終日終夜 昼 (夫婦から始めましょう) 「あの、ええっと、―――」 「片倉です」 「そう。片倉さん。片倉さんは、結婚したいんですか?」 「いえ、特には」 おお、と佐助は顔を仰け反らせた。 冗談交じりの問いかけのつもりだったのに、予想もせず否定の言葉が返ってきたので、つい笑いそうになる。 おいおい、と佐助は口元を隠しながら思った。なに言ってンだこいつは? ひとになにか言える立場ではないが、見合い会場で結婚したくないなんて言うのは、水族館に行って魚が見た くないというのとおんなじくらい奇妙な物言いではないだろうか? だってそれなら、動物園に行けばいいのに。 「とくに、したくない」 笑いをこらえながら、佐助はゆっくりと繰り返す。 小十郎はそれに、したくないですな、とおんなじように繰り返す。まるでオウムが二羽いて、延々と互いの言 葉を繰り返しているようでどうしようもなく滑稽だった。 だったらどうしてここにいるのかと聞くと、小十郎は首を傾げた。さあ、と言う。 さあ。 「気付いたら連れてこられていたので」 「ああそうなんだ。そりゃまた、災難ですねえ」 佐助は今や、この男に心底から同情しつつあった。 しかし結婚はいつかはしなくてはならないと思っています、と小十郎は取り繕うように言った。 「いつかはしなけりゃならない?」 「周りが煩いので」 「ははあ、なるほど。確かに、片倉さん、お仕事いろいろ大変そうですもんね」 「そう思ったことはありません」 「ああ、そう?仕事好きなんですか?いますよね、そういう、すごく幸せなひとって。羨ましい限りです」 嫌味のつもりはなかったが、口に出して自分の耳で聞いてみると、どう聞いても嫌味でしかなかった。どうし てそうなったのか、自分でも不思議でならない。 しかし小十郎は眉ひとつ動かさずに、ええとても幸せなことだと思っております、と丁寧に返した。ははあそ うですかそりゃあいいですねえと適当に相づちを打ちながら、佐助はさっきの唐突な嫌味の出所を発見した。 要するに自分は、この男の話し方が気に食わないのだ。 丁寧なのに、どういうわけか癪に障る。 慇懃無礼とはまさにこのことだ。 なんか腹立つなこの男。きつく巻かれた帯のあたりを撫でながら、こっそりと胸のむかつきを押さえ込んでい ると、珍しく小十郎のほうが口を開き、問いかけてくる。 あなたは結婚したいんですか。 「はあ、まあ、いつかはね」 「そうですか」 「それで相手が男なら、ホラ、こどもも出来ないし、養ってもらえるし楽かなって話をしたら連れてこられち ゃったンですけども」 「成程、」 ですが、と小十郎は言った。 ですがもし、結婚して幸せになりたいと思っているのでしたら私は相手に選ぶのは得策ではないと思います。 そう言って、小十郎はさらに続ける。 「私はいい夫にはなりません。そもそも、なるつもりもありません」 「―――はあ」 佐助は三十秒ほどたっぷりと黙ってから、そう答えた。我ながらすごい声だなと佐助は思った。炭酸が抜けた コーラか、そうでなければ軟体動物並みに骨のない声だ。佐助はその間の抜けた声のまま、はあなんでまた、 とぼんやりと問いかける。 小十郎は相変わらずの無表情でさらさらと言葉を吐き出していく。 「私はこの世で最も大事なのは、我が社の社長であると考えています。それは今までもそうであったし、これ から先何十年経ったとしても変わることはないでしょう。だからもし、あなたが結婚相手に一番大事に扱って ほしいのであれば、私と結婚してもフラストレーションが溜るばかりでしょう」 「そんなに」 「はい」 「そんなに、社長が大事なんですか?」 なんだか呆れてしまって、佐助は疲れたような声で問いかけた。小十郎は迷いなくきっぱりと頷く。 「もし結婚相手が危篤になったとしても、社長が一言行くなと仰れば、私は迷うことなくその場に留まるでしょう」 「―――そりゃ、」 なにか言おうとして口を開いたのに、佐助は言葉をどこかに落としてしまったようだった。 小十郎は特におかしなことを言ったという顔もしないで、定規でも突っ込んであるのかと疑いたくなるほど真 っ直ぐに背中を伸ばして正座をしている。佐助はそれを眺めながら、すごいな、と思った。 今まで生きてきて、ここまで虚仮にされたことがあっただろうか? 怒りも呆れもぜんぶ通り越して、佐助はとうとうけらけらと腹を抱えて笑い出した。ぎょっとしたように、小 十郎が目を丸めている。 片倉さんって、と佐助は言う。 「面白いひとですねえ?」 小十郎は丸くした目をゆっくりと元の形に戻しながら、はァ、と言う。はァ、そうですか。そうですよ、と佐助 は笑いながら頷いた。なんということだろう、自覚症状なしだ。ますます素晴らしい。 机の上に置いてあった小十郎の携帯電話が震え出す。メールではなく電話だったようで、小十郎がちらりと伺 うような視線を向けてくる。佐助はひらひらと手を振って、どうぞ、と言った。 「失礼、すぐに戻ります」 小十郎はそう言って、座敷から出て行く。 残された佐助は足を投げ出し、首をこきこきと鳴らしながら、天井を見上げてくつりとひとつ、ちいさく笑った。 どうしたって笑ってしまう。あんなにおかしな男と、今まで会ったことがあっただろうか? ああ、面白い。 「―――見合いもそんなに悪くないかも」 佐助はぽつりとつぶやいて、くふふ、と笑いを噛み殺した。 |