『永遠の孤独』 佐助が音もなく後ろに降り立つと、びくりと幸村の体がふるえた。 上田城から見える空はきらきらと星がまたたいている。明日は風が強くなろう、と幸村が言った。佐助は笑いながら頷く。主の震え はもちろん恐怖からではなく、それは武者震いであることを佐助は知っている。 旦那、と佐助は幸村の肩を叩く。 「相手は独眼竜。これが永久の別れとならねーことを願いますぜ」 「なんの!たとえ政宗殿と言えど、この幸村、決して引けを取るつもりはござらん!」 幸村がほおを赤らめながら吼える。 佐助は目をまるくぱちくりと瞬かせ、それからへらりと破顔した。 「はは、余計なことを言ったかね」 「そなたも油断するな」 「勿論。まあ見ててくださいな」 良い仕事しますよ、と笑うと幸村が強く何度も頷いた。 佐助はそれを見ながら、笑いつつも呆れて息を吐く。 明日伊達政宗が上田へと攻め入る旨が、佐助のもとへ届けられたのはその日の朝だった。 以来延々と幸村は伊達政宗のことばかり言っている。 しょうじき、佐助は政宗のことをあまり好意的には見ていない。敵だという以上に、たぶん性格的に合わないのではないかと思う。 あの男の蛇のような目がきらいだ。常にどこか醒めている言動も、そしてなにより幸村へ向ける執着がおおきすぎて邪魔だ。幸村も 一緒になって戦ごっこに勤しむものだから、佐助にしてみれば面倒の種でしかない。 もちろん幸村はそんな佐助のきもちなど知らぬ。ただ明日を楽しみに胸を熱くしている。佐助は傍観するより他ない。 それでも明日発露するであろう幸村の熱を思うと、どこか楽しみで佐助は笑ってしまうのだ。 真田の領地に伊達軍が攻め入ってきたのは日が頭上に白くひかる頃だった。 次々と門を撃破した報が伝わってくる。佐助はやれやれ情けない、と首を振りながら帷子を身につける。その上から忍装束を身に纏 えば、背筋からつうと冷たい感触が全身をまわって佐助は思わず唇を上弦に歪めた。 すべての戦は佐助にとって仕事でしかない。幸村のように誰かとの対峙に胸を焦がすようなきもちはかけらの理解もできぬが、それ でも戦場を駆ける男のひとりとして佐助とて命のやりとりにすこしの興も覚えぬわけではない。かすかにふるえる手は、かちりと手 甲をはめるとようやっと収まる。 俺まで武者震いかと佐助はおのれを笑った。 「・・・しっかし、龍の旦那たぁ面倒な相手だねえ」 楽な相手ではない。 幾度もあの男には煮え湯を飲まされている。かちん、と顔の防具をつけた。出来うるならば佐助が殺してしまいたいが、それは主が 許すまい。城外に出るとつよい風が佐助を取り囲み、ぶるりと単純に寒さでふるえがはしった。 出来れば今夜は早々に退場願いたいものだと佐助は思いながら、たん、と地面を蹴る。情報を辿り、政宗が居る位置まで駆けている と、それよりはるかに城に近い位置に、すでに伊達軍のあげる鬨の声が聞こえて佐助は目を細めた。 (もう来てやがる) 舌打ちをひとつ吐き捨て、佐助はまさにこじ開けられんとしている門の前にすたんと降り立った。 伊達政宗の高笑いがそれを迎える。 「Ah-Han!!よーう、武田のしのびじゃねェか・・・久しいなァ!」 「出来りゃあ永久に久しいまんまにしてほしかったけどねぇこっちは。ま、しかたねえ」 死んで貰うぜ、と言えば政宗はまた高く笑った。 六本の刀ががちゃりと耳障りな音をたてるのを聞きながら、佐助は腰から手裏剣を抜く。こうこうと照る日の下では幻術はあまり意 味がない。接近戦になればあきらかに政宗に有利であり、佐助は後ずさりをしながら間合いを計る。 