嗚呼、俺の願いは叶わないのだ!


     











                  幸 福 か ら 遠 い 生 き 物


























愛姫がくるくると回って、新しく唐から取り寄せた小袖を姿見で眺めている。政宗はそれを見るとはなしにぼんやりと
視界に入れて、女ってのは飽きねェものだなとつぶやいた。くるりと愛姫は振り返り、雛人形のように小作りな顔を笑
みで満たして、おまえさまの買ってくださったものですもの飽きませぬわと小首を傾げてひょいと小袖の裾を持ち上げ
る。そんなものかと政宗は脇息に肘を突いたまま、ぷかりと煙管の紫煙をくゆらせ、そしてふと眉を寄せた。愛姫が不
思議そうに覗き込んでくる。

「どうかしまして、おまえさま」
「いや――――女ってなァ、皆こんなものが好きなものかよ」

愛姫の小袖を引いて、政宗は問うた。
愛姫はすこし考えて、そうですわね、と言う。

「ひとそれぞれでしょうけれど、でも、嫌いな御方はいないのではないかしら」
「Ah―――」

政宗は長く声を漏らして、それから黙り込んだ。
次の朝、政宗は家老の片倉小十郎を呼び寄せた。片倉小十郎はまだ夜も明けきらぬ頃だというのに、一糸乱れぬ風体で、
つめたさの染みいる朝の空気のように凛と背を伸ばし、政宗の座敷に入ると如何致しましたか政宗様とひどく、真っ直
ぐな声で問うた。政宗はおのれの右眼の清廉な姿にしばし見とれ、それから思い出したように扇子で膝を叩き、

「小十郎、嫁ぎ先があるんだが」

嫁ぐ気はあるか、と政宗は問うた。
小十郎はふいと下げていた顔を上げ、切れ長の目を一瞬だけ丸くして、それからすぐにすいと細めてひどく嫌そうな顔
をした。それからすこしだけ声の調子を下げ、一切御座いません、と答える。

「それだけの為に朝から小十郎をお呼びなされたのですか」
「そうだぜ」
「呆れました」
「そうかよ」
「政宗様」
「なんだ」
「小十郎が、女に見えますか」

小十郎は、淡々とした声でそう問うた。
政宗は考えた。しばらくそうして考えて、見えねェ、と答えた。片倉小十郎は女であることを秘してはいない。秘して
はいないけれども、しかし一見すればとても女には見えない。それは小十郎が長くつややかであった黒髪をばさりと根
から切り落とし肩にかかるかかからぬかのところで切り揃え、体をそこらの男にも敵わぬ程に鍛え上げ、あらゆる場所
に傷を負い、胸元を晒で締めつけて、顔にさくりと切り傷をつけているからである。
でしょうな、と小十郎は頷いた。
一体何処の何奴がこんな醜女を娶ろうなどと酔狂を申しましたか、笑う。

「醜女とは思わねェが」

政宗の言葉に小十郎は鼻で笑った。

「如何致しましたか。ご冗談ならばもうしばし時を置いてから仰って頂きたかったのですが」
「冗談でもねェンだがな。なァ、小十郎」
「なんです」
「おまえ、幸せか」

小十郎は眉を寄せた。
政宗はその顔をしばらく眺めてから、愛がな、と口を開いた。
愛がな、女は誰も彼もが綺麗な着物やら簪やら、とにかくそういったものが好きだと言うんだ。小十郎は政宗が何を言
いたいのか解らぬというように眉を寄せ目を細め、そして左様ですかとつぶやいた。
政宗は頷いて、俺はおまえにそういったものを何一つやってねェ、と言った。

「このままだと、永劫おまえはそれを手に入れられねェ」
「結構です。必要ございません」
「見えないでも、おまえは女だろう」
「体は」

体だけです、と小十郎は言う。
政宗はまた黙った。
結局その日はそのまま小十郎を退がらせた。小十郎は特に表情を変えることもなく、失礼致しますと言って入って来た
時とおんなじように凛とした背中を見せて、座敷を退がった。政宗はその背中が襖の向こうに消えるのを眺めながら、
扇子を強く畳の上に投げつけた。
その日の昼に、或る重臣の息子と会った。
小十郎を娶りたいと言う、小十郎に言わせれば酔狂なその男は、目元がひどく涼やかで額が秀でて聡明な顔をしている。
父のほうも大した武将であるが、息子のほうはそれの更に上を行くであろうと前途を待望されている若武者である。そ
の男は、すこし前の秋の宴席で些か酔いを深めすぎて、政宗に対してちらと絡んだ。
殿、とその男は舌っ足らずに政宗に詰め寄り、

