正直なところ、まったく性的にはノーマルである佐助にしてみれば、根っからゲイである年上の男 が、同年齢に友人に対してのあまりにも濃厚な恋愛感情を語るのを聞いているのは、かなりの精神 的な苦痛を伴う行為であることは否めない。しかもそれが、選りに選って小十郎と政宗であれば尚 更苦痛は強く、深刻だ。十杯目のカクテルをやはり一気に飲み干した小十郎は、もう何度目かにな る切なげな息を吐いて―――佐助は思わず身震いをした―――切れ長の黒い眼をつうと細める。 小十郎は基本的に、自分からは語らない。 深夜の二時にひとを呼び出したくせに、だ。 「―――で、政宗にまた彼女が出来たわけね?」 だから佐助が聞いてやらないといけなくなる。 まるで聞きたくもないが、聞かなければ佐助は家に帰れないのだ。 小十郎はこくりと頷き、マスターが差し出したカクテルを、まだグラスがカウンターに着地する前 にかっぱらって一気に飲み干した。それでも彼のほおはまるでいろを変えない。 ひとではないみたいだ。 ターミネイターみたいだ。 「どうせまたすぐ、別れるでしょ。いちいちへこんでどうすンですか」 映画の主題歌を頭のなかで流しながら、佐助は息を吐き、小十郎の背中を撫でてやった。 小十郎は政宗が恋人を作るたびに、律儀に逐一荒れる。しかも生来の不器用が災いして大っぴらに は荒れることができないので、こっそりと、荒れてもいい相手に対して―――つまり佐助に――― 八つ当たりをすることしかできない。 佐助はそれにいつも付き合わされている。 果たして遠い親戚の友人、というものが、八つ当たりをするのに適した相手であるかどうかはよく 解らない。でもたぶん、猿飛佐助という人間はとても八つ当たりに適した人材ではあるのだろうと 佐助は自分自身を振り返ってそう思った。そういうことはよくあるのだ。小十郎だけではない。多 くの人々が、なにかしらの感情の発露口を佐助のなかに見出し、吐き出すだけ吐き出すとどこかへ 去っていく。まあそれもいいだろう、と佐助は思う。 嬉しいことではないが哀しいことでもない。 問題はその相手が片倉小十郎であった場合なのだ。 「政宗様は」 と小十郎は言う。 政宗様は、たとえ後で別れるにしても、そのときは真剣でいらっしゃる、と言う。 「おまえみてェに遊びで女と付き合ったりする方じゃねェ」 「あらら、酷い仰り様で」 佐助はけらけら笑って、マスターからジュースの入ったグラスを受け取る。 両方が酔いつぶれるわけにはいかないので、佐助は三杯目からはノンアルコールドリンクを飲むこ とにしている。小十郎には気付かれないように、こっそりと肘の影に隠れるようにグラスを引き寄 せ、身を乗り出す。小十郎はカウンターの奥にある、グラスの並んだ棚を睨んでいる。もしかする とただ眺めているだけなのかもしれないが、端から見ていると睨んでいるように見える。 「もうあの方も、二十五だ。結婚も考える年だろう」 「そんなこと言ったら、あんたは二十九じゃないか」 「俺は」 いいんだよと小十郎は鬱陶しげに佐助の顔を押しのけた。 まったくおんなじような会話が、確か半年前にもおんなじ場所で交わされていたことを佐助は思い 出す。実際のところ、政宗は小十郎が思っているほど女関係に誠実な男ではない。確かに付き合っ たその「瞬間」は真剣なのだろうけれども、彼自身が飽きっぽいのと、なにしろ好みにうるさい男 であることが災いして、たいていの女は三ヶ月も保たない。 佐助はオレンジジュースを飲みながら、政宗が以前、自分の理想のタイプは小十郎なのだと冗談に 紛らせて、実のところはかなり本気で言っていたことを思い出す。だってそうだろう、と政宗は言 った。だってあんなに男前なのに、俺のことを誰よりも解っていて、しかも誰より大事にしてくれ るんだぜ、そんな奴って他に居るかよと言う。 そうだねえ、と佐助は答えたのだと思う。 そうだねえ、あんなひとは他に居ないねえ。 そういうわけで政宗の付き合いは長く続かない。たぶん、それは小十郎のせいなのだろうと、佐助 はほとんど確信しているが、小十郎にも政宗にもそんなことは一言も口にしたことはない。