Not Treat But Trick こんにちは、幸です。 昨夜久し振りに父上が奥州に来てくれました。上田城は今、刈り入れが終わってしまってとても暇なのだそうです。暇な のはあんまりすきじゃないのでしょうがないから来たと言って、父上は早速母上に殴られていました。ときどき私は、父 上はもしかしたら殴られるのがすきなんじゃないかと思います。だって父上は母上が怒ると解りきってることばかり言う からです。 ともかく父上が来てくれたのは、とても嬉しいことです。 父上が奥州に来るのは一月振りです。もっと長く間が空くことはたくさんありますけど、それは短ければ短いほうがいい のは、言うまでもないことです。父上は今度は三日は居ると言っています。もちろん居てくれる期間も、長ければ長いほ うがいいのは言うまでもありません。 父上が来てくれたその次の日、私は早起きをして母上の寝所へ向かいました。母上はもう政務の為に居ないでしょうが、 父上はきっとまだそこに居るはずだからです。はしたないので走ったりはしませんが、私はできるだけ早歩きでそこへ向 かいました。 障子の向こうで、父上の声がします。 「はろうぃん」 「そう、ハロウィンっ」 それから、弟の十助の声もします。 早起き競争では負けてしまったようです。私は障子をすこしだけ開いてみました。 父上が十助をお膝に乗せて、首を傾げています。 「で、なんなの、そのはろうぃん、って」 「まさむんさまがね、いってたの。がいこくのおまつりだって」 「―――龍の旦那かよ。絶対ぇろくなもんじゃねえな、それ」 父上は顔をしかめました。十助は平気な顔をして、にこにこと笑っています。ちちうえはろうぃんしらないの?と自慢げ に胸を反らして言います。父上は眉を下げて笑いながら、教えてくれるの、と十助の顔を覗きます。十助は大きく頷いて、 父上の膝からぴょんと飛び降りました。 「とりっくおあ、とりーと」 「はあ」 「はろうぃんにはね、そういうきまりなの」 「へえ―――それで、それどういう意味?」 父上が聞きます。十助は思い切りへらりと笑って、ぴん、と指を一本立て、父上の顔の前に突き出しました。 「おかしくれるか、そうじゃなきゃいたずらしちゃうよ、っていうことなんだって」 「それさあ、こっちにすっごい不利じゃね?」 「とすけしらない。まさむねさまがいってたんだもん」 「ったく、あの殿様は面倒なことばっか人の子に教えンだよな」 「ちちうえ、」 十助はぴょんぴょん跳ねながら、不満げに顔を歪めている父上の手を取り、「とりっくおあとりーと」を繰り返します。 父上はしょうがないというような顔で、「お菓子なんかないんだよなあ」と髪を掻きます。 十助が跳ねるのを止めました。 「おかし、ないの?」 「そんないつも持ってませんよ、そんなもん」 「そっかあ、じゃあしょうがないね」 いたずらだねっ。 十助はそう言うと、短い足を背伸びで伸びあがり、父上のほっぺにちゅ、と音を立ててキスをしました。私はびっくりし てしまいました。父上もびっくりしていました。 十助だけ、とても嬉しそうに笑っています。 「えへへ、いたずらしちゃった」 へらりと笑います。父上は目をぱちぱちと瞬いていました。十助はしばらくそうやって笑っていましたが、そのうちにち ょっと照れたのでしょうか、「しちゃった」と言いながら顔を押さえて寝所の外へ駆け出してきました。 どん、とそこで私にぶつかります。 「あ、ねえね。ごめんなさい」 「―――あ、なんだ、誰かと思ったら幸か」 中から父上が顔を覗かせ、私を手招きます。 「なにしてんのさ。外は寒いだろ。おいでよ」 「―――、いや、」 私は首を振りました。 「お早う御座いますを言いに来ただけ。十助、ちょっとあっちでお話ししよう。またあとで、父上」 「ふうん、そうなのか。済んだらおいでよ」 「済んだら」 私はそう言って、十助の手を引いて、私たちの寝所へ向かいました。 十助は不思議そうな顔をしています。 「十助、「はろうぃん」って、なに」 寝所で向かい合いながら、私は十助に聞きました。横でまだ寝ていた弁天丸が今更起きだして、寝惚け眼で布団の中から こちらを見ています。十助は手を挙げて、はい、と元気よく言いました。 「おまつり」 「なんの?」 「えっと、ええっと、―――おばけの?」 「お化けのお祭り」 私は顎に手を置いて考えました。