「あれではあんまり、小十郎様がお可愛そうとは思われませぬか」

そう言った。
政宗は一つ目を丸めた。
何を言っているのか理解が出来ず、自然仏頂面になった主に対しても酔人はすこしも怯まずに、小十郎様は女性であら
れるというのに戦場では前線にお立ちになりその身一身に槍やら矢やら刀やらいずれも死しても如何ほどの不思議でな
いほどの傷をお受けになられあの御方の体は男でも目を逸らしてしまうほどに引き攣り爛れ果て、そうだというのにな
にひとつ泣き言繰り言仰られることもなく、ただ家老として龍の右眼としてひしと細いあのお身体でそれを享受なさっ
ていらっしゃるあのお姿を見ると―――――――――と、
男はそこまで言って、寝た。
残された政宗は呆然とした。
小十郎を細いと言うこの男は、とりあえず目がすこし狂っているのだろうと思った。
要するに恋うているのだろう。物好きなことだな、と呆れるように思う。小十郎は一見すればやや線の細い男にしか見
えない。決して本人が言うように醜女ではないけれども、どう贔屓目に見ても可憐な姫君とは言い難い。ふたつの目は
女にしては深過ぎる黒で、薄い唇からこぼれる声は女と言うにはあんまり体の芯に響きすぎる。
政宗は小十郎を女として見たことはない。
あれは、右眼だ。
政宗の無くした右眼だ。
たったひとつの、たったひとりの。

「どのような処分をされても、何も言えませぬ」

目の前で平伏して真っ青な顔で謝罪の言葉を述べる例の男を見下ろして、政宗はすこし笑った。

「顔を上げな。ありゃァ、Partyだぜ。無礼講だ。その時のことを責める程、俺も野暮じゃねェよ」
「勿体ないお言葉でございます、どうか」

あの折のことはお忘れください。
政宗はひょいと眉を上げ、それからふんと鼻を鳴らした。

「忘れて良いのか」
「は」
「俺は忘れられんがな」

小十郎は、政宗の右眼だ。
そのことを今まで顧みようと思うことすらなかった。
なかったけれども、政宗は男に問うた。なあ、おまえよ。

「小十郎に、懸想してるのか」

そう問うと、若武者の顔は一瞬でかぁと赤くなった。
まさか、と言う。滅相もない、と言う。予想通りと言えばあまりに予想通りの反応に政宗はうっすらと笑みを浮かべて、
そうかと頷き、そのおまえから見て、小十郎はそんなに哀れな存在か、とまた問うた。
男は一瞬だけ怯んだ。怯んだが、き、と眦を釣り上げて、恐れながらと平伏しながら、

「すくなくとも、其には」

そう見えますると男は言った。
政宗はしばらく黙ってから、男を座敷から退がらせた。









































政宗は随分昔から、決めていたことがある。
天下を取る。それを決めたよりもう随分前に、決めていたことがある。
おさない頃から傍に居た、おのれの右眼に他の誰もが手に入れることかなわぬような手一杯の幸福を与えて与えて与え
て、もう右眼のほうから沢山だと言われる程に、呆れるほどにそれを与える。
政宗が小十郎から与えられたものは、多すぎてどうにもならない。
釣り合わせるのが無理ならば、思いつく限りそれを与えるしか術がない。





































政宗は翌日、また小十郎を座敷に呼んだ。
小十郎は二日にわたる主の召還にも眉ひとつ動かさず、まるでそういうふうに動くことを義務付けられている絡繰りの
ように、前日とおんなじように座敷に入り、おんなじように口上を述べ、そして顔を上げた。
如何致しましたか政宗様。
政宗はゆっくりと口を開く。

