かきん、と音を立てて手裏剣がなぎ払われる。 が、片倉小十郎は気を緩めずそのまま刀を上段に構える。払われた手裏剣はそのままくるくると旋回し、ざくりと地面に突き刺さ った。まばたきすらせずに小十郎はしばしその手裏剣の落ちた場所を見据える。 すたん、と。 「さーすが龍の右眼」 音もなく。 刃こぼれしちゃう、と戯ける猿飛佐助が小十郎の視界にはいった。 地面に突き刺さった手裏剣を笑いながら抜く。いつどこから現れたのかも解らないが、確実にそこに居る武田のしのびに小十郎 はおのれの得物を握る手に力を込めた。佐助はへらへらと笑いながら腕を組んで、しかしその姿にはかけらの隙もない。 風がさあ、と吹いた。 遠くから激しい争いの音が聞こえる。 小十郎はちらりとそちらへ視線を送った。 (政宗様) 今小十郎の主と佐助の主は恒例の戦を繰り広げている。 もちろん、と小十郎は思う。もちろんおのれの主の勝利を疑うことなど小十郎にはありえない。そのうえ今回の戦は言ってみれ ばあのふたりの恒例行事のようなもので、勝敗が着くことはあっても生死のかかった戦ではない。自然と主に対して抱く感情も うすくなってしかるべきだが、それでも小十郎は政宗の居る方向に意識を飛ばさずにはいられなかった。 それはいっしゅん。戦場に生きる男のひとりとして、戦いのさなかに余所へと注意を逸らすことがいかに危険かなど知り過ぎる ほどに知っている。 が、相手がわるかった。 「なあに余所見しちゃってんでしょ」 「っ」 走り寄ってくる音などしなかった。 だが、小十郎が気づくと目の前に佐助がいて、しかも手に持った手裏剣を小十郎の首もとめがけてなぎ払おうとしている。とっ さにそれを刀で防ぐが、衝撃が大きく踵が地面に食い込んだ。佐助は更に手裏剣を持つ手に力を込める。小十郎の踵がずりずり と地面により深く埋まった。 「俺様もずーいぶんと、ま、あまく見られちゃったもんだねーえ?」 くつくつと佐助が笑う。 しかし笑う顔の、目が。その赤い目は一切の感情が消えていて、純粋な殺気しか込められていない。小十郎はその目を間近で見 ながら、このしのびはこのような目が出来る男なのだとあらためて認識した。普段の戯けたすがたからは考えられないほどの、 真っ直ぐで一切の無駄のない殺気。 小十郎はてのひらを固く握り直す。そして押し出すようにそのまま斬りかかろうとしたが、小十郎からの圧迫を感じた時点です でに佐助は身をひいていて、力を込めたいきおいのままに小十郎が刀を振り下ろしたときにはすでにはるかに間合いを広げてい た。ち、とひとつ舌打ちをする。佐助がまた笑った。 地面に食い込んだ刀を抜いて、すらりとまた構えようとする。 そのとき、小十郎の耳に主の高笑いが聞こえてきた。 「おやおや」 佐助がちゃきん、と手裏剣を腰に収める。 「どーやら今回はそっちの勝ちだね」 やれやれ、また旦那ってば大将にどやされるな。佐助はそう言いながら右手を空へとさしのべる。ばさばさと音を立てて鴉がそ の腕へと舞い降り、佐助はその足をつかまえすうと宙に浮いた。 ちらりと佐助の目が小十郎へとおとされる。 それからすい、と逸らされる。 そのまま佐助はおそらくは主のもとへと飛び去っていった。 小十郎がしばらくその場で佐助の去っていった方向をぼうと眺めていると、そちらから主の伊達政宗がひどく満足げな顔で走っ てきた。見れば具足のあちこちが斬りつけられて欠けている。小十郎はあわてて走ってくる主を止めた。 「お怪我は」 「Ah?んなもんあるわけねーだろ。楽な戦だったぜ」 「ではこれはなんですかな」 笑う政宗の右腕をぐ、と握る。政宗が声をあげた。 握った手を離し、ひらいてみると、黒に近い赤が小十郎のてのひらを染めていた。 呆れて息を吐く小十郎に、政宗はひとつ舌打ちをする。