世界がくるくると回転している。
猿飛佐助はコンクリート張りの床に座り込み、くるくる廻っている空を見上げ、そしてほうと息を吐いた。
昼間は晴れ渡っていた空はぽっかりと暗く窪んでブラックホールのように途方もなく黒い。星はない。曇っている。
辺りはひどく蒸し暑い。着ているワイシャツが肌に張り付いてひどく不愉快だ。酒に浸った体はいつもより火照って、
その不快感を増大させている。それでも佐助は上機嫌で、鼻歌を唄いながらただ座っている。
時刻はもうすぐ日付を越そうとする頃で、佐助の座り込んでいるマンションの廊下には沈黙しか存在しない。佐助だけ
が異物で、あとは静寂という秩序で満ちている。月のひかりすらない。梅雨の夜はただ暗い。

「またか」

真上から降りかかってくる声に佐助は顔を上げた。
夜のなかに、のそりと背の高い影がそびえている。顔は見えない。真っ暗で、そのうえ佐助の世界はコインランドリー
のように廻っている真っ最中なのだ。それでも佐助はへらりと笑った。

「センセ、お久し振り」
「久しくねェ。一週間前に会った」
「でもさ、プライベートでは一ヶ月ぶりじゃない」
「それも久しくねェ」

これ見よがしな溜め息の音に、佐助はそれでもけらけらと笑い声をあげた。
しゃがみ込んだまま両手を背高のっぽの影法師に伸ばす。立てねえ、と言うと頭を叩かれた。それでもそのまま木偶の
ように手を伸ばしたままにしていると、とうとう諦めたのか夜の中から長い腕が二本伸びてきて、それが佐助の腕を取
り、ひょいと持ち上げる。佐助はそれに素直に従った。引力に従い引き寄せられると、夜の中に紛れていた影の顔が急
に間近に現れる。初対面なら驚いて腰を抜かしてしまいそうなくらいにはあまり平和的ではない顔がことさら歪んでい
るのを、佐助はうっとりと眺めてそれからぎゅうとその腰にしがみついた。

「俺様を慰めてよ、センセ」
「――――どうしておまえは一月毎に慰めなけりゃならんことをするんだ」
「俺だってそうしたいわけじゃないんだよ。ああでも、そういうふうに言うっていうことは、」

慰めて、くれるわけだね。
佐助がそう言うと、視線の先の端正な顔が不愉快げにぐにゃりと歪んだ。




















                            Your Kindness is cruelty
                





















猿飛佐助が片倉小十郎に初めて会ったのは七年前のことだ。
佐助はまだ大学に入ったばかりで、小十郎はその大学の講師をしていた。もっとも小十郎が授業を請け負っている学科
と佐助の所属する学科は別で、ふたりが出会ったのは佐助の学科の教授の研究室に小十郎が出入りしていた為だ。恩師
なのだと言う。小十郎は国文学の専門で、教授は社会心理の専門だった。佐助がレポートを提出しに研究室を訪れると、
教授の横にどう見ても学生ではない男が座っているのを見つけて面食らったのを覚えている。その男は学生どころか学
校の関係者にも見えなかった。梅雨に入ってもうすぐ夏も間近という頃に、真っ黒のタートルネックにジャケットをは
おった男は、佐助の目には死に神か、そうでないなら借金の取り立て屋のように見えた。左のほおに付いた傷と相まっ
て、小十郎の顔はお世辞にも平和的なものではなかったのだ。

「教授って、借金でもしてたんですか?」
「それは俺の顔のことか」

それが最初の会話だったような気がする。
冗談で言ってみたのに、小十郎は笑わなかったし、また特に怒ることもしなかった。
小十郎は国文科の研究室よりも社会学科の研究室に居ることのほうが多く、教授よりも年の近い小十郎と佐助が知り合
うのは特に不自然な流れではなかった。顔に似合わず付き合いの良い小十郎は、研究室のゼミの飲み会にも顔を出した
し、佐助も国文科のほうの授業にもぐりこむこともあった。気が合ったのだと思う。性格はまったくちがうけれども、
それが逆に良かったのかもしれない。
小十郎も佐助のことは気に入っているようだった。