挑発と挨拶の意味で、佐助はためしにくないを政宗へと投げつけた。 が、政宗は笑ったままにそれを避けない。 おや、と思う間もなく佐助の放ったくないは弾かれて地面に突き刺さる。 ぐさりという音に佐助は口笛を吹いた。弾かれたくないは先端が削れていて、与えられた衝撃の大きさを物語っている。佐助は一旦 引いて門の上に飛び乗り、そこから伊達軍を見下ろした。 「・・・おやおや。龍の旦那ったらいい部下をお持ちで」 佐助が言うと、政宗が笑いながら俺の右眼だ、と応える。 りゅうのみぎめ。佐助はくないを弾いた男に目をやった。隆々とした肉体の、堂々とした偉丈夫が目に入ってくる。男が顔を上げる。 遠目にもその整った面立ちはうかがえるがかけらもそこに甘さはなく、切れ長の目は冷たいほどに殺気に満ちていた。 政宗様、とその男が声を漏らす。その低音はすこしも張り上げたものではないのに、なぜか門の上に居る佐助のもとにまで途切れる ことなく届いた。いい声だなあと佐助はのんきに思う。 いい声をしたその男は続ける。 「政宗様、此処はこの小十郎が」 「Hu-nn・・・OK!おまえの力、存分に見せつけてやりな」 「有り難き幸せでございます。・・・政宗様もくれぐれも油断召されぬよう」 小十郎と呼ばれた男がそう言うと、政宗は笑って小言は後だと返す。そして他の兵を纏めて門へと向かっていった。 眼下にひろがるその光景に、佐助は息を吐く。どのみち幸村は政宗との一騎打ちを望んでいるのだから佐助には他の兵を蹴散らすか そうでなければ政宗の体力を削る程度のことしか許されていない。それすら幸村は文句を言うのだから、割に合わぬ仕事である。 門が破られ、伊達軍がそこを駆け抜けていく。 佐助と男だけが残ったところで、佐助はすたんと門から降りた。 男は刀を上段に構える。 佐助は手裏剣をくるくると回しながら、右眼の旦那、と男に呼びかけた。 「お名前はなんていうんでしょーかねえ」 俺は猿飛佐助、と名乗りつつ言う。 興味が沸いた。ほんとうならいっしゅんで殺しても構わぬ相手ではあるけれど、あの政宗が戦場を任せる男の名前がすこし知りたい と思った。男は刀を構えたままに、かすか口角を上げる。 「今から殺す相手に名乗ってどうする」 「あれま、随分な自信だこと」 「おしゃべりは其処までにしときな・・・いくぜ」 ふわりと男の陣羽織が風を含む。 地面を蹴って佐助のもとへ駆けてくる男に佐助は目を細めた。猛進してくるように見えて隙がない。素早い動きと裏腹に体の軸はす うと一本の線が通っているようにぶれがなく、刀の構え方は型に載っているそれのようにうつくしかった。 できるね、と佐助はつぶやきつつ男の第一撃を手裏剣で受ける。避けることもできたが、この男の実力ならば至近距離で避けること は逆に第二撃に対する備えが失われ不利になる可能性があった。 がちん、と音をたてて手裏剣と刀が合わさる。佐助は思わず笑った。とても誰かの下に就くような実力の男ではない。一国の将とし てもなんら遜色のない腕である。 龍の右眼。佐助は記憶の底をかき回してみた。 それはたしか伊達家の家老であり、政宗の傳役であり、そして智の片倉と世に名高い片倉小十郎ではないだろうか。 あんた片倉さんかい、と問うと目の前の男の顔がぴくりと引きつった。 その隙に刀を弾いて佐助は間合いを取る。てめェ、と男ーーー片倉小十郎ーーーは佐助を睨み付けた。 その目の冷たさに佐助はぞくりと背筋をふるわせる。 今までにあんな目を見たことがない。 