それからいいだろうが勝ったんだから、とどこか気まずそうに言った。 「そういう問題ではございませぬ。勝ったからと言ってあなた様の体に傷でもついたら元も子もないということをもう少し自覚 していただきたい」 「あーーー!Ok!I see!!解ったから戦の後すぐの小言は勘弁してくれ!」 「すぐに手当をせねば。全くひどい様だ」 「んだよ」 唇を尖らせながら政宗は小十郎を睨む。 「おまえだって今日はボロボロじゃねぇか」 「は」 「あのしのびと一戦ぶったのか?珍しいな、いつも見てるだけだっつーのに」 「あぁ」 佐助は常であれば主同士の戦の見える場所でのんびりと座り込んでいる。政宗が闘っている途中におのれだけが休むなど考えら れない小十郎が突っ立っているのを呆れて見ながら、いいじゃないのべつにおれらがたたかってるわけじゃないんだし。 へらへら笑いながら。 「そういえば」 小十郎はぽつり、とこぼす。 なにゆえ、今日に限ってあんなにも佐助は殺気立っていたのだろう。 小十郎は政宗に言われて、そのことに初めて気づいたのだった。 新 月 が 照 ら す あ な た の た め の 道 政宗を侍医にまかせたあと、小十郎ははたと思った。 (あれか) たしか佐助がいちばん最近小十郎のもとへふらふらとやってきたときだ。それが何時だったかは小十郎は覚えていない。いつだ っただろう、といっしゅんだけ小十郎は思ったがすぐにそれを放棄した。そんなことはどうでもいい。 佐助が小十郎のもとへとやってくる理由は特にない。 ないが、やってくると体を合わせることはまるで約束事のようになっている。 それこそ理由などない。 あえて言うなら、小十郎と佐助の間にはなにもないからだ。しがらみも後腐れも情も過去も未来もそれこそなにも。このことは 思ったよりもひどく楽で、簡単で、いちど知ってしまえば手放しがたいほどひとを怠惰にさせる。ひとが聞けば眉をひそめるほ どに、だから小十郎と佐助の関係はいい加減でただれきって非生産的だった。 いつ終わってもいい。 だからこそいつ終わらせればいいか解らない、それは曖昧でぬるま湯のように心地良い。 そういう行為のあとのはなしだ。 「どーかと思うんだよねぇ、しょうじき」 布団に寝転がって佐助は小十郎を見上げた。 小十郎はそこらに脱ぎ散らかされたおのれの着物をひろいあげ、着付けだしている。行為が終わってからまだ半刻も経っていな いが、それが常なので佐助もそのことについてはもう何も言わない。小十郎は佐助の言葉に振り返りもせずに、なにが、と短く 言った。佐助はころん、と仰向けに寝返りをうち、 「罠」 と言った。 「あんたのとこ来るまでにさー、あほみたいな量の罠くぐり抜けなきゃなんないのどーにかなりません? すっごい面倒くさいんだよね、実際問題。多いうえに複雑じゃん?そのうち俺様、ひっかかっちゃうかもよー」 「・・・そうしたら」 「したら?」 「死んでなかったら外してやってもいいぜ」 きゅ、と。 襦袢を締めながら小十郎は言う。それに佐助はひどい人でなしーと文句を言いつつまたころんと転がる。今度は腹ばいになって、 そのしたに枕を居抱き込みながら小十郎を睨みつける。 が、小十郎は佐助のほうを見ていないのでそれが見えない。 「つーかさ」 「なんだ」 「かかったら死ぬよーなのしか仕掛けてないじゃん」 「阿呆が」 「なによ」 「かかって死なないなら何の為の罠だ」 くるりと振り返って小十郎は首を傾げた。 佐助は大きく息を吐いて、それから枕を小十郎に投げつける。 小十郎はそれをばしんと払う。つまんない、と佐助はほおをふくらませた。 「感じらんないなあ」 「あぁ?」 「愛が、愛が感じらんない」 そんなものない。 それは佐助も承知のうえで、おどけて泣き真似をする。えんえんと枕に目元を押しつけて、わざとらしく高い声をたてた。 小十郎はそれを無表情で眺める。