馬鹿じゃないの、と言う。
言い返す言葉がないので、代りに小十郎は寝たふりをすることにした。が、布団を剥ぎ取り見慣れた朱いしのびは小十郎を呆れ
顔で見下ろしてくる。小十郎は面倒臭げにちいさく呻いた。

「どうしてあんたは、会う度に新しい傷をこさえてくんのさ。五つの餓鬼でもあるまいに」
「好きでこさえてるわけじゃねェ。第一痛ェのは俺でおまえじゃねェだろうが。夜中にぎゃあぎゃあ煩ェんだよ」

小十郎は起き上がり佐助の握る布団を取り返そうとしたが、起き上がった拍子に真新しい腹の傷がしくりと痛み、思わずそのま
ま頭から倒れ込んでしまった。佐助が慌ててそれを受け止める。小十郎は獣じみた声で唸り声をあげ、痛む腹を抑えながら佐助
の体をぐいと引き離し、布団を掴んで再び潜り込む。
傷は深くもなかったが浅くもなく、上田に着いて早々、小十郎は客間で布団に押し込められている。供には心配され真田幸村に
は案じられ、何処からか話を聞きつけてきたらしい馴染みのしのびは眉を吊り上げて説教をぶってくる。
最悪だ、と小十郎は低く吐き捨てた。

「俺は寝る。おまえも何処かに行っちまえ」
「そうはいくかい。どうしてこんな傷作ったの。落ち武者なんかで、あんたらしくもない」

小十郎は思いきり眉を寄せた。その通りである。落ち武者如きで怪我など、政宗に知られたらこんな恥ずかしいことはない。く
れぐれも供の兵らには口止めをしなくてはならない、と小十郎は思った。
なんか別のこと考えてンだろう、と佐助が不機嫌そうな声を上から浴びせてくる。

「そんなに深くはないらしいけど、もう手当はしてもらったの?」
「―――今、薬師を町に呼びに行っている」
「そんなこったろうと思いましたよ。ほら、起きて」

佐助は小十郎の背に手を回し、ひょいと持ち上げる。腹がしくしくと痛むので、逆らうのも面倒になって小十郎は為すがままに
された。佐助は義務的に小十郎の襦袢を解いて、一応晒だけ巻いてある傷をあらわにして、懐から取り出した薬嚢から塗り薬を
指に掬って患部に擦りつけてくる。鋭い痛みに小十郎は目を閉じた。染みるけど我慢してねと佐助は今更のように言う。遅い。
手際よく手当を終えて、袷を戻してから、佐助は深く息を吐いた。小十郎はそれがどうにも癪に障った。どうしてこんな顔をさ
れなくてはならないのだろうか。そもそもが、佐助の為にあんなことをしたというのに。
それは純粋に、八つ当たりだった。小十郎もそれは解っていたが、口は勝手に開いてしまった。

「おまえが」

佐助の顔が上がる。
朱い目に、小十郎は眉を寄せた。

「おまえが、やさしくなれだのなんだと、意味の解らんことを抜かすからこうなった」
「はあ、なんですかそりゃあ」
「俺には向かねェ、そんなことは。元から解り切ってることだってェのに、おまえがうだうだ陰気くせェ顔でおかしなことを
 言うおかげで俺はこんな怪我してんだよ。その上そんな顔をされたんじゃァ、料簡が合わねェだろうが」
「何言っちゃってンのあんたは。まったく意味が解らない」
「おまえが、」

小十郎はすこし間を置いた。
それからきつく佐助を睨み付ける。

「おまえが、俺がやさしくねェから帰るっつったんだろうが」

元から丸い佐助の目が、更に真ん丸くなった。
小十郎は舌打ちをして、また布団を被ってきつく目を閉じた。腹立たしい苛立たしい。すべてが癪に障る。主の言葉も佐助の望
みも解らない。腹は痛むし佐助はまた怒っている。そういえば秋桜を摘み忘れた。眠ろう、と小十郎は思った。取り敢えずはそ
れがいっとう、何もかもから遠い行為に当たる筈である。
しかしそれは叶わなかった。
上から佐助が降ってきた。

「小十郎さん、それどういう意味?」
「―――知るか、重い。どけ。痛む」
「やさしくなろうとしたの?」

布団越しに聞こえる佐助の問いに、小十郎はすこしだけ黙ったが、そうだ悪いか、と吐き捨てた。
敵兵に弔いくれェしてやろうと思ったんだよ。

「それでこの様だ。笑いてェなら笑いやがれ、阿呆が」
「―――うわあ」
「なんだよ」
「いや、うん、なんていうか」

あんたはほんとうに、解ってないんだなあ。
感心するように佐助が言う。小十郎の苛立ちは益々大きく膨れあがっていく。小十郎は佐助ごと布団をはね除けた。また腹が痛ん
だが、そんなことより余程、佐助に対する憤りのほうが大きかった。

