あめあめふれふれ こんにちは幸です。 最近母上のきげんがわるいです。 弁天丸はびくびくしています。ついでに伊達のみんなもびくびくしています。母上はいしきしていませんが、きげんの わるいときの母上は誰彼構わずにらみつけるので、母上のとおるところにざっくりと斧で割ったように道が出来ます。 「Oh―――モーセか、小十郎」 と、政宗様は言っていました。 モーセって誰でしょう。わたしは知りません。 政宗様も実はびくびくしています。母上は、政宗様に関しても特にえんりょをしないので、きげんがわるいときの母上 のお説教はいつもの二倍くらい長いのです。でもおかげで最近政宗様はせいむから逃げないそうです。よいことです。 ところで、母上のきげんがわるいのは梅雨がなかなか来ないからです。 毎日毎日、空はおどろくほど青いです。 雨はちっとも降りません。ただ、伊達は「かんがいせつび」がしっかりしているので、多少の水不足は大丈夫なのだと みんな言っています。それにまだ水無月も入ったばかりで、まだまだ梅雨に入らないことも当然あるのです。だから母 上以外は特に心配していません。 母上が心配なのは、母上の畑です。 「―――民より先に、俺が使うわけにゃいくまい」 眉間にくっきりしわを寄せて母上は言います。 要するに母上は自分の畑におみずをやることができないのがふまんなのです。 今年はとうもろこしもなすもきゅうりもちゃんと育っていたのに、本格的な夏にはいるまえの今頃にきちんと水を吸わ せてやらないと、台無しなのです。弁天丸もわたしも野菜のことはよく知っているので、母上のきげんがわるいのもよ く解ります。母上の畑の野菜はわたしたちの兄弟なのです。母上はそう言ってわたしたちに畑仕事を手伝わせてくれま す。父上はそれをあんまりよく思っていませんが、わたしはたのしいのでいいと思います。 そういうことで母上は今日もきげんがわるいのです。 「そりゃあ―――伊達も災難で」 いつものようにとうとつにやって来た父上に、わたしと弁天丸は母上のことを言ってみました。 そうしたら父上は困ったように笑って、あのひとは野菜命だからなあ、と言います。たぶん俺より大事なんじゃないの、 野菜。父上は続けてそう言いました。 「たぶん俺がからっからでぶっ倒れてて、横に畑があって、水が限られてたらあのひとは確実に俺じゃなくて畑に水を やるだろうねえ」 「そこまでか」 「そこまでですよ。舐めちゃいけないね、あのひとの野菜への意味の解らない情熱」 「でもははうえは、がまんしてるぜ?」 弁天丸がそう言うと、父上はまたちらりと笑いました。 「あのひとは家老だからね。 誰よりこの国のことを考えてるおひとなんだ」 うっとりと父上は言います。 父上は母上が格好いいとうれしそうになります。ふつうかわいいとうれしくなるんじゃないかと思うのですが、よく考 えなくても母上がかわいいことはあんまりないのでした。父上にとって国の為に畑の水やりを我慢する母上は格好いい ようです。わたしはそれはちょっとよくわかりません。 でも父上がしあわせそうなので、それはそれでいいと思います。 父上はいやがる弁天丸を膝に起きながら、しっかしそんなに機嫌が悪いんじゃこっちも困っちまうなあ、と言いました。 「こないだ甲斐は梅雨入りしたから―――まあ。 あと一週間てとこかねえ。奥州の梅雨入りまで」 「いっしゅうかんか」 「目下今日俺が追い出されるよなあ、このまま行っても」 「だされちまえ」 「可愛くねー口はこの口?」 ぐいぐいと弁天丸の口を引っ張りながら父上は首を傾げます。 どうしたもんかな。父上はしばらく弁天丸の頭にあごを乗せながら眉を寄せて――― それからぽん、と手を叩きました。 「いいこと考えたあっと」 にこ、と父上は笑います。 弁天丸とわたしは首を傾げます。父上は笑いながら、小十郎さんには俺様に任せときなさい、って言っておいてねと言 いました。 梅雨入りは父上が来てから五日後のことでした。 毎日毎日雨が降ります。うんざりです。外に遊びにもたんれんにも行けないし、じめじめしていて首のところがかゆく なります。弁天丸もおんなじところを掻いています。掻きすぎてあせもになったので、母上からもらった軟膏をふたり で塗り合いながらわたしは弁天丸に言いました。 