三眼の龍は狼の背を泳ぐ  終



はじめて吸った煙管は、ひどく不味かった。

真田のしのびに誘われて、ちいさな馬小屋で満身創痍の小十郎を見つけたときに政宗は思い知った。片倉小十郎というこの男 に、いかに自分が捕らわれているか。胸に手を当ててみればことりことりといのちの音がして、それが至上の雅楽のように政 宗には感じられた。
死んだように眠り続ける小十郎の頬には、ひどい切り傷が刻まれていた。いまだ乾かない血がそれを彩り、まるで化粧のよう に見える。政宗はそれに触れた。血はあたたかく、小十郎はまだ生きているのだと痛いほどに知った。

「・・・おきろよ、ばか」

家老の目は、開かない。
そのうちに血が乾き、それがなぜかひどく恐ろしかったので政宗は小十郎から離れた。懐からおのれの煙管を取り出して銜え ようとして、やめる。眠りこける小十郎の懐に手を突っ込んで、ごそごそとそれを探した。かちりと冷たい金属の感触が指に 触れ、政宗はそれを取り出す。小十郎の煙管は古ぼけたなんの装飾もないものだ。政宗はそれを銜え、それからすこし考えて 同じく小十郎の懐から取り出した煙管袋に突っ込んだ。
かち、と手持ちの火打ち石で刻み煙草に火を付ける。独特のかおりが口内に広がり、おもわず政宗は顔をゆがめた。が、その まま思い切り肺へと空気を送り込む。
小十郎のにおいがした。
政宗はそのままおのれの体を抱きしめるように肩へと手を回す 。においが外に逃げることが怖かった。
夜半の馬小屋にはなんの音もない。ただ小十郎のかすかな寝息だけがその場に響いている。目を閉じ、耳をすませると政宗は ひどく安堵した。嗅覚も聴覚も小十郎が支配している。

抱かれたい、と強く思った。

政宗は女がすきだ。今頃城でおのれを待っているだろう愛姫をあいしているし、そうでなくてもいい女がいれば男として欲を 自然に刺激される。今後妾を持つこともあるだろう。女を抱くことにはひとかけらの痛みも伴わない。ただただ彼女たちは政 宗を癒すために存在する。
が、小十郎はちがう。
あの男はおそろしい。政宗は冷静に思った。たとえば愛姫が死ねばおのれは泣くかもしれぬ。それでも翌日に戦があればそこ で敵兵を殺しながら笑うことができるだろう。妾のひとりが死ねばかなしいかもしれない。だが軍議があるなら死に目よりそ ちらを優先するだろう。 小十郎が死んだら。政宗は想像する。
が、出来なかった。まっくらな世界だけ浮かんできて、なにひ とつ見えなかった。ひかりを失っていないはずの左目すら、世界を見ようとしない。小十郎のいない世界を、伊達政宗という 男の全身が拒否している。

−−−−−−なんということだろう。いずれ確実にそれは訪れるのに!

おろかな女のようだ。政宗はちいさく笑った。手に入れるだけでは、飽きたらぬ。ほんとうは、永遠がほしい。息を引き取る その瞬間まであの男が存在しているという確証がほしい。無理だ。知っている。
だからせめて、錯覚がほしいのだ。
抱かれることで小十郎の一部になれるという錯覚がほしい。
そうして、逝くならばおのれの一部をはぎ取って逝けと言いたい。それすらただの錯覚だ。だがそれでいい。
錯覚を錯覚と言い切ってしまうには、あまりに小十郎は政宗のすべてすぎた。
俺の右目。政宗は呟く。それが失われた瞬間からこの男は政宗のものになった。ならば次はこの身の全てを差しだそう。


(そしたら、おまえの痕さえ俺のものだろう?)