どうしてお化けのお祭りで、「とりっくおあとりーと」で、父上にキスができるんでしょ う。解りません。考える材料が不足しています。 私が考えていると、横で寝惚けた弁天丸が口を開きました。 「あぁ―――そりゃ、あれだろ。魔除けの為の」 「知ってるのか」 「政宗様がなんか、前に言ってたような―――あんま、覚えてねえけど」 それだけ言うと弁天丸はまた布団の中へ入ろうとします。私はすかさず、布団を剥ぎ取りました。 「それで?」 「ひ、おい、寒ィよッ」 「もう朝だ。寝坊助はよくない」 「よくないっ」 たぶん、あんまり良く解っていない十助が横で賛同しました。 弁天丸は「十助、てめぇ裏切りやがったな」と呻きながら、渋々起き上がりました。ぐしゃぐしゃの髪を掻きながら、眼 を細くしてぼんやりとしている弁天丸に、私はまた聞きます。 「魔除けのお祭りなの」 「そう、だったような。―――だからそんなに覚えてねえよ。でもたしか、魔除けの為に逆に仮装して、それでいろんな 家を回るんだよ。「トリックオアトリート」って言って、お菓子をやって追い返すとさ、それで魔除けの代わりになるっ てことじゃね」 「―――成る程」 「それがどうかしたのかよ」 弁天丸が私を覗き込んでそう聞きましたが、私は答えるのが面倒だったのでそのままにしておきました。代わりに十助が 答えます。また手を挙げて。 「とすけが、さっきちちうえにとりっくおあとりーとしてきたの」 「しのびに。でもあいつ知らなかっただろ?」 「だから「とりっく」してきたっ」 「いたずら?」 「そう」 十助は元気よく手を挙げましたが、やっぱりちょっと照れているのか顔を赤くして下を向きました。弁天丸は不思議そう に首を傾げています。私は考えていました。 つまり「はろうぃん」は、そういう行事なのです。 そういう行事なら、「とりっく」を―――いたずらをすることも、その時だけは特別扱いになるということです。でも、 と私は思いました。十助はちいさいから、そういうこともできるでしょうが、私はもう十歳です。十助とおんなじではあ りません。 うんうんと考えていたら、弁天丸が「ああ」と声をあげました。 それから顔を物凄く不機嫌な顔にします。犬のような呻き声を上げてから、私を見て、十助を見て、それから畳を見て、 挙げ句には天井まで見て、ようやくまた口を開きました。 おまえ、と言います。 「おまえ、十助の真似したいのか」 「―――、」 私は思わず黙ってしまいました。 普段は弁天丸に何か言われて黙るなんて絶対にしないのですが、あんまり図星だったので、何も言い返すことができなかっ たのです。弁天丸は物凄く大きな溜め息を吐いて、しょうがねえなあ、と怒鳴ってから立ち上がりました。 「行ってくりゃあいいじゃん」 「―――行って、平気だと思うか」 「なんだよ。平気じゃねえわけがあるか。あのしのび、元々馬鹿なくせにもっと馬鹿みてえに喜ぶに決まってらあ」 「でも」 「でも?」 「もう、十だ、私は」 「そんなもん」 弁天丸はふん、と鼻を鳴らして、私の手を取りました。 「幸は五つの頃から二十みてえだったんだから、今更ちょっとガキっぽくなっても、それで丁度良いんだよ」 「そうだよ、ねえねはそれでちょうど」 「そうだな、十助。よし、行くぞ」 十助が背中を押してきます。弁天丸はぐいぐい引っ張ってしまうし、私はしょうがなく立ち上がりました。ほんとうに父上 に「とりっく」をしていいのか、良く解らないのですが、もうしなくてはいけないようです。 「弁天丸」 「なんだ」 「あの、先におまえがしてみないか。その後に私が、」 「ざけんなっ、死んでもあのしのびにそんなことするかっ。どうせするなら俺は母上にする」 「ははうえこわいから、とすけはむりー」 「―――うん、そうだな」 そんなことを言っている間に、父上の居る母上の寝所に着いてしまいました。こくりと喉を鳴らし、弁天丸が障子に手を掛 けます。私も思わず喉を鳴らしてしまいました。 からり、 「―――なんだよ」 寝所には誰も居ませんでした。 私はちょっとほっとしました。できないなら、できないでいいのです。でも弁天丸と十助は満足していないようで、きょろ きょろと辺りを見回しています。私は「ふたりとももういい」と言ったのですが、まったく聞いてくれません。 「おい、十助。