I make this song only foy you I play this song only for you ムーミン谷は時間がゆっくりと流れます。 時々止まっているのではないかと思うほどその時間はゆっくりで、それでも確実に季節は春から夏になり、そ して秋を通り越して冬になります。猿飛佐助は、それを毎年川のほとりのテントで眺めるのです。ムーミンの 館の背景、大きな山々が若草色から黄色や赤に変わりやがて灰色になっていくのを、ただじい、と眺めるので す。釣りをしたり、ハーモニカを吹いたり、そういうことをしながら佐助はそれをほんとうに楽しそうに眺め ます。いくら見ていても飽きるということは、ないようです。 そのうちムーミン家の片倉小十郎が窓から這い出て、やって来ます。 それを見つけても、佐助はそんなに騒ぎません。釣りをしたまま、ハーモニカを吹いたまま小十郎を迎えます。 小十郎は佐助がちゃんと迎えなくても気にしたふうもなく、橋のところに腰掛けたり佐助の横に座り込んだり します。そして大抵は、佐助が話しかけるまで何も言わずに待っています。 佐助はそういうのがくすぐったくってしょうがありません。 小十郎は無表情なのですが、尻尾が話しかけられる期待でふるふる揺れているのがよく見えるのです。 佐助は今までいろいろなところを旅してきた旅人です。だからほんとうなら、毎年一年のほとんどをこの谷で 過ごすのはあんまり正しくはないのですが―――しょうがないよなあ、と佐助は思います。 小十郎はびっくりするくらい格好いいのに、びっくりするくらい佐助のことがすきなのです。 ほんとうにびっくりです。 「片倉の旦那」 「なんだ」 「今日は何処に行こうか、久々に山に登らない」 太陽はもうすぐ天辺に登ろうとしています。 夏の日差しは影を濃くさせて、小十郎の顔にかかる陰影もいよいよ暗く、表情はますますわかりません。それ でも佐助は小十郎の答えを聞く前に、へらりと笑いました。小十郎の頭の天辺の耳が動いています。 小十郎はうれしいと、耳が動くのです。 耳にすこし遅れて、小十郎の口がいいんじゃねェか、と動きます。佐助は立ち上がって、小十郎に手を差し出 しましたがそれは振り払われました。プライドの高いムーミン一族は、なかなか素直になってくれません。 ただ素直になれないのは、小十郎だけではないのですが。 山に登ると、ムーミン谷が一望できます。 夏のムーミン谷は緑が濃くて、パステルカラーの薄い青のムーミン屋敷が際だってあわく目に映り込んできま した。佐助は笑いながらあれ見ろよ、と指差します。ムーミン屋敷のすぐ近くで、赤い丸がきょろきょろとあ たりをうろついているのが見えました。 小十郎はああ、と声を出して、それからちいさく笑います。 「政宗様か」 「あんたのこと探してんだぜ」 「寝坊なさるからだ。自業自得だな」 「なるほど」 佐助は崖に腰掛けてほおづえをつきます。 空を見上げると、驚くほど近くに濃い青がありました。夏なのです。 小十郎は佐助の横に座り込んで、すこし笑みをほおにくっつけたまま下の政宗を眺めています。政宗は小十郎 がだいすきで、小十郎ももちろん政宗がだいすきです。 佐助はひょいと立ち上がって小十郎の背中に回りました。 「どうした」 それからすとん、と小十郎の後ろに坐ります。 広い背中に自分の背中をつけて、また空を眺めます。小十郎が不思議そうに聞いてきましたが、佐助は無視し てハーモニカを取り出しました。小十郎のお気に入りの曲を吹きながら、もう夏なんだ、と佐助は思います。 夏が来てしまったので、次に来るのは秋です。 秋が終わると冬が来ます。 佐助はハーモニカを吹くのを止めて、小十郎の背中にもたれかかりました。 重い、と小十郎が文句を言います。佐助は構わずに、そのままずるずるとずり下がってへたりと地面に寝そべ りました。空が近く、空気は濃く、視界に映り込んでくる小十郎の髪の色は真っ黒です。 佐助は目を閉じて、もうすっかり夏だね、と言いました。 「そうだな」 「もう日もいっとう長いね―――あとは短くなるばっかりだ」 「そうなるな」 「そうしたらすぐ秋だ」 「そりゃァそうだ」 「うん、それだけ」 佐助はちいさく笑って、帽子を顔のところまでずり下げました。 こういうことを言うとき、佐助はうんざりするくらい自分は卑怯だなと思います。小十郎の怖い顔がますます 怖くなってるのが目に見えるようです。秋とか冬とか言うとこのムーミンは不機嫌になるのです。 もちろん佐助は解っていてこういうことを口にします。 「おまえは」 「うん」 「―――なんでもねェ」 小十郎の呆れたような声がします。 佐助はくつくつと笑いながら、そりゃ呆れもするだろうよと思いました。