ちょうどその頃佐助には高校の頃から付き合っている恋人が居て、それから逃げるように小十郎と会っていた。

小十郎たちと会って話しているのは楽だった。
恋人を嫌いになったわけではない。大学に入って他に好きになった相手ができたというわけでもない。そもそも佐助は
その恋人に恋をしたことがなかった。もっと言うならば、佐助は今まで一度だって恋をしたことがなかった。その恋人
と付き合う切っ掛けも、告白されたからなんとなく付き合っていただけのことだ。それでも嫌いではないから付き合い
は続いていたが、大学に入ってからその歪みがすこしずつ出始めた。
つまり、彼女は佐助に抱いて欲しいのだ。付き合って三年経つのに、キスより先のことをしようとしない佐助に相手が
苛立っているのはあまりにも明らかだった。でも佐助には驚くほどその手の発想がなかった。恋人の体を見てもまった
く欲情するということはなかったし、そもそも女性相手に性欲を感じたことすら、佐助には一度だってなかったのだ。
おかしいかもしれない、ということには自分でも気付いてはいた。ただそれは認めるにはあんまり勇気のいることだっ
たので、佐助は恋人を放ったまま小十郎たちと大学生らしい付き合いをすることで、問題を先延ばしにすることを選ん
だ。べつにセックスを急ぐ必要なんてないじゃないかと、そういうことにしておいた。
その佐助の逃げ道を土砂で塞いだのもただ、また片倉小十郎だった。
いつものように飲み屋でゼミの学生と小十郎を交えて飲んだ最後に、何かの話の流れで小十郎がその代金を持つことに
なってしまった。確か誰かの単位が落ちるかどうかとかそういう話の流れであったような気がする。もう覚えていない。
ともかく、小十郎は「ハイエナみてェな奴等だな」とすこしだけ苦く笑って、レジに一番近かった佐助に財布を投げた。

「今回だけだぞ。非常勤の講師にたかってんじゃねェよ」
「いやいや、これは出世払いですよ先生。じゃま、ありがたく」

佐助はへらりと笑い、レジに向かった。
そして財布を開け金を払う時に、佐助はその中のカード入れに視線を奪われた。そこにはカードが何枚か入っていた。
クレジットカード、銀行のキャッシュカード、身分証明書、そしてホームセンターのポイントカード。
ホームセンターのポイントカード?

「なんだこれ」
「おい、おまえ勝手にひとの財布を物色するな」

背後から小十郎に財布を奪われる。
頭ひとつ高いところにある小十郎の顔を見上げ、佐助は「なんすか今の」と聞いた。ホームセンターのポイントカード
はあともう一スタンプで三千円分の買い物が無料でできるほどポイントが溜まっていた。小十郎は無言でレジで勘定を
済ませ、佐助を無視して店を出ようとしたが、酔っている佐助が大声で「なんで片倉先生がホームセンターのポイント
溜めてンの?」と怒鳴るとくるりと舞い戻ってがしりと頭を掴んで「黙れ」と唸った。

「なんで?」
「――――俺がホームセンターで買い物をするからだ。悪いか」
「悪くないけどどうして三ヶ月前に作ったポイントカードがもう満タンなの?おかしくねえ、さすがに」
「良く使うからだ。それ以外に理由なんてあるか」
「なんで良く使うんですか」

佐助はホームセンターで買い物をしたことなど、数えるほどしかない。
小十郎はしばらく黙り込んだ後、わらわらとこちらへ寄ってくる他の学生たちが気付く前に「野菜の苗だ」と佐助に
耳打ちした。佐助は首を傾げて、はあ、と間抜けた声でそれに答える。

