その日は登城はなく、屋敷での雑務が済めば例の「着せ替え」が出来るというので佐助は朝から気構えていたのだけ
れども、考えてみれば来るのは遅くても昼である。佐助はそこでおそらく、この屋敷に来てから初めて弛緩した。体
内に多少ではあるが余裕のちいさな欠片のようなものが出来たので、与えられた座敷を抜け出し、そう広くはない屋
敷を見回ってみることにした。屋根裏に潜ると、雪の重みできしきし、きしきしと柱たちが立てるちいさな悲鳴が聞
こえる。佐助はそれにうっとりと耳を澄ませた。薄暗い空間、埃に満ちた空気、腐った木と湿気の匂い。久方ぶりの
屋根裏は佐助にとってまるで涅槃のごとき居心地の良さだった。
小十郎の屋敷は、そう大きい物ではない。
小十郎の寝所に政務室、離れとして茶室があるのが多少豪奢な位で、あとは家人と足軽の座敷があるだけである。当
然のことだが妻も居ないので奥間もない。衣装部屋があるので潜り込んでみた。葛籠が山と積まれ、打掛が幾つか吊
るされている。衣装の匂いが充満している。おそろしい量の葛籠である。今まで見た大名の娘たちの衣装部屋とも引
けを取らぬ用だ、と佐助は思った。おそるおそる葛籠の数を数えてみる。相当着た自負はあるのだが、それにしても
目の前にすべて連ねられると圧倒される。

「―――さすがに、今日で終わるよな」

返事は当然だがない。
佐助はうんざりと肩を落とし、葛籠の蓋を忌々しげに叩く。小気味よい音が鳴った。その上にもまた葛籠が乗ってい
る。その上にも乗っている。佐助は座敷の真ん中に座り込み、聳える葛籠を呆気に取られたようにただ見上げた。
よくもまあここまで、と佐助はちいさくつぶやき、胡座を掻いた膝に肘を突いて目を細める。良家の姫君であれば解
るけれども小十郎は世間では女ですらない。着たことはないと小十郎も言っていた。では、と佐助は思った。
では佐助の目の前に聳えている衣装たちは、佐助が袖を通すまでは誰も着たことがなかったのだろうか?
咄嗟に佐助は背を伸ばした。
なんだか急に背筋が寒くなってしまった。
いやいや、と思い直す。そんなわけはない。ではこれらが何の為に此処に存在しうるのかが謎になってしまう。きっ
と母か姉か、いずれ彼女の血に連なる誰かの物だったのであろう。そうであれば合点もいく。彼女の母だか姉だかは
女の出来損ないのような小十郎にこれらを押しつけた。そして矢張り女の出来損ないである小十郎はこれらを着なか
ったのだ。

「ああ、でも」

さる御方。
と、小十郎は言っていた。
肉親をそんなふうに呼ばわる女だろうか、あれは。
佐助は胡座を掻いたまま右に体を傾け、顔を難しくして考えてみた。主に対して慇懃な口調であったことは記憶して
いるが、家老であるからだろうか、明らかに彼女より大身であろう武将たちに向かってもまったくそれを感じさせぬ
雑な口調であった。しかし解らない。武家の親子関係などというものはおよそ常人からは見当も付かぬ世界の物で、
もちろん佐助にとってもそれは雲上の更にその上の話でしかない。
考えたところでなんだろう。佐助は考えるのを止めた。
右に傾いでいた体を真っ直ぐに戻し、立ち上がる。そろそろ小十郎が来るかもしれない。
佐助が客間に戻ろうと屋根裏をうろうろとしていると、ふと、耳が音を拾った。

「―――要りませぬ、と言った筈だが」
「しかし、此方としても受け取って頂かなければ。此処と城とをもう三遍も往復致しました。これ以上は勘弁しとう
 ございます。どうかお受け取りを」
「参ったな」

小十郎の声である。
おお、と佐助は目を丸め、声のする方へと進んだ。応接間である。天板を外すと、小十郎となにやら初老の商人らし
き男が真ん中に葛籠を置いて対峙していた。

