『忍使いが荒い!』 顔を上げたときなんだこりゃ、と思った。 其処にいたのはひどく可愛らしい顔の、まだほんの子どもだったのだ。 「これに居りますのが佐助にございます」 里長の声を聞きながら佐助はまた頭を下げる。畳の目と睨めっこをしながらこっそり息を吐く。しのびに主を選ぶ権利はない。里 の命に従って動くのみである。しかし、と思う。 これはあんまりじゃないだろうか。 里長の説明を聞き終えたらしい佐助の新しい雇い主は、こくりと頷いてそれから佐助の名を呼んだ。顔を上げろ、と言う。佐助は 顔を上げる。主の大きな目と佐助の赤い目がかちりと合わさった。こぼれるんじゃないだろうかと思うほど、黒い目は大きくて不 必要にきらきらとしていて佐助は気づかれない程度に眉をひそめる。あまりすきな顔ではない。 が、主はそんな佐助の心中など知るよしもなくにこりと笑った。 「其が真田幸村だ」 よろしゅうたのむ。 頭を軽く下げると、ふわふわとその髪が揺れた。 「腕利きと聞いておる。頼りにしておるぞ」 「どうぞ、若様の手足とお思いになってお使いください」 「うむ」 里長の言葉にまた主は笑う。 その笑顔はあんまり無邪気で、佐助は呆れた。 (餓鬼じゃねーか) 元服したてと聞いていやな予感はしたのだ。 佐助がこの前に仕えていた主は、とある大名の二代目で、それはもう絵に描いたような駄目当主だった。父の威光に甘え、武芸に 励まず勉学を放って、そのくせ自尊心だけは人並みにそなえている。佐助を顎で使って、それでいて卑賤のものよと侮蔑の視線を 与えてきた。もちろんそんなことは慣れているからどうとも思わぬ。事実しのびは卑賤である。が、卑賤よと言うなら言うで、な らば貴い以外におまえは何を持っているのだと問うてみたいものだ、と佐助は思う。 幸か不幸か、佐助にとっては幸いに、その二代目は父親から代を継いで一年で国を追われた。 里へ益をもたらさぬ者へ諾々と仕える理由はない。早々に里から呼び戻された佐助は、さてしばらくは悠々自適の生活かと思って いたのだが、時代がそれを許さぬ。結局すぐに次の任務へと駆り出されることとなった。 (せめて次はもーちょっとまともな主殿がよかったけどねえ) 言っても詮なきこととは思いつつ佐助はおのれの運の悪さを嘆く。 ちらりと目だけあげて、改めて主であるという少年を見た。白いほおはかすかに色づいていて、髭もまだ生えぬのではないかと思 わせるほどにすべらかだ。体つきは年齢にしてはがっしりとし侍めいているけれど、その首の細さはやはり少年のそれである。ぽ きり、と折れてしまいそうな危うさを感じさせた。 なにより、と佐助は目を細める。 なによりあの目。 ありゃあ人を殺したことの無い目だな、と笑いたいようなきもちになる。佐助があの年の頃にはもう数えきれぬほどに人を殺めて いた。大名のご子息ってのはいいご身分だ、と佐助は思う。 おきれいに育ってまるでお人形だ。 お人形か馬鹿な二代目か、どちらに仕えるのもあまり変わりはないだろう、と佐助は思った。 「佐助」 と。 急に上座から声をかけられた。 顔を上げる。すでに里長は去ったあとで、真田幸村がひとりにこにことこちらを見ている。 「佐助であろう」 「・・・は」 「其はまだ若輩であるが、日々御館様や父上のお役に立てるもののふになれるよう精進しておる。 そなたも色々と其に足らぬことがあれば言ってくれ。そなたの主としても相応しくなれるよう努力致そう」 「は?」 佐助は思わず惚けた声をだす。 幸村はなんだその声は、と笑った。 「真田の忍隊の隊長がそんなふうでは困る」 「や、えーと、若様。今なんと仰いましたかね?」 「だから、其に足らぬことがあれば言ってくれと申しておる」 「そんなことできませんよ」 「なにゆえだ」 「俺は、しのびですぜ」 佐助はくい、と肩をすくめる。 「ご主人様の命令は絶対です」 「それでは困る」 「・・・なんでまた」 「それでは其が間違っていても正す者が居らぬではないか」 幸村はむう、と唇をとがらせて言う。 それからその顔をにこり、と笑みに変え、だからな、と笑った。だからな、おまえが正せ。 「これは命令だ、佐助」 言い放たれれば否とは言えぬ。 佐助は戸惑いながらも、御意、と答えた。 真田幸村は変な男だ。 佐助は仕えてすぐにそう思うようになった。 朝は夜明けとともに起きだし、朝餉の前に鍛錬をし、そのあとは昼餉まで勉学をし、そしてまた昼餉の後日が暮れるまで鍛錬をす る。誰に言われるでもなく、楽しげに武芸をする姿はひどく異様だった。