ぱちぱちと木が爆ぜる音に、沈殿していた意識がふわりふわりと浮き上がっていく。
猿飛佐助は低く呻き、軋む体を半分ほど起こした。かすむ視界は、一面、あか、あか、あか。
片隅に、黄金が見えた。
佐助は息を飲む。
「かすが」
喉から絞り出された声はひどく掠れて、ほとんど音にすらなっていなかった。
天王山の山頂は、一面火に囲まれている。佐助はぼんやりとする頭のなかで、ちらりちらりと先程までの風魔のしの
びとの戦のことを思った。そうだ、と思う。そうだ、負けたんじゃねえか。
佐助は腕を張って、体を起こす。みしみしと骨が軋んで、眉が寄った。地を芋虫かなにかのように這い蹲り、じりじ
りと正面に倒れている黄金へと腕を伸ばした。細く薄い肩に指先が触れる。それは辺りの熱に燻られて、ひどく熱か
った。唇を噛んで、強くそれを引き寄せる。
「おい、かすが」
佐助は黄金のしのびの名を呼んだ。
まっしろい、紙のような顔のくのいちはだらりと細い体を弛緩させているばかりで、佐助の声には応えない。
息を飲んで、ちいさく吐き出す。ちりちりと髪や装束が一面を覆う火柱で燻られているのが解る。佐助はひくりと指
を震わせてから、かすがの左胸にてのひらを押し当てた。とくり、とそれが蠢く。
佐助は首を傾け、ほう、と息を吐き出した。
ばさり、と羽音がした。
佐助は顔を上げる。そしてにいと笑った。
「さすが、俺様の鴉」
地に降り立った黒い鳥の背を撫でる。
膝を立て、起き上がり、かすがを抱えて佐助は鴉の足を掴んだ。ばさばさとまた羽音がして、何かと顔をそちらへ向
ければまぶしいほどにしろい梟が一羽、だらりと動くことを止めた主をふたつの目で見下ろしている。佐助は目を細
め、大丈夫、と声をかけてやった。
大丈夫、おまえの主は生きてるよ。
「しかしそろそろ行かねえと、一緒にお陀仏だね、こりゃ」
鴉の足を掴み、つぶやく。
火はぐるぐると旋回し出し、中央のふたりも巻き込まんとしていた。
地をたぁん、と蹴り上げ、宙に浮かぶ。鴉の足を掴み、弛緩したかすがの体をぐいとおのれに強く引き寄せる。意識
を失った女の体は、満身創痍の身では相当に重く、どくりどくりと体から血がこぼれていく感触が手に取るように鮮
明に意識できた。佐助は篭もった笑い声を立てる。視界がかすむ。だがそれが何だと言うのだろう。
鴉は舞い上がり、火柱より高く佐助とかすがの体を運ぶ。
それを梟が追う。
次いでごうと音を立て、天王山の山頂は一本の太い火柱になった。
死 に 損 な い の 僥 倖
ゆらゆらと浮いている意識を、何かが掴んで引き寄せてくる。
佐助はそれを鬱陶しい、と思った。鬱陶しい。折角きもちよく眠ってるっていうのに、一体何処の無粋者が俺を起こ
そうっていうんだろう、まったく。さすけさすけ。呼ぶ声がする。さすけ、佐助。知ってるよ、と佐助は憂鬱に思っ
た。知ってるよ、それは俺の名前だってんだよ。
さすけ、さすけさすけさすけ。
「さす、け」
ぽつりと水音。
温い濡れた温度。
佐助はゆるゆると瞼を持ち上げた。
ぽたりぽたりと水がほおに落ちてくる。ぬるまったいそれはこそばゆく、佐助はへらりと笑ってしまった。息を飲む
かすかなひう、という音がして、それからぱしんとほおを叩かれた。
完全に目が開く。
ほおが熱い。
目の前に黄金がきらきら、きらきら。
「かすが」
佐助は口を開いた。
辺りは暗い。炭焼き小屋かなにかだろうか。
固くつめたい土の感触が背中にする。佐助は呻いて、目を瞬かせた。
かあ、と高い鳥の声が耳に飛び込んでくる。うわ、と佐助は声をもらして、腕のなかに飛び込んできたおのれの鴉を
