スーツのスラックスを降ろされて、膝が顕わになる。
まだ暖房が効ききっていない室内のひやりとした空気が傷に触れて、小十郎はすこし目を細めた。
「痛むでござるか」
幸村が顔をあげて、不安げに問う。
小十郎はゆるゆると首を振った。べつに、と言う。
膝の天辺は、アスファルトで擦れて血が滲んでいる。幸村は水で濡らしてあるティッシュでそれをそうと拭った。
かすかに痛みが走り、ぴちゃりと水音が鳴って、それからつうと水が膝を伝ってソファの上にこぼれた。
痛かったら言ってくだされと言われて小十郎はくつりと笑う。
「餓鬼じゃねェんだ、泣きゃしねェよ」
「しかしこういう傷は、なまじな傷より痛むでござろう」
擦り傷は範囲が広い。
風呂は浸みるかね、と小十郎は言った。
幸村の顔が情けなくくしゃりと歪む。申し訳ござらぬ、と言う。俯いてこちらに向けられた茶色い鳥の巣のような
髪をじいと眺めながら、小十郎はどうしていいか解らなくなった。急に息苦しくなり、指をネクタイの間に差し込
んでしゅるりと緩め、ほうと息を吐く。
ざわざわと、背筋をつたうのは悪寒だけではない。
手を伸ばして、幸村の頭をくしゃりと掻き混ぜた。
「もうあんな馬鹿なことするんじゃねェぞ」
幸村の頭があがる。
小十郎は続けて、ならもういい、と言った。
途端に目の前の少年の顔はぱあと明るくなった。けれども喜びを顕わにしてはいけないと思っているのか、きゅ、
と唇が引き結ばれ、眉が寄る。大きな黒い目がそれでもふわりと緩んで、もうしませぬ、と言う時にはほとんど泣
きだすのではないかというほどに、水で満ちた。
小十郎は幸村の頭から手を退けて、ほおを軽く叩く。
「泣くな、阿呆」
「な、泣いてなどおりませぬ」
「そうかい、そりゃ結構だ」
首を竦めると、幸村は慌てて目元を手の甲で擦った。
そして誤魔化すように手当を、と言う。膝の血を拭い終わってから、幸村は立ち上がった。小十郎は首を傾げ、ど
うかしたかと聞くと、幸村も首を傾げる。
「救急箱を取りに行くでござるよ」
包帯を巻かねば、と言う。
すうと小十郎の体温が下がった。
もうこの家にはほとんど物が無い。大抵の物は日本の新しい家に送ってしまった。救急箱も既に棚のなかには無い。
それを見れば―――――既に棚はおろか何処を見ても小十郎の私物の消えたこの部屋を見れば、幸村もさすがにす
べて気付くだろう。そう思うと背筋が震える。震えてから小十郎は自分のなかに在るその恐怖心に自分で驚いた。
そして胸のうちでだけひそりと笑う。元々幸村にはいつか言わなければいけないというのに、どうしてこんなこと
でいちいち怯えているのか。馬鹿らしい。見ればいいのだ。
そして気付けばいい。
「確かキッチンの棚でござったな」
「要らん」
口と脳は直結していないらしかった。
幸村が驚いたように目を丸める。
小十郎は口をてのひらで覆った。思いのほか口からこぼれた声は大きく不自然で、忌々しげに舌打ちをする。幸村
は小十郎をしばらく黙ったまま見下ろして、それからまたすたんと膝を折ってソファの前に座り込んだ。
かたくらどの、と幸村は小十郎を見上げる。
「どうかしたでござるか」
「どうもしねェよ」
「ならば包帯を」
「要らん」
「なにゆえでござる」
「こんな傷、大したことねェだろうが」
吐き捨てると、幸村の目がふいと伏せられた。
小十郎はそこから視線を一瞬だけ外して、ソファに乗り上げてあった足をすとんとフローリングに降ろして、もう
いいだろうと言って片方だけ脱いでいたスラックスの裾に手を伸ばした。
そこをぐいと幸村に掴まれて留められる。
「片倉殿」
幸村は困ったような顔をして首を振る。
「消毒をせねば、膿むでござるよ」
「大した傷じゃねェっつってんだろうが」
「しかし」
「餓鬼なら舐めて治す程度だ」
小十郎は幸村の腕をすいと外し、再びスラックスを手に取る。
幸村は納得しかねる顔でまだ小十郎を見上げている。小十郎はふいに吐き気が込み上げてくるのに眉を寄せた。