「・・・・俺は、あなたが思うほど綺麗な男じゃあない」

抱きしめられているので、耳許に小十郎の吐息がかかった。
びくりと政宗の体はふるえる。それにちいさく小十郎が笑った。ひどくやさしい笑い声だった。こんなことをされては、思い 上がります、と困ったような声がつぶやく。

「どう思い上がるって?」

政宗は笑った。口の中にまだ小十郎の味が残っている。旨いなどとは口が裂けても言えぬ味だが、愛姫がかつて言った言葉が 解るような気がした。これはあの男の一部なのだ。愚かしくも満たされていくおのれを感じた。
小十郎の声がすぐそばで鼓膜 をふるわせ、においが体を包み込み、体温が肌を通して伝わる。隆起している小十郎の牡は、抱きしめられている状態では否 応なく政宗の体に接触し、生理現象といえどその事実に政宗は泣きたいような気持ちになった。

「あんまり阿呆すぎて申し上げられません」
「ああ?言えっつうの」
「今とて、ほんとうなら腹でも切りたいくらいだ」
「じゃあ離せ」
「無理を仰る」

小十郎がわらう。諦めたような笑い声だった。くい、と急に体が離されひたりと視線が合わされる。家老の切れ長の目はどこ か悲痛な色を帯びていて、だがそれすらうつくしいと政宗は思った。はじめての邂逅のときの、獣の目だ。
その狼の目が、かすかに笑みに歪んだ。

「政宗様」
「なんだ」
「・・・後で、どうとでもしてください。斬られても小十郎、化けては出ませぬゆえ」
「ぐだぐだ言うな。用件はなんだ」
「・・・・御身に」

くちづけてもよろしいか。
言うや否や政宗の唇はふさがれていた。傷が熱を持ち始めたのか、小十郎の唇は異様に熱い。熱がそのまま口内に注がれてい くような気がした。

「っん」

息ができなくて、小十郎の胸に手を置いて押し返そうとする。が、相手は怪我をしていることを考えると強く抵抗することは できずに、結局政宗は小十郎にされるがままになった。
空気を求めてかすかに開かれた政宗の唇に、小十郎の舌が潜り込む。 下唇をなぞられて、背筋にぞくりとなにかが走った。くちゅ、という唾液の混ざる音がしてそれがいやがおうにも政宗の熱を たかぶらせる。
小十郎の声が、熱に浮かされたように政宗の名を呼ぶ。一瞬はなれた唇が、ひどく不自然で政宗はみずから噛みつく。鼻から 恥ずかしくなるような吐息が零れ、その羞恥を放り投げるように政宗は小十郎の髪に指を突っ込んでかき回した。
小十郎は政宗に口づけたままに主の着物をはだけさせ、その大きな手で肌に直に触れる。ひんやりとした政宗の体は、小十郎 の熱で溶けるように馴染んだ。背筋に浮き出た骨をつう、となぞると政宗の体が魚のようにはね、背が反る。餌のように目前 に投げ出された政宗の喉に小十郎はやわらかく歯を立てた。

「随分と無防備な龍だ」

低く呟く。その声を政宗は聞いた。
かすかな痛みに眉をひそめ、政宗はそのままくつくつと笑った。

「龍だって育ての狼にゃ懐くだろ」

胸元に移った小十郎の吐息がかすかに笑った。先ほど乱した黒髪を胸元に抱き込みながら政宗は小十郎の髪に顔を埋める。く われる。そう感じた。小十郎の唇も手も、政宗のすべてを奪い尽くすように絶え間なく蠢く。
少しずつ小十郎が政宗を浸食する感覚が目も眩むように政宗を支配した。

「後でご存分に罰してくだされ」
「ああ・・・どうして、やろう、かっ」

すでに下肢へと移っていた小十郎の指の動きで、政宗の声は途切れ途切れになる。もうどうでもいいと思った。小十郎のこの 行為が、たとえ戦の熱の名残でも同情でもかまわぬ。戦でささくれた長い指が牡に絡まると、ひゅ、と息があがる。なぜ小十 郎がいきなり政宗を抱く気になったのか、政宗は知らない。知らずともいい。本来は排泄器としてしか機能しないはずの場所 に小十郎の指が当てられ、政宗自身の先走りでくちゅりと濡らされていく異様な感覚に耐えながら思う。







おれのかちだ、こじゅうろう。







中に入る瞬間、政宗がそう言ったのが聞こえた。


主の中はひどく狭く、そして熱かった。

みしり、というひどく耳障りな音をたてて小十郎は政宗の体をひらき、中へと入る。瞬間あまりの痛みにか政宗の顔は真っ青 になり、つめたい汗が幾筋も頬を伝った。小十郎はそれを見てひどく心が痛んだが、一度すべてを入れないことにはどうしよ うもないので、そのまま強引におのれの牡を政宗に突き刺す。