主の燃えるような目とも、その好敵手の青い炎のような冷たい熱さを込めた目ともちがう。 夜を切り取ったようなその黒は、どこまでも殺気しかなく、それでも何故だろうか。佐助にはその目に込められているのがそれだけ だとは思えず、否、それどころかそれ以上のものが込められていることが確信できた。 そしてあの男がそれを押し隠していることも。 (なんてこった) おなじいろだ。 佐助と小十郎の目は、おなじいろをしている。 そう思った途端、佐助の背筋をはしったのは絶対的な嫌悪感だった。 知らず手裏剣を握る手に力がこもる。目の前からあの男を消したい、と純粋に思った。見ていたくない。例えばある日、佐助の目の 前にもうひとり佐助が現れたら、きっといっしゅんも躊躇わずに殺すだろう。 それと同じ感触が全身を駆けめぐる。 「・・・しのびってェのは、どうも苦手だ」 見透かすような目をしてやがる、と小十郎がこぼした。 佐助はそのことばに小十郎の顔をじいと見つめる。佐助の視線に小十郎は不快そうに顔を歪めた。それだけで佐助には、小十郎もこ ちらとおなじことを感じているのだということが手に取るように解る。 見透かされて困ることでも、と肩をすくめれば小十郎は切れ長の目をすうと細める。 「此処のしのびは随分とおしゃべりだな」 「へーえ、伊達にもしのびがいらっしゃったとはねえ・・・。 情報戦じゃァちっともふるわねーんで、しのびなんざ使わぬ主義かとばかり思ってたわ、こりゃあ驚き」 佐助が笑うと、小十郎は刀をまた上段に構え直し、 「おしゃべりの時間はここまでだ・・・政宗様のもとへ行かせてもらおうか」 と言う。 佐助はそのことばに、どくりと血液が逆流するような感触を覚えた。 なにに、と問われたらたぶん困ってしまう。あえて言うなら、ことばではなく、そのことばを何のてらいも無く言うことを許された 片倉小十郎という男の存在に、であろうか。 佐助にはそれが許される日は永劫に来ない。 佐助は手裏剣を構え、小十郎を見据える。 こんなふうに誰かに負の感情を抱いたことはない。正にせよ負にせよ、特別な感情を誰かへと向けることはしのびの御法度であり、 佐助は幸村に会うまではそれを破ったことはない。調子が狂うな、とつぶやく。武田に来てからの年月は佐助の一生から比べれば微 々たるもので、なのにもうふたりも佐助を乱す存在が現れている。 邪魔で仕様がない。 「そうだねえ」 どうやら伊達とはとことん相性が悪い、とつぶやきつつ佐助は間合いを詰める。 長引かせるのは得策ではない。なにより佐助は一刻もはやくこの場から逃れたかった。もちろんそんなことは許されぬが、出来うる かぎりはやく目の前のこの男の夜色から逃れたい。 それには小十郎の存在をこの世から消す以上の手はありえない。 「ま、いっちょやりますか。どうもあんたは面倒なおひとっぽいけど」 それに俺様、あんたのこときらい。 佐助がそう言うと、小十郎はすこしだけ目を丸くし、それから高々と笑う。 「そいつァ奇遇だ・・・俺もてめェは見たときから気にくわねェ」 「あーやっぱ?そんな気はしてたんだよなあ・・・あれ、ちょっとこれってばある意味両思いじゃね?」 「は!違いねェ」 「そんじゃま、お互いの見解が一致したところでー」 殺し合いますか。 佐助のそのひとことを機に、佐助と小十郎は同時に地面を蹴って飛ぶ。 かきん、と刀と手裏剣が合わさり、離れる。佐助はもうひとつの手裏剣を腰から抜いて小十郎に投げつけた。小十郎はそれを首を横 に倒すことで避け、足下に転がっている真田の兵の死体から槍を引き抜き、佐助に投げつける。 