もう傍から離れることを切りだす為に今こうして幸村の前に居るというのに、一向にそれを口にしようとしない
自分の卑小さがたまらなく不愉快だった。
ちいさな傷でも大層なことのように騒ぐ幸村を見ると、こめかみがきんと痛む。もうずっと、おさない頃から見
てきた。いとおしくない筈がない。真っ直ぐな性質も目も、どれもこれもひとつとして厭わしいものなどない。
もともと性に関して多少拘りがすくなかったというのもあるけれども、それでも小十郎は幸村とセックスをする
までは男とそのような関係を持ったことはなかった。幸村ならばべつにいいと思ったのは、確かにかつての自分
で、そして今もそう思った自分を責めようとは思わない。
ただ、後悔はしている。
体を繋げることをしなければ、ここまで幸村は自分に執着することもなかった。
小十郎が日本に行くのは、もちろん自分の保身もあるけれども、それと同程度に幸村のことを考えての結果でも
ある。小十郎と居ることは、決して幸村にとってはプラスではない。佐助のように幸村のすることに口を出さな
い男ならばいい。けれども小十郎は決してそうは出来ない。
拒否することは、幸村の異様なまっしろい部分を顕わにすることになる。
それまで黙り込んでじいと小十郎を見上げていた幸村が片倉殿はまだ怒っておる、と拗ねたように言った。小十
郎は首を振る。幸村も首を振った。
「怒っておる」
「怒ってねェよ、しつけェな」
「ならば其に消毒させてくだされ」
「要らねェ」
「なら」
ぐいと幸村の腕が膝にかかった。
小十郎は眉を寄せる。フローリングに座り込んでいた幸村は起き上がってソファに乗り上げ、小十郎の前で膝立
ちになる。擦れて赤くなっている膝の傷をつうとなぞられて、小十郎は痛みに顔をひくりと歪めた。
「おい、痛ェだろうが」
幸村の手を押しのけようとするけれども、幸村は動かない。
皮膚が剥がれた部分をてのひらで覆い、撫で上げる。ふるりと背筋に震えがいった。幸村のてのひらは膝からす
るすると降りていって、小十郎の足首にかかり、踝をくるくると親指が抉ると口から息がこぼれる。
小十郎は視線をあげて幸村の顔を見た。
大きな目が、ついと細められてほおが紅潮している。
「盛るな、阿呆」
小十郎は敢えて笑いを含んで言った。
冗談に紛れさせなければいけない。けれども幸村は小十郎の声など無かったかのようにするするとてのひらを滑
らせ、完全にスラックスを脱がせてしまう。かたくらどの、と小十郎を呼ぶ声はゆらゆらと揺れていて、ぞくり
と背筋に、今度はもう完全に悪寒ではないなにかが走り抜ける。
止せ、と小十郎は怒鳴るように声を上げた。
幸村はすこしだけ笑い、べつに怖くないでござるよ、と言ってぐいと小十郎の足を持ち上げ、まだ萎えている性
器に下着の上から触れた。指の腹でゆるゆると撫で上げられる。
「は、ァ」
「片倉殿、かたくらどの」
熱に浮かされたように何度か小十郎の名を呼んで、幸村は下着をおろして直接性器に触れる。
止せ、と小十郎はまた言ったが、さきほどのそれよりは声の調子はちいさかった。そんなものが幸村の耳に届く
筈もなく、ゆるゆると勃ち上がり始めた小十郎の性器をうっとりと眺める少年は、体を倒してそれをぱくりと口
に含んだ。温く濡れた感触にいっとう敏感な部分を包まれた小十郎は、背筋をひくりと伸ばす。
くちゅりくちゅりと濡れた唾液の音が絶えずして、止せ、と三度目に口からこぼれた声は掻き消された。
止せ、止めろ。どうにも耐えられないと言うなら俺がするから口を離せ。息も絶え絶えに必死で幸村の頭を掴ん
で離そうとするのに、体はまだ小十郎より一回りもちいさな少年の体はびくとも動かず、ただ性器に舌を這わせ
先端を飲み込み、指で舌でそれを育て上げる。吸い上げられれば体からすうと力が抜ける。
どこの馬の骨とも知れない男ならば、殴って蹴ってしまえばそれでいい。