それから長く息を吐いた。 「・・・・せェ」 そしてぽつりと。 何かを呟いた。佐助はそれが聞き取れなかったので枕から顔をあげる。 もちろんその目元が赤くなっていることなどなく、小十郎はそれを見てますます嫌そうな顔をした。なんか言った、と佐助が問 うてくるので、小十郎はすこし乱れた前髪をくい、と後ろへ流し直して、また言う。 「面倒くせェ」 「は」 「冗談でも言うな、そんな面倒くせェこと」 「・・・めんど、くせーえ?」 ぴきり、と。 佐助の額に青筋がはしる。 が、小十郎は気づかない。 気づかないままに佐助のとなりの布団にごそごそと潜り込み、目を閉じる。佐助がちょっと、とそのまま眠ってしまいそうな小 十郎の肩をゆらした。うっとうしげに小十郎が目を開く。 「ちょっと、今のすっげー聞き捨てならねぇんだけど」 「・・ああ?罠なんざ、てめェほどのしのびなら屁でもねぇから構わんだろうが」 「いや、そーじゃなくてね」 「なんだ」 「そのあとのはなし」 「・・・・『かかって死なないなら何の為の罠だ』」 「もうちょい後!」 佐助の言葉に小十郎はすこし、視線を空でさまよわせ、それからああ、と思いついたようにつぶやいて、また面倒くさい、と抑 揚なく言った。 「どういう意味でしょ」 「・・・面倒くせェに面倒くせェ以外の意味があんのか」 「だから、なにが面倒なわけ」 「・・・愛とか」 「はいはい」 「そういう、睦言は、遊び女にでも、言え」 おれはききたくない。 そう言うと、小十郎はひとつ欠伸をしてそれから寝る、と言い捨てて佐助に背を向ける。しばらくするとほんとうに寝息が聞こ えてきた。佐助はじいとそのひろい背中を見ていたが、 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・へーえ、そーですかあー」 と、呟く声はひどく低く。 翌朝小十郎が起きるととなりには誰もいなかった。 それは特に珍しいことではなかったので今日まで気にもしていなかったのだが、そういえば、と小十郎は思う。 あの日以来佐助が小十郎の座敷に来たことはない。ということは今日の佐助のあの態度はあの日のことが原因なのだろう。小十 郎は顎に手を置いて考え込む。さて、なにがしのびをああまで怒らせているのだろう。 「・・・」 面倒だな、と思う。 それから小十郎は、このことを放棄することとこれ以降佐助が座敷に訪れなくなることを天秤にかけてみた。かたんことん、と 天秤は交互にふれる。 しばらくそれは釣り合うかのように揺れ動き、 そしてかたん、と片方に傾いた。 新月だ。 月はない。代わりに星々がここぞとばかりに夜空を無意味に彩っている。きらきらと瞬くそれを仰け反って見ていた佐助は、こ きん、と首をひとつ鳴らしてから体をもとにもどす。それからすたん、と木から米沢城の庭へと降り立った。 ここに来るのは、かれこれ三月ぶりになろうか。 (って言ってもきっとあっちは覚えてないんだろーけど) 佐助は皮肉げに口角をあげる。 佐助と小十郎の逢瀬はいつだって佐助の訪れを小十郎が受け入れるというかたちであって、佐助が動き出さなくてはなにひとつ 起こりはしない。事実佐助が奥州に行かなかったので小十郎と佐助はこの三ヶ月のあいだ一度しか会っていない。それも主同士 の戦のときに戦場で会ったきりだ。 庭から天井裏へと入り込む。なじんだ暗さと黴のにおいにほう、と息をつきながら佐助はそのときのことを思い出す。あれはた しか二週間ほどまえのことだ。思い出しても忌々しい。ち、と佐助は舌打ちをする。 (ぜってぇ違和感なんて感じてねぇよな、あのおっさん) 佐助が殺気を向けたとき。 小十郎は迷わず等分の殺気を返してきた。 常とちがう佐助の様子など気にもとめず、ただ主の戦を邪魔する人間を排除せんとするおのれの職務に忠実に、佐助の殺気にあ の男は殺気で応える。