佐助は菊を抱えて鬱蒼とした木々の中を歩いている。 小十郎の墓は何処にあるか伊達家の中ですら秘されていた。それは主である伊達政宗と、そし て彼の家族にしか知らされていない。墓を暴かれないために墓石すらない。佐助は政宗の後を 着けてその在処を知った。小十郎は一本杉の下に埋められた。 佐助が政宗の後を着けようと思ったのは、衝動である。確たる由はない。 ただ佐助は知りたくって仕様がなかった。あの男が最期にどうやって葬られたのかをどうして も見ておきたかった。それに佐助はもう一度小十郎に会っておきたかった―――もちろんもう すでに彼はこの世には居ないのだけれども、それでも。 佐助は城下で買えるだけの菊を買って、それを抱えて一本杉を目指した。 ひっそりとした林の奥に一本杉は佇んでいる。 そしてその隣に、伊達政宗がしゃがみ込んでいた。 「やあ、お久しう」 戯けて声をかけると、政宗はすこし驚いたように顔を上げ、それでもすぐに不貞不貞しい常の 顔に戻った。佐助が寒いねえと言うと感じ入るように寒ィなァと返してくる。 珍しく雪は降っていないが矢張り冷えた。 戦場で顔を幾度か見合わせただけだったが、政宗は佐助を覚えているようだった。 「一体どういう風の吹き回しだ、あんた、小十郎と知古だったのか?」 政宗の問いに、佐助はううんと唸って首を傾げた。 「どうだろうね。なンにも知らないようなもんだけど、些ッとは知ってるからさ」 「なんだ、そりゃァ」 「さあ、よく解ンねえのさ、俺様にも。でも最期くらい会っておきたかったんだ。袖振り合う もって言うだろう」 「そうか」 政宗は静かに頷いて、それからちらりと笑った。 きっと喜ぶぜ、と若い杉の皮を撫でる。佐助はけらけらと笑って、どうだろうねえ、と言った。 ほんとうにぜんぜん知合いじゃあないんだ、ここ二十年ばかり会ってねえし、その前だってそ んなに喋ったこともねえしさ。 佐助はそこまで言って、ふと声の調子を落とした。 瞼の裏に不意に小十郎の滑稽な笑みが浮かんだ。 「俺ねえ、龍の旦那」 「おう、なんだ」 「このおひとのことがさ、よく―――と、言うよりぜんッぜん解ンなくてね」 「へェ」 「笑ってんだかどうかもよく解ンないじゃない、このおひと」 そう言うと政宗は愉しげに肩を揺らした。 「あァ、こいつ、アレだろう。あのなんだかよく解ンねェぴくぴくほおがひくつく、アレ」 「そうそう。ああ、矢っ張りあんたの前でもそうなんだ。俺さあ、あれ笑ってンのか単に痙攣 してんだかよく解ンなくってねえ、どうしたもんかと悩んじまったよ」 「そういう奴なんだ」 政宗はほうと息を吐いた。 それはしろくぽかりと浮かび上がり、それを確認する暇もなくするりと消えた。 「そういう奴なんだ」 政宗はおんなじ言葉を繰り返した。 佐助は黙って菊の花弁を弄った。辺りの空氣はひんやりと鋭いのに空はぽっかりと晴れ渡って いる。遠く青い空を見上げ、佐助は目を細めた。季節は真逆なのに小十郎から連れ出されて久 しぶりに見たあの春の空を思い出した。 おい、と隣に居る政宗が声をかける。 「どうしたの」 「おまえ、暇だろ」 「失敬だね。俺様はいつも忙しいよ」 「No kidding!暇じゃなけりゃ、袖振り合った位の相手の墓なんて参るか。暇だろ。 暇だな。よし、暇だ。おい、しのび」 「なんだよ」 「些ッと俺の話に付き合え」 佐助は政宗の顔を見た。 政宗は片膝を抱え込んで、どことも言えない宙を睨んでいる。佐助はすこし考えてから、いいよ、 と肩を竦めた。幸村は小十郎の墓参りをすると言ったら三日の暇をくれたので、相応の暇は確か にあった。菊を撫でて、どうぞ、と促すと政宗は喉を鳴らして笑った。 政宗は笑いながら、俺もな、と言葉を始めた。 「正直なところ、俺もよく解ンねェまんま逝かれちまッてよ」 腹が立ってンだよ。 だっておかしいじゃねェか。 「餓鬼の頃からずっと一緒に居るのに、なんで解らせねェまんま死んでやがるんだ、この馬鹿は。 有り得ねェだろう。俺にだけは解らせて死ぬべきだろう。大体俺に許可無く死んでいいと思っ てンのかって話だろう。いいわけねェじゃねェか。