抱き留めた。かあかあとけたたましく鳴く鴉の嘴が顎に当たり、ひんやりと心地よい。ほおを緩ませ、佐助はそれを
撫でてやった。ありがとよ、と言えば鴉は得意げに首を回す。
軋む体を起こしたが、小屋のなかに居るのは佐助だけだった。
首を傾げて、それから佐助はちらりと笑みを浮かべる。
あのくのいちが居たような気がしたのだけれども、
「些ッと、都合の良い夢だったな」
風魔のしのびに斬られた腹がしくしくと痛む。
おお痛い、と佐助はひとりつぶやいて、それからそこに手をやった。そして目を瞬かせる。
腹当が外されて、代わりに晒が巻かれている。てのひらで真新しいそれに触れる。無論それはただの布だった。
佐助はもう一度ぐるりと小屋を見回した。誰も居ない。晒をまた撫でる。
佐助はついと目を線のように細めた。へへ、と間抜けた笑い声がもれるのをてのひらで封じ込める。
体中は痛むけれども、幸い骨はやられていないようだった。
震える足を立て、手裏剣を杖にして小屋の戸をからりと開いた。森である。辺りは深々と夜で、ひかりは一筋もな
い。木々が高くそびえているのだろう、と佐助は思った。意識はもう鴉の足を掴んだ頃からうっすらとかすみがか
っていて、この小屋にどうやって訪れたかも定かではない。佐助はほおにてのひらを押し当てた。ちりちりとちい
さな痛みがそこで停滞している。
「まあいいか」と佐助はつぶやいた。
生きているのならば、それで良いか。
「なにが『まあいいか』だ、馬鹿」
横から声が飛んでくる。
佐助は首を其方に向けた。
「かすが」
佐助はへらりと笑った。
「やあ、良かったぁ。足はある、な。良かった、幽霊じゃねえみたい」
「良くもまあ、そんな体で軽口が叩けるものだな」
かすがは顔を不快さで満たして吐き捨て、そして佐助の肩をとんと叩いた。
途端に痛みがきいんと全身に回り、佐助は顔を思い切りしかめた。悲鳴も出ない。かすがは鼻を鳴らした。
「死に損ないの癖に、調子に乗るからだ」
ぐいと腕を引かれる。
引き千切られるように痛む。佐助はやめてくれよと声を上げた。もげるよ。
もげてしまえとかすがはつめたく言い放ち、戸を開いて佐助を小屋のなかに引き入れた。佐助は半ば涙を浮かべな
がらへたりと地面に腰を降ろした。乱暴に扱われた腕と、無理矢理動かした足が燃えるように熱い。
かすがは突っ立ったまま佐助を見下ろし、馬鹿、と言った。
「馬鹿、馬鹿だろうおまえ、馬鹿馬鹿、大馬鹿野郎」
「ええ、ちょっとそれ酷くないかあ」
眉を下げ、ほおを膨らませる。
「死にかけのおまえを命からがら抱えて此処まで連れてきたのは、一応俺様なんですけど」
「そんなこと私は一言も頼んでない」
「あ、そうですか、そいつぁどうも」
佐助は目を細めて、鼻を鳴らした。
かすがから顔を逸らして、地面を睨み付ける。
しばらく沸々と腹の辺りに苛立ちが沈殿していたけれども、そのうちにどうでもよくなってきた。
剥き出しの地面は、やわらかい土だった。団子虫が二三匹、佐助の具足にまとわりついている。佐助はそれを眺め
ながらくつくつと肩を揺らして笑った。首を反らして、額にてのひらを押し当ててけらけら笑い声を立てる。
かすがが奇異なものを見るような目で佐助を見下ろした。
「気でも狂ったか」
「いやあ、ちょっと怒ってみようかと思ったンだけど」
もういいや。
てのひらを退けて、かすがを見上げる。
「おまえが生きてて良かったわ、ほんと」
湧き出るままに顔に笑みを浮かべた。
かすがの大きな榛色の目が丸まる。それからしろいほおにさあと赤味が差した。