「なんなんだ、おまえは」

おまえの言うことは些っとも解らねェ、と小十郎は怒鳴った。

「謎かけみてェな事ばっかり言いやがって。そんなもんで解るわけねェだろう。きちんと説明しろ。やさしくってなァ、なんなんだ」

解りたいとは思っているのだ。
だというのに、佐助も主もそれを拒むような事ばかり言う。
佐助は困ったような顔をしている。眉を下げてかすかに笑みを浮かべ、怒らないで、と言う。怒っているのは佐助のほうだった筈で
ある。怒ってなどいるかと小十郎は怒鳴った。怒ってるじゃないのと佐助は言った。
佐助の手が伸びて、小十郎の髪に触れた。
小十郎は顔をしかめたまま、花を、と口を開いた。

「摘もうと」
「うん」
「思った。忘れたが」
「花?」
「花」
「どうして」
「やさしく、が、どういうことだかまったく解らねェ」
「それで、花」

小十郎は頷いた。
やさしくなろうとしたの、とまた佐助が問うので、それにも頷いてやる。俺にはなんにもねェよ、と言う。おまえにくれてやるもの
が何もねェ、やさしくだのどうのと言われても、見当も付かん。

「花くらいなら」

そう思ったのだ。
結局摘んでこれなかった。

「馬鹿なおひとだねえ」

佐助はくしゃりと笑って、やわやわと小十郎を抱き締めた。馬鹿なおひと。また言う。小十郎は抱き締められながら、馬鹿馬鹿と繰
り返す佐助を何も言わずに放っておいた。何か言いたいような気もしたが、それより傷に障らぬようにゆるやかに抱き締めてくる佐
助の腕に気を取られてしまった。うんざりするほどこういうことが上手い男だと思った。
佐助ならば、花は手折らずにそこで愛でるのかもしれない。

「向かねェな、矢っ張り」

土台、無理な話だったのだ。

「おまえが言うようには、俺はなれねェな」
「そんなことは知ってますよ」
「じゃ、言うな」
「そうだねえ」

佐助は笑っている。花かあ、と言う。
あんたが俺に、花をねえ。

「ありがとう、嬉しい」
「摘んでねェ。礼を言われる由がねェ」
「思っただけで十分さ。でも「やさしく」ってのは、そういう意味で言ったンじゃなかったんだけどね」
「おまえの言う事は解らねェ事ばかりだ」
「そうか」

佐助はそうと小十郎から身を離した。そして今し方晒が巻かれたばかりの腹に、矢張りそうとてのひらを押し当てる。痛みはなか
った。佐助の手の分だけの重みが乗りかかってくる。佐助は目を細め眉を寄せ、痛々しげにほうと息を吐き、小十郎の右腕に反対
側の手を添えた。

「もう痛みはないの?」

醜く引き攣れた新しい皮膚が曝されている。小十郎は頷いた。一月以上前の傷である。
残るだろうねと佐助は言う。言いながらその傷痕をさすっている。そんなことは考えてみたこともない。佐助は苦しそうな顔をし
て、あんたは気にならないだろうけど俺は気になる、と吐き出した。あんたの肌にどんどんどんどん傷が増えていくのは、俺にと
ってはえらく辛い。佐助は小十郎の腕を持ち上げ、いろの違う傷痕の部分に唇を落とした。
あんたは武士だから、とその体勢のまま佐助は言う。

「傷は誇りなんでしょう。でも俺には、なんだかちょっとずつあんたが削れていくように見えるよ」

そう考えると堪らなく怖い、と佐助は言う。
小十郎は目の前に晒された佐助の朱い髪を見下ろしながら、矢張り男の言う事が解らないと思った。

「だから俺の事はどうでもいいよ。あんたはあんたに、もっとやさしくなってやんなよ」
「―――、俺に」
「そう」
「俺が」
「うん」
「それは、」

小十郎は顔をしかめた。
おまえが言いたい事はそれか、と言う。そうだよと佐助は頷く。ではきっと主もそうなのだろう。
このふたりはいつも、小十郎に解らぬ事を言って小十郎を困らせるのだ。