「ちちうえは、なんでもありだな」 母上のきげんは五日前からなおっていました。 なぜかと言うと、父上が畑にしのびの術を使って水を撒いたからです。 どうやったのかと聞いたら、父上はにっこり笑ってしのびですから、と言いました。しのびですから。しのびだとあの とてもとても広い畑に一晩でたっぷり水を撒くことができる理由になるのでしょうか。 弁天丸はそうなんじゃねえの、と言います。 「なんでもありなんだろ」 「しのびだから?」 「しのびだから」 そういうものでしょうか。 でも母上のきげんはすっかりなおりましたし、父上はめずらしく次の日まで奥州に居てくれて―――水不足万歳、と言 っていました。どういう意味でしょう。 雨がざあざあ降っています。弁天丸とわたしは早くそれがあがらないかなあと思います。 そうしたらまた母上について畑に行って、草むしりと虫取りをするのです。それにまた水不足になったら、母上のきげ んをなおしに父上が来てくれるかもしれません。今度はどうやって水を撒いたのかぜったいにちゃんとみような、と弁 天丸が言うのでわたしはうなづきました。 ちちうえはきっとまじゅつをつかえるんだ、と弁天丸は言います。 わたしはすこし考えてから、そうかもしれない、と同意しました。だってあの母上のきげんをなおすなんてまじゅつで もないと出来ないと思ったからです。 ざあざあ降る雨のなか、わたしは父上はすごいなあと思いました。 おわり ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― こはかすがい 父上はだめな男だ。 いろんなところでだめだ。自分の半分があの男からできてるのかと思うと自分の将来がふあんだ。どうして母上のよう なすごいひとがあんな男と一緒に居るのかふしぎでしょうがない。おれがもしもう産まれてて、母上とおなじくらいの 年だったら絶対に父上なんかに母上をわたしたりしないのにといつも思う。 ふしぎなことに妹の幸も父上がすきだ。でも幸は男のしゅみがわるい。だってあの伊達政宗がすきなのだ。妹の将来が おれはとてもふあんだ。 父上はだめなので、よく母上とけんかする。 大体は父上がなにか変なことをしたり言ったりするから母上がおこる。 もちろん全部父上がわるい。母上がわるいわけがないからだ。 母上はでも、けんかしてもあんまり変わらない。父上をざしきから放り出して、その次の瞬間にはもう父上のことを忘 れたような顔をしてる。幸によるとあれはほんとうに忘れているらしい。さすが母上だ。 この間も、父上と母上はけんかをした。 けんかというか、父上が勝手にきれた。 でもこれは―――ちょっとだけ、母上もわるいかなと思う。 戦でけがをしたくせに、政宗様に知らせないために母上はみんなにもないしょにしていたのだ。父上が母上をおどろか せようとして後ろから抱きついたら、いつものように母上からほうふくがくるかと思ったらこなかったので解った。父 上がむりやり着物をはがしてみたら、肩から胸にかけてざっくりと切り傷があったのだ。 幸もおれもその場に居たので、その傷がすごくひどかったのをちゃんと見てる。 「―――あんたさぁ、いい加減にしろよ」 父上は低い声でそう言った。 母上はすこしだけ痛そうな顔をして、それでもなんにも言わずに着物をなおす。 それから父上を見て、おまえには関係ない、と言った。そういうことを言うときの母上の顔はこわくなるくらいにつめ たい顔で、おれはあんまりすきじゃない。横にいた幸がぎゅ、と手をにぎってきたので、おれはそれをにぎりかえした。 幸は強くて頭がよくて、おれなんかよりよっぽどすごいけれど、それでも女の子だ。 こういうときは、おれが守ってやらなければいけない。 父上は目を細めて、ひにくげに笑う。 「関係ない、ね」 「他国の家老の肩に傷があろうとなかろうと、おまえに影響はあるまい」 「ないよ。ないですけどね、それにしたってあんたの国のひとたちにくらい言いなさいよ。 そんな傷負ってさ、いざという時狙われたら終わりだぜ」 「そんなヘマするか」 「―――大した自信だな!」 だん、と大きな音がした。 父上がそこらへんの柱に手を叩きつけた音だ。 母上はそれでもいつもの顔で、どうしておまえが切れてンだ、と言う。