「野菜の苗」
「そうだ」
「なんでそんなもん、国文科の先生が買うの?」
「国文科の講師の趣味が畑仕事じゃ悪いのか」
「趣味なの?」

小十郎は舌打ちをした。
「趣味だ」佐助の顔を思い切り手で押しながら、小十郎は自棄気味で言った。

「悪いか」
「いや、悪かありませんけど、へえ、ふうん」
「黙れ。うるせェガキだ」
「あ、先生、どこ行くのさ」
「もう帰る」
「先輩達になんて言えばいいのよ、俺様」
「適当に言っておけ。俺はもう知らん」

小十郎は踵を返してとっとと出て行ってしまった。
佐助はその背中を眺めながら、そういえばさっきちょっと顔赤かったなあ、と小十郎の顔を思い出しながら思った。
恥ずかしいことでもないような気がするが、あまりプライベートを見せたがらない質なのかもしれない。しかめ面が
もっとしかめ面になっていた。佐助は思い出すように笑って、それからふと顔を歪めた。

「――――あれぇ」

これは、と思う。
これはもしかすると、まずいかもしれない。
小十郎の顔が赤くなっていたから、だからなんだと言うのだ。それにこんなに浮かれているのは――――酔ってるん
だ、と佐助は思った。俺は酔ってる。だからあのひとが顔を赤くしていることに過剰反応してるんだ。
間違っても男に鼓動が高鳴ったとか、そういうことじゃない、と佐助は必死でごまかした。

恋人と別れたのは、それから一ヶ月も経たない頃だ。

ホテルに誘われたのを断って、殴られて、そしてふられてしまった。
しかたがない。今の今まで我慢していたことのほうが不思議だ。よほど自分のことが好きだったのかもしれない。だ
としたら申し訳ない。佐助はラブホテルの前のゴミ捨て場に思い切り押し込まれたことへの怒りをそう思うことによ
ってなかったことにしようと努めた。しかたがない、俺が悪いんだから、今自分の横にコンドームの詰まったビニー
ル袋があることだってそんな大したことじゃあないんだ。
午後九時に恋人にふられてしまって、今からアパートに帰るのもどうしようかとふらふらと街を彷徨っていたら、す
こし大通りを外れてしまって、気付いたらその手の店が軒を連ねる場所に来ていた。辺りを連れ添って歩いているの
が男女ではない。七色のネオンライト、生ゴミの匂い、同性愛者の集団。
佐助はぼんやりとそれを眺めていた。

「――――俺も、そうなのかなあ」

声に出さずに、そうやってつぶやく。
ここまで女性への性欲がないということは、そうなのかもしれない。
髪を掻きむしり、アスファルトに座り込んで深く息を吐く。あまり認めたくない事実だ。でも女性に対して欲情でき
ないのはもうどうしようもない。さっき恋人にホテルへの誘いをされた時に、佐助は嫌悪すら感じたのだ。
煙草に火を付けないままぼう、としていたら、何時の間にか横に男が立っていた。確かにこんな場所でひとりで座り
込んでいれば、そういう期待をされてもしかたがない。佐助はうんざりと火の付いていない煙草を口からてのひらに
落とす。ぼんやりとした目つきのまま見上げると、佐助の横に立っていた男はにこりと笑いかけてきた。
佐助は目を開いた。

小十郎に似ている、と思った。

髪型はまったく違うし、顔だって似ているわけではないが、身長が高いのと切れ長の目がかすかに垂れているところ
がなんとなく似ている。なにしてるの、と聞かれて佐助は黙って立ち上がった。声はまったく違う。相手の男の声は
しゃがれていて、良く響くあの男の声とは別物だ。
それでも、笑った時に片方だけ持ち上がる唇の持ち上げ方が似ている。

「暇なら、ちょっと付き合う気ない?」

そう言われて佐助は、ちょっとだけならね、と首を竦めた。
馬鹿なことをしている、と思った。自棄になっているのかもしれない。同性愛者だからといって、べつに誰だってい
いということではないのだし――――ああでも、と佐助は男の横顔を見ながら思った。鼻の形が似ている。顎のライ
ンも、どことなく似ているような気がする。
ぼう、と小十郎のことばかり考えていたら、路地の裏に連れて行かれてキスをされそうになったので、佐助はようや
くそこで自分が決定的に失敗をしたことに気付いた。拒否するが、壁に押しつけられた。
ベルトに手が掛けられる。背中にコンクリートの堅い感触がする。