表向き 政宗は性的にノーマルで、小十郎の片思いは今後も報われる予定はないことになっている。あくま でも表向きは。 裏を知っているのは佐助しか居ない。 今のところ。 「だからっていい年して、セックスフレンドばっかりと仲良くしてンのもどうかと思うンだけど。 あんたも本気の相手探せばいいのに、政宗以外で」 「政宗様以外なんぞ、みんな大根みてェなもんだ」 「じゃ、あんたは大根とセックスしてるわけ?」 「黙れ、ガキ」 「はいはい、ガキですよ、どうせ」 政宗に十五年来の片思いをしている小十郎は、必然的に愛のあるセックスをすることができないの で、相手は常に流動的で、しかもとても即物的なセックスをすることになる。佐助は何度かその相 手と出会したことがあるが、それが同一人物であったことは一度もない。 きっとこれからもないだろうと思う。 政宗以外なら誰だって同じだと言う小十郎は、つまるところ誰でもいいらしいのだ。 そこで、誰でもいいなら、と、ときどき佐助は考えそうになる。 誰でもいいなら、 「ちょっと前から聞きたかったンだけど」 「なんだ」 「あんたって、掘るほうなの、掘られるほうなの?」 「阿呆か、おまえ」 「ちょいと気になりまして」 小十郎はしばらく黙ったあと、政宗様以外にそんな気になれるか、と吐き捨てた。 ということはつまり、勃起しないということだから、女役ということだろう。佐助はしげしげと隣 に座った男の全身を眺めた。佐助より拳ひとつぶん背が高く、二回りは隆々とした、どう見ても堅 気ではない顔を持つ片倉小十郎という男は、どうやらセックスにおける女役らしい。 なるほど、それなら大根でもいいわけだと佐助は思った。 「でも政宗にはその気になるわけね」 「そういう下卑た物言いは止せ、阿呆」 「じゃ、ならない?」 「そうは言ってねェ」 「なるンじゃねえか」 「しょうがねェだろう、自然現象だ」 「抱きたい?」 「黙れ」 「抱きたくないの」 「抱きたい」 酔うと小十郎は正直になる。 佐助はくしゃりと歪んだ笑みを浮かべた。酔った小十郎から本音を引き出すのはたのしい。それを 聞けるのは、世界広しと言えどもたぶん自分しか居ないからだ。 でもその本音の中味は必ずしも佐助を愉快にはさせない。 むしろたいていの場合、不愉快にさせる。 くしゃくしゃにされた包装紙みたいな惨めな気持ちになる。 それでも聞いてしまうあたり、たぶん自分には少なからず自傷癖があるんだろう。 「政宗のどこがそんなにいいの」 「政宗様に悪いところなんてひとつだってない」 小十郎ははっきりと言い切る。 佐助は呆れてカランとグラスの氷を揺らした。 「あんたの目はちょっと近視入ってンじゃないの」 「かもな」 「乱視も」 「おそらく」 「眼鏡かけたほうがいいよ。コンタクトでもいい。最近はほら、レーシック手術とかも流行ってるし」 「それでなんとかなるなら、なんとかしてェよ」 小十郎は絞り出すような切なげな声で吐き捨てる。 その声を聞いていると、こちらまでなんだかぎゅうぎゅう締めつけられているような息苦しさを覚 える。佐助はティーシャツの襟をぐいと引き延ばした。それでも息苦しさは変わらない。ぎゅうぎゅ うぎゅうぎゅう、佐助の喉を内側から締めつけてくる。 なんて迷惑なひとだろう、と佐助はうんざりする。 切ないのも苦しいのも、ひとりで勝手にやってりゃあいいのに。 「政宗様以外を見られるなら、そうしてェよ」 小十郎の近視は深刻だ。 佐助は小十郎の横顔から目を逸らした。腕時計を見る。午前五時になろうとしている。そろそろこの バーの閉店時間だ。そうしたら佐助は、この不毛で、果てがなくて、異様に濃度の高い話から解放さ れる。佐助は今日一日オフで、小十郎もそうであろうことは予想できるが、そうであっても佐助は絶 対に相手の部屋にあがることも、自分の部屋に相手を入れることもしなかった。小十郎は一度だけ家 に入れろ飲み直すと言ったことがあったけれども、佐助が断るとそれ以来提案すらしなくなった。 