「へェ」 全て聞き終えて、小十郎はまずそう言った。 目の前では佐助がこのうえなく不機嫌な顔のまま、ひどく近くに顔を寄せている。うっとうしいのでまずそれを押しのけて、 小十郎はそれで、と口を開いた。それで。 「それでその赤児は何処に居る」 「え、あ―――――姐さんらが居る部屋だけど」 「ふうん」 小十郎は鼻を鳴らし、それから此方を見上げている幸と弁天丸に視線を落とした。 「おい、良かったな」 そしてそう言った。 へ、と佐助が間抜けた声を漏らす。 「おまえらに―――――おい」 「え、なに」 「男か女か」 「おとこ、ですけど」 「そうか」 弟だとよ、と小十郎はふたりのおさなごに告げる。 佐助が目を丸める。幸と弁天丸の目がきらきらと輝く。 「いってまいりますっ」 ふたりの声が重なって、それからすぐに赤い頭ふたつが転がるように城へと入っていく。 小十郎はそれを見送って、さて、と佐助のほうに視線をやった。そして噴出した。なんだそらァ、と震える肩を抑えながら 小十郎は佐助の顔を叩く。なんだその、あほづら。 佐助は目を細め、小十郎の手を振り払う。 「阿呆面で悪うござんしたね」 「いや、いいんじゃねェか。なかなか愉快だ」 「俺はこのうえなく不愉快だよ、畜生」 「ああ笑った笑った」 「真顔で言うなっつうの」 小十郎は満足して、上田城へと足を進めようとした。 そこを佐助に止められる。羽織の裾を掴まれた。阿呆か、と小十郎は眉を寄せて吐き捨てる。もう幸でもそんなことしねェ ぞ、と言ってやれば、三十路もとおに超えた筈の男のほおが栗鼠のように膨れたので、ますます小十郎は呆れ返り、そして すこしだけあわれになったので話を聞いてやることにした。どうした、と顔を覗き込むと、佐助は困ったように眉を下げる。 「おかしくね」 「何が」 「あんた、いくらなんでも認めるのが早すぎるでしょ」 ふつう、信じねえよ。 そう言う。小十郎は首を傾げた。 「そういうものか」 「俺なら信じねえよ」 「おまえは信じなかったな、そういえば」 「いや、ちょっと待った。そういう昔の話は止しましょうよ。今ですよ、今の話」 佐助は慌ててそう言った。 小十郎はふうんと鼻を鳴らし、今なァ、と肩をすくめる。 「嘘なのか」 「嘘じゃないけど」 「ならなにが不満だ」 「不満ていうか」 佐助は視線を落とす。 小十郎は息を吐いた。この男が良く解らない―――すくなくとも小十郎には―――ことでうだうだと立ち止まる性質である ことは百も承知だけれども、よくもまあそこまで瑣末なことに拘れるなと時折感心すらする。黒髪なんか世の中に溢れてる じゃない、と佐助はつぶやいた。あんたのじゃないかもしれないよ。 あァそういうことか、と小十郎は頷いた。 「そらァねェだろう」 「なんでさ」 「こんな気色の悪い嘘を吐く意味が何処にある」 「ああ、なるほど」 「それに女相手に孕ませるほど、おまえも迂闊じゃあるまいよ」 「それじゃあさっきの『目出度いな』の後の間はなンなのさ」 「同意ということもあるだろうが」 「あんたほんとに最低な」 「おまえほどじゃねェ」 小十郎は吐き捨てる。 佐助はぱちぱちと目を瞬かせた。 俺のどこが最低なのさ。小十郎は目を細めて、死ね、と一言言い捨てて佐助を置き去りにして上田城へと向かった。後ろか ら追いかけてくるしのびは、「なにが」「どうして」「俺は最低じゃない」とうるさい。途中蹴ってやったらすこしだけ大 人しくなったけれども、振り返って見た顔はこのうえなく不機嫌そうだった。 小十郎はちょうど門のところで立ち止まり、苛立たしげに佐助の首根っこを掴んだ。 「言いたいことがあるなら言いやがれ」 「べえ、つう、にい」 「ああそうかい」 ぽい、と佐助を投げ捨てる。 そのまま歩き出すと、気配が後ろから追って来るけれども佐助の姿は見えない。とことんまで馬鹿だな、と小十郎は呆れた。 年を重ねるだけあの男は退行しているような気がするんだが、気のせいであってほしいものだ。 