こどもって可愛いな、くらいにしか佐助は考えていなかった。

会う度に大きくなって、色々なことをし出す。一月も会わなければまるでちがう生き物だ。それでも、佐助が顔を出す
とふたりのこどもはちいさな手を差し伸べて、笑顔すら浮かべてまとわりついてくる。これをいとおしいと思わないの
ならば、それはきっとひとの心を持たぬ者―――敢えて言えば伊達家の家老とか―――であろう。
佐助は弁天丸も幸も、いとおしくって仕様がなかった。おのれと同じ色の髪で、そして言うのはひどくくすぐったいの
で誰にも言うことはないけれども―――小十郎と同じ色の目なのだ。
見る度に顔が緩むくらいは許してくれてもいいだろうと思う。
一年、佐助は以前にも増して奥州に通った。


そして、もう半年奥州には足を踏み入れていない。

















              臆 病 者 は 泣 き な が ら 嘘 を 吐 く


















赤ん坊はすぐに愚図る。

特に夜泣きがひどい。片倉の武家屋敷はおかげでみな寝不足である。
もっとも主の片倉小十郎だけは寝ている。横で寝ている妻のほうはひとり鬱病のようになっているのに、小十郎は朝起
きてもそんなことがあったのか、と首を傾げるだけである。戦場ではちいさな物音にも機敏に反応する龍の右眼は、お
のれの家のことに関しては大抵が大雑把で雑だった。
乳母のあやしでは機嫌の治らぬ赤児ふたりは、小十郎の腕に抱かれると不思議とすうと寝入っていく。おお、と家の者
はみな拍手をする。小十郎は仏頂面になる。

「ははうえ」

と最近双子は言うようになった。
それが家老は気に食わぬらしく、その度に違う俺は母上じゃねェと睨み付けているのだが、赤児にそれが通じるわけも
なく、ただ「母上」に構ってもらえてきゃっきゃと喜ぶ。ますます小十郎の眉間のしわは深くなる。
家の者たちは機嫌が悪くなるという問題ではない。
殆ど寝不足で死にかけている。

「なんとかしてください」

とうとう根負けした家宰が泣きついてきた。
小十郎は首を傾げる。夜泣き如きで何を情けないことを、と言おうかとも思うが実際問題家は大変なことになっている。
仕様がないので赤児はふたりともおのれの座敷に置くことにした。さすがに同じ座敷で泣かれれば小十郎も起きる。
必ずと言っていい程に夜泣き叫ぶふたりに小十郎は辟易したが、仕方がないと真っ赤な燃えるような髪を撫でつつ息を
吐く。理由があるのだ。元々はおとなしい質であったふたりは、あるときを境に夜泣きを繰り返している。
田植えが始まったので蛙が異様なほどに鳴いているなかで、それに負けずと泣き出す赤児ふたりを膝に乗せながら小十
郎は舌打ちをした。
それからつぶやく。

「―――あの阿呆が」

それはすぐに蛙の鳴き声に掻き消された。






猿飛佐助はもう半年奥州を訪れていない。






以前は珍しいことではなかった。
それこそ武田に戦があれば、半年どころか一年近く音沙汰が無いこともある。
元よりなにかの約束を交わしたわけでもないので、基本的に小十郎は佐助がやってくるのを待つことでしかあの男との
誼を繋げようがない。繋げるつもりもなかった。武田のしのびとの仲は小十郎にとっても深く考えることを避けたくな
るほどに複雑で、それでいて単純で、要するに考えても仕様がない。
佐助が縁を絶ちきるのならば、それまでだ。

「But、もうそうもいかねェ」

政宗がくつくつとひどく凶悪な顔で笑いながら言った。
小十郎は膝に弁天丸を置いて、はあ、と気のない返事をする。本来ならば主の前に乳飲み子を連れてくるなど許される
ことではないのだけれど、この場合主本人が望んでいるので例外だ。幸は政宗の肩に乗っかってふらふらしている。
縁側には水無月の焼き付くような日光が差し込んでいて、濃い筈の板間すらどこかうっすらとしろくなっている。肩か
ら幸を下ろして、縁側に放すと這いだした。
それを眺めながら政宗ははん、と鼻を鳴らす。