「小十郎、嫁に行け」
「またそのお話しですか」

ほうと小十郎は息を吐く。

「結構ですと申し上げたかと思いますが」
「聞いた」
「では手間を取らせないでください。小十郎は、何処へも嫁ぐ気は御座いません」

凛とした声で小十郎は言う。
政宗はたん、と脇息を指で叩いた。

「無論、おまえを下がらせる気は無ェ。これからも戦場には出す。だが片倉の家に跡取りは必要だろうし、それにどう
 してもおまえを妻にってェ奴が居る」
「何処の何奴です」

ひどく不快げに小十郎は吐き捨てた。
政宗は薄く笑って、おまえに言えば奴が殺されちまうなァとつぶやいた。小十郎の目は苛立ちと憎悪で満ちていて、き
らきらとひかっている。
そんなに嫌か、と政宗は問うた。
小十郎は深く頷く。

「何故そのような面倒なことをせねばならぬのですか」

小十郎はただ政宗様のお側に在れば、それで。
政宗はくすぐったさに首を竦めた。
目の前の女を上から下までするりと凝視する。広い肩幅、真っ直ぐな背中、女にしてはどこもかしこも大振りで、どこ
もかしこも一切やわらかげではないけれども、それでも小十郎の顔は整っているし、薄い唇も黒目がちなその双眼も、
見ようによってはうつくしいと言えなくもない。
女として、そう見ようと思えば見れるのかもしれない。
あんまり近すぎて、考えたこともなかった。
小十郎は、女なのだと、当然のことを今まで一度も考えたことがなかった。

「小十郎」
「何ですか」
「これは命令だと言えば、聞くか」

小十郎は息をすっと吸い込み、それから黙り込んだ。
命令ですか、と問う。ああ命令だと答えた。小十郎はまた黙る。沈黙がしんと落ちる。
前日とちがってすでに日は昇っていて、障子の紙の隙間からこぼれる掠れた日のひかりが板間を照らしている。政宗は
そのひかりの掠れが、ちょうど板間の間に差し込む陰を眺めていた。ふと見ると正面に座る小十郎も、おんなじ場所を
見ているようだった。言い合わせるでもないのに、まったくおんなじ場所を見ていた。
急に鼓動が止まりそうになった。

「おい、小十郎」

意味もなく名を呼ぶが、小十郎の顔は持ち上がらない。
目の前に居る右眼は、もちろんその持ち主の声音だけでその内心を知ることができるのである。迷いが声にあるとき、
小十郎は政宗の言葉を遮るような返答はしない。政宗が言葉を吐きながら、それを整理するのを待つのだ。
けれども今、政宗はそれ以上の言葉を発することができない。
小十郎、の、先が思い浮かばない。
おい、小十郎。
小十郎。
何を言えばいい。

「政宗様」

顔を上げると、小十郎がこちらを見ていた。

「ご命令であるならば、聞きましょう。それがあなたの望むことであるならば」

鼓動が動き出す。
今度はおかしなふうに早く、いやに大きく、不快なほどに歪んでいる。
小十郎は顔をゆがめることも、無理に笑みを浮かべることも、ましてや筋を強ばらせるようなこともなく、能面のよう
な顔を真っ直ぐに向けている。政宗は目をそらすことができず、かといってその顔を見据えることもできず、ひとつき
り残った左目を細く窄めた。
そして口を開き、言葉を吐いた。

「そうかよ」
「はい、あなたが望むよう、あなたが望むままに、小十郎の先をお決めください」
「なら」

紅を、簪を、花嫁衣装を。
贅を尽くそう。唐天竺までいっても誰も真似できぬような夢のような宴を開いて、城下まで続くほどの祝いの品の列を
つくってやって、そうして、
そうして。
他に何ができるだろう。

「謡でもしてやろうか?」
「謡」
「高砂でも謡ってやるよ」
「それはそれは」

小十郎は世界中のなにもかもを馬鹿にするような薄い笑みをこぼした。

「身に余る光栄でございますな」
「他にはどうだ」
「他には、と仰られますと」
「他に何か、望むものはないか」
「ありませぬ」
「ねェか」
「はい」

小十郎が頭を下げ、板間に指を突いた。
有り難うございますと言う。何がだと問うと、婚儀の話がだと言う。態々自分のようなもののためにと言う。政宗は
ほうと息を吐いた。おまえが喜ぶのならばそれでいいと答え、笑う。
小十郎の顔がふいと上がった。
冷えた顔をしている。

