猿飛あらため片倉佐助はまあまあじぶんのことをしあわせだと思っていた。 幸 色 十 人 十 色 (さ い し ょ く じ ゅ う に ん と い ろ) 結婚二ヶ月目。世間的には新婚といえる期間だろう。 見合いで出会い、その二ヶ月後には入籍、都内のマンションを買って移住という非常に平均的な道程をこれまで歩いてきたふた りはやはりとても平均的な新婚生活を送っていた。 と言いたいところなのだがちょっとちがった。 『思いっきり○テレビ!』 テレビから無意味に高いテンションの声が流れる。 午前中の家事を至極適当にすませた佐助はソファでクッションをいじくりながらぼんやりとそれを見る。見ている番組は奥様ご 用達の例の番組で、佐助はやっぱ俺様ってば新妻だからこーいうの見なきゃだよねとひとりで思っている。 色黒の司会者が真面目な顔をはっつけて視聴者からの電話を受けているのを見ながら、佐助はあー大変だなあ世間はーとこぼし た。電話の相手は夫からの愛がないだのなんだと騒いでいる。 (愛ねえ) 佐助の旦那はあんまり喋らない。 そもそもが見合い婚なのでもちろん愛などささやかれたことはないし、普段の日常会話もあの旦那は五文字以内ですませること になにか情熱でも燃やしているんだろうかと思うくらいに簡潔だ。見合いの席で妻より子より自分の健康よりなによりもまず先 に仕事を優先しますがそれでもいいですかと聞かれたとおりに仕事命の旦那は帰りも遅い。 しかし佐助はあまり危機感を感じたことはなかった。 佐助は料理がそこまで得意ではない。器用なのでそれなりにはできるがそれ以上になろうという意思が本人のほうに欠けている のでそれなり、のレベルで止まっている。なのでたまに気合いを入れて新しいことに挑戦しようとすると大抵こける。旦那はそ ういう嫁のこけた料理が出されてもなにも言わない。なにも言わないでもくもくと腹にそれを放り込んでいく。そういう旦那を 見ると嫁はああ、俺って愛されてる?と思うのだ。勝手に。 なので佐助にとってその番組の内容はとても他人事だった。 というか、そのはずだった。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 佐助はじいとテレビ画面を凝視する。 司会者が相談者の現状をホワイトボードにきゅ、きゅ、と書き付けている。 いわく、 ・会話がない ・食事を出してもうまいともまずいとも言わない ・夫の帰りが遅い ・夜の生活がない らしい。 あれ、と佐助は思った。 (あれ、これうちのはなし?) 夜の生活はある。 新婚二ヶ月目でさすがにそれがなかったら危ない。 が、最初のみっつは明らかに旦那のはなしだ。片倉小十郎のはなしだ。 佐助は知らずクッションを強く握りしめた。 司会者はホワイトボードを見つめながら息を吐き、言う。 『愛が足りないんでしょ』 そうなんですそうなんですと相談者が興奮して言う。 まあ落ち着けよ28歳専業主婦、と思いながら佐助は動揺していた。あいがたりない。あれは、あのみっつのことは愛が足りな いということになるのか。 ということはうちの旦那には愛が足りないのか。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー夫婦の危機なのか!! と佐助は多大なるショックを受けた。 昨日までそんなことは欠片も考えていなかったくせに、暇な主婦というのはメディアの影響をとかく受けやすいものだ。愛もな にも見合い婚で佐助自体にそんなに愛があるのかもあやしい。 だが国民的色黒司会者の話術はひどく巧みだった。 なので佐助の気分はすっかりつれない夫に愛を捧げ続ける健気な妻のそれになっている。 それに追い打ちをかけるように司会者がたたみかけた。奥さん、あんた。 『愛のある生活がしたいんだよね・・・?』 相談者がしたいです・・・っと切羽詰まった声で応える。 佐助もクッションを膝にたたきつけて、叫んだ。 「したいですっ!!!」 愛のある生活が! 司会者はそんな相談者に愛のある生活を取り戻すための四箇条なるものをまくし立てはじめている。佐助はすかさずテーブルの 上のメモ用紙を掴み、それを書き留める。 これで俺たち夫婦にも愛のある生活が・・・!と佐助は思う。 あの旦那の顔でそれが実現したら怖いとか、佐助はすっきりと失念していた。 