聖 夜 の 色 雪が降っている。 さらさらとした軽い雪は、だからこそ何に触れても溶けることがない。 片倉小十郎の陣羽織のうえにも、それは降り積もる。 はらはら、はらはら。 音がするような気がして、目を閉じる。 「あざやかな鮮血にまっさらな白雪」 うたうような、声がした。 小十郎はしかし振り返らない。声はなおもうたうように近づいてくる。それが近くなるのとおなじくして、ぐちゃり、ぐちゃり と水っぽい足音がひびく。あああれは死体を踏みにじる音だと小十郎はぼんやりと思った。 声はその音と奏するようにうたう。 「その中央に狼一匹、鴉が一羽。 屍肉を喰らう畜生二頭。 降りゆく白雪、血は隠せども死臭は消せぬは世の定め」 くつくつと声が笑う。 ひゅん、という風を切る音がした。小十郎は目を閉じたままに左手の刀でそれを払う。 かきん、とはじかれた金属物はそのまま地面に突き刺さるかと思われたが、予想に反して土の音はしなかった。ああ、と小十郎 はつぶやく。死体に刺さったのだ。 「片倉のだーんな」 そろそろ、目、開けたら。 声に従うのは不本意だったが、ゆるゆると瞼を引き上げてみる。最初に小十郎の目を、雪の白さが刺した。 (音、は) しないな、と思う。 次いで入ってきた赤、赤、赤一色の洪水に小十郎は眉をひそめる。真新しい血の赤はいっそ安っぽいほどにあざやかだった。 雪は降り続けている。 声のうたいが耳の奥で反響する。 隠れるだろうか、と小十郎は思った。 ほおに流れる、おのれの物ではない赤い液体をぬぐうとかすかに温度が感じられて、やたらと気色悪かった。 よくもまぁ、ひとりでここまで、と笑う声の方向を小十郎ははじめて見た。 赤い目の猿飛佐助が、夜色に身を包んで笑っている。 「今夜は」 聖夜だってね、と佐助は言う。 小十郎は興味がない、というふうに目を細めた。先ほどまで温度を保っていた液体は外気に触れた途端に急激に冷めて痛いほど に冷たい。震えそうになる体を小十郎は必死で律した。 佐助は小十郎の返事など必要ないというようにそのまま言葉を繋げる。 「こいつらは、何処ぞの国のカミサマとやらに召されるのかねぇ」 「知るか」 神など知らん、と小十郎は吐き捨てる。 佐助はくつくつと笑った。違いない、と言う。 「殺した人間がどこへ行こうとも、俺たちには関係ないね。 ーーーーーーーーーーーーーそれに、少なくともそこのカミサマは俺らみたいのは救っちゃくださらないでしょーし」 「おまえ」 「ん」 「救って欲しいのか」 小十郎の言葉に佐助は目を見開く。 それからけらけらと笑った。 「まーさか」 見てよ、と得物の手裏剣を差し出す。 ぽたぽたと鮮血がしたたるのが、遠目にもよく見えた。 「端から、そんな期待なんぞ抱いちゃございませんさ」 しのびなんて畜生だから、と佐助は笑う。 それにね、と佐助の細い唇がくい、と上がった。 「今から」 「ああ」 「増える予定なんだ、もうひとり」 「ほう」 「俺様ったら、とことんカミサマと縁遠いみたい」 「奇遇だな」 ちゃきん、と刀を持ち直す。 「俺ももうひとり増える予定だ」 佐助はその言葉に笑いながらかたわらの死体に突き刺さっている手裏剣を引き抜き、構えた。 ぽたん、ぽたん、と液体が墜ちる音がする。うれしいね。佐助は笑う。 「死ぬのが、か」 「じょーだん。俺の信条は『命あっての物種』だぜ?」 「じゃあ、なにが」 「あんたと俺が、ね」 「ああ」 「どっちが此処で死んだとしても」 いずれ行き着く先はおなじ、と佐助はまたうたうように言う。 佐助の低音は、そういうふうにひびくとまるで和楽器のように小十郎の鼓膜を揺らした。 「あんたが死んだら、俺が行くまで野菜畑でも作って待っててよ」 「阿呆。誰がおまえなんぞ待つか」 「つれないおひとだねえ。いいじゃない、収穫は手伝うよ」 「おまえこそ」 「はいはい」 「先に着いたら褥でも用意しておけ」 「わーお」 「なんだ」 「積極的ィ」 「死ね」 「死なねぇよ、悪いけど」 「悪いが俺もだ」 「でもどちらかは死ぬんだよ」 「ああ」 「でもどちらも同じところへ逝くんだろーね」 「そうだな」 さっきも言ったけど、と佐助が言う。 手裏剣からしたたっている血は、つうと伝って佐助の手のなかにまで浸食している。夜色の装束はそれをうつさないが、だから こそより一層にその黒が濃くなっているような気がした。 「救いはいらない」 必要ないから。 救われる資格もなく、それを欲しいとも思わない。聖夜に血みどろになっているこの手さえも、小十郎にとっては誇りであり、 それをこそを望んでいると大声で叫んだって構わない。そもそも何が救いなのだろう。異国の神はいったいどうやって人を救う と言うのだろうか。 ねえ片倉の旦那、と佐助が静かに言う。 「あんたと俺はおなじところへ墜ちていく」 おれにはそれがすくいよりとうといよ。 佐助はそう、小十郎の元へと駆け出す前に笑ったような気がする。 雪が降っている。 血は冷たい温度にほとんど氷になっていて、そのうえにはらはらと降り積もる雪は、おそらくは明日の朝にはすべての大地を白 で覆い尽くしているだろう。そうしたら何も残らない。 はらはら、はらはら。 闇の中でひかるように、ただ雪が降っていた。 おわり |