「・・・っぎぃ、あ」
「政宗様、息をお吐きください」
「っくしょ、無理だ、ばかっ」

小十郎とて、決して楽ではない。
狭すぎる主のなかにある自身の牡は今にも引きちぎられそうで、痛みこそあれ決して快感はない。まして目の前で痛みにふる える政宗を見ておのれの快感だけ追うには小十郎は若くなかった。
入れた瞬間からすっかり萎れてしまった主の牡を幾度か擦 る。するとそこに気を取られたのか政宗の息がかすかに楽になったようだった。ぽろぽろと生理的な涙を流しながら、短い呼 吸を政宗は繰り返している。
は、は、とちいさく息をする唇にかるく小十郎は口づけた。それに政宗はいっしゅん驚いた顔をして、それから笑った。閨に ふさわしくない勝ち誇った笑みで。

小十郎はその笑みに、一瞬動きをとめた。

心臓のあたりからなにかが沸き上がってくるようなどうしようもない感覚 に、目を 伏せる。もはやこの状況をどうこうすることは小十郎には出来ない。

いとおしいと思う。痛みに涙を流しながら耐え、全身でおのれを求める主を。そんなことは昔から知っていてそのうえで政宗 を拒んでいた。それでも諦めたのはそれ以上に奥底にあるおのれの凝りに気づいたからだ。

「政宗様」

抱きたいわけではない。
今こんなことをしながらも小十郎は思う。性欲ではない、そんな簡単なものだったらもっとはやく小 十郎はこの主を抱くことだって出来た。
愛情でもない。
そんな綺麗ななまえを、あの濁りきった凝りにつけることは躊躇われ た。
一度深く政宗を抱え直す。小十郎をよりふかくくわえ込むことになった政宗はほそい悲鳴をあげた。政宗の体を上下に揺さぶ りながら、小十郎はひくく笑う。

「あなた、は」















猿飛佐助は大きく口をあけて、四つ目の団子をそこへ放った。
目の前では顰め面の伊達家家老が腕を組み、呆れたように佐助を見下ろしている。

「よく食うしのびだぜ」
「人様のおごりだからねー。食えるだけ食いますとも」
「・・・武田はよっぽど薄給か?」
「あんた失礼だね。仮にも命の恩人に」

あいにく雇われなんでね、と言うと小十郎は興味なさそうにふうんと鼻で返事をした。藍染めの着流しが嫌みなほどに似合っ ている。懐手にしてたたずんでいる様はあきらかにまともな人間には見えず、城下でも悪目立ちしていたが本人は気にしてい ないようだ。
先日の伊達政宗の初陣のとき、家老片倉小十郎を死地から救ったのは佐助だった。
敵に混じって小十郎のそばまで駆け寄り、 当て身で気絶させて抜け出した。抜け出すのにはこちらも命がけ、と覚悟はしていたが幸い主のほうがぶっちりと切れてくれたのであっさりと逃げ出すことが出来た。 馬小屋に小十郎を安置したあとは、半狂乱の政宗をそこへと誘い、それからは放っておいた。おのれの出来ることはそこまで だと思ったし、やりすぎだとも思った。ただ働きはすきじゃない。なのでこうやって押し掛けて奢らせているわけだが。ずい ぶん安い手間賃だなあと佐助は思った。

「で?」
「あぁ?」
「ご主人様とのあれはいかがでしたか」

小十郎は途端に顔を険しくした。

「なんでてめぇが知ってやがる・・・」
「ちょ、やめてよっ!つうかあんたんとこのご主人が自分で言いに来たんだからなっ」

かちん、と腰のものへ手をやる小十郎に佐助は慌てて手をふる。
事実だった。
上田城に唐突に現れた政宗は、とてもいい笑顔 で小十郎とSexしちまったぜYeah!とかなんとか言って佐助の主の首を傾げさせた。当然だが幸村はその外来語の意味を知ら ず、それはどういう意味でござるか、と問うてしまった無邪気な主は説明を受けてその服よりも真っ赤に染まって逃げ出した のだった。

