唄 の よ う に     彼 の 人          は 












腹が減った、と思った。

むくりと体を起こしてまわりを見渡す。洞窟の入り口からははらはらと舞う白いものが見えて、冬なのだと知った。
随分長く寝てしまったらしい。
ふわ、と身を伸ばしてあくびをする。

「はらへったー」

つぶやく男は、一見ただの男のように見える。
が、その頭にはふたつの動物らしき耳が生えており、尻からはふわふわと尻尾も生えている。男はその尻尾を揺らし
ながら起き上がり、傍らに置いてある羽織をふわりと羽織る。羽織には贅沢な刺繍がほどこしてあり、いっそ悪趣味
なほどに華美であったけれど、その鮮やかな朱は男の赤毛にあつらえたように映えた。


男の名を猿飛佐助という。
齢二百歳の狐である。


佐助は住処である洞窟を出て、裸足のままに雪の降り積もった山を下る。まっしろに塗り替えられた木々の中で、佐
助の着る羽織の赤はいっそ血のようだったがたとえ誰かがそれを見ても気付くことはない。それほどに佐助の駆け足
は早く、見えたとしてもそれは赤いなにかが目の前を通り過ぎたようにしか見えぬだろう。
鼻歌を歌いながら佐助はひょいひょいと木の根を飛び越え、里を目指す。

目的はひとつ。


「おしょくじー」


誰にともなく言う。
佐助は狐だ。もちろん普通の食べ物も食べる。が、佐助はあまりに長く生きすぎた。人間とて動物とて、無意味に長
い時が生命体に与える影響は往々にしてろくなものではない。
普通の食べ物でも、佐助は生きていける。
だが、ならばより美味なものをと欲深いものならば当然望むように、佐助も長い生のなかで、おのれにとっての最高
の美食を求めそして見つけた。ならば、それを望むことはあまりにも自然なこと。



佐助の好物は

人の精気、だ。



ぺろり、と唇のはしを舐める。
前回起きたのはいつだっただろう。大抵食事を済ませると佐助は長い眠りに入る。
もう長く生きすぎて起きていてももはや退屈で幾度も繰り返される生活しか佐助には待っていない。昨日と今日と明
日が同じだとわかって、そのうえでどうしてそれを生きていこうと思えるだろう。
佐助はすくなくとも思わなかった。
人の精気を求めるのもそのためだ。ひとりから十分な精気を吸えば、すくなくとも十年は眠れる。おのれの命の期限
がいつまでかなどは知らぬが、それまでの期間を出来るだけ縮小したいと思うことは卑怯とは言えぬだろうと佐助は
思う。

(いきのいい、できれば、若い男)

女の精気は不純物が多い。できうるならば男のそれのほうが長持ちする。
里に降り立って、家屋のかげに身を隠した。
まだ朝もはやい。人影は見えぬ。もうすこし待つか、と思ったしゅんかんに、

「あ」

佐助の視界にちらりと人影がうつった。
さ、と更に身を隠す。人影はある家屋から出てきて、そこから村はずれへと歩いていくようだった。遠目に見てもそ
の影は大きく背中が凛と伸びていてひどく精錬だ。佐助は口角をにぃ、と吊り上げる。

ーーーーーーーーーーーーあれにしよう。
























男は手に持っていた野菜をどさりと土間に降ろした。そのうちの大根と人参を一本ずつ取って、かまどに向かう。皮
を剥いて一口大に切り、すでに煮しめていた鳥の鍋に放り込む。
それを見届けてから男は板間にあがって、囲炉裏に火を入れた。ぱちぱちと灰が爆ぜる。それを男は黙って見る。

かたん、と入り口から音がした。
それに男は振り返る。が、そこには誰もいない。風かと思ったが外は静かに雪が降っているだけでなんの音もない。
男はしばらく板間に座り込んだまま入り口を眺め、そして立ち上がった。

「誰か」

いるのか。
なにも応えぬ。応えぬが、男はそのまま其処へ向かった。入り口から顔を出して左右を見渡し、なにもないことを確
認する。いちど首を傾げ、が、冷たい風に身をすくませてすぐに体を引っ込める。しゅんしゅん、とかまどで鍋が蒸
気の音を立てている。
火を弱めようと竹筒を持って振り返り、