清々しいほどに真っ直ぐに。 その殺気にふくまれている佐助の真意などあの男には関係ないのだ。 忌々しい。 佐助は思う。 癪だ。 三ヶ月前のあの日、佐助は小十郎の言動に堪忍袋の緒を切らした。 面倒くさい。 面倒くさい、と。 言うに事欠いてあの男はそう言ったのだ。 愛だとかそういうものは確かに小十郎と佐助には相応しくない。佐助とてそんなことは承知している。だからあれは言葉遊びの ひとつであって、小十郎は呆れて阿呆、とひとこと言えばよかったのだ。 なのにあの男は面倒くさい、と、ほんとうに心から面倒くさそうにのたまった。 「・・・冗談じゃねーっつうの」 佐助にしてみれば、だ。 片倉小十郎ほどこの世に面倒くさい男はいないだろうと思う。主しか見えていない。たとえばいっしゅん前まで談笑していたと しても相手が政宗の敵であると認識したならば次のしゅんかんにその首を胴体から切り離すことに小十郎はなんの躊躇いも持た ぬだろう。そのうえその反動なのかなんなのか、政宗以外のことに関してのあの男の無関心は人知を絶する。ほんとうに政宗以 外はあの男には雑草か石に見えているのではないだろうか。もちろん佐助もふくめて。 そんなことは知っている。 知っているが、それでも癪なものは癪だ。 腹ばいで天井裏を進みながら、さてすこしは小十郎はおのれの不在に堪えただろうかと考える。そして佐助はその可能性の低さ に息を吐いた。小十郎が佐助の不在になにがしかの感情を抱く。 ないなあと思う。 思うからこそ今日来た、とも言える。 (だって忘れるだろ、あのひと) たとえば。 このまま佐助が奥州を訪れなくなって、この関係がなくなって。 そうしたら小十郎は迷うこなく猿飛佐助というしのびのことを忘れるだろう。だって必要ない。だったらあの男は忘れてしまう だろう、それこそ、明日にでも。 ーーーーーーーーーーーーーーそれこそ癪だ。 ていうかもう忘れてるんじゃあうわああり得るそれは流石にへこむ・・・と佐助は思い、 「・・・・・・あれ?」 そこで気づいた。 すでに下は小十郎の座敷だ。 はやい。此処にたどり着くまでの時間が、あんまり。 ああ、と佐助は思う。そうだ。 罠がひとつもなかった。 佐助は首を傾げる。はて。 小十郎の座敷までの通路は、それが正規のものであれ佐助が今居るような裏道のようなものであれ、編み目のようにそこかしこ に罠が仕掛けられているのが常だ。それが、ない。 おいおいと佐助は思った。奥州双龍として名高いその片割れであり、知の片倉と言えばそれだけでも日の本で知らぬ者はいない ような男が罠のひとつも寝所に設けていないなど、まるで寝首を掻いてくれと言わんばかりではないか。事実佐助はここまで一 切の障害なくたどり着けてしまっている。また佐助は首を傾げた。 かたん、と天井の板を外した。 下には小十郎の布団が敷かれているのが見えた。 が、小十郎はそこに居なかった。 「?」 厠だろうか。 佐助はそう思いながらすたん、と座敷へ降り立った。 そのしゅんかん。 「・・・・・っ!?」 どん、と。 背中に強い衝撃が加えられた。 佐助の体がそのまま倒される。ほおにするどい痛みがはしり、それからつうと何かが伝うのを感じた。おそらくは血だろう。 ちらりと横を見ればほおのすぐ横に鈍く光る刀があった。ひやりと佐助の首筋が冷える。罠がなかったのはこのせいか、と手元 の得物を相手へと向けようとし、 「なんだ、おまえか」 という言葉にかちん、と佐助は固まった。 ぎぎ、と後ろを振り返ってみる。佐助の背中を膝で押さえつけ、刀をざっくりと佐助の顔の一寸右へと突き刺している当の相手 は、まごう事なき佐助の情人。 片倉小十郎だった。 佐助はほうと安堵の息をもらし、同時にまたふつふつと怒りが沸いてくるのを感じた。