逝き振りの祭、というのだと言う。




もう逝ってしまった死者が、唯一現世を振り返ることのできる日なのだと言う。

「鬼の面をみんなが被ることで、死者と生者のさかいが揺らぐ。
 面を被ってりゃ、混じって死者が帰ってきても、誰も気づかないだろ」

成実のそのことばを、耳を閉じる術を知らぬ政宗はただ聞くしかない。そうかよ、とちいさく呟いた。
そして思う。

祭は終わった。




死者は帰るのだろう。
















         永遠に別れる為に今夜君に会いに行く   第三夜
















白々と夜が明けるのを政宗は見た。
それから何時まで経っても小十郎が寝所に現れることはなく、日が真上に来るすこしまえに政宗は仕方なくみずから起き上がる。 なにも食う気など起こらぬと思っていたけれど、しばらくするとどうにも耐えられなくなって女房を呼んで茶漬けを口にした。さら さらとそれを流し込むと、胃のなかがぽかりとぬくんでそれがとてつもなく癪だった。
生きていける、と思い知らされる。



家老が姿を現したのはもう日も暮れかけた時刻になってからだった。



政宗が城の外にふらふらと出ると、銀杏の木の傍に真っ直ぐに立って、ちいさく頭を下げる。政宗はそれを何も言わずにじいと見た。目を落として、手を見る。 指はやはりまた減っている。
小十郎が苦く笑いながら、通行料です、と言った。

「うつつに戻るには、何かを献げねばならぬのです」
「それでその様か」
「お見苦しいものをお見せ致しました。どうぞお許しください」

また頭を下げる小十郎に、苛立った声で政宗は顔を上げろと命じる。
顔を上げた小十郎は、それからまたあの庵に行きませぬか、とうすい笑みを貼り付けながら言う。政宗は三十秒ほど黙って、頷いた。 青葉の山は傾斜が急で、時折政宗は道を踏み外す。小十郎がそのたび慌てるので、それがおかしかった。
二日前に来た庵まで上ったところで小十郎は静かに政宗を見て、許されるならば、と。

「ひとつ、我が儘を」

申してもよろしいか、と小十郎は言った。
政宗はそれに何も言わずに頷く。主のその姿を見て、もはや霞みつつある家老はひどく痛々しい目をしてちいさく笑む。そしてその 腕をゆっくりと拡げて、ふわりと政宗を包み込んだ。最後にいちど、こうして触れたかったのです、と言う。
それからぽつりと零す。

「小十郎は卑しゅうございます」

政宗はなんの感触も感じない。小十郎も、政宗を抱いた形をとっているだけで、ほんとうに力を込めればきっとかの家老の腕は政宗 を通り越しみずからを抱くことになるのだろう。小十郎の体の向こう側には庵が見えた。
政宗は急に、絶望した。
体温の低いあの男のかすかなぬくもりも、いつだって背中に感じていたあの重さも、もう、なにもないのだと政宗は唐突に理解して そして静かに絶望した。

(もう小十郎はいねェ)

知っていた。
ほんとはずっと、もうずっと前から知っていてそれでも見ない振りをしていた事実が、熱された鉄の棒が体に抉り込むように不快な 鈍さで政宗の体に染みわたっていく。涙は出ぬ。乾いてしまったのだろうか、と政宗はぼんやりと思った。
政宗様に、と小十郎の低い声が、政宗の絶望を後押しするように静かに森に響き渡る。



「ひとめ、お会いしたかった。

 最期に思いました。紅葉を共に愛で、祭ではしゃぐあなたの背中を追いたかった。

 否、そのお姿をひとめ見ればそれでいいと。

 ・・・そう思って、未練がましくも舞い戻ってきちまったこの身の無様さは重々承知の上ですが」



どうしても。
どうしてもひとめ、と繰り返す小十郎の声を政宗は無感動に聞いた。
情けねェことこの上ない。家老はくつくつと笑う。本当はひとめ見れば帰るつもりだった、と言う。政宗は思わず笑う。そんな残酷 なことをするつもりだったのか、この男は。
姿だけ見せて、それで消えるなんて政宗に死ねと言っているようなものだ。
無理でした、と小十郎も笑う。