「見るだけでも、どうか。どうしても片倉様へとの仰り、此方も贅を凝らしての特注でございます。すごすご持ち
 れというのはあんまり殺生ではありませぬか」
「泣き付かれても困る。俺が頼んだ物ではない。依頼主に渡すが筋だろう」
「もう何遍も申しましたが、彼方様もまったく同じ仰り様で。片倉様はこの爺にまた城への階段を上れと仰いますか」
「だから泣き付くなと言ってる」

呆れたように小十郎は首を振り、ほう、と息を吐いた。小十郎は腕を組み、正座をして上座に座している。その様が
いかにも清廉で、佐助はまたうっかりとしばらくの間見とれてしまった。
刻が、その間に流れたようである。
小十郎が不意に口を開いた。

「相解った。これ以上おまえの体を虐める訳にもいかん。此方で受けよう」

商人が躍り上がって平伏した。

「ありがとうございます、ありがとうございます。ああ、助かりました」
「あァ、鬱陶しい奴だな。頭を上げろ。受け取るからとっとと帰ると良い」
「はい、喜んでとっとと帰らせて頂きまする」
「そうしてくれ」

小十郎の疲れた声に前後して、商人は礼をして退がっていった。
残された小十郎は脇息に体をもたれさせ、残された葛籠を見ているようだった。佐助はうんざりとその葛籠を見下ろ
す。あれでまた佐助が着る衣装が増えたのだ。誰だか知らぬが余計な真似を、と佐助は憎々しげに顔をしかめる。
誰だか知らぬが、
そういえばこれは「さる御方」からの物だ。

「―――困った御方だ」

ぽつりと小十郎がつぶやいた。
佐助は小十郎が何かを喋った事に驚いてしまって、その声に籠るいろのようなものを判断するのがすこし遅れた。そ
の間に小十郎は立ち上がり、葛籠の傍に寄る。そして蓋を開けた。中には打掛が入っている。代赭にところどころ雀
茶が濁り、裾と袖に梨の小枝模様があしらわれていた。良いのだか悪いのだか、勿論良いのだろう。佐助は濃い朱が
なんとはなしに小十郎の浅黒い肌にも映えそうだと思うくらいである。
小十郎は打掛を手に取り、しばらくじいと見下ろしていた。恭しい、まるで宝物でも扱うような手つきでゆるゆると
生地を撫でている。佐助は急になんだか居たたまれなくなった。小十郎の長い指が生地を撫でる。行きつ戻りつ、行
きつ戻りつ、折に一箇所で留まり、指がくゆりくゆりと折れては生地を撫で回す。佐助は耳を擦った。やたらに首の
後ろが熱い。
なんだか卑猥に見える。
小十郎のせいか佐助のせいかは解らない。首を振って佐助は視線を再び下へと落とし、

「あ、」

思わず声が出た。
咄嗟に佐助は口をてのひらで押さえ、素早くその場から離れた。客間まで戻り、座敷に降りて隅に座り込み胸を抑え
る。心の臟が騒いでいる。中になにかが居るように騒いでいる。ひとりではなく、五人か七人かそこら居てもおかし
くない。佐助はきょろきょろと辺りを見回した。誰も居ない。
髪を掻き上げ、深く息を吸おうとしたら失敗して途中で引っかかった奇妙な呼吸になった。佐助は咳き込み、それか
ら手を胸から外して額に手の甲を押しつけた。ひやりとつめたい。
顔が熱くなっている。

「なんだ、あれ」

ようよう落ち着いた呼吸で、佐助はつぶやいた。
目を瞑ってみる。先刻見た光景がするりと瞼の裏に潜り込んでくる。小十郎が打掛を持っていた。

そして小十郎はその打掛に口付けた。

恭しく、荘厳に、厳格に、儀式のようでもあり睦事のようでもあったが、兎も角小十郎は打掛に口付けていた。佐助
はそれだけ目にして逃げ出したので、それがその後どうなったかは解らないけれども、小十郎は生地を指で撫で口付
けを落とし、―――佐助は耐えきれずに目を開いた。
あれじゃ、とつぶやく。
あれじゃまるで、

