赤は鮮烈過ぎて目に痛い。
それでもそれは矢張り、おのれの黄金色より余程うつくしいと思う。



















                          赤 い 駕 篭




















息せき切って、道とも言えぬ獣道を直走る。
途中いくつかの枝や背の高い葦が皮膚のそこかしこを斬り付けたが、構いもせずひたすらかすがは走った。左の胸の奥にひそま
っているものははち切れんばかりに振動し、まだ春も遠いというのに汗が溢れ出る。それは単純に許される限度の運動以上のも
のをおのれに強いているからでもあるし、湧き出でる怒りのせいでもあったし、そうしてその汗が温度を持たないひんやりとし
たものであるのはもちろん、わずかばかりのかなしみのせいでもあった。

里の集落のなかでもいっとう奥の、誰も近寄らないような社をその女は根城にしている。

普段は笑顔以外見せぬような、飄々とした人懐こい女だ。
かすがよりよほど人当たりは良いし、その女の回りにはいつもひとが居る。それでもその女の帰る場所はいかにもさみしげなそ
の社である。由を問うたことはないけれども、きっと問うても答えは返って来ないだろうことをなんとなくかすがは解ってる。
初めて会ったときは、未だふたりとも十にも手が届かぬような頃だった。
その女は、未だその頃は童女だったけれども、大の大人も出来ぬような術をいくつも使いこなして、それでおさなげな顔をしん
と沈ませているようなそういう女だった。話には聞いていたけれどもかすがはそれに敵愾心を持っていて、噂に聞いたその女の
術をおのれも全て得るまでは決して近寄るまいとそう決めていた。
昼も夜も春も冬も、かすがは延々おさない体を強いて鍛え続け、
ようやっともうすぐその童女の使うという術をすべて手に入れようというそのときに、

「うわあ」

冬だった。
そうして夜であった。
きんと冷えた世界で、たったひとりで鍛錬所で印を切っていたかすがの背後で間抜けた高い声があがった。弾かれたように振り
向けば、白黒の単色な世界のなかで、いろが溢れるようにあるひとところから撒き散らかされていた。
ちいさな童女が、ひとりかすがを見据えている。かすがは目を見開いた。
赤い髪赤い目しろい肌。
いろの洪水でくらりと眩暈がした。

「すごい」

その赤い女はそう言った。
雪のなかを駆け寄ってくる。そうしてかすがの冷え切った手を掴んだ。

「すごい、ほしみたい」

きらきらしてる。
そう言う。
かすがは息を飲み込んで、眉を寄せた。
女は顔をほのかに赤らめて、すごいすごいと捲し立てる。あんたきれいだね、とそう言う。こんなにきれいなひと、おれあった
ことない。かすがは首を振った。どうしていいか解らなかった。
おほしさまだってこんなにひからないよ、と女はへらりと笑った。

「ねえ、あんたなんてなまえなの。おしえてくんない」
「―――――――え、あ」
「おしえて」

赤い目が細くなり、うっとりといろを濃くする。
かすがは魅入られるようにちいさくおのれの名を告げた。
赤い童女は何度かそれを口のなかでつぶやいて、いいね、と笑い、そうしてこんどは自身の名を告げた。おれはね、と言う。お
れはね、さるとびさすけっていうんだ。
かすがはそこでようやっと、目の前の童女が噂のその童女であることを知った。
それから今日まで幾年も、きれいだきれいだと、やたらと佐助はかすがを讃える。きれい、ほんとにきれい。おまえより綺麗な
女は何処にも居やしない。星も月もおまえの前じゃ薄汚い、唐天竺や雲上の姫君もかすがの前に出ちゃぁ形無しだ。綺麗な髪綺
麗な肌綺麗な目、それになにより―――――――おまえのその天女のような誇り高さ!
うっとりとろけて、しあわせそうに佐助は言う。
ねえ、かすが。

「俺におまえを守らせておくれよ」

































かすがは社の前に立った。
息を飲み込んで、崩れかけた戸に手をかける。
からりとそれを乱暴に引く。昼間でも暗い小屋のなかに開いた戸からこぼれたあかりがついと忍んで、真っ直ぐに伸びたそのひ
かりの線がしろい肌を切り裂いた。
さすけ、とかすがは口を開いて名を呼ぶ。
ふいと闇のなかで何かが動く気配がした。

「かすが」

不思議そうな声が返ってきた。
かすがは憤りでくらりと眩暈がして、何も言えずに社に入り込み、なかの女の腕を掴んだ。闇のなかで佐助が息を飲む。ひう、
という無様なそれに、かすがは鼻で笑って馬鹿じゃないかと吐き捨てた。

「また怪我か。いい加減にしろ」
「あちゃあ、ばれちゃったか」

ようよう目が慣れて、佐助の輪郭がはっきりしていく。
佐助は晒を咥えていて、腕には既にそれが巻かれている。上半身は完全に顕わになっていた。どうやら腹にもなにかしらの傷
があるようで、狭い社のなかは噎せ返るような血と体液のねっとりとした臭気で満ちている。
大したこたぁねえよと佐助はかすがを安堵させるようにちいさく笑った。