死ぬンだったらそう言ってから死ぬべきじゃ ねェか。そうしたら、俺にだってその前にいろいろ言ってやりてェことは山程あったんだ。そ の全部を放ったまんまにして、死んでいいわけねェと思わねェか?」 佐助は黙ったまま政宗の独白を聞いていた。 それはいつかの小十郎の言葉のように、特に反応を期待するものではなかった。 「ひとつ、笑える話をしてやろうか」 政宗が佐助を見た。 佐助はひとつ残った彼の左目を覗いて、うん、と頷いた。政宗は釣上がったその目を細め、眼帯で 覆われた右目を慈しむように指でなぞった。 俺はな、と言う。 うん、と佐助は静かに相づちを打った。 「あいつのことが、えらく好きだったんだよ。 餓鬼の頃から、こんないい年になっても馬鹿みてェに変わンねェほど必死によ。兄だか父だか師 だか友だか、もう全部がごっちゃごちゃで解らなくなッちまうほど好きだったよ。駄目なんだな、 どうしてもな。他じゃあ変わりになんねェんだよ。他は全部他なんだ。小十郎じゃねェならそれ はもう何の意味もねェんだよ。これじゃァ何かの病みてェだろう。実際病だろう。しかも俺ばっ かりだ。こいつはいつも涼しい顔でさ、ただあの微妙な笑い方で流すばっかりだ。馬鹿馬鹿しく って笑うしかねェ。今でもさ、もうこいつは燃えちまって骨だけカラカラ鳴るばッかりで、それ だって土の下だってのに、ぜんぜん変わンねェんだぜ。ぞっとしねェよ。笑えるじゃねェか」 佐助は笑わないで聞いていた。 政宗は土に爪を立てて強く抉った。 「こいつはそんなこと何一つ聞かねェで死にやがって、挙げ句こんな場所でおねんねだ」 政宗は高く悲鳴のような笑い声を上げた。 佐助は彼の横顔を覗いた。泣いているかと思ったが政宗のほおは乾いていた。実際泣くにはここは 寒すぎたし、泣けるほどには佐助は政宗と親しくなく、泣くにはあんまり彼も年を取りすぎていた。 佐助はただ政宗を見て、菊を見て、振り返って若い杉を見上げた。 この下に小十郎が居るのだと思って土も見下ろしてみたが実感は沸かなかった。 土を撫でてみる。霜の降りた土はつめたかった。佐助は土を撫でながら、口の中でだけ小十郎を呼 んでみた。思えば小十郎を名で呼んだのはこれが初めてなのだ。片倉小十郎、と佐助は土の下に居 る男を呼んで、それからいつかのように問うてみた。 あんたは何をしたかったんだろう? もちろん返事はなかった。 だから佐助も相変わらず彼のことがよく解らないままだった。 「ねえ、龍の旦那」 笑うのを止めて膝に額を埋めていた政宗を呼んで、佐助は立ち上がった。 「このおひとはさあ、あんたがこのおひとを想うのとおんなじか、それよりもっと、きっとあんた のことが好きで好きで堪ンなかったんだと思うよ。きっとあんまり好き過ぎて、あんたにそれを 言うことが出来なくなっちゃうくらい、どうしようもなく好きだったんだよ」 政宗がのろのろと顔を上げた。 目が合うと、赤くなったひとつ目がきつく細められる。 「おまえに何が解るってんだ」 政宗は鼻で笑った。そうだねと佐助も笑った。実際佐助は、小十郎のことなどほとんど何も知らな い。袖すら触れ合ったのかどうか、今となっては定かではない。 「でもねえ、解るよ」 佐助は抱えた菊をはらはらと杉の根元に放った。 「解るんだ。それは」 それしか知らないけど、それだけは知ってるンですよ。 佐助はへらりと笑って、ねえ、と杉に首を傾げて見せた。応えはなかった。代わりに政宗が咳き込 んで、それから散らばった菊を一輪摘み上げてくしゃりとてのひらで潰した。佐助は空を仰いだ。 相変わらずおそろしく透き通った青が広がっている。 木々が切り取った空の間を、一羽の白鷺が渡っていく。 佐助はそれを見て目を細め、何かを言おうかと思って口を開いたが、言うべき言葉はもう何も残っ ていないようだったので、そのまま黙って政宗の横を過ぎり石階段を降りていった。政宗は佐助を 呼び止めなかった。息を吐くとしろく残ってすぐ消えた。 佐助はちらりと後ろを振り返り、小十郎の上に植わった若い一本杉を見上げた。 かなしいとすら思えぬほどに彼の人を知らなかったことが、すこしだけ寂しかった。 おわり |