「いまかえった」 がちゃん、と小十郎はドアを開ける。 台所のほうからはいはーいと気の抜けた声が返ってくる。小十郎の嫁は万事についてどこか飄々としてきっちりしていない。そ こが純体育会系の小十郎としては不満と言えば不満だが旦那は何も言わない。言ったことはないがたぶん言っても嫁はへらへら と笑ってなにも変えないことを本能で感じ取っているからだろうか。 ぱたぱたとスリッパを履いた足音がする。 「おかえりー」 「ああ」 「ごはんとお風呂どっちにする?」 「飯出来てるのか」 「まだだけど。ああじゃあお風呂だね」 じゃあもなにもない。 だがやはりここでも旦那はなにも言わない。黙って頷いて鞄を寝室に置いてから洗面所へ行く。 その動作にいっしゅんの躊躇いもない。すたすた、がちゃん、ばたん。 嫁はそんな旦那の背中を見ながら舌打ちをひとつした。 ちっ。 (あの男気づきゃしねェ・・・・!) 佐助はほおをふくらませながら両手を襟足のところへ持っていく。そしてひょこひょこと跳ねている二束の髪をにぎる。 普段そのまま肩の少しうえあたりでほったらかしにされている佐助の髪は、今日はふたつにゴムでくくられていた。 「おかしいなあ」 みのさんはこれでいいって言ったのになあ。 佐助はそう呟いて首を傾げた。頭の中で色黒司会者のことばがくるくるとリフレインする。 いわく旦那を振り向かせる四箇条そのいち。 『髪型を変えてさ、ご主人を喜ばせてあげなよ』 なるほど、と佐助は思った。 変化が足りないと自然と人間関係などマンネリ化するものだ。旦那はわりと家の中でもいいものを着たがる人間なのだが、佐助 はそこらへん非常に適当に流す人間なので普通にユニクロのフリースとかを着ている。今日は赤ー明日は黄色ーと言って自分の なかでだけ変化をつけたりしている。もちろん旦那は気づいていないに違いない。気づいたからどうだという話もある。 外に出るときは佐助もそれなりに格好を気にするが、旦那と会うのは必然的に室内なので旦那が見る嫁は大体フリースを着てい ることになる。これはまずいかもしれない。 なので佐助は今日は髪をふたつにかわいらしくくくってみて、そのうえ服はちょっといいものをコーディネイトしてみた。家の なかなのに。俺様ってば健気。 が、旦那は気づかない。 これは、と佐助は思う。 かなりまずいんじゃないだろうか。 (片倉さんの愛が感じられない・・・・!) ひょこひょこのふたつ結びのまま佐助は玄関に崩れ落ちた。気分は昼ドラのヒロインだ。夫が私を見てくれないの・・・・! だが。佐助は首を振った。まだだ。だって佐助と小十郎は新婚さんなのだ。愛が薄れるのははやすぎる。 (あとみっつみのさんの秘策があるし!) 佐助は気を取り直して台所へと向かった。 佐助がテーブルに皿を並べていると旦那がほかほかと風呂から出てきた。そして嫁と入れ違いに台所へ入って箸を持ってきて テーブルに並べ始める。いい旦那だ・・・と嫁はうっとりして、 いる場合ではない。 いけねえまた誤魔化されるところだったぜ・・・と佐助は汗を拭いつつテーブルに着く。今日のメニューは小十郎のすきな金 平ゴボウだが、だからといって旦那が嫁になにかコメントをすることはない。佐助が小十郎がゴボウがすきなことを知ったのだ って、なんだかやけにおかわりするなあというそういう些細なところから拾ってきた情報なのだ。旦那は出されたものがなんで あれ黙々と今日も箸を進める。 「今日ね」 普段は佐助もそれに倣って静かに食事をする。 だが今日はべつだ。旦那はあまり食事中のおしゃべりがすきではないのだが、しかたがない。 「おとなりにさ、前田さんって居るじゃない」 「ああ」 「あそこんちにさあ、従兄弟の若いおにーさんが来てて」 「利家さんのほうか」 「そーみたい。でね、そのおにーさんすっげぇ男前なんだ、これが」 にこにこと喋りながら、佐助はちらりと小十郎を伺う。 (第二条、押して駄目なら引いてみろ作戦・・・・!) 要するに他の男をほめて旦那に嫉妬させてやろうという魂胆だが。 旦那はもそもそとゴボウを食べながら、そうか、とだけ言った。 佐助はしばらく待つ。 小十郎は味噌汁を飲んでいる。 「・・・・ジャニーズ系っていうかー」 苦し紛れに付け加えてみる。 小十郎は首を傾げながら言った。 「おまえそういうの嫌いって言ってなかったか」 「・・・・言ってた、っけ?」 