「無理だ」

と小十郎は言おうかと思って、口を開いた。
しかし言い切る前に口を閉じた。無理と言えばまた佐助は痛ましく顔を歪める。それは見たくない。けれども嘘を吐くことに意
味があるようにも思えなかった。どうあれ、これからも小十郎の肌には傷が増え続ける。
佐助の言い方を借りれば「削れていく」。
しかし片倉小十郎というのは、そういう生き物なのだ。

「―――努めてみる」

取り敢えず小十郎はそう言った。佐助は笑っている。あんたは嘘のつけないおひとだと言う。まあいいですよと言う。そういう
あんたに捕まっちまったのは他ならぬ俺ですからね。
そう言って、佐助は小十郎にちいさく口付けた。

「花を俺に摘んできてくれるつもりだったの?」

すぐに唇は離れ、代わりに問いが降ってくる。小十郎は頷いた。佐助は続けて、俺にやさしくしたかったの、と問うた。それに
も小十郎はまた頷いた。佐助はへらりと蕩けるような笑みを浮かべた。それを随分久しく見ていなかったと小十郎は思った。
佐助はゆっくりと小十郎を布団に横たえてやって、その上から掛け布団を被せる。おやすみ、と言う。行くのかと問うと、困っ
た顔をして掛け布団の上から小十郎の横に寄り添った。

「寝るまで居てあげる。子守唄でも歌いますか」
「阿呆か」
「じゃあお伽話にする?」
「いらねェ。用があるなら行っちまえ」
「そうか、なら来年の話をしよう」

佐助はけらけらと笑い、そうして「来年は一緒に桜を見ましょう」と言った。

「桜じゃなくてもいいけど、まあなんでもいいや。花を見に行こう。あんたは何を摘んできてくれるつもりだったの?」
「―――秋桜だが」
「そりゃあ素敵。秋桜もいいね。それなら明日にでも一緒に見に行けるかもしれない」
「来年の話じゃなかったのか」
「来年も明日も、両方行けばいいだけの話でしょ。花を見に行きましょう。ふたりでね。そしたらあんたはやさしく、俺に接吻
 をしてくれる。俺はもちろんそれにおんなじように返してあげる。言うまでもなく、とってもやさしく」
「夢でも見てんのか、目ェ見開いて」
「来年の話をしてるんだよ」
「俺は知らねェ」
「そりゃ、来年の事だからね」
「おまえはほんとうに腹の立つ野郎だな」
「お褒めにお預かり、恐悦しかり」

佐助の手が小十郎の髪を撫でている。疲れと痛みとその手の感触で、小十郎は見る見る眠りに染まっていく。おやすみ、とまた
佐助が言っているのが聞こえた。それは解る。けれども矢張り、佐助の言葉はほとんど小十郎には理解ができない。
しかし佐助の手はおそろしく心地よく、佐助の声は小十郎を眠りに押し込めるためにあるようにねっとりと甘い。
努めても、小十郎は佐助の言うように「やさしく」はなれぬだろう。
半ば眠りの中で、小十郎はつぶやいた。

「花、」
「うん、どうしたの?」
「くれェ、なら」
「うん」
「見に行ってもいいぞ」

佐助がへらりと笑う。
佐助は底抜けにやさしい。
その半分も小十郎は持たない。佐助の為に小十郎が持つのは、この男の笑う顔を見る為に路上の花を手折ろうと思う浅ましさく
らいのものだ。なんだかしみったれている。つらつらと眠い中でそのようなことを言うと佐助は矢張り愉しげに笑い、俺だって
浅ましいよ、俺があんたにやさしくするのは、やさしくされたあんたがそうやって俺に浅ましくなる為なんだから。
そうやって俺のことを考えてくれるように、俺はあんたにやさしいのさ。

「やさしいっていうのは、浅ましいってことだよ」

眠りに就く寸前、佐助はそういうことを小十郎の耳に注いだ。
小十郎はすとんと眠りに落ちるのとおんなじに、ならばそれは存外自分にも向いているかもしれない、とちらりと思った。けれ
どもそのことを深く考える前に、ゆるゆると自分を撫でる佐助の手によって小十郎はずるりと眠りに吸い込まれてしまった。

それで小十郎は、やさしいということはおそろしく難しく、そうして怖いものなのだとなんとなく夢の中で思った。


















おわり


       
 





あれ・・・なんか普通の・・・いちゃいちゃですね。
裏の「透明な蜘蛛の巣」に死ぬほど素敵なイラストを頂いたので、調子こいて続編
を書いたつもりだったんですが、単なる佐助×にょこじゅのいちゃいちゃ話になって あれ?
輝さまの素敵にょこじゅとの間に国境のようなものを感じますが 書き捨てておきます。

空天
2008/11/08

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