「俺の大事な右眼孕ましといて、Escapeなんざァ許されるわけねェだろう」
「政宗様、小十郎は別に孕んでおりません」
「おまえの畑から採れたんだから、おまえが孕んだも同然だ、You See?」
「そんなものでしょうか」

小十郎は首を傾げる。
特に腹を痛めて産んだわけでもないので、どうもそのあたりの実感が湧かない。
痛めて産んだとしても湧かないような気がした。政宗の子なら兎も角、どこから産まれようとも所詮おのれの子である。
政宗は呆れて、おまえのHeartは鉄かなんかで出来てんのか、と言う。小十郎はすこし考えてから、だとしたら刀で貫か
れても死なないので便利ですな、と返した。

「No―――Ah、もういい」

おまえに聞いた俺が馬鹿だった、と政宗は言う。

「兎に角、おまえがどう思ってるかは別にしてあのしのびにゃResponsibilityがある。
 真田幸村に使いをやって、ふん縛って連れてくっぞ。幸と丸がこのまンまじゃあ可哀想だろうが」
「連れてきてもあの男なら逃げます」
「そん時ァまた連れてくる」
「あと半年も我慢すりゃァ、このふたりも忘れましょう」

物心も付かぬ赤児の記憶など霧のように不確かだ。
おそらく泣いているのも、なにか足りぬという漠然としたものでしかないのだろう。それこそ佐助は一年の間は呆れる
ほど頻繁に通ってはふたりを抱いていたので、それに慣れてしまったのだ。一年でそれに慣れた。ならば、一年経てば
それが無いのにも慣れるであろう。
小十郎はそう言おうと口を開きかけて、止めた。
政宗は這ってるうちに力尽きたらしい幸を笑いながら抱き上げて、逆さにして揺らしている。きゃ、きゃ、とその度に
幸はひどくたのしそうに笑う。きらきらと、赤い髪が日に映えてひかった。

「政宗様」
「Ah?」
「真田に、使いをやってくださいますか」
「なんだ突然」
「いえ」

ちいさく笑って、弁天丸の頭を撫でる。

「御厚意は受け取っておこうかと、そう思った迄に御座います」

ふうん、と政宗は首を傾げた。
小十郎はそれを眺めながら、すこしだけ痛ましげに目を細めた。
膝の上に乗っている弁天丸に視線を落とす。見上げてくる目はつり上がっていて、どことなくおさない頃の主を思い出
させた。意識はしていないのだろうけれど、親のことになると固執する主が小十郎は痛ましくいとおしい。
使いを送ればおそらく佐助は来ざるを得ないだろうが、それで解決する問題でもないのを小十郎は知っている。ほう、
と息を吐いてこっそりと舌打ちをした。
それでは意味がない。



結局の所、あの男は臆病で卑怯でどうしようもなく―――弱いのだ。



























いやだ、と佐助は首を振った。
幸村は眉を寄せて、行け、と幾度か命じた言葉をまた繰り返す。
天井裏から主を見下ろして、佐助はまた言った。いやだね、御免だぜ。

「そんなん、命令には入ンないね」
「佐助、これは奥州筆頭の直々の命なのだぞ」
「じょーだん」

口角をあげて、佐助は鼻を鳴らす。

「あっきらかに個人的な話に決まってらあ。大体龍の旦那が書状なんてまどろっこしい手段使う時点であやしい。
 大方俺があっち行ったら、あのわけのわかんねえ軍団で取り囲んでふん縛って半殺しの目に合うんだぜ。
 解ってて行く馬鹿がどぉこに居るってぇの」
「―――むう」