「政宗様」
「なんだ」
「勘違いをしてらっしゃられるようですが―――、小十郎は、些っとも喜んじゃァいません」
「なんだって?」
「何度も申しましたが」

こじゅうろうは、なにもいりませぬ。

「小十郎は臣下でございますれば、政宗様のご命令は聞かないわけにはいきませぬ。しかし、欲しいか欲しくないかと
 問われれば、なにも要りませぬ。夫など、女としての幸福などもってのほかです。もし、政宗様が、この小十郎を娶
 りたいと言う馬鹿野郎の幸福をかすかにでも望んでくださるのであれば、この話は今からでも破談にするのがよろし
 いでしょう」
「何故、だ」
「何故と申しまして、小十郎がその男と夫婦になるつもりが一切ないからでございます。その男が片倉家に入ったなら
 ば、俺はすぐさま其奴を前線に送りましょう。そうして、屍にして墓に埋めてやります。顔も見ぬうちに、指一本触
 れぬうちに、名すら耳に入れぬうちに、もとよりそんなものが価値のない存在にしてやりましょう。勿論、その男に
 罪はありませぬが、致し方ありませぬな―――あなたの、」

命令とあらば。
言葉に淀みはない。
声に抑揚はなく、そして熱も感じられなかった。
ほんとうのことを言っているのだと、政宗にはすぐ知れた。ひくりと、脇息に乗せた指がかすかに震える。それを律す
るよう、政宗は口を開き、笑い声と一緒に吐き捨てる。

「そんなことは許さねェ―――と、言ったら?」

小十郎はすこし考えてから、答えた。

「では死にます。その男が死なぬのならば、小十郎が死にます」

政宗は黙った。
小十郎も黙っている。
口を幾度か開こうとしたが、結局政宗はなにかしら意味を持つ言葉を紡ぐことができなかった。小十郎の顔には僅かな
動揺すら浮かんではいないので、自分の半端な言葉が割り込むような隙間はどこにもないように思えた。
ほんとうに死ぬんだろう、と思った。
夫を見繕い、女になれと言えば、目の前に居るこれは死ぬのだ。
では政宗は小十郎を幸福にできない。
どうあっても。
どうあっても?
あれほど多くのものを貰っておいて、政宗は小十郎に彼女を抱きしめる腕すら与えてやれない。そう考えると息苦しさ
が次第に増していき、政宗は知らず多くの空気を吸い込むために空咳をした。大丈夫ですかと小十郎が眉をひそめる。
ちらりと視線を上げると、心配そうな切れ長の目の揺れにぶつかった。
一分、壱秒、一瞬。生きる時間が長くなればなるほどに、この存在は自分になにもかもを与えてくる。
追いつくことすら拒絶するのだ。
また軽く咳き込む。
息が苦しい。

「俺では、」
「はい」
「どうだ。俺でも不満か?」

自分は何を言ってるんだろうか。
政宗は軽い酩酊を覚え、こめかみを押さえた。小十郎は一瞬息を飲み込むように、すっと背筋をそらせ、それから顎を
もたげた。切れ長の目が見開かれ、唇は真一文字に引き結ばれている。
動揺している。
耳が俄に熱を持った。

「俺に女として扱われるのは、不満か。俺の女になるのは厭か、小十郎」

言葉を紡ぎながら、政宗は自分の言葉の現実味について思いを巡らせる。
どうだろう、と思う。女として目の前の生き物を見たことはなかった。しかし、如何様な意味であったとしても、自分
にとって小十郎が誰より必要な存在であることは疑いようのない事実である。だとすればその意味のうちに、父で兄で
師で右眼で、そうして女であるということを付け加えることも、出来ないわけではないのではないか。
誰の腕を拒んだとしても、小十郎は政宗の腕を拒むことはしない。
小十郎はまだ黙り込んでいる。
動揺はもう、顔から消えていた。