「ッ、に、すんだよッ」

目の前の男の顔が、笑みで歪んでいる。
佐助は目を細め、それからほうと息を吐いた。馬鹿げてる。まったく似てやしねえじゃねえか。
急激に体内のあらゆるものが温度を失ったのが解った。勃起した性器がももに当たっているのに眉を寄せ、佐助はい
ったん体の力を抜き、それから相手の性器を思い切り膝で蹴り上げた。低い唸り声がして、男が佐助に崩れ落ちてく
る。それを鬱陶しげに振り払おうと佐助が身をよじらせると、横から何かがひゅんと飛んできて、既に痛みで体を固
めている男の頭にこん、と硬質な音を立てて命中した。
視線を落とすと、缶が落ちている。相当スピードがあったらしく、男の頭に当たった場所だけ凹んでいた。男に視線
を戻すと、既に意識を失っている。佐助はひょいと体をどけた。そのままずるりと男は地面に滑り落ちる。
凹んだ缶を拾って視線を巡らせると、大通りに面した路地の入り口のところに小十郎が居る。
佐助は目を見開いた。小十郎は目を細めている。

「何してるんだおまえは、こんなところで」

つかつかと近寄り、倒れている男を踏み付けながら小十郎は吐き捨てる。
視線が佐助の下半身に落とされて、なんだろうと思ったらベルトが外されてジーンズが脱げかけている。不愉快だし
まえ、と言われて佐助はベルトを直した。直しながら先生こそなんでここに、と聞くと飲み会だと言う。
そういえば佐助も、恋人があんまり煩くなければ出るはずだったのだ。

「確か恋人がうるせェから今回はパスだったんじゃねェのか」
「ああ、うん、それは」

佐助は口ごもり、視線を外した。
小十郎は佐助をしばらく眺めて、それから「無事だったか」と聞く。佐助は頷いた。

「あんたが缶から投げた時、ちょうど俺が金的したところだったんで」
「つまり俺がしたことは余計だってことが言いてェのか、おまえは?」
「誰もそんなこと言ってないじゃないですか、いやだなあ、年取ると僻みっぽくなって」

佐助が大仰に両手を広げると、小十郎はすこし笑った。
目を丸める。そうすると小十郎は笑みを浮かべたまま、そんだけ言えりゃァ平気だろうと手を伸ばして佐助の頭をく
しゃりと撫でこんだ。変なところにあんまりひとりで行くもんじゃねェよ、と言う。
かあ、と顔が赤くなった。心臓が痛い。「鼓動が高鳴って」いる。
当然だけれども、さっきの男の笑顔と小十郎の笑顔はまったくちがった。
佐助は黙ったまま頷いて、それから小十郎の手から避ける。距離を置くように、小十郎から三歩離れた。

「どうかしたか」

不思議そうに小十郎が佐助の顔をのぞく。
佐助は首を振って、顔を歪めたまま笑った。

「あんまり俺に寄らないほうがいいよ、先生」
「なんだいきなり」
「あのさ、」
「おう」
「俺」

さっき彼女と別れたんだ、と佐助は言った。
小十郎はすこし間を置いて、へえ、と答える。
佐助は顔を歪めたまま、別れたっていうか、と続けた。別れたっていうか、ふられたんだけど。

「俺がちゃんと、えっちしてあげなかったから」

生々しい話題に、小十郎がすこし困ったように眉を寄せた。佐助はけらけらと笑い声をあげて、それから小十郎と
の間に倒れている男の背中をブーツの足先で蹴ってみる。ふられちゃったから、ついこいつのお誘いに乗ってつい
てきちゃったんだよね。
それから顔を上げて、