さすがに部外者が女房衆の座敷に入るわけにもいかぬので、幸村に赤児を連れ出して貰うことにした。通された座敷で待っ ていると、からりと襖が開き、なにか抱えた幸がおそるおそる入ってくる。弁天丸がそれをじいと凝視して、矢張り後ろか らついてくる。それか、と言うと、幸はこくりと頷いた。 そうと受け渡されたのは、まだちいさな赤児だった。 「ほう」 大きな目は、濃い赤だ。 髪は黒いけれども、髪質はふわふわとして、小十郎よりは佐助に近い。 ちいさな手が不思議そうに小十郎のほおを撫でる。人見知りはあまりしないようだった。抱えあげて、かろく揺らすと、 きゃっきゃと笑顔になって声をあげる。 幸がそれを見て、わあ、と珍しく声をあげた。 「わらった」 「そうだな」 「ははうえ、すごいっ」 「おまえもやってみるといい」 弁天丸にちいさなその生き物を手渡す。 弁天丸はしばらくの間あわあわと震えていたけれども、その赤児がすぐに寄り添ってきたのできょろきょろと辺りを見回し ながらも、きちりと頭を支えて赤児を抱く。幸がそれを覗き込む。小十郎はそれを眺めて、名前をつけてやれ、とふたりに 言った。 「おまえたちの弟だ。良い名をつけてやれ」 「わたしたちが、ですか」 「おれたちでいいんですか」 「構わん」 ぱあとふたりが笑う。 小十郎は立ち上がり、障子を開いて座敷を出た。 とっとと降りて来い、阿呆。 佐助は眉を寄せて、屋根の上でほおづえを突いた。 「いやだって言ったら」 「別に良いが」 「ふうん」 「あれは持って帰るぞ」 「あれとか言うなっての、あれとか」 佐助はするりと屋根から滑り降りて、すたんと廊下に降り立った。 小十郎は首を傾げて、どうしてそうむくれてるんだ、と問うてくる。佐助はべつに、とまた言った。おのれでもいまひとつ良 く解らない。あんまり呆気なく小十郎が認めるので、拍子抜けしたのかもしれない。 そしてどうしていいか良く解らないのだ、多分。 良かったな。 弟だとよ。 佐助の言うことを疑いもしない。 そんなふうにされては、どうしていいか解らない。 目が赤いな、と小十郎がつぶやいた。 「助かった。これで目も黒かったらおまえてめェの子だと認めなかったろう」 「どうしてそう俺様ばっかり悪者にされなけりゃいけねえのよ」 「悪者になんざしちゃいねェよ、事実だ」 小十郎は淡々と言う。 佐助はふと気付いた。だんな、と首を傾げて小十郎を覗き込む。 「ねえ」 「なんだ」 「あんた、もしかして」 怒ってたりする、と佐助は問うた。 小十郎もそれに首を傾げる。どうして、と言われて、佐助は小十郎の眉間に指をあててくるくると回した。寄ってるよと言 うと、いつもだ阿呆と押しのけられる。佐助はじいと小十郎を凝視した。確かにいつもとおんなじ仏頂面のように見えるが、 すこし今日のそれはいろを変えているような気がする。 佐助は小十郎の肩に額をこてんと押しつけた。 「旦那」 「邪魔だどけ」 小十郎は今度は佐助を押しのけなかった。 首筋に鼻先をこすりつけて、佐助はちいさく「ごめんね」と言う。 「言わなかったから拗ねちゃいましたか?」 「おまえ、ほんとうに死んでいいぞ」 「だってさあ、あんた信じちゃくれねえと思ってたンだもん」 胸元で組まれた腕を解かせて、佐助は小十郎の両手を握る。 ひんやりとした感触のそれをゆるく握りしめて、目を閉じる。 かわいいよね、とつぶやくと、しばらくの間がある。それから吐息と一緒に、「ああ」と小十郎が言う。佐助はへらりと笑っ て、額をぐりぐりと肩に押しつけて、腕を小十郎の背中に回した。かわいいよねえ、ほんと。 「あんたが産んでくれンなら、もうあと二三人居てもいいね」 冗談めかして言う。 返事は無いだろうと思っていたら、もういいだろう、と小十郎が返す。佐助は笑った。 「そりゃあね、ちょっと多すぎるくらいだ」 「いや、丁度良い」 「三人が」 「三人というよりは」 これでもう、揃ったからな。 