男は目を見開いた。



最初に目に入ったのは痛いほどの朱色の羽織だった。
次に意識したのはその頭に生えたふたつの耳。あきらかに獣のそれ。






そして笑みを浮かべる白い顔。






それは男を嘗め回すような視線で見て、それからかくりと頭を下げた。

「はじめましてー、どもども」

腰を曲げたからか、その後ろについていた尾まで視界に入る。ひょこん、とあがったそれを男は呆然と見つめ、それ
がまた下がるのもそのまま目で追った。
白い顔をしたその半獣人はにやにやと笑いながらひたりひたりと近づいてくる。それがいっぽ近づいてくるごとに男
もいっぽ遠のくが、男の家屋は広くないというか、狭い。すぐに下がる空間はなくなり、がたんと襖に背が当たる。
するり、と半獣人は男の懐まで入り込み、そして笑った。

「おにーさんおにーさん、一人でこんな村はずれに暮らして寂しくない?」

つ、と男の首もとに指がはしる。
かすかにはしった痛みに男は眉をひそめる。爪が長いのだろうか、きぃと皮膚が切り裂かれるような感触がした。と
っさにその腕を掴み上げる。しゃらん、と鈴の音がした。手首で装飾品の腕輪が揺れている。
かなり強い力で掴んでいるはずなのに、それは笑みを顔に貼り付けたまま微動だにしない。

「ね、今日は寒いじゃない」

おにいさん冷たいよ、と笑いながら男の耳まで指が滑り込んでいく。
ぞくりと背筋になにかが走ったのを感じる。あっためてあげよっか、と言うのを男は思い切り振り払った。が、それ
はくすくすと笑いながらいつのまにか離れたところに立っていて、男の腕は空を切る。

「てめェ・・・」
「『なにもんだ』」

ひどく楽しげに笑う。
まるい目が細くなり、唇はまるで下弦の月のように歪められている。
やはりそれは、笑いながら言った。



「俺はね、きつね。
 おっと危害を加える気はないんで、その物騒な筒は降ろしてくれると助かっちゃうんだけど」



その言葉に男は目を見開いて、黙り込む。
まさか、と言おうとしたが事実男には獣の耳と尾がついている。きつね、と男はつぶやいた。それは、狐は嬉しげに
ひょいと跳ね上がってくるりと回った。
その拍子に風がざわりと座敷内をつむじ風のように巡る。

「・・・・・っ」

男はその風に腕で身構える。が、狐がくるりと回り終わると風もやんだ。
わかってくれたかなぁと狐はひょいと首をかしげて男の顔を覗き込む。

「それでね、ちょぉっとご相談なんだけどさー」
「そうだん・・・?」
「そーそー。や、おにーさん丈夫そうだし、強そうだし、ぜーんぜん大したことないご相談なんでご安心あれー」

軽いな、と男はどこか混乱した頭で思った。
へらへらと笑う狐はその長い腕をひゅるりと伸ばして男の首にそれを絡ませ、顔を触れ合う寸前まで近づけ、ちいさ
く囁く。








「ねぇおにーさん、俺を抱いてみない」





















羽織はわざと緩ませてある。

もちろん男と男だ。相手が簡単に応と言わないこともあるだろうが、大抵は佐助がこうやって絡まってくれば思うが
ままになる。それはべつに佐助が特別に性的魅力にあふれているわけではなく、単に年長けた狐にそういった能力が
備わっているというだけのことだ。生命体の種類の単位で、男を誘う能力がある。要するにみな考えることはおなじ
なのだと佐助は思っている。
いまだ呆然としたような顔をしている男のくちびるに、佐助はおのれのそれを重ねようとすこしつま先だった足元を
更に立てるために力を込めようとした。


そのしゅんかんに、
ぐい、と佐助の首元に力が加えられた。


「ぇ、わ」

首を絞められるのか、といっしゅん佐助は身構える。
が、首に感じられるかと思った圧迫感は襲ってこない。かわりに、きゅ、と襟元が締められた。というか、緩んでい
た羽織の襟が正された。きょとんとおのれの首下を見下ろす佐助に男は呆れ返った、というふうに言う。

「坊ちゃん、悪ィが俺は朝っぱらから冗談に付き合う気はなくてね」

正した胸元をぽんぽんと叩かれる。
佐助はそこでようやっとあやされてしまっている状況に気付いて、あわてて男の腕を掴みなおした。が、男はそれを
ひどく鬱陶しげに振り払う。

「しつけぇ」

発せられる言葉は短く、冷たい。
佐助は困惑しながらも折角の食事を逃すまい、と冷静さを保ちながら笑みを浮かべる。相変わらず男はいやな顔をし
ているが、これくらいの反応は佐助とて予想していた。
手を印の形にむすび、術をかけて姿を変える。男はいっしゅん目を見開いた。急にひとまわりちいさくなった佐助を
じぃと見つめる男の手を無理矢理にとって、おのれのふくらんだ胸元に持っていく。