佐助はそれを眺めながら目を細め、だらりと腰の辺りに下げられたかすがの両手におのれのそれを伸ばし、かろく
握る。ひくりと細く長いそれが震えた。手首に親指を押し当てると、とくりとくりと血の流れが伝わってくる。
ああ、と佐助は声をもらした。ああ、生きてるや。
眉を寄せて、顔を歪めて佐助は首を落とした。
「良かった」
かすがの手はほのかに温い。
その温度に胸の上の辺りが引き絞られるような感触がした。
悪かったな、と続ける。守ってやれなくて、悪かったよ。まったく、世の中には化け物が居るぜ。かすがは何も言
わずに佐助の言葉を聞いて、もう言葉が続かないと知ると、「馬鹿な男だ」とまた佐助を罵倒した。
守って貰おうなんて思ってない、と言うかすがに佐助は笑った。
「そうだろうけどさ」
「そんなことを考えてるから真っ先にやられるんだ、さっきも」
かすがは言葉を途切れさせた。
さっきも。言葉が繰り返される。さっきも。
「さっきも、馬鹿じゃないのか貴様」
「何がだよ」
「庇っただろう、私を」
「そんな余裕あるもんかい。てめえのことで手一杯だったよ」
「嘘だ」
強い語調で詰め寄られる。
細い指にするりと装束を掴まれ、ぐいと首根っこを捻りあげられる。
佐助は二三度目を瞬かせた。榛色のびいどろのような目が、ゆらゆらと揺れている。嘘を吐くな、とかすがはまた
言った。庇っただろう、と続ける声もふるえている。
佐助はかすがの雛人形のような顔を黙って眺めた。
謝ろうかとも思ったけれども、それはこの女を更に激昂させるだろうと思って止した。
代わりに、何を根拠に言ってるんだか、と高い声で笑ってやる。
「おまえ独りなら、逃げることも出来た癖に―――――私を置いて行けば良かったんだ」
「おいおい、良く考えてみろよな。相手は風魔だぜ。くのいちひとり囮にしたところで、撒き菱撒くのとそう変わ
ンねえさ。おまえ自意識過剰じゃないの。まさか風魔の足止めになれるとでも思ってンじゃないだろうね」
佐助は手を振って、かすがの目を覗き込む。
「おまえにそこまでの実力は無えよ、悪いけどな」
ぎり、と装束を握る手に力が篭もるのが解った。
目が怒りと屈辱できらきらとひかっていて、佐助はぼんやりとそれをひどくきれいだなあと思った。
かすがは黙り込んで、そして石のように固まってしまった。佐助は天井を仰ぐ。そしてほうと息を吐いた。そのう
ちにかすがの手がすいと離れていき、次いで体もふわりと浮いた。佐助はそれをうんざりと見上げる。
悪かったよ、と髪を掻きながらつぶやく。
「格好つかねえな、どうにも」
苦く笑い、視線を落とす。
「八つ当たりだわ、こりゃ。悪かった。
折角庇ったのに、おまえを逃がすことも出来なかったのが格好悪くて、ちょっとね」
「それが」
馬鹿だと言うんだ、とかすがは言った。
そうだねえと佐助もそれに頷いた。
「もう二度とするな、こんなこと」
「ええ、ああっと、ううん」
「佐助」
苛立ったようにかすがが佐助の名を呼んだ。
佐助は目を細め、唇を尖らせて、ううん、とまた呻いてから首を振った。
駄目、と言う。駄目だ、そりゃ。かすがの眉が上がるのが見える。佐助は首をすこし傾け、へらりと笑って「それ
くらいは許してくれたッていいだろ」とねだる。「俺がおまえに出来ることなんか、片手ほども無えんだから」
「礼はいいよ、ああそうだなぁ、ちょいと口でも吸ってくれりゃあ」
それで、と言う前に目の前にしろいてのひらがいっぱいに拡がった。
うわあと佐助は慌てて目を閉じて衝撃に備える。