幸村が唸った。
納得したらしい。でっしょう、と佐助は大仰に肩を竦めた。

「俺は行かない。行く理由がねえですから」

そう笑う。
幸村は腕を組んで天井を仰ぎ、わからんな、と言った。
更に続けられそうな言葉に佐助はすいと体を退いて、天板をかたんと嵌めた。佐助、と幸村が怒鳴る声が聞こえたが無
視をしてその場をを退いた。上田の城のなかでもいっとう隅まで寄って、蜘蛛の巣をくるくると指で弄りながら佐助は
ほうと息を吐く。髪を掻いていたらはらりと一本抜けた。
それを眺めると、憂鬱になる。

「仕様がねえだろ」

つぶやくが、我ながら言い気がましいなと思った。
赤い髪をかすかに零れてくる日のひかりに透かしてみる。赤かった。血の色だ。戦場で、路傍で、絶えず目に入り込ん
でくる薄汚い体液の色だった。大きく息を吐く。これがあのあいらしい生き物に受け継がれたのかと思うだけでひどく
申し訳ないきもちになる。黒なら良かったのだ。小十郎のあの、夜の闇のようにおそろしいほどに濃い黒なら良かった。
そう思う。けれどおなじように、おのれと同じ色の髪を持つふたりの赤児をいとおしいとも思う。
いとおしくて、慈しんでやりたいと思った。

それで終われば良かったのだけれども、うんざりするほどに佐助は臆病だ。

あーあ、と佐助は声を出した。
それで忘れることにした。考えても仕様がないことを考えても、ますます憂鬱になるだけだ。
もう半年、小十郎とも顔を合わせていない。さみしいな、とすこし思った。そしてすこし苛ついた。どうせあの男は佐
助が訪れなくなったことなど、天気の変化程にも気にかけていないにちがいない。ああ、そういえば居ないなあの赤い
のが位に決まっている。畜生め。佐助は吐き捨ててから息を吐いた。
落ち着くはずの暗がりがいやに息苦しくて、佐助は屋根裏から抜けて庭先に出る。
庭は目を刺すように緑色で溢れていて、それを覆い尽くすように日のひかりが差し込んでいる。物凄い勢いで夏に傾れ
込んでいる景色に目を細めながら、佐助はまたあーあ、と声を出した。夏は駄目だ。小十郎は寒がりで、冬には佐助を
あまやかしてくれるけれど夏になると用済みになった布団かなにかのように放り出す。
こどもふたりを除いてあの男に会う理由すら無い。

「―――困った」

思いのほか困った。
佐助は髪を掻きながら、ほう、と息を吐いた。困った。



会いたいのだ。
要するに。



佐助は塀の上でしゃがみこんで、ほおづえを突きながら会いたいですねえとつぶやいた。

「誰にだ」
「いや誰って、ねえ。―――って」

慌てて後ろを振り返る。
そこに居たものを見て―――佐助はあんまり驚いたので思わず塀から落ちそうになった。

「だから誰にだ」

と片倉小十郎が言った。
縁側で腕を組んで、いつもの仏頂面で佐助を見上げている。
目を丸めた佐助がなにも言わずにぱくぱくと口を開けていると、小十郎がぶは、と吹き出して肩を震わせた。久々にお
まえの阿呆面を見た、とひどく愉快そうに言う声にようやっと佐助はそこに居るのが他の誰でもなく、片倉小十郎なの
だと知る。こんなに一瞬で佐助を苛立たせるのはあの男しか居ない。
眉を寄せて口元を歪めた佐助に、ああ笑った、と淡々とした声で小十郎は言った。