小十郎は幸村の背中をゆるく殴りながら、結局この男にそうすることが出来ない自分を心底から軽蔑した。
ず、とひどい音を立てて幸村が小十郎の性器を吸う。
「ん、はァ、あ」
下半身の緊張が強制的に解かれる。
ぴしゃりと熱い液体が先端からこぼれ、ちいさな口に吸い込まれていくのを見ていられず、小十郎は幸村の背中
にへたりと体を埋めた。幸村は放たれたものだけでは満足出来ないとでも言うように、更に吸い上げ、こぼれた
それを舐め上げて、達したばかりの性器がひりひりと痛むまで弄くり回してからくぽんと口をそこから離した。
体の上の小十郎を押しのけて、背中に腕を添えてゆっくりとソファに倒す。
「小十郎殿」
掠れた声が、名前を呼ぶ。
行為の間だけ呼ばれる名前に、小十郎は眉を寄せた。
「真田、止せ」
「幸村と呼んでくだされ」
約束でござろうと笑う。
ぐるぐると下腹で不快な渦が旋回する。
幸村が軽く唇に口付けてくる。さきほど放った自分のものの味がして、吐き気がした。
幸村の手がワイシャツの下から入り込んで、背中をなぞり、幾度も繰り返した行為のおかげですっかり性感帯に
なってしまった脇腹をことさらに撫で上げる。息がこぼれ、どこも掴んでいない手がひどく不安定で、思わずふ
らふらと幸村の背中に回してしまった。
幸村がひどくしあわせそうに、にこりと笑う。
「小十郎殿」
脇腹を撫でながら幸村は深く小十郎に口付けた。
舌が入り込んでくる。絡みついてくるそれを避けようとしたが、結局捕まった。
とろとろと脳が溶けていくような感触に、背中に回した手に力がこもりそうになって、慌ててそこから手を離す。
幸村が不思議そうに口を離して、こじゅうろうどの、と首を傾げた。
「どうかしたでござるか」
小十郎は荒いだ息を整えながら、眉を寄せる。
ふらつく体を無理矢理に起こし、幸村の肩に手を置く。
「さなだ、話が」
「後ではいけませぬか」
不満げに幸村はソファの上にだらりと置かれた小十郎の手を取ってほおを膨らませる。
小十郎の指に幸村のそれが絡みつく。指の股を擦られるとぞくりと背筋に鳥肌が立った。
小十郎はのろのろと首を振り、今だ、と声を絞り出した。幸村は不満げな顔のまま、片方の手をすいと小十郎の
下半身に伸ばして、性器を通り越して秘部へとあてがう。息を飲んだ小十郎に、悪戯をするこどものような顔を
向け、解りもうした、と言う。
「どうぞ、お話しくだされ」
小十郎の放ったもので、既にそこは湿り気を帯びていた。
くい、と幸村の指がそこに入り込む。声が漏れそうになって、小十郎は口を空いたほうの手で覆った。
幸村は笑って、それでは話せぬ、と口を覆った小十郎の手にちゅ、とちいさく口付け、それから舌を這わせ出し
た。その間も秘部を抉る手を止めることはない。ヒダを撫で、なかの壁を引っかく。
そして、どうぞ、と言う。
「其、しかと聞いているでござるよ」
「ぁ、あ、なら、止め―――――ろ」
「いやでござる」
無邪気に笑って、小十郎の指を咥える。
「会いたかった」
低い声で、うっとりと言う。
ひどくしあわせそうな無邪気な顔は、初めて会った頃のこどもと何も変わらない。
小十郎は息をあげて、肩を揺らしながら、ぶれる目の焦点を必死で合わせ、そしてやはりどう見てもおさない頃
と変わらない幸村の顔を見て愕然とした。幸村の小十郎のなかを抉る指は二本に増えて、時折それがなかの凝り
をかすめる度にひくりと腰が持ち上がる。
慣れきったその動きは、おぞましいほどに卑猥だった。
それなのに、あいたかった、と言う声と顔は生まれたての赤ん坊のようだ。
卒業したら、と幸村は言う。
卒業したらもうずっと離しませぬ。
「ずっと一緒に居てくだされ」
まるでプロポーズでもするように幸村は言って、口を覆っている小十郎の手の甲に口付けた。
指が抜かれ、代わりにまだ衣服に包まれた幸村の性器が押し当てられる。小十郎は唇を噛みしめる。ずる、とそ
の熱が擦りつけられると、もどかしく、噛みしめた唇から息がほろほろとこぼれる。