「情交だ」

佐助は口を閉じて、一緒にまた目も閉じた。







































「さる御方って、伊達の殿様だったんだね」

佐助は桜の文様があしらわれた襦袢を纏いながら、さり気ないふうを装ってそうつぶやいた。
背後で小袖を持っていた小十郎がすこし体を固める気配がする。しかしそれはすぐに終わった。小十郎は佐助が襦袢
を纏ったのを確認すると、小袖を肩へと被せ、前へ回って今度は朱色の名古屋帯を葛籠から取り出して背に回してく
る。そうしながら、何処かで聞いたのか、と問う。

「ううん、なんとなくそう思っただけ。違ったかな」
「いや、その通りだ。全て政宗様からの賜り物だ」
「今までのも、全部」
「そうだ」

きゅ、と帯を締められる。
小十郎はうっとりと目を細める。こういう着方も悪くねェ、と言う。肌が薄いといろの薄いものも映えて良い。そう
言って小十郎は佐助の手を取り、立ち上がらせた。そして自分はすこし下がり、口に指を添え下から上まで眺め、ひ
とつ満足げに頷いた。
佐助は小十郎を見上げ、また口を開く。

「どうして着ないの」

小十郎は不思議そうに首を傾げた。

「前に言わなかったか。着る意味も場所もねェ。よし、次だ。脱いで良いぞ」
「だって、大事なご主人様からの賜り物だろ。着て見せてみようとか、そういうふうには思わないの」

佐助は帯を解き、小袖を脱いで背後の女房にそれを渡しながらまた問い返す。小十郎は佐助にとっては両方とも赤い
小袖でしかないものを二枚どちらを先に着せるかを見比べながら、愉しげに肩を揺らして笑い声を立てる。おまえは
ほんとうに面白い事を考える女だな、と言う。

「見せてどうする」
「どうするって、だってあんたに着せたくて殿様はこれを送ってくんでしょうに」
「だからって俺がこれを着るのか」

あははははは。
と、小十郎は快活な笑い声を上げた。

「そして政宗様にお見せするのか、俺が。あははは、面白い。そいつはさぞ、良い見せ物になるだろう。化粧でもし
 てみせればもっと面白ェだろうな。宴席ででしてみせりゃ、政宗様も喜ばれような。あの御方はことに質の悪い冗
 談がお好きでいらっしゃるから」

だからこうしてこんなものを送ってくるんだと小十郎は笑いながら小袖のひとつを横に居る女房に渡した。顔はまっ
たく常と変わらない。笑みのいろも変わらない。目も変わらない。
それがやたらに恐ろしい。
佐助は首を大きく左右に振った。

「そういうことを言ってンじゃねえよ、そうじゃなくッて、そうじゃ、」
「そういうことなんだよ」

小十郎は佐助に赤い小袖をゆるりと開いて見せて、言う。

「俺がこれを着るというのは、そういうことなんだよ」

小十郎は袈裟切りでもするようにすっぱりとそう言って、それから顔を笑みから元に戻した。佐助は身を竦めた。小
袖を持った小十郎がふわりと着物を翻し、さらりと佐助に被せてくる。それから首を傾げ、不思議そうにどうした、
と言う。
手がほおに触れた。

「顔が青い。冷えるか」

佐助は首を振った。
小十郎はふうんと鼻を鳴らすと、もう片方の手も伸ばし逆のほおにてのひらを当てた。そしてゆっくりとさすり出す。
元に戻せ、と言いながら。

「そんな顔じゃァ、折角の着物が台無しだ。朱はおまえさんにいっとう合うってのに。おい、火鉢をもひとつ持って来い」
「いいよ、べつに寒くない。離しておくれ」
「なら早くいろを戻せ」
「戻せ、って、言われて戻るもんでもないでしょう。ちょっと、痛いよ」

