐに怒ります。 怒るというか、殴ります。 まず父上がそろそろ来るだろうな、という頃になると母上は罠をしかけます。それをくぐり抜けてやって来た父上には 刀を抜いて斬りかかります。あれはなんなんだろうといつも思います。母上は本気で父上を殺そうとしているように見 えるときもありますが、父上がこれは通過儀礼だから、と言うのでたぶんそうなんだと思います。 ほんとに母上が誰かを殺そうと思ったら、きっとほんとうに殺すでしょう。 父上と母上はどうしてあのふたりが父上と母上なんだろう、と思うくらいにあんまり仲が良く見えません。 弁天丸は、きっと母上がだまされたんだ、と言います。 そうじゃなければあのしのびに―――弁天丸は父上のことをしのびと呼びます―――なにか術をかけられたんだ、と言 います。わたしはちがうと思います。母上は簡単にだまされたり、術をかけられるほど弱くないのです。それにそこま でして母上を母上にしたいほど、父上はなにかに執着しそうにありません。割と父上も雑です。 父上に聞くと、困ったような顔をされます。 「なんでだろうねえ」 でもおまえらのことはすきだよ、と言います。 「では、ははうえはそうじゃないのか」 「うーん、すきとか、きらいとか、そういうのとはちょっと違うかも」 「どういうのだ」 「小十郎さんは小十郎さんだからねェ。 たとえばあのひとが、龍の旦那より俺のことすきになっちまったら困っちゃう」 「こまるのか。うれしくないのか」 「困るねえ」 大人はむずかしいのです。 だから幸や弁天丸が出来てよかった、と父上は言います。 「だって、ここに来るのに理由ができたでしょう」 理由が無いと、父上は母上に会えないのだそうです。 むずかしいです。わたしにはまだわかりそうにありません。 弁天丸はあいつは臆病者だからだ、と言います。そうかもしれません。父上は母上のことをたぶんすきなのだと思うの ですが、名前で呼ぶこともできないし、わたしたちが居ないと会いに来るのもためらうのです。 母上の考えていることはよくわかりません。 父上のことは、さるとび、と呼んでいます。でも父上の前だとしのび、と呼びます。あんまり呼びもしません。最初は 照れているのかなと思っていましたが、ほんとうに必要じゃないから呼ばないようです。 母上は父上のどこがすきなのか、と聞いたことがあります。そうしたら母上はものすごく悩んでいました。たぶん思い つかなかったのだと思います。それもすごいなと思います。 でも母上は、わたしと弁天丸の髪の色がすきです。 一緒に寝るとき、撫でてくれます。 「きれいだな」 と言ってくれます。 弁天丸はふくざつそうです。 わたしはうれしいです。父上もうれしいそうです。母上はわたしたちの髪の色がすきなんだ、と言ったらすこしおどろ いてから、とてもうれしそうに笑いました。困っていました。でもやっぱりうれしそうでした。 父上の笑顔はかわいいです。こどもみたいです。 母上も父上の笑顔を見れば、きっとそれがすきなところになると思います。 でも父上は母上のまえでは、あんまりそういうふうに笑いません。 むずかしいのです。 このあいだ、弁天丸とわたしはふたりでどうやったら父上と母上がもっと仲良くなるかを相談してみました。 なんだかんだ言っても、弁天丸も父上がすきなのです。素直じゃないのです。そういうところは父上に似ています。 ふたりで布団に潜り込んで、ないしょで行灯を点けてひそひそ話です。 「どうしようか」 「だいたいしのびがよくねえんだ。あいつがはっきりしねえんだ」 「でもあれがちちうえだぞ」 「でもあいてはははうえなんだぞ。ははうえが、まさむねさまいがいになんかするとおもうか」 「おもわない」 「だろ」 なかなかいい案は出てきません。 いろいろ話していたら、結局問題なのは母上が片倉小十郎で、父上が猿飛佐助だということなのではないかということ になってしまいました。元も子もありません。いっしょうけんめい考えていたら寝てしまいました。 朝起きて思ったのですが、やっぱり母上が問題なのだと思います。というか、なんとか出来るとしたら母上だけです。 父上はだめです。臆病なのです。