「久しいな」
「そうでしたっけ」
「半年か」
「さぁ、とんと解らない」
「おまえ」
「なんだよ」
「惚けるのが恐ろしく下手だぜ」
「―――うるせえな」

吐き捨てると、笑いもせずに小十郎は肩を竦める。
なんで居るのさ、と問うと使者だ、と短く返ってきた。

「嘘おっしゃいな」

切り捨てると、小十郎は眉を寄せた。

「どうして俺が嘘なんざ吐く。しかもてめェに」
「何処の世界に家老が直々に書状届けに来る国があんだよ」

小十郎はしばらく黙って、それから首を傾げながら奥州に、と言った。
佐助は目を細めて、つまんない、と言った。勿論小十郎が冗談などを言うわけがないので、真面目なのは知っている。
だからつまんない、のはそれではなくて、

「あんたさあ」

佐助は息を吐いた。
小十郎の視線がついとあがる。

「なんだ」
「半年とね、四日」
「なにが」
「俺様が奥州行かなかった日数」
「―――数えてんのか」

小十郎の眉が寄った。気色悪ィな、と言う。
慣れているので佐助は今更なにも思わない。構わずに、あんたにとってはどうでもいいんだろうけどね、と続けた。
小十郎の表情は変わらない。相変わらず切れ長の目は、なんの感情も映さないで佐助を眺めている。
佐助はうんざりした。

「俺にとっちゃ、数える位には大事だったんだぜ」

笑いながら言うと、小十郎の顔が変わった。
佐助は目を細める。すごいな、と思った。ひとはここまでひとを馬鹿にした顔が出来るのだ。
小十郎は佐助よりも下の場所に居るくせに佐助を思い切り見下した顔で眺めながら、阿呆、と言った。佐助は思わずほ
おを緩める。久々に聞くと罵詈雑言でもなつかしい。
阿呆ですよ。佐助は言った。
阿呆だな、と小十郎が返す。

「じゃァ、どうして来ない」
「そりゃ俺様の勝手だ」
「だったらそんな女々しいことしてんじゃねェよ、気色悪ィ」
「うるさいなあ。だぁから、俺の、勝手でしょ」

区切って言うと、小十郎は黙った。
それからはん、と鼻で笑う。

そして、在る言葉を言った。

佐助の肩がひくりと揺れる。
それを見てますます小十郎の顔は―――殆ど、同じ生命体を見ているとも思えぬ程にまで佐助を見下したものになった。
矢ッ張りか。そう言う声もひどかった。今までしのびだ犬だと馬鹿にされてきても、ここまで露骨に馬鹿にされたこと
はない。どうやったらそんなに冷たい声が出せるのか聞いてみたい。
それでも言い返さない佐助に、小十郎はまた鼻で笑った。





「父上と呼ばれて、尻尾巻いて逃げたわけだ」





また言う。
佐助の肩がまた震えた。小十郎は呆れて息を吐く。
そんなこったろうと思った。そう言われて佐助は耳のあたりが熱くなった。

「怖くなったか」

小十郎はそう問う。
佐助は黙って、空を仰いだ。それから、悪いかよ、とつぶやく。
ああそうだよ。怖いよ。ねえ、それって悪いことですかね。続けざまに言うと小十郎はまた息を吐いて、知るか、と吐
き捨てた。知るか、てめェで考えやがれ。佐助はくしゃりと顔を歪める。
小十郎は眉を寄せて苦く笑った。

「情けねェ面」
「あんた、全然やさしくねえな」
「如何して俺がおまえにやさしくしなけりゃいけねェんだ」
「はいはい、そーうですねーえっと」

肩を竦めて佐助は立ち上がる。
ひょいと飛び上がって、石畳の上に降りた。すたすたと歩いて縁側に立っている小十郎を見上げる。
久々に見る片倉小十郎は、それでも相変わらず片倉小十郎だった。佐助は息を吐いて、へらりと笑う。小十郎が呆れた
顔で阿呆面、と言うのさえなんとなく懐かしくて、淡々とした声なのにくすぐったかった。