「どうしようもなく、あなたの隣から離れられない」
「・・・ったりめェだ。俺の横は、おまえの場所だと決まっている」
「ええ」

知っております、とまた笑う。
政宗もまた笑った。小十郎が政宗の隣に居ることはすべての前提で、一度たりとてその前提を疑ったことはない。疑う必要がなかっ た。振り返ればそこにはあの家老が居て、背中を預ければあの広い背中がそれを受け止めることは息をするように当然のことで、そ れを政宗も小十郎もなにより望んでいたのだ。
が、小十郎は言う。
俺は卑しい。

「そうやって、今まで政宗様を縛り付けてきたこの身の罪はなによりおのれが知っております」

小十郎がなにを言っているのか、政宗には解らなかった。
すこし体を離して、小十郎の顔を見る。家老の顔はひどくかなしげに歪んでいた。申し訳ありませぬ、と頭を下げる。政宗はかすれ た声で、なにが、と問うた。小十郎は頭を上げ、そしてその薄い唇を開く。

「成実は」 「・・・しげざね?」
「優秀な男です。戦場は無論のこと、年を経てもはや国務の大部分を任せてもなんら問題はない。
 愛姫様はご聡明であられ、政宗様の御正室としても相談役としてもこれ以上の御方はございますまい」
「おまえがなにを言ってるのかわからねェ」
「伊達軍は屈強です。もはやこの日の本はおろか世界に対してもなんら遜色はない」
「だから」

なにを言っているのか。
苛立った政宗の声に、小十郎はうっすらと笑う。

「だから」
「・・・なんだよ」
「だから、もう、小十郎は要らぬのです」

随分前から。
小十郎はそう言って、政宗の手の中にあった面を取り、それを政宗の顔にかぶせる。暗くなる視界に政宗は抵抗しなかった、否、出来なかった。 家老の言うことばがすべて不快で、理解不能で、そして出来うるなら聞かないことにしたいくらい絶望的だった。そんなことはない 、と言う声がかすれているのがいやだ。
そんなことはあります、と小十郎がすこし戯けて言った。

「すくなくともあなたは小十郎が居らずとも生きていける。
 ・・・もはや米沢の城の隅で縮こまっていた梵天丸様はおりませぬ。あなたは龍だ。この日の本すら政宗様にはただのちいさな島に過ぎず、御身を収
 めるにはあまりに卑小。
 龍に翼は要りませぬ。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーひとりでも、あなたはどこへでも行ける」


「だからって、他の人間が必要じゃねェわけじゃねェ!」


政宗は怒鳴る。
困ったように小十郎は首を傾げた。

「無論です」

ただそれ小十郎でなくとも構わない、と言う。

「成実でも愛姫様でも、あなたを支え、助け、慰め、そして高めることができましょうや」
「俺はおまえがいいんだ!おまえじゃなけりゃ、俺の隣は、おまえでなけりゃ」
「それはただの思いこみに過ぎませぬ。いえ」

これこそが小十郎の罪か、と小十郎は苦々しく笑う。
ぽつり、と政宗の頭のうえになにかが落ちる感触がした。次いでひやりと露出された手の甲になにか冷たいものが触れる。ああ。小 十郎が声を漏らした。時雨だ、とつぶやくその声は、ただそれだけの意味しか持たぬはずなのになぜだかひどく政宗の心を粟立たせ る。終わりだ、と言われているような気がした。こつん、と鬼の面を通してなにかが触れる。小十郎の額であろうか。
とても近く、家老の声が政宗の鼓膜を震わせる。
いつだったでしょうな、と小十郎は言う。

「あなたの手を引いて雪の中を歩いたのは、どれほど前であったか」

政宗はもはや梵天丸ではなく、小十郎ももう傳役と呼ばれる立場から離れて久しい。ひとからの視線を恐れていたこどもは死んで、 そして龍になった。小十郎はそれを見ていた。
ずっと隣で見ていた。

「とうにこの手など必要でなくなったというのに」

いつまでもこの手を離さずに、と。
笑う小十郎の声は痛みに耐えるようなそれで、政宗は泣いてしまいたくなった。この男はそんなふうに思ってこれまでの時を過ごし ていたのかと、やはり絶望しながら思う。政宗は小十郎の手がそこに在ることを疑ったことなどなかった。伸ばせば、いつもそこに はあの大きな手があって、それを握りしめることは空気のようなもので、

(俺にとっての、それは)