特に母上に関してどうしようもなくこわがりなのです。 なので、その朝母上に会ったときに聞いてみました。 「ははうえは、ちちうえがおきらいですか」 母上はかちんと固まりました。 横で弁天丸があわあわと慌てていました。 ばかおまえちょくせつすぎる。なんか聞こえましたが、あんまり聞いてませんでした。朝の稽古の途中だったので、母 上は木刀を握っていました。それを一度振ってから、母上は俺は母上じゃねェ、と言いました。 ではごかろうさま、とわたしは言いました。 「たけだのしのびの、さるとびさすけがおきらいですか」 「―――おまえも頑固な娘だ」 「ははうえのこです」 「だから母上じゃねェ」 そう言ってから、母上は息を吐きました。 「―――きらいでは、ない」 それからそう笑いました。 わたしは、ではすきですか、と問いました。母上は困ったように眉を寄せてから、そりゃあの男が聞けと言ったのか、 と問い返します。わたしは首を振りました。 そうか、と母上は頷いてから、 「おまえはあの男がすきか」 と問いました。 わたしは頷きます。 「すきです」 「そう、あの男にも言っているか」 「いっております」 父上は奥州に来ると、まず母上に会う前にわたしと弁天丸の座敷に来ます。 それから必ず幸は父上のことがすきかな、と問います。わたしと弁天丸が何度母上になおされても父上と母上という呼 び方をなおさないのは、要するに父上が言うからなのです。わたしはその度に頷きます。そうすると父上は幸は可愛い なあ、と言って、それから小十郎さんに似てるね、と続けます。 それを言うと、母上はとてつもなく不機嫌な顔になりました。 「矢ッ張りか、あの阿呆は」 餓鬼に代行させてどうする。 母上はそう言ってから、屈み込んでわたしと弁天丸の髪を撫でました。 「今度あれが来たら、先にこっちに来るように言ってやってくれるか」 「わかりました」 「良い子だ」 ちらりと母上は笑いました。 母上は笑うと、すごくきれいです。迫力があります。 あんまり笑わないので、とても特別なもののような感じがします。たぶん父上は母上のこの顔がすきなんだと思います。 でもいつもいじめられているので、もしかしたらいじめられるのがすきなのかもしれません。わかりません。 母上とそういう会話をしてから三日後に、父上はやっぱりわたしたちの座敷に来ました。 わたしのまえに弁天丸が父上を座敷から追い出しました。 「ばかやろー!おまえがなさけないからははうえがたいへんなんだっ」 そこらにあるものを手当たり次第投げつけます。 堅くて致命傷になりそうなものだけわたしは片付けました。 父上は書状やら羽織やらが飛んでくるのをひょいひょい避けながら、あわてて問います。 「ちょ、わ、なにっ!?丸はなに怒ってンのさっ」 「うっせえっ、でてけっ」 「反抗期かよ、早すぎやしない?ちょ、ゆきー、助けてっ」 「ゆきはおれんだっ、さわるなっ」 「わたしはべつにべんてんまるのじゃない」 父上はわたしのうしろに隠れます。 わたしは父上の手を取って、その赤い眼をのぞきこみました。父上の目はきれいです。赤くて、宝石のように見えます。 それを見ながらわたしは、ちちうえははうえが待ってる、と言いました。 父上のきれいな赤い眼が、ぱちぱちと瞬きます。 「―――こじゅうろうさん、が?」 「うん」 「嘘ぉ」 「ほんとう」 「てめえ、ゆきがうそついてるってのかっ」 「べんてんまる、だまれ」 弁天丸は黙りました。 父上も黙り込んでいます。むりもないな、と思いました。母上は大体いつも父上のことを無視するか殴ってるか馬鹿に しているかなので、母上が父上を待っているなどと聞かされても信じられないのだと思います。しょうがないです。 わたしは首を傾げて、わたしのいうことがうそだとおもうか、と聞いてみました。 父上はあわてて首を振ります。 「まさか」 「じゃあ、はやくいったほうがいい」 「うん、まあ―――うーん」 「ははうえはおこってるぞ」 「ええ、そりゃ何でだろう」 「わたしにははうえのかわりをさせるからだとおもう」 父上の顔がさあ、と青くなりました。 ばれていないと思っていたのだと思います。 