佐助が今まで見てきたなかで、武芸にはげむ者は体外が 欲にまみれた目をしていたけれど、幸村のそれは冬の日の氷柱のようにきらきらとしている。佐助は首を傾げる。 はて真田幸村とはどういう男なのだろう。 そして真田幸村は、やけに佐助の名を呼ぶ。 「佐助、居るか」 「佐助、修練の相手をせよ」 「佐助、町に出る。供をせよ」 「佐助、佐助、さすけ」 このあいだは袴の帯が結べぬ、ということが理由で呼ばれた。 そんなことは傳役にやらせろと思うのだが、折角姿を現してそのまま屋根裏へと帰るのも癪なのでついつい雑用を仰せつかって しまう。どうすればいいのかわからぬ、というのが正直なところだった。 だってこんなふうに扱われたことはない。 (ふつう、遠ざけるもんだけどねえ) しのびの姿など、見たいものではない。 存在自体が闇であり、使うほうさえ一種の罪悪を抱かずにはいられぬ。武士がひかりならしのびはその逆の者である。誇りを血と する武士にとって、しのびは出来うる限り秘しておきたいものなのは佐助にも理解できる。佐助のする仕事は口にするのもはばか れるような汚いものが殆どだ。そりゃあ出来れば隠しておきたいでしょうよと思う。 だから佐助にとっては、年若い新しい主のほうが余程異様だった。 屋根裏で蜘蛛の巣をつつきながら思う。調子が狂うな。が、どうするということもない。 仕えるだけだ。 相手が変人だろうと聖人だろうとそれは変わらぬ。 「佐助」 幸村の声がすこし遠い場所から聞こえた。 おそらくは飯炊き場であろう。ととと、屋根裏を駆けて飯炊き場に降り立つ。 「はいはい、なんかご用でしょーか」 「うむ。緊急だ」 「へえ。どうしました、若」 「腹が減った」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」 佐助の顔がぴきり、と引きつる。 が、幸村は気にせずに続ける。 「先ほどまで御館様のもとで手ほどきを受けていたのだが」 「道理でぼろぼろなはずだよ・・・あーまーた繕わねえとじゃん」 「それでな」 「はあ」 「腹が減ったのだ!」 だから何か作れ、と言う。 佐助は今度こそ盛大に嫌そうな顔をした。やってられるか、とひらひらと手を振る。 それから言い聞かせるように幸村に言った。 「あのね、若」 「うむ」 「俺様ってなんだか知ってる?」 「しのびであろう」 「うん、良かった知っててくれて。でね」 「早く用件を言え」 まどろっこしい奴め、と幸村が言う。 佐助は流石に苛立って、 「・・・・だから俺はしのびであってあんたの下女じゃねーの!」 と、怒鳴ってしまった。 佐助が肩で息をしているのを幸村はその大きな目で不思議そうに見つめている。あ、今のは流石に無礼だったかと佐助はいっしゅ んひやりとするが、幸村は特に気にした様子もなくただしきりに首を傾げているだけである。 おかしいな、と幸村は言う。 「ならばなにゆえ佐助は其の着物を縫うのだ」 「若が毎日綻ばせてくるからだろ」 「ではなにゆえ零れた墨を拭くのだ」 「染みになるでしょーが、ほっといたら」 「わからんなあ」 幸村はぐうぐう鳴っているらしい腹を押さえつつ続ける。 「それと飯を作ることと何が違うのだ」 わからん、とまた言う。 佐助は思わず一歩うしろへさがった。 う、と声がでる。 (そう言やぁ) そうなのだ。 首を傾げつつ毎日していたことは、ほとんど下女のするような幸村の身の回りの世話なのだった。 もちろん身辺警護は常にしているし、そもそも真田に雇われたのは戦忍としてである。だからいざ戦となれば立場も変わろうが、 平和な時にはどうしても中心が幸村の警護になり、そして控えていると幸村があれこれと言いつけてくるのでついついそれをこな すうちに、すっかり雑用係のようになってしまっている。 (こりゃ、まーずいかねえ) あまり良くはないだろう。 大体こんなこと、仕事のうちに入らない。契約違反だ。 が。 のう佐助、と幸村がのぞき込んでくる。 「やはり作ってくれぬか」 佐助は子犬のような大きい黒い目を見ながら、はあ、と息を吐いた。 それからかまどに置いてあった釜の蓋をぱかり、と開けて、言う。 「言っとくけど」 「・・・うむ」 「・・・おにぎりくらいしか作れませんよ」 幸村の顔がぱ、と太陽のようにかがやく。 佐助はそれをうんざりとした顔で見る。ふわふわとのぼる湯気で顔が熱い。 (やれやれ、忍使いの荒いところだ) 握り飯を握りながら、佐助はそっと息を吐いた。 |