昼見世は味気なく、客も来ないので暇だ。 猿飛佐助は煙管をふかしながらころりと座敷に寝転がった。天井には鮮やかな、というには趣味の悪いほどにきらびやかな色でな にか模様が描かれている。なにが描いてあるのかは知らぬ。この部屋の前の遊女が描かせたのであろう。この部屋に来てから三日 経つが、たとえひととせ此処に居てもあれをよいとは思うまいよと佐助は目を閉じる。 下で、遣り手婆が佐助を罵る声がする。 佐助は気づかなかったふりをしてそのまま寝た。 白 河 夜 船 の 案 内 人 猿飛佐助は、仙台は三浦屋の女郎である。 女郎には階級がある。最上位を太夫といい、格子女郎、散茶女郎、局女郎、端女郎、切見世女郎とくだる。佐助は散茶であった。 花魁のなかには気位が高く、客を拒否する者もすくなくない。散茶とは煎茶に由来する名称で、挽茶、つまり抹茶であるが、それ より階級は落ちるが引かれることもない、ようするに客を振ることがないという意味である。権利が無いわけではないが、客を退 ければそれだけ年季明けが伸びる。散茶女郎の揚げ代では、客を振れば身を売れる間に年季が明けぬ。 が、佐助は例外だった。 「あんたは一生此処に居るつもりかィ」 遣り手婆が呆れて息を吐く。 佐助は煙管をくるくると回しながら、へらりと笑った。 「あんたの次の遣り手は俺様が担ってござんしょう」 「真っ平だよゥ。馴染みも作らなけりゃァ、新しい客も作らないじゃあほんとうならあんた部屋だってあげられないンだよ」 「感謝してますとも、花魁の不義密通、黙ってりゃ部屋持ちたァよいご身分だ」 佐助は笑いながら身を起こし、煙管に煙草を詰めて火を付ける。 ふわりと煙を吐き出し、窓の桟に肘を突いた。往来を見下ろせばひとはまばらで、まだ座敷に居座っている遣り手に佐助はこんな んじゃ昼見世出たってなんもないだろうと言う。遣り手は額に指を置いて首を振る。 「それでも出るのがあんたらの仕事だろゥ」 「どうせ俺が出たって客なんぞつかないよ。俺ァ、こうやって上から姐さんたちの悲喜こもごもを見てるのが性に合ってんのさ。 飯だって炊くし、道中の付き合いもするだろう?それでいいじゃん。年季明けたらあんたの跡でも継ぐさ」 「佐助ーーーーーーー」 「ホラホラ、あんたはお戻り。これ以上煩いと高田様に花魁の情人のこと言っちまうぜ?」 煙管を向けて脅せば、遣り手は諦めて座敷から出た。 佐助は再びころりと仰向けに寝転がり、目を閉じる。女郎商売がきらいなわけではない。体を売るのも、生まれたときから廓に居 るのだから今更嫌もない。が、面倒だった。年季が明けて自由になれども、他に生き方を知るわけでも頼る親戚筋が居るでもない のだからどうせ奴女郎にでも身を落とすか夜鷹になってその日の泡銭を稼ぐしか無いのである。ならば三浦屋ほどの大店で、遣り 手婆で偉そうに遊女を虐めるほうが余程楽だ。目を開くとまた妙な天井の模様が降りかかってくる。赤と青がぐるぐると旋回して いて、見ていると目を回しそうになる。 (なんだろ、あれほんとに) 天女らしき女が見える。 天上図なのだろうか。それにしては色が低俗だが。 つらつらとそんなことを考えていたら夜見世の時間になったので、仕様がなく佐助も起き上がり支度をする。客は付いたり付かな かったりだが、佐助に馴染みは居ない。作らないのだ。二度以上は相手にせぬことにしている。馴染みになれば他の客を取るとき に面倒であるし、四季折々の頼りも出さねばならぬ。それが面倒だった。他の女郎に言えばおかしな顔をされるが、ひとりの男を 離さぬように延々引きつける魅力がおのれにあるとは到底佐助は思っていない。顔も人並みであるし、手管はそれなりに自信はあ るが媚態は面倒くさい。要するに、佐助はやる気がないのだった。 夜見世でも他の女郎が男達の目を惹こうとしている横で佐助は大きく欠伸をする。 はやく終業になればいい、といつも思う。隣の女郎がちょいちょいと小袖を引っぱってくるのにおざなりに返事をしていたら、ま わりの女郎も騒ぎ出した。 「ご覧よゥ、彼処の」 「いい男でありんすなァ」 其処で初めて佐助も視線をあげて、格子の外を見た。 格子に群がる男たちの向こう側にぽつりと立つ大きな影が灯火で照らされている。縞の着流しを着た、偉丈夫である。艶やかな黒 髪を後ろに流し、左のほおにすうと首筋まで伸びる切り傷がある。武士だろうかと女たちが騒ぐ。佐助は一瞥だけしたが、すぐに 興味を無くしてまた欠伸をした。いい着物であった。いずれどこかの大店の若旦那か、そうでなければ良家の跡取りか。 (どっちにしろ俺にゃ関係ないやな) 早く終わらないかなあ、とこっそりと息を吐く。 客が付いてしまった。 佐助は渋々腰を上げる。嗚呼面倒臭いとぼやけば遣り手から頭を叩かれた。 指定された座敷の障子を開け、上座に座る。顔を上げて佐助は思わずあ、と口を開いた。 「どうかしたか」 客に問われて、慌てて首を振る。 客は先ほど張見世の折に女郎たちに騒がれていた男であった。縞の着流しのうえに藍染めの羽織がすずやかで、傍目にも相当な仕 立てということはすぐ知れた。片倉小十郎、と男は名乗った。知った名前であった。 杯に酒をとくとくと注ぎながら、佐助は問うた。 「片倉の、というと御家老の家系ですか」 「ああ」 「このような店には、よく?」 「別に」 男の返事は短い。 佐助は肩の力を抜いた。初会では肌を合わせぬのが通例であるが、それにしてもこんなにも淡泊なやり取りをしたことはない。男 は酒を飲み、膳に箸を運ぶばかりで佐助のほうを見ようともしない。さっき往来に居たのを見ましたよ、と言ってみた。男はすこ しだけ視線を動かして佐助を見て、それからまたすぐに杯を傾ける。そして、知らん、と言った。 「いっとう面倒じゃねェのを、と言ったらおまえが来た」 「はあ」 「悪いが形式張ったのは鬱陶しい」 「野暮なことを仰るねえ。まさかいきなり床入り出来るとも思っておりますまい?」 皮肉に口角をあげる。 小十郎はすこしだけ黙り、それから寝る、と言った。佐助は嗤う。女郎と初会で床入れが出来ると思っているのは野暮である。ふ つう、床入れは三会目ではじめておこなわれる。旦那は遊び慣れていらっしゃらないね、と言ってみるが、小十郎は構わずに膳を 佐助のほうへと押しのけて、ごろりと横になり、 「・・・・・・・・・・・・・はあ?」 そのまま目を閉じた。 佐助が目を見開いてぼうとしていると、そのうち寝息が聞こえてくる。肩を揺り動かしてみるが、鬱陶しげに払われた。寒い、と ぼやかれたので反射的に打ちかけを屏風から取って小十郎の上にかける。もぞもぞとしばらく動いていた体は、やがてほんとうに 眠りについたように動かなくなった。横の間からはあえやかな息づかいが聞こえてくる。佐助は呆然と肩を下ろした。 「・・・・ほんとに寝ちゃったよおい」 口に出したら、笑えてしまった。 佐助はしばらく所在なさげに小十郎の背中を眺めていたが、阿呆らしくなって押しのけられた膳を引き寄せて杯に酒を注ぎ、飲み 干した。初会で女郎が食べ物を口にすることは本来無い。が、まァいいだろうと思った。客に寝られたのはさすがの佐助もはじめ てである。ここまで虚仮にされるといっそ清々しい。 膳の皿を次々に空にしながら、ちろりと小十郎の顔を覗き込んでみた。眉間にしわが寄っていて、眠っているというのにひどく辛 そうな顔である。戯れに眉間に指をやって伸ばすようにさすってやる。しばらくそうしていたら、呻き声をあげて小十郎が目をう っすらと開いた。 「あ、起きちゃった」 「・・・・なにしてやがる」 「いやァ、あんまり辛そうな顔して寝てるもんだから」 「・・・放っておけ、退け」 「それがそうもいかないんだ、これが。寅の刻までは此処にいねェと、さすがの俺様も遣り手に折檻されちまうのさ」 「知らん、俺は、寝る」 小十郎はまたもぞもぞと打ち掛けに潜り込む。 佐助はその横にころりと寝ころびながら、そう、と首を傾げる。それからおやすみなさい、と言った。 「良い夢を、旦那」 へらりと笑うと、小十郎がすこしだけ目を開いて佐助を見た。 黒目がちな目は驚くほど黒が濃い。佐助は色素のうすい目をしているので、羨ましいなと思った。小十郎はしばらく佐助をじいと 凝視して、それからまた目を閉じる。今度は眉間にしわは寄っていなかった。やがてまた寝息が零れ始める。佐助はほおづえをつ きながらそれを眺める。整った顔の男である。切れ長の、鋭い目が閉じられると幾分印象がやわらかくなる。 (何しに来たんだろうねえ、この御仁は) 廓にほんとうに寝に来る男など聞いたことがない。 此処でなければ寝れぬ訳でもあるのだろうか。片倉と言えば城主の信用も厚い家老の家系。廓代など端金であろうけれど、それで も酔狂が過ぎる。訳があるのだろう、佐助にはそれを知る由もないが。 白河夜船の刻になり、佐助も眠くなったのでそのままころりと眠ってしまった。 朝起きると、小十郎は既に身支度をして窓の桟から往来を眺めていた。 佐助はひとつ伸びをして、お早う、と言う。小十郎は頷いて、それから立ち上がった。 