うしろで弁天丸が高笑いをしようとしたので、わたしはてのひらで口を押さえようとしたら思い切り目の辺りを叩いて しまいました。畳で転がっている弁天丸を見るとちょっと申し訳ないきもちになりましたが、しょうがありません。 父上は悩んでいるのです。邪魔をしてはいけません。 父上はしばらく黙って考えていました。 それからへらりと笑います。 「ごめん、父上もしかしたらおまえらに心配かけちゃったかな」 わたしは首を振りました。 「わたしはちちうえもははうえもすきだ。 だからなかよくしてくれたら、それがいいとおもう」 「仲良くかあ―――ううん、難しいねえ」 「むずかしくないとおもう」 「そうかなぁ」 「わたしはちちうえがすきだ」 しってるだろう、と言うと父上はすこし照れたように顔を赤くしました。 それから知ってるよ、と笑います。わたしは頷いて、じゃあもういいだろう、と言います。 「もうきかなくてもへいきだ。ははうえに、きけばいい」 父上はぱちぱちと目を瞬かせました。 それからへらりと笑って、幸は賢いな、と言いました。 弁天丸が立ち上がって、とっととでてけよ、と言いました。父上は立ち上がって、弁天丸の髪をくしゃくしゃと撫でて から額にひとつ接吻します。弁天丸は真っ赤になって父上を殴ろうとしましたが、父上は笑いながらひょいひょいと逃 げます。じい、と父上を見上げて待っていたら、ちゃんとわたしにも接吻してくれました。 出て行くときに、父上はわたしたちにだいすきだよ、と言いました。 「ははうえにもそんくらいいってやれ、ばーか」 弁天丸が言い返しました。 父上は笑いました。 その夜、わたしと弁天丸はまたひそひそ話をしました。 父上と母上は、仲良くしているでしょうか。 「だいじょうぶだろ」 弁天丸はそう言います。 わたしはすこし不安でした。母上は無愛想だし、父上はごまかすのが得意です。武士と忍者の恋はなかなかむずかしい のです。わたしは父上と母上がすきですが、もし将来誰かをすきになるなら忍者はやめておきます。わたしは武士にな りたいからです。くだらねえよ、と弁天丸はわたしの髪を撫でました。 「おとうとか、いもうとか、どっちができるかのがゆうこうてきだ」 「そうか」 「そうだろ」 「べんてんまるはどっちがいい」 「おれはおとうとだ。そしたらゆきをまもるのがふたりになる」 弁天丸はそう言って笑います。 母上が守るのは政宗様で、父上が守るのは真田様なので、わたしたちは自分のことは自分で守らなくてはいけません。 わたしは首を傾げて、べつにじぶんでまもれる、と言いました。弁天丸よりわたしのほうが強いのです。 「わたしはいもうとがいい」 「なんでだ」 「おとこばっかりだ、わたしだけなかまはずれだ」 「おれはべつに、ゆきのことなかまはずれにしてねえっ」 「してない。でも、いもうとがいい」 「おれはおとうとがいい」 「もういっかいふたごがいいな」 「じゃあこんど、ははうえにおねがいしようぜ」 弁天丸の言葉に、わたしは頷きました。 でも母上はまえに、次に産むのは父上だと言っていました。もしかしたら父上に頼んだほうがいいかもしれません。 そうしたらきっと産まれてくるのは、髪が黒くて目が赤い双子です。父上のきれいな目と、母上のきらきらした髪の双 子。いいなあ、とわたしは思いました。 いつのまにか寝ていました。 翌朝には、もう父上は居ませんでした。 いつも父上はすぐに帰ってしまいます。 ただ母上のご機嫌は悪くありませんでした。ちちうえはちゃんといきましたか、と聞いてもなにも答えてくれませんで したが、たぶん行ったのだと思います。ちゃんと父上は母上にすきだと言えたでしょうか。 母上はそういうことは教えてくれません。今度父上が来たときに聞こうと思います。 代わりにわたしは、母上に父上の笑顔がかわいいのだと教えてあげました。 母上はしばらく黙っていましたが、しばらくしてから、 「知ってる」 と言ってちらりと笑いました。 わたしのだいすきな、あのきれいな笑顔でした。 わたしは弁天丸の言うとおりだったのだな、と思いました。 要するに、むずかしいけどふたりは仲良しなのです。 黒髪で赤い眼の妹と弟にはやく会いたいと思いました。 おわり |