「小十郎」

政宗は立ち上がり、小十郎の膝元まで歩を進めた。
落ちていた視線が持ち上がる。切れ長の目の黒に自分の顔が映り込んでいるのが見えた。手を伸ばし、太い肩に触れる。
小十郎は微動だにしない。肩から首、顎へと指を滑らせても、矢張り小十郎はその動きを止めはしなかった。
首筋をたどると、平らな喉の感触に触れる。
嗚呼女なのだと今更のように思う。
これは女なのだ。
指を止める。腰を屈め、重なるほど近くに顔を寄せた。近くで見る小十郎の肌は浅黒く、ところどころに凹凸が見える。
妻の陶器のような肌とは比べるべくもない。小十郎の肌は、うつくしくない。
左のほおについた傷跡を、指で辿る。
指で感じ取れる、皮膚が抉れている感触が、意味もなく胸をきつく締め付けた。

「政宗様」

ややあって、小十郎が口を開いた。

「それは、小十郎を室に入れたいということでしょうか?」
「そう、」

そうなのか。
よく解らなかったが、政宗は頷いておいた。
小十郎はまた口を閉じた。何か考えるように、まぶたを伏せ、黙っている。政宗は手をだらりと体の横に落とした。
命令ですかとまた問われればどう答えようかと一瞬思った。命令で女を縛り付けるような野暮なことはしたくはない。
増してその相手が小十郎であればなおのことだ。
だいいち、
自分はこの女を、ほんとうに、女として見れるのか。
小十郎を、他ならぬ、片倉小十郎を。

「政宗様」

何かをつらぬくような声に、はっと顔をもたげる。
小十郎が相変わらずの能面のような顔で、政宗を見上げていた。

「あなたが望むのであれば、それもよいかと」

心臓が急に、どん、と大きく鳴った。

「そうか」
「はい」
「なら」

なら、どうすんだろう。
今目の前の女を、抱いてしまえばいいのか。小十郎を、片倉小十郎という生き物を、抱いてしまえばそれが女として
の幸福を与えてやれることになるんだろうか。
政宗は腕を持ち上げかけ、半端な場所でぴたり静止させた。
なんだか、とんでもなく馬鹿げたことをしているような気になってきた。これはもしかすると、否、おそらく、何の
意味もないことなのではないだろうか。自分は途方もなく的外れなことをしているようだ。
それでも政宗は一旦は動きを止めてしまった腕を、ぐっと持ち上げた。
小十郎の肩を掴む。そうしてゆっくりと力を込め、板間に押しつける。
自分を見上げる小十郎の目の黒に、政宗はほうと息を吐いた。

「抱きますか?」

無粋な声で小十郎が問う。
政宗はすこしだけ笑って、厭か、と問い返した。

「いいえ」

小十郎がほう、と息を吐くように微かな笑みを浮かべた。

「この小十郎、畏れながら、女として誰かに触れられるのであれば、それはあなた以外にはあり得ぬと思って今日ま
 で生きて参りましたゆえ」
「そりゃ、」

熱烈だなァ、と政宗は無理に笑い返す。
ええ、とまた小十郎が笑う。

「小十郎は」
「おう」
「欲しいものはなにもありませぬが、ひとつ」
「ひとつ?」
「あるとすれば」

ぬう、と下から小十郎の左手が伸びてきた。
ほおにひたりと大きなてのひらが触れる。体の下に居る小十郎は、目をついと細めている。それからすこしだけ間を
置いて、あなたが欲しうございます、と言う。心の臓がまたどんと鳴る。おかしな汗が背中に滲むのが解る。
ぐらりと世界が揺らぐ。
小十郎は笑みを浮かべている。

「Ha――、俺がなァ!」

強張るほおを解すために、高く笑い飛ばしてやった。

「ええ、あなたが」
「面白ェ、くれてやろうか?」
「くださるのであれば、是非にでも。ただ」
「ただ?」
「ただし」

右手が伸びてくる。
左とおんなじように、それもまた政宗のほおに添えられる。小十郎のてのひらの温度はぎょっとするほどに低く、そ
のためにことさら自分の皮膚の熱を強く感じられるような気がして、政宗は眉をひそめた。
動揺ばかりしている自分に対して、小十郎のすずしげな顔が気に入らない。
政宗はすこし乱暴に小十郎の腕を振り払い、小袖のあわせをぐいと左右に開いてやった。
紺の絣の下から、浅黒い肌がのぞく。男ではありえない肉のふくらみに、政宗はかすかに息を飲み込んだ。
おんな、だ。
疑いようもなく、女の体である。