佐助はしばらく黙って、それから眉を寄せる。 良く解らない。体を離して、小十郎の顔を覗き込んだ。小十郎はいつもの、夜道で見たら子供が泣き出すような顔をしている。 特に変化はない。どういう意味、と佐助は問うた。小十郎は薄い唇を開いて、矢張り淡々と言葉を口からこぼす。 「赤い目と、赤い髪が揃った」 「はあ」 「これで十分だ」 小十郎はそう言って、珍しくにこりと目を細めて笑った。 そして言った。 「もうおまえが来なくても支障はねェ」 存分に無沙汰にするといい。 小十郎は言い捨てて、固まっている佐助の両手をおのれの腰から剥がし、再び障子を開いて座敷に入り、からりときっちりそ れを閉めた。佐助はしばらくその場で固まってから、「ちょっと待ってッ」と座敷に入り込んだが、かちゃりと小十郎に刀の 切っ先を向けられてまた固まった。 「来るな」と小十郎は言う。 「もう赤目と赤毛は間に合ってる」 「あんたにとっての俺はそんなに局所的なもんですか!」 「おまえに他に何があるってェんだ。精々が子種くれェだろう」 「ひどっ」 「それももう要らん」 小十郎は弁天丸の腕のなかからひょいと赤児を持ち上げた。 幸と弁天丸に視線を向け、「名は決めたか」と問う。こくりとふたりは頷いた。「とすけです」弁天丸が言う。「ははうえの 『じゅう』に、ちちうえの『すけ』です」幸が続ける。ふうん、と小十郎は鼻を鳴らした。まァいいか、父の面影くれェはあ っていいだろう、名のなかに。小十郎は十助の脇を持ち上げて佐助の前にずいと押し出した。 「あ、ぁう」 「良く見ておけ、十助」 これがおまえの父だぞ。 「もう見ねェと思うから、まァ脳裏にくれェ刻んでおけ」 かくりと十助の首が落ちる。 頷いたように見えて佐助はさあと体温を下げた。 「お、―――――俺の子でもあるンですけど」 控えめに口にしてみる。 小十郎はしばらく黙ってから、 「だからなんだ」 と淡々と吐き捨てた。 佐助はてのひらを顔に押し当てて叫ぶ。 「幸ッ、丸ッ、父上捨てられちゃうンだけど助けてッ」 「とうぜんだ、ばぁか、あほ、ゴクツブシ!」 「さいごのはちがうぞ、べんてんまる。ゴクツブシはいえにいてごはんばっかりたべてるひとのことだ」 「そうか、じゃあいえにいねぇこいつは、ゴクツブシですらねえなッ」 「そう」 幸は頷いて、「ゴクツブシにしつれいだ」と言った。 おいおい物凄く四面楚歌じゃねえかと佐助が目を細めていると、目の前の十助が小十郎の腕のなかから身を乗り出して、ち いさな手を佐助へと必死で伸ばしだした。すこし迷ってから佐助はそれを握ってやる。十助はおのれの手と佐助の顔を交互 に見てから、へらり、と顔を笑みで崩した。 ち、と小十郎が思いきり舌打ちをする。 「懐いてやがる」 「どうしてそう残念そうなんだろう、あんたは」 佐助は小十郎を睨んでから、息を吐いた。 小十郎の後ろに居る赤毛の双子に向かって、ごめん、とつぶやく。 「もうなんも言わずに逃げないようにします」 「なさけねえなあ、ほんとによっ」 「ええっと、後一ヶ月に一度は行くようにします」 「ちちうえ」 幸が言葉を挟んだ。 うそはよくない、と言う。最初から嘘扱いである。佐助はすこし泣きたくなった。幸は立ち上がり、小十郎の横に並んで、 佐助の膝におのれの手をす、と置いた。そしてすこしだけ首を傾げて佐助を見上げる。 「たまにでいいから、ずっときてくれればいい」 それならできるだろう、と幸は問うた。 顔を背けた小十郎がふるふると震えている。佐助はこっそり小十郎の足を蹴った。笑いを必死で堪えているのが佐助からは 丸見えだ。ごめんね、と佐助はまた言って、それに「許してくれる?」と付け加えた。 幸は小十郎の腕から十助をおのれの腕に移す。 そして「ずっとほしかったんだ」と言った。 「おとうとをくれて、ありがとう。ちちうえ」 にこりと笑う。 佐助はしばらく目を見開いてから、笑い返した。 おわり |