が、衝撃は来なかった。佐助はゆるゆると目を開ける。しろいてのひらは矢張りそのまま佐助の顔を覆うように静
止していた。それから、礼は言う、と凛とした声が告げる。
佐助はああどうも、と間の抜けた返事をした。
かすがはそれに続けて、おまえは死にたがりだな、と何処か疲れた声で言った。
「うんざりだ」
「ええっと、ああ、ごめん」
「訳も分からず謝るな。うんざりだ。大嫌いだ、おまえなんか」
「ええ―――――かなしいね、それはなかなか」
「死ぬなら私の前じゃないところで死ね」
「ああ、それは平気だろ。おまえと一緒になるなんてことのほうが実際はすくねえし」
頼まれなくても。
俺が死ぬのはおまえの前じゃねえよ。
佐助はことさらに明るい声で言った。さっきから女を苛立たせてばかりいるらしいおのれの言動のなかで、ようや
っと満足させられる答えを返すことが出来たと思ったのだけれども、返ってきたのは忌々しげな呻き声だった。
死なないとは言えないのかと呻く。
佐助はすこし考えて、だって無理だろ、と答えた。
「おまえも、まさかてめぇは死なないなんて思っちゃいないだろ」
「そんな夢物語、思うものか」
「おんなじじゃない」
「ちがう」
「何が」
「私は」
てのひらがゆるゆると落ちていった。
佐助はそれを目で追って、それからかすがの顔に視線を合わせる。
かすがは下を向いていた。下を向いて、私はあのおかたのことしか考えたくないんだ、と言った。あのうつくしい
おかたのことを考えて、それだけを考えて、そうしてあのおかたの為に死にたい、と言う。佐助は眉を寄せて、な
にか言ってやろうかと口を開きかけたけれども、どう見繕ってみても情けない負け犬の言葉しか見つからなかった
ので結局何も言わなかった。ぐるぐると不快な渦が下腹で旋回する。
かすがは幾らか間を置いて、ぽつりと「死ぬな」と言った。
「私はおまえのことなんか考えたくない」
き、と顔が上を向く。
きつく睨み付けて、佐助のほおに触れる。
ひんやりとてのひらはつめたい。佐助はぼんやりとそのつめたさを心地良いと思って、それから目を丸めた。かす
がの言葉がしばらく宙で停滞して、意味を考える前にてのひらは離れていった。
そして、ひんやりとした感触がふわりと瞼の上に覆い被さり、
「―――――え」
声がもれた。
ふわりと、かすかな感触がしたと思う前にそれは消えた。
てのひらが瞼からも離れていく。慌てて体を起こそうとしたけれども、既にそこには誰も居なかった。
佐助は起こしかけた体の力をずるずると抜いて、ほうけた顔で「え」とまた間の抜けた声を口からもらした。え。
え。
ええ。
「うっそ、お」
口を覆う。
顔が熱かった。
うわあ、と意味のない声をもらしながら佐助はそのまま顔を覆う。誰も居ない小屋のなかで、ひとり笑っているの
が我ながら不気味過ぎて、どうにか顔のゆるみを消そうとしたけれども、うわあ。佐助はまた呻いて、今度は耐え
るのを止めてくつくつと肩を揺らした。
堪ンねえなこりゃ、とつぶやく。
「ああ―――――たまには、死に損なうもんだね」
かすがの逆鱗を撫でるようなことをまた言って、佐助はひどくしあわせそうにとろりと顔を笑みで崩した。
おわり
|
こたちゃんのストーリーモードその後、的な。
死んでませんよ、死んでないンだからっ、と自分を奮わせる為に書いてみたらとんだ少女マンガです。
こたちゃんのストーリーモードはやり過ぎてこたのレベルが佐助を超えました。
空天
2007/12/03
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