ひとりは女でひとりは男だ。 佐助は座敷の隅のほうで膝を抱えて、ねえこれってあれかなとつぶやいた。一姫二太郎ってやつですか。 小十郎は文机に向かってさらさらと筆をはしらせながら、二人一緒じゃ意味がねぇよ、と言った。なんだかんだで結局 名は主たちが勝手に付けてしまった。ぐずりだした赤ん坊のひとりを抱き上げて、佐助ははいはい泣かないのゆき、と 声をかける。 女の子は幸で、男の子のほうは弁天丸になった。 「なんか俺とあんたの子っていうより、龍の旦那とうちの旦那の子じゃねえのって感じ」 「いいんじゃねェか」 「まあいいんだけどさ。でもちょっと安易だよね」 「知るか」 小十郎の機嫌は悪い。 政宗はMaridge Blueだと騒いでいる。しかし佐助が見たところ、働き者の家老の機嫌が悪いのはそれこそ主に仕事を取 り上げられて育児休暇を押しつけられているからであって、笑ってしまうほどに小十郎は赤ん坊が出来たことに動揺し ていない。ああ。佐助は幸をあやしながら思う。やっぱりこの男の心の臓は鉄で出来てるんだ。 幸の目がぱかりと開いて、佐助を見上げる。 「目は黒いなあ」 幸も弁天丸も、目の色は小十郎とおなじ夜の色だ。 佐助はそれを覗き込みながら、ちらりと笑った。いいなあとつぶやくと小十郎が筆を止めて振り返る。 「なにが」 「え、目がさ。俺もこんな色が良かった」 「ただの黒だろうが」 「そうかな。うん、そうかもしんないね」 ゆるゆると幸の瞼は下がっていく。 佐助は笑んだままに、でもやっぱりちょっとちがうよ、と言う。 「夜の色だよな。黒よりもっと、深い感じ」 きれいだなあ。 しみじみと佐助が言うと、小十郎が立ち上がって寄ってきた。そして幸を覗き込んで、黒だろう、とつぶやいた。佐助 はちいさく声をたてて笑う。あんたつまんないひとだね。 首を傾げている小十郎の裾を、弁天丸がちいさな手で引っぱる。小十郎はそれを抱き上げた。ちいさな、ほんとうにち いさな手が宙を掴むように揺れて、それから小十郎のほおの傷に触れる。 不思議そうにそれをなぞっている弁天丸を、佐助はにこにこと眺めた。小十郎はそういう佐助を、不思議そうにしげし げと眺めている。 佐助が首を傾げると、 「たのしそうだな」 と小十郎は言った。 「そうですか」 「いやにな」 「だって可愛いじゃない」 「向いてるんだろう」 「あんたは違うの」 「俺は向いてねェ」 小十郎は顔をしかめた。 小十郎の大きな腕には、たしかに弁天丸はちいさすぎた。あんた子供の世話は慣れてんじゃないのかと佐助が言うと、 政宗様はもう九つだったんだ、と小十郎は返す。赤ん坊なんざ触れたこともねェよ。佐助は俺もだよと言いながら、も う完全に眠った幸を寝具のうえにそっと降ろした。 幸村はしばらく奥州に居ろ、と言った。 七日程佐助は言われた通りにしていたが、しかしいつまでもそうしているわけにもいかない。戦はまだ無いが、刺客が いつ幸村を襲うとも限らない。そろそろ帰るよ、と言うと小十郎は黙って頷いた。 幸と弁天丸は眠っている。 「起きるかな」 「さっき寝たばかりだ」 「じゃあ無理か。最後におわかれの挨拶がしたかったんだけど」 「解りゃしねェよ」 「俺がしたいんですよ」 佐助が育てるわけにはいかない。 幸と弁天丸は、小十郎が育てることになった。佐助が育てようにも、小十郎以上に政宗が手放さないだろう。おのれの 子よりも大事にしそうだ。いいなあ、とちらりと思ったが、佐助が引き取ったところで世話することはできぬ。 名残惜しそうに幸の髪を撫でていると、小十郎が苦く笑った。 「永の別れのようだな」 佐助は慌てて首を振る。 「まさか」 「それもいいが」 「来ますよ。俺の子でもあるンだから」 「そうかい」 小十郎は口角をあげて、あんまり来ねェと忘れられるぜと言った。 佐助は顔をしかめて、じゃあもっと来ますよ今までよりいっぱい、と嫌がらせ混じりで吐き捨てる。小十郎は佐助が来 ると大抵罠を仕掛けたり無言で斬りかかってきたり、すこしも歓迎などしないのでさぞや嫌だろうと思って仏頂面をし ているだろう顔を覗き込んでやった。 そうしたら小十郎は眉ひとつ動かさずに、 「そうしてくれ」 と言った。 まだすこし笑っている。 「まァ、家の者に任せるだろうが、慣れねェからよ」 おまえが居ると助かる。 佐助はぱちくりと目を瞬かせた。 しばらく黙ってから、来ていいの、と問う。小十郎は腕を組んで背を壁につけながら、来ねェと忘れられるぜとまた言 った。佐助は首を振り、そうじゃないよと返す。子供じゃなくてさ。 「あんたは」 「俺か」 「あんたは、俺が今までより一杯来てもいいのかよ」 「べつに」 小十郎はかくんと首を傾げた。 「構わん」 そして笑う。 佐助はぽけ、と間の抜けた顔をさらして、それから顔をすこし赤くした。 それを茶化すように赤ん坊のことになるとあんた優しいねと笑うと、小十郎は俺の畑から採れたからな、と返す。佐助 が呆れかえって目を細めていると、それに、と小十郎は続けて、 「それに、おまえの子だろう」 いつでも会いに来ればいい。 佐助はしばらく黙って、それからその言葉に顔をてのひらで覆った。うわあ、と声が漏れる。 うわあ、これはちょっと、反則。 「―――不意打ち喰らった」 「あァ?」 「いやなんでも」 顔が熱かった。 顔を手で覆ったまま、佐助は黙り込む。小十郎が訝しげに覗き込んでこようとするので、誤魔化すようにもうひとり子 供作ろうか今度は俺が産むからさあと言うと思い切り殴られた。 がちん、という音に幸と弁天丸が目を覚ます。不思議そうに佐助と小十郎を見上げてくる四つの夜色の目に、佐助はへ らりと笑ってしまって小十郎も困ったようにすこしだけ笑った。佐助はふたりの頭を順繰りに撫でてやって、それから また会いに来るからね、と言う。 「それまでお母さんと良い子にしててね」 そう言ったら小十郎が俺を母親扱いするなと言った。 じゃあ俺がお母さんでもいいや。佐助は笑って、やわらかいほおに口付けをふたつ降らせた。 おわり |