「うちの旦那はおかげで寝込んじゃうし、すっごいいい迷惑なんだけど」
「・・・・そらぁ」

すまねえ、とちいさく呟く小十郎に佐助は笑った。
政宗のそういうところを佐助は嫌いではなかったし、そこを律儀に謝ってしまう小十郎の性格もこのましい。とりあえずなん にせよ佐助はこの主従がすきなのだ。色々あったが落ち着いてよかったと素直に思う。佐助は幸村や信玄に仕えているが、小 十郎ほどすべてを投げ打とうとは思わぬ。そのために、このきれいにすぎる主従のかたちを守ってやりたいと思うのかもしれ なかった。

「よかったね」

だからそう笑ったのは皮肉でもなんでもなく、素直な笑みだったのだが小十郎の顔は複雑だった。

「よかった、ね」
「?なんか不満でも?あ、体の相性が合わないとかそーゆーあれ?」
「死ぬか?」
「遠慮しときます。で」

なにがご不満?
小十郎はすこし黙って、他人に話すことじゃねえと呟いた。佐助は笑って、手間賃、と手を差し出す。もちろん自分には聞く 権利があると佐助は思っている。ひどく嫌そうに顔をゆがませ、冷たく小十郎はその手を払った。
「一介の家臣にゃ、過ぎた感情だ」

こんなふうに、思うはずじゃあなかった。
呟く言葉は、佐助へというよりもおのれへ言い聞かすような響きを持っていた。佐助がそれを指摘するまえに小十郎は頭を振 って、往生際がわるいな、と苦く笑う。佐助は静かな声で問うた。

「あいしてる?」
「政宗様をか」
「うん」
「当たり前だ。俺の、全てだぜ」
「じゃあ、なにがだめなわけ」
「俺は」




あのおかたを、おれのものだとおもってる。




小十郎は言ってからかすかに笑った。

「冗談にもならねえ。俺ごときがよ」
「そうかな」
「そうだろ」
「あのひとは、随分まえからあんたのものだったと思うよ」
「そうか」

俺もそう思う。
小十郎は諦めたように言った。
座る佐助の横に、団子の代金をすこし多めに置いて小十郎はちいさく頭を下げる。それからくるり、と佐助に背を向けた。そ こで佐助は気づいた。小十郎の首元に、ちらりと彫り物が見える。とっさに呼び止めた。

「片倉の旦那」
「あぁ?それじゃ足りねぇか」
「ちがくて。あんた、刺青なんかしてた?」
「あぁ」

これか、と小十郎がおのれの首元に指を持っていき、線をなぞる。

「戦の後にいれた」
「へえ。柄は?」
「龍だ」
「どんな」
「三眼の龍」
「ふうん」

変なの、と言う佐助に小十郎は何も言わずにまた刺青をなぞった。
いまだ痛むのかすこし顔を歪ませる。

奇跡的に生還した家老の傷が癒えるとすぐに主は彫り師を呼んで龍を彫らせた。三眼の龍だ、とひどく嬉しげに注文する政宗 は、うつ伏せの小十郎の顔をうっとりと見ながら言った。罰だぜ。小十郎は笑ってやった。貴方様を背負うことのどこが罰だ と仰るのか。
政宗は汗の浮いた額に口づけながら、囁く。








「なら地獄の縁まで俺を背負っていけ」

 





完全に絵図が背に彫られるまで、半日かかった。
傷だらけの背を青々とした龍が泳いでいる様を、政宗はまるで芸術でも見るように眺め笑っていた。

ごちそうさま、と言うなり消えた佐助にまたすこし頭を下げ、小十郎は踵を返して米沢の城にむかう。
なにが変わったという わけではない。相変わらず小十郎のすべては政宗のものであり、政宗には妻がいて小十郎は伊達家の家老だ。愛を囁くわけで もなく、互いの体を常に求め合うわけでもない。ただときおり、確認するかのようにおのれを求める政宗に小十郎が応えるよ うになった。それだけだ。

そして小十郎はおのれの感情に独占欲というなまえをつけることを認めた。
育てた龍を手放すことを、奥底では狼はひどく拒んでいる事実を見つめることにした。


そうしたら手放した龍はくるりと舞い戻ってきて、今は狼の背で泳いでいる。







それだけだ。



  おわり


はいおしまいです。ここまで読んでくれた方、ほんとうにありがとうございました。
こじゅの刺青をいれさせる伊達が書きたかったはなしなので、わりと満足です。

空天


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