「深くはないんだ、ちょっと範囲が広いだけでね。矢鱈と血が出ちまッたから見た目は酷ぇけど」
「また、任務か」
「うん、まあ」
「里長からの」
「そうそう」

佐助は器用にくるくると晒を巻いていく。
かすがはおのれの膝に手を置いて、ぎゅうと強く握りしめた。
嘘を吐け、と言う。嘘を吐け。佐助の目が丸くなる。不思議そうに細い首が傾げられる。かすがは咄嗟に、手を伸ばしてその
しろくて細い首を括ってやろうかという衝動を寸でのところで抑えつけた。
それは、と言う声は掠れてひどく不格好だった。


「それは、それは―――――――私の、任務だろう」


しんと沈黙が落ちた。
佐助の丸い目が、半円になっている。
かすがはどくどくと煩い血脈を断ち切ってやりたいと思いながらひたすら眼前の女を睨め付ける。時がしばらく無意味に流れ
て、それからようよう、佐助が口を開いた。
へらりと笑う。

「そうだけど、それがどうかした」
「―――――――ッ、舐めるのも、いい加減に」
「舐めちゃいねえよ、何言ってンのさ」

佐助は手を伸ばしてかすがの髪をすいと掬った。

「大した任務じゃなかったから、おまえが出るまでもねえと思っただけだよ。
 おまえは戦忍なんだから、なにもあんな薄汚い任務をするこたないのに里長も見る目がねえよなあ」

ひょいと肩を上げて佐助は言う。
それから髪を撫でていた手を落として、肩から腕をゆるりゆるりとなで下ろす。目を細めて口角をあげて、おまえのその腕は
戦場で、きらきらきらきら、そうやって使うのがいっとう良いに決まってる。
ねえそうだろうと佐助は言う。
かすがはさわさわと背筋に走る悪寒に戦慄した。
腕の傷腹の傷、どれもこれもが致命傷ではない。理由は簡単だ。それは命を削る為に付けられたのではなく、あくまでこの女
が苦しみ悶え涙を流す為に付けられた。おそらくは、褥のその上で、ひとつひとつ痛みに悶える様を目に刻みつけながら、脂
下がった醜い顔が佐助の上で―――――――嗚呼。
かすがは声を上げて頭を振った。

「私もくのいちの端くれだ。閨の任とて厭うたりしない。
 どれもこれもを私の知らないところで掠め取っていくのは止めろ、ふざけるのもいい加減にしろッ」

激昂した高い声にも、佐助はぼうとほうけた顔をしている。
かすがは肩で息をしながら絶望にすうと引いていく血を遠く感じた。佐助の眉が下がって、口元が情けなく歪んでいる。解ら
ないのだろう、と思った。この女は、かすがの言っていることが解らないのだ。
鼻がつんと痛んで、目頭がきゅうと熱くなった。
佐助が慌てて手を伸ばしてほおを包んでくる。

「かすがかすが、どうしたの、泣かないで」

泣かないで泣かないで。
どうしておまえは俺の前だと泣いてばッかりなんだろう。

「なぁ、そうだ。俺さ、仕事先の大名からきれいな召し物を掻っ払ってきたンだ。
 おまえに絶対似合うと思ってさ、そりゃぁ綺麗な紅色の小袖なんだよ。ねえ、後で俺に着せて見せてくれよ」

きっと似合うぜと佐助はかすがのほおにおのれのほおを擦りつけてくつくつと笑う。
かすがは涙をほろほろと零しながら、何も言えずに頭を振った。どうしたらいいんだろう、と思った。
この愚かな女を一体どうしたらいいんだろう。佐助は泣き続けるかすがの涙を指先で拭って、心配そうな顔をしているけれど
も、それでもその顔はかすかに悦が滲んでいておのれの泣き顔にすらこの女は魅入るのだと思ったらもう死ぬしかないんじゃ
ないかと思った。どうしたらどうしたら、かすがは泣きながら佐助の肩に鼻を擦りつけて思った。

どうしたらこの女を私から解放することが出来るんだろう。

佐助はまだ身を清めていないらしく、体からは男のにおいがした。
饐えたような精液のにおいに、汗のにおい。身も震えるほどにおぞましい。それをおぞましいと思ってしまう初心なおのれは
つまり、徹底してそういう場所にかすがを関わらせないようにしていた佐助が創り出したものだ。
赤い女にすべてを支配されているのだと思うと恐ろしくて体が小刻みに揺れた。
佐助はうっとりとかすがの背中に手を回して、すっかり冷えちゃッてかわいそうに、と言う。

「思い出すね、初めて会ったときのこと」

おまえはひとりっきりで雪の中に居て。
印を切っては術を出して、その度にきらきらきらきら、髪がひかって。
しろい肌が赤くなって、榛色の目がびっくりするくらいに透明で心底驚いた。

「おまえはあの頃から変わらない」

ずうっときれい。
これからもずうっとそうでいてね。
おれはそのためならなんだってしよう。
おれのおほしさま、おれのおひぃさま、おれの、

「かすが」

女にしては低い声がとろとろと蕩けて、耳を浸食する。
かすがは佐助に抱きすくめられながら、いつかきっとこの里を出ようと思った。
この里を出て、この女から出来うるだけ遠いところへ行こう。そうして二度と出会うまい。出会ってしまえばそれが最後、
きっとかすがは佐助の赤い目に逆らうことなど出来る筈がない。
あの雪の日に魅入られたのは佐助だけではない。
赤い髪赤い目しろい肌、いろの洪水。













おまえなんか大嫌いだとかすがは掠れた声を絞り出した。







おわり

 





にょさす×かすが。
にょさすは馬鹿だと良いと思うわけです。


空天
2008/01/27

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