ナンダオマエカ。三ヶ月ぶりに会いにき てみて最初の言葉が言うに事欠いてなんだおまえか! べつに愛をささやけと言っているわけではないがそれにしたって此処まで人を苛立たせる邂逅の言葉もないだろうと思う。 小十郎はそんな佐助を知ってか知らずかーーーたぶん確実に知らないがーーー、やれやれとなにやら疲れた顔で刀を布団から抜 いて鞘に収めている。それからふわ、とひとつ大きな欠伸。 自由の身になった佐助はここぞとばかりに意地悪げな声でそんな小十郎を笑った。 「ずいぶんお疲れのよーで」 「・・・あぁ」 「まーあ?伊達家の家老ともなりゃあ色々忙しいんでしょうよ。知らねーですけどおー」 はん、と鼻で笑う。 小十郎はしかし、ぼんやりと目を半ば閉じたまま佐助を見るだけで何も言わない。 そしてすたすたと刀を枕元に置きに行き、それから佐助を無視してそのまま布団へともぞもぞと入り始める。佐助がおいこらと 声をかけても、眠い・・・というほんとうに眠そうな声がかえってくるのみで、どれだけ人を馬鹿にするのかと佐助が思い始め たころに、小十郎はぽつり、と、 「・・・・・・・・にしゅうかん」 と言った。 「寝てねェ」 「はあ?なんでまた」 「・・・・刺客が」 「刺客?」 「来る。罠を外してから毎日飽きもせずにな」 だから眠い、とまた小十郎は言った。 佐助は意味が分からず呆然とする。やはり罠は小十郎が外したのだ。そしてやはり刺客が来るのだ。しかもそれは二週間前のこ とだという。そこまで解っているのになにゆえその状態を二週間もこの男は続けているのだろう。 「片倉の旦那?」 まだ起きているだろうか、と思いながら声をかける。 なんだ、と低い声が応えた。かろうじて、だがまだ意識はあるようだ。 「なんでまた」 「・・・ん」 「罠仕掛けなさいよ。俺が言うのも変だけど、そりゃあ来ますよ刺客。自分の知名度解ってないわけでもないでしょうに」 「・・・・・・・・・・・・・・おまえが」 くるん、と小十郎が寝返りをうって佐助を見る。 佐助は寝転がっている小十郎に目を合わせようとしゃがんだ。ぼんやりとした龍の右眼などなかなか見れたものではない。 小十郎はなおも寝ぼけ眼で続けた。おまえが。 「言ったんだろうが」 「はあ?」 「嫌なんだろ」 「なにが?」 「罠が」 「え」 「罠が、嫌で」 「それで来なかったんだろうが」 だから外した。おかげで寝られやしねぇ。 「だから俺は寝る」 小十郎はそう言うとまた寝返りをうって佐助に背を向ける。え、え、と困惑する佐助に小十郎は刺客来たらおまえがなんとかし ろ俺は寝る・・・と言ってそして事切れた。すうすうという安らかな寝息を聞きながら、取り残された佐助は呆然と小十郎の広 い背中を眺める。 は、と我に返り、それから佐助は苦く笑う。 (それじゃないんだけどなあ) 罠ではない。 罠がなければ小十郎が困ることなど佐助だって知っている。だから、怒っていたのはそれではないのだが。 まあ、と佐助は思った。すこしだけほおが熱い。あーあー、と無意味に声を出しながら佐助は小十郎の眠っている布団のはしを 掴む。冬の空気にならされた布は冷たくて、いやに高くなっている佐助の肌の温度に心地よかった。 「・・・・・・まあ、いいか」 寝てないのだと言う。 佐助が怒った原因を小十郎が考えて。 それで見当違いにせよその原因を解決しようとなんと罠を全部外して。 それで二週間佐助を待っていたのだ、あの片倉小十郎が。 うわあと佐助は思う。 ちょっと、ほんとにちょっとだけれど。 「・・・・・・・うれしー、かも」 やすいなあ、とおのれを笑う。 小十郎が起きたらなんと言ってやろう。もちろん嬉しいなんて言ってやらないのは確定だが。 (ああそうだ) 罠があっても来てあげるから安心してね、とでも言ってやろうかなと佐助はひとり笑った。 おわり |