『どんだけ死ねば、満足なんだ?』 佐助はくるりと駆けてきた道を振り返る。 こきこきと首を鳴らした。それから、あ、と声を漏らす。てのひらを開くと、血がべっとりとこびりついていた。首元にもぬるぬ るとした液体の感触がする。あーあ、と佐助は息を吐いた。 「しくじったなー」 足下からそれこそ視界の果てまで死体がころがっている。 佐助はすぐそばの首をころんと蹴飛ばして、それからあたりをきょろきょろと見渡す。何町か先に、目的のひとかげを見つけて肩 をおろした。手を空へ差し伸べて鴉を呼ぶ。 走るにはあまりに死体が多すぎた。 ばさばさとその赤いかげへ近寄っていくと、声を掛ける前にそれが振り向いた。 「佐助か」 真田幸村はあかい。 その戦装束はもちろん、体中が血で染まっている。鴉からすたんと地面に下りたってから、佐助はすこし慌てた。 「ちょっと、若ってば怪我してんのかよ」 「そんなもの」 しゅ、と二本の槍が回される。 佐助はすいと体をずらした。鼻先に槍が突きつけられている。面倒くさげにそれを手で横に押しのけて、佐助は息を吐く。怪我な どない、ということだろう。口で言えばいいものを。 呆れて佐助は幸村を見る。 「俺様じゃなけりゃ、死んでますよ」 「もちろんだ。この程度で死ぬようなしのびは、其には必要ない」 「へえ」 佐助はくい、と口角をあげた。 「若もなかなか言うねえ」 ぽん、と肩を叩く。 幸村は笑いながら、そなたもなかなかだ、と佐助の胸をこづいた。 「ぬるいな」 陣中によく通る幸村の低音がひびくのが、木の上からでも聞こえた。 相応の地位にいるのであろう将が、しかし、となにかを抗議するが幸村は視線をそこへ向けることすらしない。幸村の視線はただ 前を向いている。総大将である父親の昌幸は、そんな息子の姿を黙って放っておいている。 佐助はそれを、枝に足をひっかけてぶらぶらとしながらにやにやと眺めた。 (うちのご主人は、一筋縄じゃーいかないぜ?) 軍議は夜まで続いた。 陣幕を払って将たちがみなおのれの陣へと向かい、本陣に幸村だけになったのを見届けてから佐助は木を下りて幸村のもとへと向 かう。幸村は先ほど見たときと変わらずに、床几に座って腕を組んだままの姿勢で止まっている。 若、と佐助が声を掛けてはじめて幸村のからだがぴくりと動いた。佐助か。振り返らないままに幸村は言う。 「軍議おつかれさまー」 「うむ。思いの外長引いてしまったでござる」 「白熱してたねぇ」 佐助が言うと、幸村はすねたように唇を尖らせる。聞けば若輩だということで幸村の献策が重臣たちへ受け入れられるのに時がい ったのだと言う。あの翁め、と珍しく幸村が吐き捨てるように言った。 佐助はけらけらと笑う。 「大変だねえ・・・ん、で」 「うむ」 「俺様の仕事はなんでしょ」 首を傾げて問う。 幸村は頷いて、板戸に拡げてある分布図を指さした。骨ばった指がしめす位置に佐助も目を落とす。 うん、と首を傾げた。 其処は戦場ではなかった。民家のある位置である。 幸村は言った。 「焼け」 厚めの唇は天気のことでも紡ぎ出すようにそのことばを口にした。 幸村の顔を見る。いつもの顔である。佐助はすこし目を見開いたが、すぐに細め、それから御意と応える。幸村は頷いて、それか らふわあと欠伸をした。眠いの、と問うと黙ってこくりと首が下に動く。 「・・・今日は疲れたでござるよ」 「うん、まあ、そらーそうでしょうねー」 佐助は苦く笑う。 目の前の幸村は目をしょぼつかせて、まるで童だ。だが佐助はその童が今日戦場で千もの兵をひとりで屠ったのを知っている。そ のこと自体は佐助とておなじことだ。主に引けを取るような真似はもちろんせぬ。 が、佐助はおのれのしていることがいかに醜いか知っている。たぶん、と佐助は思う。たぶん知らぬのだ、幸村は。 否、知ってはいるのだ。 民家を焼いたら家を失う者がどれほど出るか。 畑を焼けばどれだけの者が明日の食に困るか。 そしてそれを焼けばどの程度敵軍に精神的にも物資的にも痛手を与えることができるか。 そして幸村は迷わず焼け、と言う。 (汚いってことを知らない顔だ) 人を千も万も屠ってなお、赤子のような顔を幸村はしている。やはりそういう顔はすきではない、と佐助は思う。だが同時に見な いではいられないような顔をしている、とも思う。おひさまみたいだ、と佐助は目を細めた。明るくてきらきらとしてそれでいて ひとを焼き尽くすほどにその熱は熱い。 「明日は攻城戦でござる。おそらくは籠城している兵は五千」 幸村が眠そうに言う。 佐助はふ、と我に返った。ふわふわと今にも夢の世界へと踏み入れそうな主の背中を片手で支える。好き勝手な方向にぴょんぴょ んと髪の跳ねた頭がゆらゆらと揺れている。 「多いねえ」 「うむ。だが其と、佐助が居れば、なんの問題も、ござらん、よ」 「わかー、眠いならもうおやすみよ」 佐助が笑う。幸村はまだふらふらしている。 ふらふらしながら幸村は言う。 「ひとりとて、逃すことは許されぬ」 佐助は、ぴたり、と動きを止めた。 そして幸村の顔をのぞき込む。大きな黒い目が半目になっていてひどく滑稽だ。佐助は静かに問う。ねえわか。幸村が途切れ途切 れに応える。なんだ。 「どんだけ死ねば満足なんだ?」 ふらついていた頭が急に止まった。 それがくるりと振り返る。そしてにこりと顔を綻ばせて、言った。 「無論、殲滅よ」 幸村の顔はきらきらと佐助の目を刺す。 佐助も笑う。いい主にあたった、と思った。 同じくらい怖い主だとも、やはり佐助は思った。 |