建角呼べ、建角」 「りょうかいですっ」 建角というのは、元は父上の鴉で、今は母上の僕になってる鴉のことです。十助を運んできてくれた鴉でもあります。建角 の親友です。十助はぴゅう、と口笛を吹きました、そうすると、ばさばさと屋根の向こうから建角が飛んできます。十助は 自分よりずっと大きな鴉を抱き留めて、それから首を傾げました。 「たけつの、ちちうえしらない?」 かあ、と建角が鳴きます。 もちろん私にはなんて言ってるかなんて解りません。弁天丸にも解らないでしょう。十助には解るようです。十助はうんう んと鴉の「かあ」に返事をして、それから私たちを見上げました。 「ちちうえ、ははうえといっしょにだいどころだって」 私と弁天丸は顔を見合わせました。 ふたりが一緒に居るなんて、しかも昼間から―――そんなことはほとんどないのです。父上と母上なのに、おかしなことで すけど、あのふたりはそういうものなのです。 ともかく、私はこれで完璧に父上への「とりっく」を諦めることにしました。 一番大事なのは、もちろん父上と母上が仲良くしていることだからです。 「ふたりの邪魔は、良くない。私はもう、べつにいい」 弁天丸の手を握ってそう言うと、弁天丸は不満げに元々吊り上がっている目を更に吊り上げています。そうするとほんとう に政宗様にそっくりですが、そう言うと怒るので言いません。 くいくい、と裾を引かれました。 十助です。 「ねえね」 「うん」 「ねえねは、べつにじゃまじゃないよ?」 十助は首を傾げて、私の横に居る弁天丸を見ました。 「ねえね、べつにちちうえとははうえのじゃまじゃないよね?」 「―――っ、そうだな」 弁天丸は何度も頷きました。邪魔な訳ねえよ、むしろしのびが邪魔だから。それは違うと思いますけど、弁天丸は十助の言 葉がとっても気に入ったみたいで、また私の手を取って駆け出してしまいました。私は着いていくしかありません。 父上と母上は普段、あんまり仲が良くありません。むしろ仲は悪いみたいに見えます。でも父上は偶にですが奥州に来るし、 母上は斬り付けたりもするけど、最後にはちゃんと父上と一緒に夜寝るのだから、やっぱり結局は仲が良いのだと思います。 それでも私はできるだけあのふたりが仲が良いところを見ていたいのです。それが私のせいで邪魔されてしまうのは、なん だか自分で自分の邪魔をするようです。 そう思っていても、弁天丸に着いていっているのはやっぱり私もちょっとだけ、十助の真似がしたいからなんでしょう。 なんだかあべこべで、困ってしまいます。 「お、居たぜ、しのびと母上」 弁天丸の声に、私は姿を柱の影に隠しました。 母上と父上は台所で何かふたりで作っているようでした。なにか話しているのが聞こえてきます。 「―――どうしてお菓子って言ったのに、あんたはなんでもかんでも野菜に結びつけようとしちゃうわけ?もっとさあ、金 平糖とかまんじゅうとか団子とかさあ」 「そういうことを言ってるからおまえのところの坊ちゃんはあんなふうに甘ったれになるんだ。美味い野菜は甘いもんだ」 「む、甘ったれなんかじゃありませんよ、うちの旦那は。野菜が甘いったって、そりゃお菓子の甘さとは別物でしょうが」 「五月蠅ェ。朝っぱらからひとを引っ張り出して「菓子を作れ」と宣った挙げ句に文句たァ太ェ根性してやがる。だったら おまえが作りやがれ」 「ああ、はいはい、ごめんなさいって」 「惚れ惚れするほど、誠意の篭もってねェ謝罪だな」 「良く言われる。損だよね、これ」 やっぱりふたりの会話は、仲が良いのか悪いのか解りません。 でも折角ふたりで何かしているのだから、私が邪魔をするのは駄目なんじゃないだろうか―――と、思ったところで思い切 り背中を押されました。 弁天丸と十助です。 私はよろけて、柱から身体を出してしまいました。 「ん、あれえ、幸じゃないの」 父上が台所から手を振ります。私は逃げるわけにもいかなくなって、そこで立ったまま父上と母上を見るしかありません。 母上は早いな、と言っています。後ろを振り返ると、弁天丸と十助が柱の影から早く行くようにと手で指図しています。 私はすこし考えてから、父上の傍まで寄りました。 「父上」 「うん、どうしたの」 呼ぶと、父上はすこしだけ首を傾げました。私はきゅ、と胸元を握って、息を一旦吐き出してから、また吸いました。 そして、口を開きます。 