佐助はこうやって、待っているので す。怖くてちっとも素直じゃない小十郎が、佐助に聞くのを待っているのです。 じいじいと蝉が叫んでいます。じりじりと露出した部分の肌が焦げ付くような音がしました。 そのうちに、諦めたような小十郎の溜め息が聞こえました。 それから、いつだ、と言います。 佐助は帽子を取って、体を半分起こしました。 「いつだ」 「なにが」 「旅に出るのは、今年はいつになる」 「ああ」 帽子をくるくる回して、ちらりと佐助は笑います。 秋かな、と言うと小十郎は嘘吐け、と返しました。どうせまた冬まで居るんだろうが、と言います。佐助はけ らけら笑って、まあねえたしかに、とぽすんと帽子を被ります。 秋に旅に出る、と言うと小十郎がいやそうな顔をするので、佐助は必ず一度はそう言います。 「まあ冬ですよ。出来るだけここに居たいしね」 「だったら」 「うん」 「だったら住み着きゃいいだろうに」 「そうもいかない」 佐助は笑いながら立ち上がりました。 小十郎の提案はとてもとても魅力的ですが、佐助はそれに賛成するわけにはいかないのです。だいじょうぶだ よ、かならずもどってくるからさ。そう言うと、小十郎はじゃあ勝手にしやがれ、と吐き捨てました。 佐助は困ったように笑います。小十郎には申し訳ないな、と思います。このムーミンはやさしいので、佐助が 毎年のようにねだる言葉を必ずいやいやながらも言ってくれるのですが―――答えが分かっている問いかけを 何度もするのはそれはそれは面倒だと思います。 それでも佐助は、小十郎がここに住めばいいだろう、と言うのをどうしても聞きたくなってしまうのです。卑 怯だな、と佐助はまた思いました。 どうせ返さないのに、こちらから請うてばかりなのはほんとうに卑怯です。 今年は新しい曲をあんたに作るよ、と佐助は言いました。 「それで、帰ってきたらあんたに最初に聞かせてやるよ」 帰ってきたら、と佐助は強調しました。 ここは帰るところなのだ、ということを佐助が言うと、小十郎の耳は動きます。 それでなんとなく罪滅ぼしができているような気がするのです。卑怯ですが、しょうがないのです。 ムーミン一族よりも、もっと佐助は素直じゃないのですから。 ムーミン谷は、大きな山々に囲まれています。 一際大きな、おさびし山のふもとで佐助はいつも迷います。春、小十郎たちが冬眠から目を覚ます頃に戻ろう と思うと、まだ雪が残る険しい山々を越えていかなければならないのです。ですが、佐助が迷うのはそんなこ とではなくて、 「いいのかなぁ」 佐助はテントのなかで寝ころびながらつぶやきます。 やはりいつものように冬になってから旅に出て、今佐助はムーミン谷のすぐ近くまで来ています。雪は溶けか けて道はぬかるんで、とてもとても歩きづらいのですがもちろんそんなことはどうでもいいのです。 小十郎に会いたいな、と思います。 おんなじくらい、会いたくないなとも思います。 佐助は何度目かになる寝返りをうって、小十郎のことを考えます。 小十郎と初めてあの谷で会ってから、今までひとところに止まったことのない佐助はなぜだか春になるとどう してもムーミン谷に行きたくなってしまって、今年こそは他のところに行こうと思いながら―――もう何回の 春を迎えたでしょう。途中から怖くなったので数えるのをやめてしまいました。 佐助は毎年小十郎に会いながら、みじめったらしくおんなじ言葉を請いながら、それでもだんだんそれが怖く なるのを感じています。今年こそは、もしかしたら小十郎の言葉に頷いてしまうかもしれない。そう思うと、 歩けば二日で通り抜けることができるおさびし山がなぜだかひどく大きく見えて、一歩を踏み出すのが億劫で しょうがないのです。 「俺はひとりがすきなんだけどな」 言い聞かせるように佐助はつぶやきます。 誰にでしょう。もちろん自分にです。佐助は自分に自分で言い聞かせます。 言い聞かせなければ、佐助はそのことを忘れてしまいそうになるのです。 ほう、と大きな溜め息をつきます。 どうせどれだけ悩んで迷っても、佐助はムーミン谷に行くのです。佐助はすこしだけ自分を馬鹿にするように 笑ってから、考え事を投げ捨てる為に目を閉じました。 森を抜けると、まだ雪の残るムーミン谷に辿り着きます。 佐助が久し振りの谷の空気を吸い込んでいたら、後ろから思いっきりなにかがどんっとぶつかってきました。 「ぉわっ」 「Too Rate!!」 見ると、ちびの政宗です。 片方だけの目でぎろりと佐助を睨み上げて、おまえ年々遅くなってねえか、と政宗は言います。佐助は苦く笑 ってそれを流しました。それは要するに、佐助が年々うだうだ悩む時間が長くなっているということだからで す。できるだけ情けない自分の姿は見たくないものです。 