佐助はちいさく身動いだ。
小十郎は不満げに顔をしかめ、渋々という体で一歩体を引いた。佐助は小袖をぐいと引き上げ襟を合わせる。そして
唇を噛み、また顔を上げた。小十郎の顔が一挙にぱあと晴れる。

「戻ったな」
「大丈夫だって言ったでしょうに。ほら、早くしなよ。俺様早く帰りたいンだって」
「あァ、解ってる」

小十郎は嬉しそうに打掛に手を伸ばしている。佐助は息を細く細く、喉から絞り出した。そうではない呼吸というも
のが不思議と思い浮かばなかった。小十郎が浅黄色の打掛を佐助にゆったりと掛けてくる。そして身を屈め、佐助の
体をくるりと動かし、備え付けてあった姿見の鏡に全身を映し込んで、耳元でうっとりと良く似合う、とつぶやく。

「朱い髪と小袖が、誂えたようじゃねェか」
「俺は」
「うん」
「俺は、俺には、そうは思えないな」
「そうか?」
「だって袖も裾も、この間も言ったけどてんで合わないじゃねえか。おかしいよ。なんだか滑稽だよ」
「そんなこたァねェさ」
「あるよ」

佐助は小十郎の手からするりと逃れ、打掛を脱いだ。
そして小十郎に突きつけてやる。

「着ないなら、棄てちまえよ」

小十郎は目を丸めて佐助をぼんやりと見ていた。佐助は目を細め、下を向く。そのままで、だってあんたにとってこ
れは馬鹿にされているように思えるんでしょう、と言う。

「だったら、棄てればいい。こんなふうに後生大事に取っておいてどうすンの?なんだか気持ち悪いんだよ。どうし
 てあんたに誂えた着物を俺が初めて着なくちゃなんねえんだよ。あんたら主従のことなんか、俺は些っとも知りま
 せんがね、巻き込まないでくれませんか。真っ平御免だ」

打掛を小十郎に突っ返し、小袖も脱ぐ。佐助は小十郎から視線を外したまま襦袢一枚になった。そして小袖も小十郎
の胸へ押しつける。そこで初めて顔を上げた。小十郎はまだ間の抜けた顔をして佐助を見下ろしている。
佐助はくしゃりと崩れた笑みを浮かべ、すこしだけ首を傾げた。

「他の男があんたの為に作った着物を着るなんて御免だよ」

言ってから、おかしなことを言ったと佐助は思った。
「他の」男ってなんだ。
「他の」。何の「他」だってんだ?
小十郎は押しつけられた小袖と突っ返された打掛を見下ろし、ぼんやりとしている。何故佐助が憤っているのかまる
で解らない、というような顔をしている。佐助は顔を歪めた。怒りではなく、かなしみのようなもので呼吸がひどく
困難になる。明確にかなしみではないが、添わせるならばかなしみがいっとう近い形をしている。
小十郎はしばらくそのように固まってから、小袖と打掛を女房に渡し、改めて佐助を見直した。

「どうしておまえはそう、すぐ腹を立てるんだ」

そしてそう言った。
佐助は歪めた顔のまま、何も言わずに黙り込む。

「解らんな。棄てる?どうしてそうなるんだ。政宗様から頂いた物を棄てる。おかしなことを」

小十郎は首を傾げ、それからしゃがみ込んで足下にあった風呂敷を持ち上げ、佐助に手渡した。中には佐助の忍装束
や防具が入っている。佐助は矢張りそれを黙ったまま受け取った。
小十郎は困惑したように、眉をかすかに寄せた。

「どうも、気分を害しちまったようだな」

気に触ったなら、悪かった。
小十郎はそう言って、首を竦めた。女房に衣装を仕舞うように言う。佐助は黙ったまま忍装束に着替え、防具を身に
付けた。小十郎はそれをじいと見下ろしていた。視線が刺さるようだったが、佐助は構わずに全て纏う。
完璧にしのびになり終えると、小十郎はほうと息を吐いた。