「これでも?」
「・・・そういう話以前の問題だろうが」

獣とまぐわう気はねぇよと男は言う。
そのことばに、佐助はすぅと目を細める。
今回は外れだ。これ以上粘っても無意味だと判断した佐助のあかい目はひどく冷たい。

(あぁ、はやく眠ってしまいたいってのにさ)

この男でだめならば、他を探さねばなるまい。
あーあ、と大きく佐助は息を吐いた。
 
「お邪魔しましたねー・・・っと」

ならば長居は無用と佐助はひらひらと手を振りながらとん、と土間に降りた。
しゅんしゅんとかまどの鍋が湯気を立てている。それを横目に見ながら佐助はしろに包まれた外へと出ようと歩を進
めた。かまどには鍋の他に釜もすえられていて、ああ、朝餉なのだと思う。
朝餉や昼餉や夕餉などと、そんなふうな食事をしなくなってどれくらい経つだろうとちらりと思い、やめる。

「おい、狐」

裸足の足を雪へと埋めようとしたところで、呼び止められる。
もちろんそれは先ほどの男で、振り返った佐助は不審さに首を傾げた。声を掛けた当人も、おのれの行為におどろい
たように切れ長の目を見開いて、すこし視線を彷徨わせている。

「なんか、まだあんの?」

抱いてくれる気になった?と問えば阿呆と返される。ではなんだと言うのか。
佐助の視線に男は決意するように息をひとつ吐き、それから言った。

「飯」
「え」
「飯、食っていかねェか」

男の顔は相も変わらぬ仏頂面だ。
佐助はそれをぼうと見つめながら、言われたことばを必死に組み立てようとする。

飯。
飯を。



ーーーーーーーーーーーーーーーー飯を食っていかないか。



「・・・・・・おれ、に、言ってんの?」



指で顎先を指してみると、てめぇ以外に誰がいる、と男が不機嫌に返してきた。
佐助は指をゆるゆると下げながら、それが完全に下を向く前にぽつりと、いいの、と問うた。男は目をすこしだけ丸
くして、くしゃりとそれを笑みで崩した。

「いいから、誘ってるんだろうが」

しゅんしゅんと鍋が鳴っている。
佐助はそちらにいちど視線をやって、それからまた男に戻す。男は相変わらずどこか、すこし困ったように笑ってい
て、その目がひどくやさしげで佐助は困惑する。
そのとき、くう、と腹が鳴った。

「あ」

押さえるが、すでに遅い。
それに男はくつくつと声をもらして笑いながら土間に降り、碗をひとつ持ってそれに鍋の中身をいくらか盛る。そし
てその碗をぐい、と佐助の前に突き出した。

「食ってくだろう?」
「・・・あー」
「味は保証するぜ」
「えっと、うーんと」

手を胸元まで上げて、それを下げかけ、またそこまで上げる。
宙を行ったり来たりする佐助の腕を男はがしりと掴んで、その手のひらに碗をぽんと置いた。じわりと碗の中身の
温度が手のひらに伝わってきて、佐助の尾がぴょんと跳ねる。
それを楽しげに見ている男に、佐助はなんで、とまた問うた。すると男はほのかに頬を赤らめて、そこにある縦傷を
掻きながらちいさく、

「ひとりよりはふたりのほうが、飯も美味いかと思ってな」

と言った。
佐助はそれを聞きながら、おのれの顔まで熱くなっていくのをなんとなく感じた。誤魔化すようにへらへらと笑って
ちょこんと頭を下げる。

「じゃあ、遠慮なくー」
「ああ、あがってけ」
「あの」
「なんだ」
「・・・・・・・・・・おにーさんは」






「名前は、なんていうの」







片倉小十郎だ、と男は言った。
かたくらこじゅうろう、と佐助は呟く。おまえの名は、と問われたので名を言ったら、

「猿飛佐助な」

と名を呼ばれたので驚いた。
名を呼ばれたのなど何十年ぶりのことかもはや佐助は覚えていない。

(ああ、俺の名前ってそういやそんなんだったなぁ)

すこし熱い頬をもてあましながら、そんなことを思った。



















さるとび、と小十郎は白米の盛られた茶碗を差し出してくる。
それを受け取ったら、やはりじんわりと暖かくて、佐助はひどく困り果ててしまった。









おわり
 




あんまりぬるいのでカプ表記すら躊躇われます ね。
目指したのは日本昔話です。


空天

2006/12/04
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