政宗にとっての呼吸だった。
それは小十郎には、こんなにも苦しい声を出させるようなことだったのだろうか。
愛姫は泣いた。成実は悲しんでいた。


政宗が息をするだけで、小十郎も辛かったのだろうか。


政宗がそう思うのと同時に、小十郎がそれは違う、と言った。
幽霊は心まで見えるのだろうか、と政宗は思い、おのれを笑う。そうではない。片倉小十郎だからだ。片倉小十郎は、伊達政宗の思 うことなどなにもかもお見通しなのだ。
小十郎は淡々と、なにかの報告をするかのように平坦な声でことばを続ける。

「この小十郎の、すべては醜い欲に過ぎませぬ。
 愛姫様も成実も、そしてすべての家臣たちも、すべてがあなたを必要とすることを誰より知っていた。
 知っていて、そして尚その手を離せなかったのは他の誰でもなくこの小十郎でございます。小十郎の手を必要としなくなった政宗様に、そうとは知ら
 れぬようにおのれを求めるように仕向けたのは」
「お、れは!」
「仰られるな」

事実でございます。
静かに、小十郎は言う。
泣きそうな声だ、と政宗は思う。この家老の泣いた顔など、一度だって見たことはないけれど。

あなたの、と小十郎は続ける。
あなたの。












「たったひとりに、なりたいと望みました」











ざああああああ

急に雨が強くなった。
ぱらぱらと、氷混じりの雨が政宗の体に降り注ぐ。小十郎の居るはずの方向からも氷雨は容赦なく政宗の体を突き刺し、まるで其処 には何も存在しないかのようだった。
否。
事実其処にはなにもない。


「この罪は、どのような業火に焼かれようとも晴らせるものではないというのに」

「挙げ句舞い戻り」

「小十郎を求める政宗様のお姿を、見て」

「この身、一刀に両断されたとてなにも言えぬ」

「政宗様、小十郎は」


あなたの嘆く姿を見て歓喜致しました、となにもない筈の場所から音がする。
政宗は鬼の面をとった。小十郎の体を時雨が通り抜けてそのまま地面に降り注いでいる。小十郎は泣いていない。とおにこの家老は 泣くことを忘れてしまったのだと政宗は知った。
いい、と言いたかった。
それでいいじゃないかと言いたかった。

そのことばこそが目の前のこの男を切り裂くのだと、もう政宗は知っている。

冬の日は短い。
山に入ったときは、まだ橙のひかりを放っていた太陽はもう地平線へと沈もうとしている。もうすぐ小十郎は消えてしまうだろう。 そしてたぶん、否、確実に。明日この男はほんとうに居なくなる。
もう二度と政宗の前に小十郎が現れることはない。







いやだ、と政宗は言わなかった。







梵天丸なら言えたかもしれぬ。が、もはや政宗は梵天丸ではなかった。
行くなと縋るにはあまりに政宗の腕は重く、いやだと泣くにはあまりに政宗の目は乾いていた。誰でもなく、片倉小十郎が逝くのだ からこそ、縋れぬし、泣けぬと思う。そんな姿を小十郎に見せることは絶対にあってはならない。あの夜色の目に見据えられるに相 応しい姿をしていないおのれなど、政宗には耐えられない。
だから政宗は言う。

「・・・逝けよ」

小十郎は静かにそのことばに頷いた。
政宗はなおも続ける。

「逝けばいいさ、どうせ俺には止める手段なんぞありゃしねェ。
 そしたら俺はおまえの居ない世界で生きてやらあ、お望み通りになア!
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーだがなあ、それはおまえの言うことを認めることじゃあない」

鬼の面を小十郎の左の頬に押しつける。
政宗はにやりと口角を上げた。


それから思い切りその面を殴りつけた。


ぱきん、と鬼の面が砕け散る。
小十郎の体がぐらりと衝撃で揺れる。

「っ」
「Ha!おいおい、こんなSlowなPanchも避けれねェのかよ!」
「ま、さむねさ」
「俺の右眼にしちゃあ情けねェ姿だなあ、小十郎よオ」

笑いながら政宗は、砕け散って地面に散らばった鬼の面の欠片を踏みにじる。
切れ長の目が丸く見開いているのを見た。滑稽だった。泣いてしまうほど、家老のその顔は滑稽だった。
逝けよ、と政宗はみたび言う。高く、笑いながら。