こじゅうろうどの、と言う声のぬるい温度が、耳から入り込んで指先まで浸食する。
「挿れてもよろしいですか」
じい、とジッパーを下げる音がした。
小十郎はうつろになりそうな目を閉じて、首を振る。
「さ、なだ」
「幸村でござる」
拗ねたように幸村は訂正した。
次いで、今度は直接幸村の熱が秘部にあてがわれた。
じくじくと熱が秘部を溶かす。小十郎はまた首を振った。
途端、ずく、と幸村の性器の先端が入り込んできて、小十郎は目を見開いた。
「ぁ、あッ―――――ぁ、ィ、ッ」
「こじゅうろ、う、どの」
そのまま深く挿れ込まれる。
熱で突き刺され、体が中から焦がされるようだった。
幸村はそのまま性器をいっとう奥まで穿って、そこでぴたりと動きを止める、ほうと息を吐いて、小十郎の両手
に自分のそれを重ね、うっとりと笑みを浮かべ、こじゅうろうどの、ともう一度言う。止せとこちらが言ったこ
となど聞きもせず、それでもすこしも悪びれることなどなく、
「小十郎殿」
ぞっとした。
途端に体が震えて、なかの性器の形が解って息を飲む。
幸村はまだ体を動かさない。小十郎を見下ろして、ちいさく口付けを顔や首元に落とし、手をやわやわと撫でる
だけで腰を進めようとも戻そうともしない。小十郎は天井を仰いで、小刻みに息を吐き出す。熱い。溶ける。単
語だけがくるくると脳内で旋回して、次第にとろとろと蕩けて、なにも考えられなくなっていくようだった。
熱い熱い、あつい。
汗がつうと額を落ちていく。
「さな、だ」
耐えきれずに口を開く。
熱い、と浮かされるように小十郎は言った。
幸村はにこりと笑う。
「名前を」
呼んでくだされ。
耳を囓りながら、ちいさな声で言う。
小十郎はほうと息を吐いて、くらくらと揺れる頭で幸村の言葉を聞いた。こじゅうろうどの、なまえを。こくり
と首が落ちて、絡んだ指に込める力が強くなる。
小十郎は口を覆っていた手を幸村の首に回した。
「ゆきむら、ゆ、き」
ゆきむら。
繰り返し言う。
幸村はうっとりと顔を笑みで満たす。
絡んだ指が離れて、小十郎の足に添えられる。ずるりと性器が抜けていった。そしてまた深く入り込んでくる。
小十郎は空いたほうの手も幸村の首に回して、痺れるような感触に体を震わせた。肌と肌がぶつかる音と、幸村
の性器がこぼす液体が立てる水音と、幸村の小刻みに吐き出される吐息が、全部一緒くたになって小十郎の耳に
注ぎ込まれて、最後にはすべてまっしろになった。
インターホンを押しても、誰も出てこない。
佐助はそれでも三十秒だけそこで待って、それからドアノブに手をかけた。
かちゃりとそれは抵抗なく回って、ドアが開く。玄関には靴が四足置いてあった。三つは大きな革靴で、一つはそ
れよりいくらかサイズがちいさいスニーカーだった。佐助はふうんと鼻を鳴らし、視線を前に向ける。
小十郎のマンションの間取りは1LDKで、廊下の先に見えるドアの向こうにリビングがあり、そしてその横にベ
ッドルームがある。ドアは開いていた。佐助は目を細めてジャケットのポケットからハンカチを取り出し、鼻に押
しつける。噎せ返るような、不快なにおいが部屋全体に満ちていた。
「おじゃましますよ」
こっそりと断ってから、靴を脱いで部屋に入り込む。
ダイニングには誰も居なかった。ソファの周りに衣服が散らばっている以外には、ひとの痕跡もない。テーブルに
は食事をした痕もないし、テレビも付いていない。カーテンは閉められていた。不快なにおいは尚一層に濃い。生
臭い、不快だが覚えのあるにおいだった。足下に転がる服を拾い上げて、すぐに放る。こびりついたしろい固まり
に、自分の嗅覚が正しいことを知る。
さなだのだんな、と佐助は声をあげた。
返事はない。
ふうん、と佐助はまた鼻を鳴らす。
本棚が置かれているすぐ横に、ベッドルームに続くドアがある。佐助は髪を掻いて天井を仰いでから、そのドアノ
ブに手をかけて、かちゃりと回した。きい、とドアが開く。