「丸と幸、元気ですか」
「もう這ってる」
「そっか」

笑ってから、ほおを掻く。
小十郎はそれを見て、夜泣く、と言った。佐助が首を傾げると、

「おまえが来なくなってから、夜泣きが止まらねェ」

とひどく不愉快そうな顔で続ける。
え、と佐助は声を漏らした。小十郎はもう一度、夜泣きだ、と言う。
おかげで家の者に押しつけられて俺まで寝不足だ、と言われて佐助はほうけた。意味がよく解らない。首を傾げると、
小十郎はすこしだけ口角をあげて、さみしいんだろうよ、と言う。

「父上に会いたいんだろう」
「ちちうえって」

俺かよ、と佐助はつぶやく。
小十郎は首を傾げて、他に誰が居る、と言った。

「まあ、おまえが臆病なのは知ってる」
「うわ、ひっでぇ」
「本当だろうが」
「そうだけど」
「だが」
「うん」

ふ、と小十郎はちいさく笑った。
佐助はすこし息を止めた。細められた夜色の目が、真っ直ぐに佐助を見下ろしている。
笑みをほおに止めたままで、ちいさな声で小十郎は続けた。






「―――それでも、あいつらはおまえが良いらしい」






怖くなくなってからで構わん、と小十郎は言う。
そうしたら、来てやれ。そう続けて、小十郎はてのひらを佐助の髪にぽんと置いた。くしゃくしゃとそれを掻き混ぜて、
早く来ねェと忘れられるぜ、と言う。佐助は大きいてのひらの感触に思わず目を閉じた。
困ったな、と思う。夏なのに片倉小十郎がやさしいなんてまだ心の準備がしてないのに、衝撃が大きすぎる。
耳の辺りが熱くなってきたので、慌ててすいと一歩退いた。小十郎は慣れているのでてのひらを戻して、また腕を組む。
佐助はしばらく黙ってから、慣れてないんだよね、と息を吐いた。

「俺さ、自分の物とか、持ってないだろ」
「あァ」
「困るんだよ」
「だろうな」
「可愛いんだぜ。会いたいとも思うよ」
「そうか」

小十郎の答えは短い。
佐助は困ったように笑った。

「もうちょっとだけ、待っててくれって言っておいてくれる」

小十郎は苦く笑って、仕様がねェな、と言う。
ごめんよ、と言うと俺にじゃねェだろうと返される。佐助はそうだね、と言おうとして止めた。
代わりにあんたはどうなんだよ、と問うてみた。

「あんたは」
「俺か」
「そう」
「べつに、よくあることだ」
「―――そう言うと思ったよ」

うっすらと笑って、佐助は早くしないとあんたにも忘れられちまうね、と続けた。
小十郎が首を傾げる。それから、意味が解らない、と言う。今度は佐助が首を傾げた。
もう一度、あんたが俺を忘れたら困るよね、と言う。小十郎はまた首を傾げた。如何してそうなる、と言う。
忘れるか、と小十郎は言った。

「そんなに簡単に忘れられる程、おまえはかわいらしい男じゃあねェだろうに」

佐助は一瞬だけほうけた。
次の瞬間には日のひかりのせいではなくて、熱さで溶けそうになった。
絶対に顔が赤くなっている。隠すために蹲ると、小十郎が縁側から庭に降りてきた。おなじようにしゃがみこんで、佐
助の顔を覗き込んでくる。おいどうした、と問われて佐助はうんざりした。
おいどうした、ではない。

「あんたのせいだよ」

顔を上げて、掠める程度に小十郎に口づけた。
不意を突かれたので、小十郎は何をされたか解っていないように目を瞬かせている。それから接吻されたのだと解った
のか、おのれの唇を指で二三度なぞってから佐助のほうを見た。
そして手を伸ばして、佐助のほおを伸ばす。