「よろしいのですか、政宗様」

女の体をした小十郎が、常のように平坦な声で問いかけてくる。
問いの意味が解らずほおを歪めた政宗に、とおに笑みを引っ込めていた小十郎はかすかに首をかしげ、言葉を継ぐ。

「小十郎はまだ条件をすべて、言い切ってはおりませぬぞ」
「Ah、条件?」
「ええ、条件です」

だらりと板間に落ちていた小十郎の手が、自らの小袖の襟にかけられ、元よりはだけていたそこを更に押し開く。
政宗は目を見開いた。小十郎は、平然としている。
よく見ると浅黒いのは鎖骨の下ほどまでで、あとは驚くほどしろかった。

「この小十郎を女として欲しいと仰るのであれば、小十郎も男としてのあなたが欲しうございます」

政宗はしろい肌に目を落としながら、小十郎の問いの意味を考えた。

「――男として?」
「はい、独眼竜としてではなく、領主としてでもなく、ただ、あなたという、一個の男のぜんぶが」

欲しいのです。
と、小十郎は言う。
それは単純に言葉面だけでとると、なにか熱のこもった睦言のように聞こえた。しかし言葉にはまるで熱は籠もって
おらず、小十郎の声の調子は、それだけ聞いていると軍議で謀略をとうとうと語るときのそれとまるで変わらない。
政宗は、一瞬躊躇した。

「ぜんぶですぞ。政宗様。すべてです。小十郎の言葉の意味が、お解りになりますか?」

その一瞬の躊躇につけ込むように、小十郎が言葉を畳み込む。

「これは比喩でも睦言でもありませぬ。契約の話でございます」
「契約だと?」
「はい。契約です。もし政宗様が、小十郎を右眼としてではなく、女として欲しいと仰るのであれば」

お捨てください、と小十郎は言った。
凛とした、戦場で名乗りをするときのような声だった。

「御方様も、他の側室の方々も、小姓も、あなたの肌に触れる小十郎以外のすべての生き物をお捨てくださいませ。
 この戦国の世、政略の婚姻は避けがたいと仰るのであれば伊達の名をお捨てください。名も家も禄もすべて捨てて、
 あなたは、政宗様。それでも小十郎が欲しいと言えますか?」

政宗は何も言えなかった。
到来物の小袖を纏って微笑んでいる愛姫の顔が瞼の裏でゆらゆらと揺れた。
小十郎を見下ろす。小十郎の切れ長の目と目が合う。迷いのない黒を見て、屹度この女は自分のためにすべてを捨て
られるのだろうと思った。否、そんなことは始めから解りきっていたことである。小十郎はもとより、何もいらぬと
言っていたではないか。
こじゅうろうは、
急に体の力が抜けた。
見計らったように、小十郎が軽く政宗の肩を押して立ち上がった。乱れた襟を整え、何事もなかったかのように跪き、
話も済んだようですので、とその場を退がろうとする。政宗はのろのろと顔を上げ、小十郎の顔を見た。まるで朝の
挨拶をしにきたのと変わらぬ涼しげな顔をしている。
すこしぞっとした。
目の前にいるものが、得体の知れないものであるような気がした。

「おまえは」
「はい」
「何だ、一体」

口をついて出たのは、そんな愚にもつかぬ問いだった。
笑うか呆れるかすると思った小十郎はしかし、如何にも晴れやかな笑みを浮かべて、

「あなたの右眼にございます」

と答えた。
政宗はしばらく黙り込み、そうか、とつぶやいたあと、諦めたようにちいさく笑うしかなかった。















おわり




どこに放り込むべきか迷った末に結局こじゅまさコーナーに。
たとえにょこじゅでも当サイトのCP表記はあくまで小十郎×政宗です。

ほんとは111のお題にいくはずでしたがべらぼうに長くなったので個別アップです。


空天

2010/09/14


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