小十郎はたぶん、佐助がゲイの男を部屋に入れることをためらっているのだと思っている。 実際のところその考えはすこしだけ間違っているが、佐助はあえて正そうと思ったこともなかった。 「思うンだけどね」 時計の針は五時十五分前を指している。 佐助は秒針が確実に時を前に進めるのを確認しながら、口を開く。 「あんたのそれはね、恋じゃあないンじゃないかな」 訝しげに小十郎が佐助を睨む。 佐助はひょいと肩を竦め、グラスに残っていたオレンジジュースを飲み干した。 「幻想なんだよ、結局のところ。昔自分のことを助けてくれたお坊ちゃんにさ、あんたは夢見てンじゃ ないかな。言っちゃなんだけど、政宗も結構いい加減で、駄目なところもたくさんありますよ」 「政宗様に欠点なんぞあるか」 「飽きっぽくて気紛れ、傲岸不遜で我が儘じゃん」 「それも、個性だ」 「盲目過ぎ」 「だから」 惚れてるんだろうがと小十郎は言う。 「政宗様に百、欠点があったところで、そんなことは俺には関係ねェ」 それが政宗様なら、と言う。 付き合っていられない、と佐助は思った。 まったく付き合っていられない。盲目で、馬鹿で、ゲイで、しかも酔っ払いだ。 どうしてそんな男と俺はこんな時間まで一緒に居るんだろう。佐助はオレンジジュースの味の残った 氷をがりがりと噛みながらうんざりと考えた。五時まで起きていた代償として、きっと自分が今日再 び目を覚ますのは昼過ぎだろう。貴重な休みを、この男に半日潰されたことになる。 うんざりする。 でも、と思う。 でもたぶん、またこの男が電話をかけてきたら、俺は何時であれ家を飛び出るんだろう。 ちくしょう。 「あんたの恋ってなに」 佐助はぶっきらぼうに問うた。 腹が立ってしょうがない。 小十郎にも、その小十郎をなんでか見棄てられない自分にもどうしようもなく腹が立った。 「どういう意味だ、それは」 「だからさ、あんたは何を基準にして、自分が政宗に恋をしてるって思うわけ?」 「そりゃ、」 「そりゃ?」 「解るだろう、そんなもの」 「俺には解ンないな、教えてよ」 「だから」 小十郎はすこし考えてから、薄く口を開く。 「欠点も、長所に見える」 「そりゃ目が悪いからでしょう」 「一緒に居ると、息苦しくなる」 「ああ、病院行ったほうがいいね」 「考えるだけで、」 胸が痛ェ。 小十郎は言う。 佐助は大笑いした。 「そんなの、恋であるもんかい!」 小十郎があからさまに不快げな顔をした。 佐助は構わず笑いながら、マスターにラストオーダーとして一番アルコール度数の高いカクテルを頼んだ。 それを一息に飲み干すと、席を立ち、小十郎を放ってドアへと向かう。 背中に不満げな小十郎の声が飛んできた。 佐助はそれを無視して、ドアを開く。カラン、とドアベルが鳴った。 「もう閉店だよ。あんたも早く、家で寝なさいよ」 振り返らないでドアを閉めて、目の前の階段を駆け上る。 地下一階にあるバーを振り返ることなく路地に出ると、すでに空はあかるくなり始めていた。置いてきた 小十郎は怒っているだろうかと一瞬不安になったが、酔っているのですぐ忘れるだろうと思い直す。 あるいは覚えているかもしれないが、それならそれでもいい。きっと小十郎はそれでもなにも言うことは ないだろう。そういう男だ。 佐助は早朝の住宅街を歩きながら、ちいさくつぶやく。 「恋なんかじゃないでしょ」 小十郎の言葉を思い出す。 欠点が長所に見えて、一緒に居ると息苦しくて、考えるだけで胸が痛くなる。 そんなのは恋じゃない。佐助は手をパーカーのポケットに入れて、空を仰ぐ。空は青を含ませながらもま だしらじらと薄い。でも今日は晴れそうだ。ただし佐助はその晴れた空を堪能することはない。これから 家に帰ったら昼過ぎまで寝て、きっと夕方までぼうっとしているにちがいない。 恋じゃない。 佐助はまたつぶやいた。 だってそれが恋なら、 「俺だって、―――」 佐助は口を噤んだ。 腕を空へ突き上げて、ぐっと背伸びをする。それからぴょんと蛙のように前へ飛び跳ねると、辺りをきょ ろきょろと見回して、慌てたように駆け足で自分のマンションへと向かった。 おわり |