「軽い感じが嫌いとか、よく文句言ってるだろうが」 「だってなんかみんな同じ顔してね?特に若いのがさあ」 「知らねェよ」 「今度見てみなって、全然見分けつかないから」 旦那は苦笑いを浮かべながら、今度な、と言う。 佐助はほんとだってーと言いながら、あれ、と思った。あれ、会話がずれてる。 これはまずいなと佐助が軌道修正についてもんもん考えていたら、旦那はとっとと食事をすませてごちそうさまを宣言してしま った。かちゃかちゃと食器を流しに持っていって、ソファで新聞を読み出す小十郎の後ろ姿を佐助は敗北感にまみれつつ見る。 どうやら佐助の旦那はそうとう鉄壁らしい。 諦めそうになる佐助の頭に、色黒司会者の言葉がまわる。 それで佐助は肩にのしかかっていた敗北感をぽいと丸めて投げ捨てる。そうだあとまだ二箇条あるじゃないか。 (明日こそ!) 佐助はぐぐぐ、と拳を握りしめる。 嫁は燃えていた。 旦那はなにも知らずに明日の天気を見ている。 夫婦の夜はこうしてすれ違いつつ明けていくのだった。 さて翌朝。 小十郎はいつもの時間に起き出して、洗面所で顔を洗ってから着替え、リビングに向かった。そこでは嫁が可もなく不可もなく な朝食を作っているはずであり、それは大抵は洋食で、なので時折和食になると旦那はひそかに喜んだりしていたのだが、 「・・・・飯は」 小十郎は思わずつぶやく。 テーブルのうえは、きれいになにも置いていなかった。 ソファに座っている嫁に視線をうつす。佐助は朝のニュースを体育座りをしながら見ていた。小十郎のほうを振り返りもしない ままに嫁はのたまう。 ない。 「ないよ」 「は」 「今日のごはんないよ」 「・・・」 「パンはある」 冷蔵庫に、と嫁は続ける。 小十郎はしばらくソファの背もたれから覗いている佐助の赤毛を眺めていたが、おもむろに踵を返しすたすたと台所へと入って いく。しばらくすると台所からかたことという音が聞こえてきた。佐助はテレビを見つつそちらへ耳をすませる。かたこと、く つくつ、包丁の音と鍋が煮立つ音がしずかに響く。 二十分ほど経った頃だろうか。 「猿飛」 旦那が嫁を呼んだ。 小十郎はまだ佐助を旧姓で呼ぶ。 「なーんでしょ」 「手伝え」 「・・・・なにをー」 「味噌汁」 おら、と碗をふたつわたされる。 ちらりとテーブルを見てみるとそこには卵焼きとほうれん草の白合え、白菜とにんじんのあんかけがすでに置いてあった。呆然 とする嫁の背中を旦那はどんと押す。しかたなく味噌汁をよそってテーブルに向かえば、すでにほかほかと湯気の上がる白米が 茶碗によそわれてあった。 先に椅子に座っていた小十郎が佐助を見上げ、 「今日は」 具合でも悪いのか、と言う。 佐助は視線をあちこちに彷徨わせながらええまあ・・・とあいまいに頷いた。旦那はだったら先に言えおかげでありあわせにな っちまったじゃねェかと言う。ありあわせ。佐助は思った。俺なんて毎朝そうですけど。 いただきます、と頭を下げて卵焼きに箸をいれる。ふわ、とそのしゅんかんに湯気が立った。ともすれば崩れてしまいそうなほ どやわらかなそれを慎重に口へ放り込む。 「・・・・」 「どうだ」 「・・・・・おいしい」 「そうか」 旦那はやはり黙々と食べる。 嫁はあまいものがきらいな自分のために出汁巻きにしてある卵焼きを口に運びながら、三条目の失敗を悟っていた。ぷるぷると 箸が震える。 いわく、 『奥さんの価値をさ、旦那さんに解らせてやらなけりゃ』 佐助は専業主婦だ。 だとしたら旦那に直結する価値など家事しかない。 なので手っ取り早く家事放棄に出てみたのだが、よく考えてみれば小十郎は炊事洗濯炊飯にいたるまですべての家事を完璧にこ なす男なのだった。佐助は結婚前に小十郎の家に行って驚愕したものだ。なに、このきれいな部屋。書斎の本棚とかちょっと引 くくらいにきれいに分類されていた。今もそうだ。 佐助は落ち込んだ。 (片倉さんてなんでもできるひとだなあ) 地味に落ち込んだ。 今までの落ち込みとかへこみは、言ってみればノリで落ち込んだりへこんだりしていたわけでそのなかに深刻な色などすこしも 含まれてはいなかったのだが、今度のことはわりとほんとうに落ち込んだ。 だってこれじゃ小十郎に佐助は必要ないみたいじゃないか。 いや。 (ないみたいっつーか) 佐助は不思議の国のアリスの冒頭、どんどん落ちていくアリスの如く落ち込みつつ思う。 