そうしたら父上の顔がくしゃりとゆがんで―― ―泣くかな、と思ったらそのまま障子を開いてどこかへ行ってしまった。 母上はそれをしばらく眺めて、ひとつ息を吐いてそれでまた無かったことにしたようだった。 幸がははうえ、と声をかける。 「ちちうえはかえってしまいます」 「帰りたけりゃ帰らせておけ」 「いやです」 幸は強い。 母上はすこしこまったように眉を寄せて、それから首をふった。 「あれが帰るってェなら、俺に止める術はない」 あきらめろ。 そう言って母上も行ってしまった。 のこされた幸はぼう、としている。でもおれにはわかる。これは、ほんとうにかなしいんだ。幸は泣いたり怒鳴ったり はぜったいにしないから、ほんとうにかなしいと表情がなくなってしまう。 父上がいなくたっておれはぜんぜんかまわないけど、幸がそういう顔をするのはだめだ。 「ゆき」 おれは幸の肩に手をかけて言った。 おれがなんとかしてやるからな。そう言うと幸はしばらくだまっていたけれど、 「しんじる」 と言ってすこしだけ笑った。 とりあえずおれはいつも父上がすねると行っている銀杏の木の近くまで行った。 もちろん下からだと何も見えない。 なので、おれはすうと息を飲み込んで、 「おいこら、ばかしのびーッ!!」 とどなった。 がさがさ、と音がして緑色の葉っぱからおれと幸とおんなじ赤い髪がのぞく。 どしたの、と父上はすこし笑った。おれは舌打ちをする。おれは、父上のなにがあってもおれと幸にはぜったいそうい うのを見せないところがいちばんだいきらいだ。 銀杏の木をけって、俺は言った。 「おまえ、ははうえととっととなかなおりしろ」 「あーそれは無理」 父上はこまったように笑う。 おれはかちんときた。かちんときたので、そのままどなる。 「なんでだよ、ゆきが」 手をにぎりしめる。 ゆきがかなしむだろ、とおれは言った。 「―――ゆきは、いつもおまえのことまってんだぞッ」 幸はなにも言わない。 なにも言わないけど、ほんとは父上とずっと一緒に居たいに決まってる。 幸をかなしませるのはみんなおれの敵だ。もちろん父上でも変わらない。必死でにらみつけていると、だまってた父上 は息を吐いてすとんと木の上からおりてきた。それでおれの髪をくしゃくしゃかきまぜて、でも俺だって色々あるんだ ぜ、と言う。 「丸はさぁ、母上がああいうの隠すのとか、いやじゃないの」 「―――いやだけどよ」 「でしょ」 「でも、おまえがかえったくらいでははうえはかわんねーぞ」 「うう、それも確かに」 父上は顔をゆがませて、どうしよう、と言う。 父上の言いたいこともよくわかる。母上は武士だからけがはする。するけど、あんまりはしてほしくない。なのに母上 はちっともそういうことをわかってない。おれは母上みたいに眉間にしわを寄せていっしょうけんめい考えて、それか ら言った。 「たのめ」 「頼む?」 「そうだよ、ははうえにたのめよッ」 「―――俺が?」 父上がいやそうな顔をする。 この男は変な対抗意識を母上に持ってる。ばかだ。どうやったってどうせ母上にはかなわないんだからとっととあきら めればいいんだ。おれは父上の背中をけって、とっとといきやがれ、とまたどなる。 父上はあわててその場からひょいと飛び上がって、他の木に乗り移った。たのめよ、と言うとえええーとまだうなって たけど、そのうち笑ってまあやってみますか、と言った。最初からそうしてればいいんだ。 やっぱり父上はだめだ。 おれは幸のところに戻って、もうだいじょうぶだぞ、と言ってやった。 「ほんとか」 「ほんとだ。ちゃんとしのびはははうえのとこにおっぱらってきた」 「―――そうか」 幸は笑って、ありがとう、と言う。 幸の笑顔はすごくかわいい。それから母上とおんなじくらいきれいだ。 おれはうれしくなって、母上にも会いたくなったので幸にそう言うと、幸はやめておいたほうがいい、と言った。いま はだめだとおもう。 「なんで」 「いま、ちちうえとははうえはなかなおりちゅうだからだ」 「なかなおりちゅう?」 「うん」 とにかくいっちゃだめだ。 幸が何度も言うので、おれはしょうがなく頷いた。 仲直り中の父上と母上のことを考えながら、その日おれは幸といっしょに眠った。 おわり |