「俺様、ゲイみたいなんですよ、どうも」

と言った。
小十郎は黙っている。
佐助は笑いながら、「だから俺にあんまり近寄らないほうがいいんじゃないの?」と付け加えた。小十郎は良くな
い、と思う。小十郎は黙ったまま、指先で顎を掻いている。小十郎の指には、国文系の研究者に特有のペンダコが
ついている。佐助はそれを見ながら、今自分が感じている物は――――今まで感じたことはないけれども――――
きっとこれが性欲なのだ、と思った。
小十郎はしばらく黙ってから、視線を倒れた男に落とした。

「おまえ」
「なに」
「こいつと、知り合いなのか」
「ぜんぜん。さっき会った」
「そんなのに付いていく阿呆があるか。阿呆だなほんとによ」
「解ってるよ、それは反省してますって。ところで先生俺の話聞いてました?」
「聞いてた」

小十郎は頷いて、それから男の顔を踏み付ける。
それから、「俺はおまえを半年前から知っている」と言った。

「だからおまえがこいつと違うことくれェは解るつもりだが」

小十郎は首を傾げて、「それともおまえ、俺を襲いたいとか思ってんのか?」と佐助に聞いた。佐助は慌てて首を
振る。まさか、と言うと小十郎はそうだろうと頷いて、ならいいじゃねェか、と男の頭を靴の爪先でぐりぐりと抉
るように踏みにじる。この手の阿呆は、相手が男だろうと女だろうとおんなじで阿呆なんだよ。
小十郎は首を竦めて、おまえがゲイだからってべつに大したことじゃねェだろう、と言う。

「俺の趣味が畑仕事だっていう、それくれェの意外性しかねェよ」

佐助が目を丸めると、小十郎はにやりと口角を上げた。

「だからおまえ、あのこと他の奴等に言うなよ」
「――――なんでさ、べつにただ面白いだけじゃないですか」
「おまえら全力で面白がるだろうが。御免だ、阿呆。ところで、」

これから二次会なんだが、おまえも来るか。
小十郎は淡々とそう付け加えた。佐助は慌てて頷いた。そうか、じゃあ行くぞ、と小十郎は男の腹を思い切り蹴っ
て、踵を返す。佐助はそれを追いながら、熱い耳をてのひらで擦った。
どう考えても「鼓動が高鳴って」いる。

「片倉先生」
「なんだ」
「あの、ありがとう」
「なにが」
「え、な、なんだろうな」
「解らんなら言うな」
「いやでも、」

ありがとう、と佐助は言った。
おかしな奴だな、と小十郎は前を向いたまま言う。夜の中で見たその横顔は、やっぱりさっきの男などとは比べ
ものにならないくらいに「片倉小十郎」だった。
佐助は明確に自覚した。

どうも自分は、片倉小十郎に恋をしてしまったらしい。



































「――――でさあ、ありえなくない?いきなり殴りかかってくるとか、日本は法治国家ですよっての」
「それで、どこか殴られたのか?」
「避けたら相手からシンクに飛び込んでくれて骨折って今救急車で運ばれてった」
「毎回思うが、おまえはほんとうに同情しにくい野郎だな」
「こんな相手に毎回当たるっていう、そのこと自体に同情してよ。目に見えるものばっかり追うなんて国文科とし
 て終わってますよ、教授様」
「俺の研究テーマとおまえのくだらねェ恋愛を並べるな」

小十郎の部屋のソファで寝転がりながら愚痴を連ねていると、つめたい水のグラスを額に押し当てられた。むくり
と起き上がり、それを喉の奥に流し込む。ミネラルウォーターの人工的な無味が口に残る。
小十郎は佐助の隣に座り、ワースト記録だな、とつぶやいた。

「三週間保ってねェだろう」
「びっくりですよね」
「おまえの駄目さがな」
「だって味覚が合わないって結構大きいよ。好き嫌いがある相手とは一緒に暮らせないね、正直」
「どうして付き合う前にそれくれェのことが確認できねェんだ」
「見た瞬間はこれだな、って思うんだよなあ」