「逝って、だがな!勝手に仏になったり転生なんぞしてみろ。ぜってぇ許さねェからな」
「・・・は」
「待つんだ。俺が逝くまで、黄泉路で待ってんだよ。
 まあ俺はゆっくり逝くからな、鬼やら閻魔やらに引き込まれねェように精々気をつけな」

待つ、と小十郎が政宗のことばを復唱した。
待つんだ、と政宗は笑う。



「俺はおまえの居ない世界で生きれるだけ生きてやる。
 それで、そのうえで、死んで黄泉路でおまえに会ったときに言ってやるよ」



なにを、と問う小十郎に政宗は笑って、待てよ、と言った。
小十郎はすこし惚けたような顔をして、それから息を吐くのと同時にすこしだけ笑う。

「・・・敵いませぬな」
「Of Course!俺を誰だと思ってやがる。独眼竜が右眼に負けてどうする」
「成る程、それは道理だ」
「ぼけてんじゃねェぞ、小十郎。そんなんじゃ地獄の餓鬼に取り憑かれるぜ」

そう言うと、小十郎はくつくつと肩を震わせる。
それからならば心してこの小十郎、あなたをお待ち致しましょう、とにやりと口角を上げた。政宗もそれを真似て唇を歪める。それ を、なにか眩しいものを見るように目を細めて小十郎が見下ろす。

ふわり、とひかりが小十郎の傍を舞った。

政宗はそのひかりのひとつを押し包むように手で握る。指を開くと、なにもなかった。
それでは。小十郎が言う。それでは政宗様、おすこやかに。政宗はそれに頷き、それから口を開いて、なにもことばを錘がないまま にいちど閉じた。考えるように宙へと視線を泳がし、改めて口を開く。

「こじゅうろう」
「はい」
「・・・小十郎」
「はい、何で御座いましょうや」

小十郎、とまた政宗はつぶやく。
はい政宗様、と小十郎はそれに応える。


其処にはもうなにもなく、それを絶望的に政宗は知ってなお、やはり小十郎の声は体中に染みこむように響いた。


礼は言わねェぞ、と政宗は吐き捨てた。
それを言えばすべてが終わり、小十郎はほんとうにいってしまうような気がした。

「おまえは俺の物だからな」
「無論です」
「礼は言わない」
「必要ありませぬ」
「おまえが居なくとも俺は生きていける」
「ええ」
「ちゃんと見てろよ」
「何処に居たとしても」
「それで」
「はい」
「・・・それで、地獄に逝ったらまた、そこで天下ぶん盗ってやろうぜ!」

政宗が言うと、小十郎はにこりと笑って頷いた。
そして言う。それでこそ。










「それでこそ、この小十郎が生涯を賭した龍に相応しい」










それが最後だった。

小十郎の姿は消えて、雨はいつしか雪になっていた。身を切るようなつめたい雨に包まれながら、政宗はしばらく小十郎の居た場所 を見つめて、それから踵を返して山を下りた。
やはり涙は出なかった。
城に帰る頃には雪は青葉山を覆い、青葉城を覆い、政宗の頭にもしろいそれが積もっていた。重いな、と思って頭を振るとどさりと それが落ちて、なんだか滑稽で政宗は笑ってしまう。
指先が真っ赤になって、火鉢に当たると痒くて仕様がなかった。







その夜政宗は夢を見た。

小十郎が馬鹿でかい門の前で突っ立っている。
赤い鬼と青い鬼が、小十郎の腕を掴んで両側から門の内側へと連れて行こうとするのを振り払い、そして鋭く睨み付ける。すると鬼 は小十郎の目つきに怖じ気づいてすごすごと帰って行く。小十郎はそれを鼻で笑い飛ばし、それからまた門の前で背中を真っ直ぐに 伸ばして、延々続いている長い道の果てを見る。
政宗は目を覚まして思わず笑ってしまった。
たとえ政宗が彼処に行くのが百年後だとしても家老の背中は曲がるまい。

(精々待ってろ)

散々待たせて、そうしてその時こそ言ってやるのだ。























「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーおまえは俺のたったひとりだ」























ひっそりと呟く。
そしていつかあの男をそうやって切り裂く日を思いながら、政宗はうっとりと笑った。







おわり






なんで今唐突にこの話か。つーかテストは(セルフ突っ込み)
イメージソングは宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶うとき」でした。

空天


2007/01/21
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