「いだだだだだッ」
「勝手にするな。減る」
「わ、わかったからッ、いってえーよッ」

赤くなったほおを手で包むと、小十郎はぱんぱんと手を叩いて立ち上がる。
それから眉を寄せた。政宗様には何と言うかな、とつぶやいてから縁側に上がり、そのまま立ち去ろうとする。痛むほ
おを抑えながら、佐助はその背中に不満げな声をかけた。なんだよ、これでおしまいですか。
小十郎はくるりと振り返って、首を傾げる。

「他に何か用があるのか」
「ないけど―――半年振り、だぜ」
「だったら」
「俺は」

佐助はしばらく黙る。
それから、あんたに触りたいよ、とちいさく言った。
今更隠しても仕様がない。触られたいよ、とも言った。先刻頭を撫でていたてのひらの感触はあんまり心地よすぎて、
あのままずっとそうされていたいくらいだった。
あんたは、ちがうの。佐助は聞き取れぬかどうかも解らぬような、ひどくちいさな声で問うた。
小十郎は何も言わずにただ佐助を眺めている。

それからにい、と口角をあげた。

「止めておく」

丸と幸に怨まれる。
そう言ってから、小十郎は目を細めてまた笑った。



「俺に触りたけりゃァ、とっとと奥州に来な。
 まァ出来たら、だがな―――――――臆病者の父上殿には、ちと無理かもしらん」



馬鹿にするような口調で言い捨てると、小十郎は角を曲がって佐助の視界から消えた。
佐助は眉を寄せて、うるせえよ、と吐き捨てた。小十郎には届いていないだろう。届いていたとしても、たぶんあの男
は何も思わない。佐助は髪を掻いてから空を仰いだ。相変わらず吐き気がするほど青い。
それから、もう這ってるのか、とつぶやいた。あのちいさな生き物がおのれで動くようになっている。

「見て、みたいなぁ」

誰かのものであるおのれには慣れている。
けれど、誰かがおのれのものであるのには佐助はひどく不慣れだ。
だから当然のようにおのれに縋り付いてくる生き物たちは、殆ど拷問に近いほどの恐怖を佐助に与える。怖い。情けな
いが正直な感情だった。小十郎もそれは知っているから、強くは言わぬのだろう。

あんなに弱いものが、おのれのものであるなどひたすらに恐怖でしかない。

だって佐助だって弱いのだ。
おのれの弱さはおのれがいっとう知っている。
小十郎のように強くない。あの男はふたりのこどもが例え何処かで命を落としたとしても主さえ居れば生きていけるだ
ろう。佐助はちがうのだ。いとおしいものは、増えれば増えるほど佐助のなかで重さを等しくする。
大きく息を吐いてから、でも会いたいなあ、と佐助は言ってみる。幸はすこしは髪が伸びただろうか。弁天丸はこの間
会ったときにはすこしも懐いてくれていなかったけれど、今はどうだろう。
愚にも付かぬことを考えながら、結局いつかは会いに行ってしまうであろうおのれに佐助はちいさく笑った。弱くて、
そして佐助はひどく卑怯だ。だからおのれに吐く嘘も得手だ。
時折おのれで嫌になるほどに得手だ。

「まァ―――――いいや」

片倉の旦那が気付いてくれるだろう、と佐助つぶやく。
小十郎は佐助の嘘を見破るのが得意で、嘘を吐くとすぐに殴ってくる。
丁度良い。佐助は弱すぎて、小十郎は強すぎる。佐助はなにかを棄てることが出来なくて、小十郎はたったひとつ以外
のものを持つことが出来ない。お互い足りないところだらけで、どうしようもないから一緒に居られるのだと思う。
うん、と佐助は口元を歪めた。

これも嘘だ。








「―――――片倉の旦那が、寝不足で死んじゃあ困っちまうからね」








目に痛い程の青い空の下で、臆病者の嘘吐きは泣きそうな顔で笑った。


















おわり

 





こどもらが出てこない親子ネタ。
空天さんは「親子ネタ」って言えばふたりをいちゃつかせていいと思ってるらしいです。


空天
2007/06/08

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