「っと」 それを避ける。 が、間髪入れず小十郎の突きが襲ってくる。 ざくりと佐助の脇腹を刀がかすめた。そのするどい痛みに佐助はいっしゅん眉をひそめるが、そうしている間にも小十郎は右手で鞘 を引き抜き佐助の腹へとなぎ払おうとしている。それを避けながら、佐助は小十郎が左利きなのだとどうでもいいことを思った。 小十郎の戦い方は武士らしくない。 まるで喧嘩だ。 刀を避けると横から拳で殴りかかってくる。手裏剣で防げば蹴りが襲ってくる。かと言って下品であるかと言えばそうではない。動 きは鍛錬されたもののそれで、流れるように体が動いているのはひとつの舞の演目を演じているかのようだ。 脇腹を押さえつつ、佐助は半ば敬意を込めつつ小十郎の名を呼んだ。 「片倉の旦那!」 間合いを取った佐助に、じりじりと近づきつつ小十郎がなんだと応える。 やるねえ、と言えば小十郎は鼻で笑う。そうしながら言った。 おれとおまえはちがう。 佐助は首を傾げる。なにを言っているのかわからない。小十郎は唇から流れる血を腕で拭いながら、だからおまえはおれにかてない と更に続けた。佐助は目を丸め、それから高く笑う。 「随分な自信だ。いったいどんな根拠があるんだか是非聞きたいもんだね」 「てめェには迷いがある。俺にはねェ」 「まよいだぁ?そらまた貴い生まれの方がおっしゃることは違う」 「・・・そうやって」 そうやって誤魔化しても無駄だ。 小十郎はそう言って、刀をかちりと鞘に収める。 まだ決着は付いていない。佐助は眉をひそめ、手裏剣を投げようと振り上げた。が、小十郎の目に見据えられて次の動作をすること をいっしゅん躊躇う。 小十郎は門に寄りながら、まるで哀れむような目で佐助を振り返った。 「因果な立場だ。お互いに」 「・・・何の話してんだか、さっぱりなんですがね」 「てめェが誤魔化す相手は俺じゃなかろうに」 小十郎は首を振り、まあそれがしのびか、と独り言のようにつぶやく。 佐助はか、と思わず顔に血を上らせた。今日会ったばかりの男に、こんなふうに見透かされたことばを吐かれるのはひどく不本意だ。 握りしめていた手裏剣を思い切り投げつけた。小十郎は難なくそれをなぎ払い、いくらやっても変わらん、と佐助に背を向ける。 そこを狙うことも、出来た。 けれど佐助はその場から動くことが出来ない。 小十郎が門の向こう側に消えるまえに、ちらりと佐助を見てなにか零す。 佐助は突っ立ったままにそのことばを聞き流した。もちろん耳には入っている。が、それを受け入れることをその他の器官すべてが 拒否していた。少しずつ遠ざかっていく小十郎の駆け足の音を聞きながら、佐助はようやっと体に染みこんできたことばをゆっくり と復唱する。 次に会うときは。 小十郎は言った。 ーーーーーーーーーーーー永遠の孤独を受け入れる覚悟を。 それがどういう意味か、佐助は知らぬ。 知らぬけれど、たぶんそれはあの男の目のいろのことであり、佐助が今もっとも恐れていることのことなのだろうと思う。 「いらねえよ、そんなもん」 佐助はひとりつぶやく。 すでに頭上に陣取っていた日はすこし傾いて、思ったいたより時が流れたのを教えられる。きっと今頃はもう、城内で主同士の戦い がはじまっている。佐助はのろのろと手裏剣を腰に収め、上田城へと駆けるために足を踏み出そうとしたが、脇腹からどくどくと流 れる液体を思い出してその場に座り込んだ。 晒しを傷に巻き付けながら、佐助は空を仰ぐ。 空は笑ってしまうほどに青く、小十郎の目の色の対極でひどく佐助を安堵させた。 |