「出る」 「はあ、それまたお早いこって」 ふいに小十郎の視線が上に行った。 佐助も見上げる。天井の模様である。あれなんでしょうねえ、と佐助が言うと天竺だろうと小十郎は応えた。それ以上はなにも言 わぬので、そこで会話は終わってしまう。言葉のすくないおひとだな、と思いながら佐助はそれではさようなら、と頭をちょこん と下げた。小十郎は何も言わずに、からりと襖を開いて出て行った。 ぽつんと座敷に残された佐助は、息を吐いた。 「・・・あんな客ばっかだと楽だねえ」 たっぷり二刻半は眠ってしまった。 客が帰れば、それから正午までは女郎には寝ることが許される。佐助はこれ幸いと布団を引いてまた寝た。運がよい、と思った。 酔狂な客のおかげでまるで正月である。もう来ないだろう男の顔をすこしだけ思い出しながら、佐助は心地よい布団の感触に身を ゆだねた。片倉小十郎、という名前が浮かんで消えた。 ちゃらん、と音を立てるのはびいどろの簪である。 佐助は目の前に積まれた簪と打ち掛けと小袖の山に、ぽかりと口を開いて黙り込んだ。遣り手が嬉しそうに手を叩く。 「あんたもやりゃァ出来るじゃないのさァ。まさかご家老捕まえるとは思わなんだよゥ」 「ご家老って。伊達の?」 「そうさァ。ああもう、これでうちの店も安泰だ」 「えー」 信じられない。 まだ呆然とする佐助の周りで、ばたばたと騒々しく音が立つ。いつの間にか遣り手も居ない。青いびいどろの簪をなんとはなしに 手にとって、日の光に透かして見た。きらきらと青が光っている。佐助の部屋の天井の青とはまるでちがう色である。きれいだな と思った。頭があまりのことにまだ整理がつかず、どうでもいいことばかりがつらつらと浮かぶ。 (俺なんか気に入られるようなことしたか?) していない、と断言できる。 そもそも体を重ねていないのだ。会話も数える程である。びいどろなど、太夫とて持ってはいまい。きっとこれだけ売っても庶民 の家が建つ。信じらんね、と佐助はつぶやいた。あほじゃねーの、あのひと。 「俺にこんだけ払う価値なんぞねーんだけどなあ」 「俺もそう思う」 「そうだよねえ・・・・って」 がばりと振り返る。 柱に背をもたれて立っているのは小十郎だった。ぱちくりと目を瞬かせていると、体を浮かせた小十郎が山と積まれた衣服の上に ぽとんと小判の束を投げた。佐助が首を傾げると、表情ひとつ変えずおまえは今日から花魁だ、と言う。 「家老が遊ぶにゃァそれ相応の格じゃァねえと体裁が悪ィんだとよ」 「へ、は?花魁?誰が?」 「てめェだ。ただし、専属だ」 「専属?誰の?」 「俺のに決まってる」 「はあぁ?」 思い切り顔をしかめると、伽はいらん、と構わず続けられた。 寝に来るだけだから芸も踊も詠もいらん、と言う。佐助は呆れた。あんまり馬鹿にしている。しかしもうあの遣り手の相好を見る につけ、あきらかに店は佐助を売っている。畜生、と佐助は遣り手を恨んだ。小十郎は相変わらずすずしい顔のまま、佐助の手の なかの簪を取って、赤い髪に挿す。 それからぽつりと言った。 「笑える程、似合わんな」 まあいい顔が無くてもいいんだべつに。 ひどく失礼なことを言い捨てて、ころんと小十郎は座敷に寝転がった。そして佐助を仰ぎ見て、この間の、と言う。 佐助は首を傾げた。この間の、とは何であろう。小十郎はしばらく佐助を待って、それから息を吐いた。眉間にしわが寄っている。 そこで、佐助はああと気づいた。 ずりずりと膝を進めて、小十郎の傍まで行って、迷いつつ言ってみる。 「・・・・おやすみ、なさい?」 「あァ」 「よい、ゆめを」 額に手を当ててみると、すうと小十郎はそのまま目を閉じる。 やがて漏れ始めた寝息を聞きながら、佐助は眉を寄せてどうしようかと腕を組む。花魁だという。佐助が。ではまさか道中やらな にやらしなくてはならぬのだろうか。うわあ面倒臭い、と佐助は首を振った。しかし小十郎の専属だというのだから、しなくても いいかもしれない。だったらいいなーと思いつつ、そろそろと小十郎の額から手を除けた。 小十郎はすやすやと眠っている。 「・・・うーん」 まあ仕様がない。 佐助には選択肢が無いのだ。体を売らず、これだけいい生活をさせてもらえるというのだから暁光だと思うべきだろうか。そうや もしれぬ。小十郎は喋らないし、楽な客だ。得をした、と思うことにしようと佐助は結論をつけた。 「ーーー白河夜船の案内人も、まァ悪くねーか」 つぶやいて、天井を仰ぐ。 天竺の模様は、貰った小判で描き変えようと思った。 おわり |