そちらの部屋のカーテンは開かれていた。
ひかりが差し込んで来ていて、佐助は目を細める。
ベッドの上にはくしゃくしゃになったシーツとタオルケットが転がっていて、その上にひとがひとり寝転んでいた。
佐助はベッドルームに足を踏み入れ、ベッドの近くまで寄って、それを見下ろす。転がっている男の目はかすかに
開いていた。ただ意識はほとんど無いようで、ちいさく呼吸を繰り返しながら、佐助ではなくなにかべつのものを
見ている。普段はきちりと整えられた髪が額に掛かっているのは、その気はない佐助でもすこしぞくりとする程度
にはどこか扇情的だった。
それを払ってやって、片倉さん、とその男の名前を呼んだ。
「生きてますか」
首を傾げる。
男は、片倉小十郎は何も返事をしなかった。
やはり意識はないらしい。佐助はほうと息を吐いて首を振る。
毛布にくるまれてはいるけれども、どう見ても小十郎は全裸のようだった。凝り固まった精液が肌にも髪にもこび
りついている。左のほおに付いた傷を指でついとなぞると、ひくりと小十郎の体が跳ねた。
かちゃりと背後でドアが開く音がして、佐助は振り返る。
「佐助ではないか」
幸村が立っていた。
佐助はへらりと笑い、どうも、と言う。
「どうしたのだ」
「いえね、今日はこちらさんとお食事の予定がありまして」
「なんと、そうであったか」
幸村は濡れた髪を拭いながら、申し訳なさそうに眉を下げる。
何時からだ、と言う。四時、と佐助は答えた。既に時計は二時を回っている。幸村はベッドに沈んで意識を飛ばし
ている小十郎を見下ろして、起きるかな、と佐助に聞いた。
さあ、と佐助は首を傾げる。
「真田の旦那、あんたそれにしても」
「うん」
「何時からやってたのさ」
呆れて言うと、幸村は昨日の昼から、と答えた。
「さっきまでか」
「おお怖い。これだから若いってのは堪ンねえよな」
「久々だったのだ。仕方あるまい」
「片倉さんは若くないんだから、程々にしてやんなよ」
「うむ―――――毎回、反省はしてるでござる」
幸村は困ったように顔を赤らめた。
それから、今更気付いたように佐助の前に立ちはだかり、小十郎を隠そうとする。佐助は笑った。
「遅ぇよ」
「佐助、出ていくでござる」
「まあいいけどね。もうきっちり見させて頂いたし」
「破廉恥でござるよっ」
「はいはい。でも旦那、後処理出来ンのかい。あんたにさせたらもう一回、とかになりそうで怖いわ」
「そんなことせぬ」
「どうだか。これ以上は」
佐助は声の調子を落とした。
壊れちまうぜ、と言うと、幸村は不思議そうに目をくるりと丸めた。
それからにこりと、ひどく可笑しいことを聞いたように笑う。可笑しなことを、と言う。
「片倉殿は、ひとなのだから壊れぬ」
当たり前ではないかと笑う。
佐助はすこし黙ってから、へらりと笑った。成る程。
「旦那の言う通りだ」
「そうであろう」
「うん、そうだね」
「早く出て行くでござる」
「べつに手ぇは出さないって」
「佐助はあやしい」
「ひどいことを仰る」
佐助は眉を下げ、安心してよ、と言った。
安心して。俺はべつに片倉さんを手に入れたいとかそんなことを考えてるわけじゃあないんだ。佐助はうっすらと
開いたままの小十郎の瞼に手をやって、ゆるゆると降ろしてやる。
幸村の顔を見上げて、にいと口角をあげる。
「俺はこのひとと、あんたの下で働きたいだけですよ」
そんだけ。
「だからね、あんたが居て、このひとが居ればいいわけ」
「なんだ、そんなことか」
「そう」
「容易いことだ」
「そうだね、つまりは今までと一緒ならいいってことだもんな」
「うむ。何も変わらぬ」
「そう」
何も変わらないねと佐助は目を細めた。
さて、と立ち上がり、幸村の濡れた頭に手を置く。小十郎は目を覚ましそうにない。レストラン予約しちゃったか
ら、真田の旦那、久し振りに一緒にごはんでも食べに行きましょう。そう言うと、幸村は迷うように小十郎に視線