政宗は佐助の肩に飛び乗って、そこで文句を言い続けます。 「小十郎が待ってんだよ。おまえ、それがどんだけ恵まれたPositionか解ってんのか」 「解ってるよ、おまえに言われなくてもさ」 「だったらもっと急げ、馬鹿」 「そこはそれ、こっちの都合なんだよ」 佐助は軽い政宗をひょいと背中のナップザックのほうに寄せて、歩き出します。 今更政宗に言われなくたって自分の情けないところも恵まれているところもよく解っています。それなのに耳 元でぎゃあぎゃあ政宗が何度も何度もおんなじことを騒ぐので―――どうせ帰ってくるのにどうして旅に出る んだよとか、つーか帰ってこなくてもいいんだぜなんだったらとか―――とうとう橋の辺りで佐助はすこし強 めの声で言ってしまいました。うるさいなあ。 うるさいなあ、べつに俺はここじゃなくたっていいんだぜ。 「ここに来るのは気紛れなんだ。べつにここが特別ってわけじゃない」 「Oh,言ったな」 「言ったよ。それがなんだってのさ」 「―――Hey!聞いたか今の」 ぴょん、と政宗は飛び降りて、たたたたと橋を通り抜けて川のほとりに駆け寄ります。 佐助はそれを目で追って、あ、と声をもらしました。 「よォ」 低い声がすこし下から佐助に向けられます。 川のほとりのいつも佐助がテントを立てる場所、そこに。 そこに、小十郎が居ました。 政宗は小十郎の膝に飛び乗って、おい聞いたかよ、とにやにや佐助のほうを見ています。 小十郎は何も言わずに政宗の頭を撫でて、それからすこし笑って軍神が三時のおやつを用意していますよ、と 言いました。政宗は飛び上がって、ムーミン屋敷のほうへ駆け出します。 おまえも早く来いよ、振り返って政宗が言います。小十郎はそれに手を振って、佐助のほうに目をやりました。 それからひとつ笑います。 「なに情けねェ面さらしてやがる」 立ち上がって、小十郎は橋の真ん中まで歩いてきました。 佐助はどうしていいかわからなくなって、とりあえず小十郎の横に並びました。 帽子を取って橋の桟からぶらぶらとぶら下げます。小十郎はそれを眺めながらまた笑いました。それから佐助 の赤い髪にぽん、と大きな手を置いて、 「おかえり」 と言います。 佐助はそれにすぐに返事をすることができませんでした。 小十郎は不思議そうに佐助をのぞきこんでいます。佐助は大分長い間黙り込んでから、さっきのはさ、と言い 訳がましく口を開きました。さっきのはさ、言葉の綾っていうかさ、と佐助がひどくちいさな声でつぶやくと、 小十郎はああ、と思い出したかのように―――とてもどうでもいいことのように声をもらしました。 佐助は眉を寄せて、あんた気にならないのかよ、と言います。 小十郎は首を傾げました。 「べつに」 「なんでよ。案外ひどいこと言ったぜ、俺」 「そうか」 「そうだよ」 佐助はいろいろ悩んで悩んで、ここに居るのです。 さっき言ったことはもちろん佐助の本心ではなくて、けれどそれは小十郎にとってはどうでもいいことなので しょうか。そう考えたらなんとなくかなしくなりました。勝手だとはわかりながらも、佐助はさっきの言葉に 小十郎がかなしい顔をしてくれればいいと思うのです。 小十郎は佐助の言葉にもすこしも表情を変えないで、口を開きます。 「ひどいこと、とてめェで自覚してるってことは、それがおまえの本心じゃねェってことだろう」 ならいいさ。 小十郎はそう言って、おまえ何か言い忘れてねェか、と続けます。 佐助はしばらく小十郎の言葉にぼんやりとほうけた顔をさらしてから、小十郎の手をずるりと頭から降ろして 帽子を被り、とてもとてもちいさな、秋の蚊の鳴くような声で、ただいま、と言いました。 小十郎はおう、と短く返して、それから曲は、と聞きます。 「曲」 「新しい曲」 「ああ」 「作ってねェとは言わせねェぞ」 「怖いなあ」 佐助は帽子の下でちいさく笑って、ちゃんと作ってきたよ、と答えました。 怖いなあ。佐助は胸のなかでもう一度繰り返します。このムーミンは毎年毎年どんどん男前になっていってい るような気がするのですが、気のせいでしょうか。 小十郎は夏にここで暮らせばいい、と佐助に言って、冬近くになると一緒に旅に出る、と言います。 そろそろこの男前さに負けて佐助はこくこく頷いてしまいそうです。 怖いなあ。 佐助はハーモニカを取り出しながらまた思いました。 小十郎は橋の上に座り込んで、佐助を見上げながらもちろん俺が最初だろうな、と聞きました。佐助は笑って もちろんですよ、と答えます。あんたの為の曲だもの、あんたに一番に聞かせるに決まってる。 小十郎は笑って、上々だ、と答えました。 佐助はハーモニカに唇を当てます。 今まで誰も聞いたことがない曲が、風に乗ってムーミン谷に流れ出しました。 おわり |