必要ないみたい、というか、事実小十郎の作った朝食は佐助のつくるものよりおいしくて、旦那は結婚前はなにもかもを自分で やっていた。 ということは、だ。 「・・・必要ないんじゃん」 ぽつりと嫁はつぶやいた。 旦那はどうした、と聞き返す。嫁は首を振る。 さみしいなあと思った。 小十郎に佐助は必要ないのだ。 まあ見合い婚だし良い嫁とは間違っても言えないし旦那は最初から嫁より社長を取ると宣言していたし、しょうがないかなあと は思う。 思うけど、さみしかった。 ずぶずぶと沼にはまっている佐助に、それを知ってか知らずか小十郎が声を掛ける。 低い声がさるとび、と嫁を呼んだ。 「今日、夜なにか予定は」 「・・・・・ねーよ」 「そうか」 見ると旦那はすでに朝食を完食していた。 「なら」 皿をかちゃかちゃと重ねる旦那の手をぼんやりと嫁は見る。きれいな手だなあと思う。左手の薬指の指輪の無機質なデザインは ともすれば素っ気なささえ感じさせるのに、その機能的な雰囲気が小十郎の骨張った手にはひどく似合う。 ぼけ、としていたのでだから佐助は小十郎のことばを聞き逃した。 え、と聞き返す。 「今」 「ん」 「なんて言った?」 「だから」 「うん」 「最近会社の近くにいいイタリアンの店が出来てな」 「へー」 「おまえパスタ食いたいって言ってただろう」 「あー言ったような言ってないような」 「今夜は仕事がはやく終わる」 「そりゃおめでとう」 「だから」 皿を重ね終えた小十郎はがたん、と椅子から立つ。 そして言う。 「食いに行かねェか」 佐助は小十郎を見上げながら、すこしだまり。 それからへ、と間抜けた声をだした。だが旦那はすでに流しへと向かっていて目の前から消えている。旦那が消えたあたりをぼ んやりと見ながら、佐助は先ほどのことばを整理する。 イタリアン。 パスタ。 それはとてもおいしそうだ。 (いやいやちがうだろ俺) そうじゃない。 大事なことはそれではなく、つまり、先ほどのことばは。 佐助はぽつりとつぶやく。これは。 「・・・・デート?」 夫婦でのおでかけはデートと言うのだろうか。 いやそれはどうでもいい。これがなにやらおかしな様子の嫁を心配してのものか、それとも単なる気紛れかということも、どう でもいいとは言わないが今はあえて追求するまい。細かいことは見ないようにするのが夫婦のしあわせの秘訣だと誰かが言って いたようないないような。 『よっつめはね』 ふいに。 佐助の頭に色黒司会者の声がよみがえってくる。司会者は続ける。さいごはおくさん、あんたに。 『男はね、照れ屋なんだよ』 『だからさ、奥さんもわかってやってよ。口には出さないけどさ、旦那さんもきっと・・・』 『奥さんを愛しているよ』 流しに皿を置いた小十郎は、ちらりと腕時計を見て眉間にしわを寄せる。 いつもよりかなり遅い時間だ。それでももちろん出勤時刻には間に合っているのだが、小十郎の上司というか会社の社長である 伊達政宗はじぶんが出勤してきたときに小十郎がいないと暴れるので、すくなくとも政宗が出勤してくる時刻の三十分前には出 勤しておきたい。が、この時間だとそれはかなり危うい。社長のくせに政宗は出勤時刻の三十分前にはかならず会社に居るのだ。 すこし急がねば、と小十郎は早歩きで台所を出て、 「・・・?」 首を傾げた。 そして台所を出てきた途端に飛びついてきた嫁を見下ろす。 嫁はきらきらとした目で旦那を見上げていた。 「かたくらさん!」 「・・・おい、急ぐんだが」 うっとうしげに佐助を剥がそうとする小十郎に、佐助はより一層腕に力を入れてしがみつく。 もう照れ屋さんなんだからっ、とほおを赤らめて言うおのれの嫁の気色悪さに旦那は真剣に引いた。というか時間が、社長が。 旦那の抗議は嫁の耳には届かない。 嫁はきらきらとまた言った。 「俺も愛してるからね」 パスタたのしみにしてるーとへらへらと嫁は笑う。 旦那はまた首を傾げつつ、とりあえずどうも、と言っておいた。そして嫁を剥がしてそこらへんに放り投げる。 引っ剥がされた嫁はそれでもしあわせそうにへらりと笑う。スーツを着て玄関へと向かう旦那に、言う。 「いってらっしゃーい」 旦那はすこしだけ振り返って、いってくる、と言った。 それからまたあとで、と続けてドアの向こうに消えていく。 佐助はそれを見送りつつ、愛っていいねえと思った。 おわり |