落とした。佐助は手を振って、これじゃあ今日は丸一日寝たまんまだ、と言った。
「仕度をしておいで。その間にこのひとの後始末はしてあげるから。
帰ってきたらきっと起きてるよ。そうしたら、三人で晩ご飯を食べに行きましょうぜ」
「しかし、片倉殿が」
「平気ですって」
佐助は幸村の背を押して、部屋から追い出した。
髪を拭いて、良い服を着てらっしゃいな。洗面所に幸村を押し込んで、佐助はタオルを濡らしてベッドルームに戻
った。小十郎の体の上から毛布を剥いで、こびりついた汚れを拭ってやる。すると、ひくりひくりと魚のように小
十郎の体が跳ねた。さきほど降ろしてやった瞼がまた開いて、恐怖にぬれた目が見開かれる。
佐助は揺れる肩を掴んでやって、大丈夫、と言った。
「俺だよ、俺。真田の旦那じゃない」
「ァ、あ」
肩に触れただけで声がもれる。
佐助は眉を寄せてそっと手を離した。
しばらく小十郎を黙ったまま見下ろして、馬鹿なおひと、とつぶやく。
「端ッから、決まってるって言ったろうにねえ」
震える体をすべて拭ってから、汚れた毛布の代わりに新しい毛布をかけてやる。
シーツはまだ汚れているが、小十郎ほどの体躯の男を抱き上げるのは佐助には無理なので諦めた。小十郎の顔はう
っすらと青いほどにしろく、目の下には隈が出来ている。佐助はまた息を吐いて、馬鹿なおひと、とつぶやく。
さすけ、とドアの外から幸村の声がした。
「用意出来たでござるよ」
「はいはい、了解」
踵を返し、また一度振り返る。
毛布に覆われている手をするりと持ち上げ、手の甲にちいさく口付けた。
あんたはキリストじゃない、と二日前に小十郎に言った言葉を繰り返し、うっとりと笑みを浮かべる。そして俺
もね、と続けた。俺もキリストじゃあないんだ。
しようとしていることを、今すぐ、しなさい。
「言うもんかい、ねえ」
佐助はいとおしげに小十郎の手にもう一度口付けた。
そして立ち上がり、ドアを開け、幸村と一緒に小十郎の部屋を後にする。
レストランで食事が来るまでの間に、トイレだと言って一度退席して、こっそりと携帯で日本の幹部に電話をし
て、小十郎がそちらに行く話は無しになったこと、だから既に運んである荷物はすぐにアメリカに移すことを指
示して、それから飛行機をキャンセルさせた。
携帯をぱちりと閉じて、我ながら素晴らしい仕事振り、と満足げに笑う。
「―――――馬鹿なおひとだ」
また佐助はつぶやいた。
そして幸村の元に戻る為に足を進める。
小十郎はまた逃げ出そうとするだろうか、とちらりと佐助は考えた。もしかしたらあの男ならばまた性懲りもな
くそんな行為に出ようとするかもしれない。それでも小十郎は幸村を完全に無視することなど出来はしないのだ
から、きっとまた律儀に幸村に告げようとして、そして今日のようなことになるのだろう。ひそりと佐助は笑み
を押し殺す。馬鹿な男だ、心底から。
知らない振りをすればいいだけのことだというのに、それすら出来ない。
まあ、と佐助は思った。
まあ精々足掻けばいいさ。
どうせ幸村は小十郎を手放さないし、結局のところそこから抜け出すことはあの男には出来はしない。第一佐助
もあの男だけを逃がすわけにはいかない。幸村に捕らわれているのが自分だけなど、真っ平だ。
席に戻ると、幸村が遅いぞとすこしむくれた声で文句を言った。
佐助はごめんごめんと言って、席に着く。
「それじゃあ、久々の再会に乾杯といきますか」
グラスを掲げて、にいと口角をあげる。
かちん、と響く音に紛れて、佐助はこっそりと「あんたの未来に」と小十郎を祝福してやった。
おわり
|
真田ではなく佐助が黒くなりました(結果報告
うちの片倉さんはえっちに弱すぎるような気がしてきました。すいません花卉さま、こんなですがもらってください・・・
空天
2007/11/28
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