「もう行くのか」

佐助はすこし迷ってから、頷いた。
小十郎はそうか、と言って、それから猿飛、と佐助を呼んだ。

「有り難う」
「―――なんだって?」
「いや、着物をな。着てくれて、有り難かった」

小十郎は笑みを浮かべ、腕を組んで女房たちが仕舞い込んでいる着物たちに視線を落としている。いとおしげな慈し
むようないろを孕んだ視線に、佐助は眉を寄せた。
小十郎は佐助を見ていないので、佐助のそういう顔に気付かない。

「政宗様はご冗談でこういったものを逐一贈ってくださるんだが、頂いた以上は棄てるわけにもいかねェ。だからと
 いって着る訳にもいかん。でも政宗様に頂いた物だろう。埋もれてるのは、心苦しくて仕様がねェ。ずうっとどう
 していいやら頭を抱えていたんだが、おまえの御陰で大層助かった。矢張り着物は着なくては駄目だな。女が着る
 とただの生地がああも美しくなるとは、ついぞ知らなんだ。流石政宗様は、なんにせよ趣味が良くてらっしゃる」

嬉しそうに言って、小十郎は顔を上げた。

「他の女に着せようかと思ったこともなかったわけじゃねェんだが、一応これも俺の戦で立てた手柄という名目が付
 いている。その重みが解らねェ女には着せたくなくてな」

だから、おまえならいいと思ったんだ。
戦忍のおまえなら。
小十郎はそう言って、首を傾げる。それがおまえにとってそうも不快とは知らなかった、悪かったな。佐助はしかめ
面のまま小十郎を見上げ、そして首を振った。どうした、と問われても尚首を振り続けた。
片倉小十郎は奇妙な生き物だ。
佐助は首を振りながらそう思った。
そして、ごめん、と言った。

「ごめん、不快だとかそういうんじゃなかったんだ。たださ、あの、そう、俺早く帰らねえとって思ったら苛々して、
 それで酷いこと言っちゃったンだよ。ごめん、ほんと。べつにあんたがどうとか、そういうのは全然」

なんで言い訳をしているんだろう、と佐助は遠いところで思った。
不快だったのも気に触ったのも気分を害したのもすべて事実である。小十郎の言葉を否定する意味はまったくない。
小十郎は佐助の言葉にすこしだけ嬉しそうに眉を上げた。

「そうなのか」
「そうなんだよ」

ちがう、と佐助は思った。
けれども口から出てきたのは間反対の言葉である。

「着物着るのは―――そりゃ、もうしばらくは遠慮したいけどさ、でもべつに嫌だったわけじゃ」
「じゃあ」
「うん」
「じゃァ、」

小十郎は佐助の肩を掴んだ。
ひりつくような感触に佐助は息を飲む。小十郎は佐助を覗き込み、じゃァまた気が向いたら、と言う。その顔は期
待が滲んで、浅黒い肌でもほのかにほおが赤らんでいるのが解った。

「気が向いたら、また来ちゃくれねェか」

佐助はすこし間を置いた。
脳裏に不意に小十郎が生地に口付けていた光景が浮かんでくる。佐助は目を細めた。そして息を深く吐いて、首を
振ってやれやれ、と殊更大きく声を出して態とらしく両手を持ち上げる。

「また着せ替え人形になれってんでしょう。仕様がないな。気が向いたらね」

どうしてこんなことを言ってるんだろう、と佐助は思った。
小十郎は飛び上がらん勢いで喜んでいる。ほんとうか、と言う。ほんとうだよ、と佐助はいかにも呆れたように言
っている。どうしてこんなことを言ってるんだろう?
それはもちろん、佐助には解っている事柄である。
佐助は小十郎の手をやんわりと肩から外し、一歩下がった。