「父上、ハロウィン、って知ってる」 「はろうぃん、―――ああ、さっき十助から聞いたよ」 「そう」 「それがどうかした?」 父上が私を覗き込みます。 私は喉を鳴らしました。 「トリックオアトリート」 言えました。 背後で、十助と弁天丸が互いに手をたたき合っているのが解ります。父上は目を瞬かせています。 それから、へらりと笑いました。 「ああ、お菓子ね」 くるりと振り返って、母上の手元から何かを持ち上げます。 それはかぼちゃの焼き菓子のようでした。できたてらしくて、まだふわふわと湯気が立っています。 父上はにこにこしながら、座り込んで私にそれを渡しました。 「なんか必要なんでしょ、はろうぃんには。慌てて用意したから、美味しいかどうかは解ンねえけど」 「おいこら、誰が用意したと思ってんだ、阿呆」 後ろから母上が父上の頭を蹴りつけます。 私は、てのひらの上のほかほかのお菓子を見ながら、どうしていいか解らなくなってしまいました。「トリック」オア 「トリート」なのだから、「トリート」が成立してしまうと「トリック」はもうないということになります。 私はすこし考えて、ほう、と息を吐きました。 もう大きいのに、ちいさい十助の真似をしようとした罰が当たったのかもしれません。きっとそうでしょう。しかも父上と 母上とのふたりきりの時間まで邪魔をしてしまって、神様が私にすこし反省するようにさせたのです。 私はちいさく笑って、ありがとう、と言おうとしました。 かあっ その前に、てのひらの上のお菓子が消えました。 鴉の鳴き声に振り返ると、十助の頭の上に居る建角がお菓子を咥えて飛んでいます。盗られてしまったようです。父上が怒っ ていますが、もう建角は十助の鴉のようなものなので、元の飼い主の父上の言うことは聞きません。 「トリート」が消えました。 父上は呆れたように目を細めています。 「なんなんだよ、あいつ―――最近ますます飼い主に似て性格がねじ曲がってきてやがる」 「朝からどうも、命が惜しくねェらしいな、おまえは」 「何の話だかさっぱり。ところで小十郎さん、もう一個ちょうだい」 「どうしたらそこまで面の皮が厚くなれるんだ」 母上も呆れたように、それでもまた父上にお菓子を渡そうとしました。すると、私の後ろからたたたたっ、と弁天丸が駆けて きて、それを母上の手元から取りあげます。 「お、俺がもらいますッ」 そう言って、お菓子をぎゅ、と胸元に弁天丸は収めました。母上も目を瞬かせています。なんだか大変なことになってしまい ました。父上はもう目をまんまるにしています。 「―――ああ、」 母上がつぶやきました。 父上はまた首を傾げて、丸は解ンねえなあ、と言いながら今度は自分でお菓子を取ろうとしました。ひょいと持ち上げ、私に 渡そうとしたところで、それを母上が取り上げて、 ぱくり、 一口で食べてしまいました。 「ああ、矢っ張り今年のかぼちゃは出来がいいな」 そう言います。父上は目を細めています。 「あんた、なにしてんの?」 「見て解らんか」 「解りません」 「かぼちゃを食っている」 「いや、そうじゃなくてさ。え、なにこれ、新手の苛め?俺に対する家族全体からのいやがらせ?」 「自意識過剰だろう。おまえ程度にそんなしち面倒臭ェことしてたまるか。おい、弁天丸、十助」 行くぞ。 母上はそう言って、残りのお菓子を全部抱えて台所から出て行ってしまいまいた。十助と弁天丸もそれに続いて台所から出て 行きます。 私と父上だけが残りました。 「―――なんなんだ、あれ。意味解らねえ」 父上はぼやきながら、私の前にしゃがみこみました。申し訳なさそうに眉を下げます。 「ごめんね、幸。なんか良く解らないけどお菓子無くなっちゃったみたいで、あげられないよ」 「いい」 「へ」 「いらない」 私は首を振って、それから息を吸い込みました。吐きます。そして父上のほっぺに手を添えて、顔を近付け、ほとんど触れて ないくらいに軽いキスをしました。 でも、きちんと父上の皮膚の感触がしました。 「最初から、こっちがしたかったから」 目を丸めている父上にそう言って、私も台所から出ました。 外に出て、弁天丸たちを探しながら、私は自分のほっぺをてのひらで抑えます。「はろうぃん」は素敵だけど、とっても疲れ るものみたいです。 顔が熱くて、どきどきします。 でも、来年もやってみようと思います。 今度はもっと、いろいろ計画を立ててから。 おわり |