佐助はグラスをテーブルに置いて、そのままころりと隣に座る小十郎の膝に頭を乗せる。
小十郎はそれを特に拒否しない。読んでいた本を読んだまま、膝に寝転んだ佐助の額にてのひらを乗せる。ひやり
冷えた皮膚の感触に佐助はうっとりと目を閉じた。

「でも付き合ってると、駄目なんだよねえ、なんか、ちっちゃいことが目に付いちゃって」

甘いものが嫌いだって言うんだもの。
もう駄目じゃないか。
佐助の言葉に小十郎は首を傾げて本から顔を上げた。

「おまえ、甘い物好きだったか」
「べつに」
「意味が解らん」
「俺的には解ってるからいいの」

佐助はへらりと笑い、俯せになって小十郎の膝に顔を埋める。
硬くて、ジーンズの生地がほおに痛い。それでも佐助は顔をゆるませて、今回は結構良いと思ったんだよねえ、と
唸った。顔なんて理想的に良かったのに。小十郎は適当に相槌を打ちながら、佐助の赤い髪を撫でるようにして弄
っている。くすぐったい。佐助はくつくつと笑い声を喉の奥でこもらせた。

「顔で選ぶとなんか怖いお兄さんにばっかり当たっちゃって参るわ」
「前おかしなことを言ってたな、確か」
「ああ、好みの顔で」
「前科持ちみてェな顔が良いとか言ってなかったか」
「言った」
「そういうこと言ってるから毎回修羅場になるんだろうが」
「だってしょうがないじゃん。怖い顔がすきなんだよ」
「この間殺されかけておいて、どうして直そうと思えないんだ」
「だって俺相手の顔が怖くないと勃起しねえんだからしょうがねえじゃん。前のはさあ、相手が悪いんだぜ。ヤク
 ザとは関係ないって言ったくせに関係あったとかほんと詐欺ですよね」
「血液型がAB型だってだけで別れるって言い出すおまえも相当詐欺だと思うが」
「俺の好みのタイプはO型なんだ」

大雑把で下への面倒見の良い、好きなことに没頭し過ぎちゃう負けず嫌いなO型が好きなんだよ。
「居ないかなあ、どっかにO型で甘い物が好きな顔の怖い俺より身長の大きいホームセンターのポイントカードが
満タンになってるひと」とつぶやくと、小十郎が呆れた声で、「おかしな趣味だ」と吐き捨てた。

「ホームセンターってなんだ」
「ホームセンターはホームセンターだよ。いいの、俺は判ってるから」

佐助はくるりと体を反転させ、おかしなひとが好きなんだよ、と笑う。
それから両手を広げて、小十郎の首に手をかけた。

「ほら、早く慰めてくださいよセンセ」
「まったく凹んでねェように見えるのは、俺の気のせいか」
「気のせいだよ。これ以上ないくらい俺様ってば今ナイーブですよ。ほらほら」
「――――どうしようもねェ野郎だな、ほんとうに」

小十郎は息を吐いて、それから佐助の唇に軽く自分の唇で触れた。
佐助が首を伸ばしてそれを深めようとすると、するりとそれは避けていく。代わりに目元に唇が当たった。睫を吸
うように目を唇でなぞられる。佐助は体を揺らしながら笑う。小十郎は十秒ほどそれをしてから体を離した。佐助
が身を起こして膝に乗り、しがみつくと呆れながらもきちんと頭を撫でてくれる。
同情しているのだ、同性愛者の元生徒に対して――――佐助はふふんと笑った。だからなんだ。ぎゅうとしがみつ
く。小十郎のてのひらが背中に回っている。同情されている。

だからなんだ。

片倉先生はやさしいねえと笑うと、小十郎は舌打ちをした。

「男を見る目をそろそろ鍛えろ」
「――――どうしようかなあ」
「なんだって?」
「だってさ」

佐助は小十郎の肩に顔を埋めながら、くつくつと笑う。







男と別れるとあんたがキスをしてくれるからなあ、と佐助は言おうとして笑いでそれを封じ込めた。















       
 



佐助にやさしくする小十郎を目指します。
しかしこの佐助の気持ち悪さ異常だな。


空天
2008/07/06

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