「さ、俺はもう帰りますよ。来るにせよ、また今度のお話さ。それでいいね」
「あァ、―――そうだな。長く引き留めて、悪かった」
「まったくね。まあ、此方にも恩はあるんだもの。助けてくれて有り難う。世話になったね」
「あァ、」

またな、と小十郎は言った。
気が向いたらね、と佐助はそれに被せた。




































片倉の屋敷を後にして、佐助は駆けれるだけ駆けてからようやく立ち止まった。
息が荒い。ただし体温はおそろしく低かった。何をしてしまったんだろう。佐助は傍にあった木に背をもたれさ
せて、考えてみた。俺はどうしてあの生き物の言う事を聞いてしまったんだろう?
月はなく、星だけがやたらにきらきらと煩い夜だった。
佐助はずるりとしゃがみ込み、息を細く吐き出した。

「ああ―――くっだらねえ」

頭を抱え、呻く。
嫉妬だ。これは嫉妬だ。
佐助は伊達政宗に嫉妬した。
小十郎にとって、あの着物が大切である要素はあれが政宗の寄越すものであるからという、それだけしかない。
ではあれは政宗である。小十郎はあの生地を愛撫して口付けて、そうして実際のところは主と睦いでいるのだ。
自身を嘲笑している―――すくなくとも小十郎はそう思っている―――あの数多の衣装で!
佐助は肩を指でなぞり、それから首までてのひらを滑らせた。小十郎が触れた場所である。あの指はおそらく主
には触れぬのだろう。そんなことをする生き物ではない。
けれども生地を触れることで、小十郎は主を愛撫する。
佐助は口元を歪めた。
腹の下がぐるぐると渦巻いている。

「馬鹿な女」

あれは女だ。おそろしく女だ。
けれどもどうしたって女になりきれないのだから、生き留まるしかない。
政宗はほんとうのところはどうなんだろうか、と佐助は思った。独眼龍はほんとうにあの女を馬鹿にしてあんな
量の衣装を贈っているのか。そんなことはありえないだろう、と佐助は思った。上等な生地だった。どれもこれ
もが贅を凝らしたものであるくらいのことは佐助にも解る。あれは、酔狂でひとに贈るものではない。でも小十
郎にはそういうことが解らないのだ。
そういう生き物なのだ、と佐助は思った。
佐助は息を吐き、立ち上がった。俺も馬鹿だとつぶやく。俺も馬鹿だ。片倉小十郎は、奇妙な生き物だ。生地と
睦いで、明らかに意味のある着物を他の女に着せる。その女が、「他の」女では、佐助はどうも嫌らしい。ああ、
とうんざりと息を吐く。嫌な予感はしてたんだ。男だか女だか、もうそんなことは途中から混ぜこぜでどうでも
よくなってしまった。
佐助はもう、思うだけである。

小十郎が触れるならば、其れは自分であるべきだ。

それが例え、主と睦ぐ為の布を着せる、その瞬きの間の接触であったとしても確かに小十郎のあの荒んだ大きな
手は佐助に触れ、佐助の肌を騒がせ、佐助の熱を的確に上げるのだ。小十郎が見るのは佐助の着る主からの賜り
物が生きる姿であろうけれども、着せるのならばおまえがいいとあの女は言っていたではないか。おまえしかい
ないと思ったと、
もちろんそれは、着せ替え人形の話である。
そこに佐助が勝手にすこし、意味を加えるだけの話だ。恋だか同情だか判じかねる奇妙な意味を、指先につまむ
ほどかすかに、こっそりと、

「嗚呼まったく馬鹿馬鹿しい」

佐助はつぶやいて、笑おうとしたがすこし失敗してしまって、結局は不格好な咳をひとつ、した。






























おわり


       
 





にょこじゅは全てこじゅの1.5倍です。
キモさと怖さと伊達への愛とそれから切腹決断までの早さが主にそれに含まれます。


という、私のにょこじゅ設定炸裂話でした。
にょさすは基本的に私の中でかわいこちゃんなので、佐助の十倍は被害者臭が増します。

空天
2008/11/25

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