オフィスラブしよう、と言われたとき、片倉小十郎の腕のなかにはすやすや眠る幼児がふたり居た。 なのでいつものようにそのどっかおかしいんじゃないかという赤毛を引っこ抜いてやることが出来なかったので、小十郎は代わり に精一杯の軽蔑をその切れ長の目に込めて、 「死んでこい」 と言った。 There Is Your Space In My Arm 猿飛佐助という男は、存外固定概念に支配されている男だ。 というとすこし語弊がある。もうすこし正確に言うならば、固定概念を「たのしむ」男なのかもしれないが小十郎にしてみればど ちらであろうとおなじことなので正直どうでもいい。恋人ならこれこれをしなくては、とか付き合って一週間でこれ、とかデート に行ったらあれ、ここに来たらこれ、とそういう小十郎にしてみればどこから仕入れてきたのか一切謎なセオリーを、大事に律儀 に実行するべく全力を尽くす姿はいっそ健気とも言える。はたから見ればただの阿呆だ。 そんな阿呆となんだかんだで付き合ってるのは、馬鹿な子ほどかわいいとかそういう人間的心理によるのだろうというのが小十郎 の最近の見解である。一生懸命デートプランを考える佐助を見ているのはなかなかに楽しい。後ろから雑誌を取り払って蹴り倒し てやりたい衝動にかられる。デートプラン自体はどうでもよい。 「片倉さんにはロマンがねーよ」 と、佐助は言う。 小十郎は首を傾げるほかない。 二十九にもなって今更あたらしい恋人が出来たからといって、いろいろと考えなければならないなんてひたすらに面倒でしかない。 大体相手は佐助だ。どうして気など使う気になるだろう。そう言うとぶうぶうとうるさくなるのが分かり切っているので、小十郎 は黙って佐助の趣味に付き合うことになる。あんまり阿呆らしい提案だとあのへらへらした顔を引き延ばして黙らせるけれど、大 体のことはまあ、付き合ってもいいかな、と思うのだ。佐助はやけに一生懸命なので、無下にするのもあわれだ。 しかしあくまで、「大体のこと」であって、「全部」ではない。 割合で言うならば、「六割方」は許すが「十割」ではない。 オフィスラブ、と聞いたとき小十郎の脳内ではそれがひらがなで出てきた。 おふぃすらぶ。おふぃすらぶって何だ。何か新しい特撮物かなんかか。今まさに腕のなかでお昼寝タイムを満喫している伊達政宗 や真田幸村がよく一生懸命説明してくるそれも小十郎にはなにか、古代ラテン語かなにかのように聞こえるが、佐助がへらり、と 笑いながら提案してきたそれも、おなじくらい意味不明だった。 園児のお昼寝タイムなので園内は静まりかえっていた。なかなか寝ようとしない政宗と幸村に絵本を読んでやって、ようやく眠っ たふたりの、黙っていればひどくかわいらしい寝顔を滅多にひとに見せないほほえみなど浮かべながら小十郎は眺めていた。なの で、がらり、とひかえめながらも眠っている園児を起こしてしまうおそれのある程度の音量が鳴ったとき小十郎は眉を寄せた。 入り口に視線をやると、園児ではない身長のひとかげが見える。昼寝のためにカーテンが閉められ、明かりの落ちた教室のなかに 居ては誰かはよくわからない。が、小十郎は息を吐いてそれからちいさく舌打ちをした。 「なにしてやがる」 小声で言うと、おそるおそる園児の合間を縫って近寄ってきたひとかげは――猿飛佐助は、へらりと笑った。 「来ちゃった」 「来ちゃった、じゃねェよ。仕事中だろうが」 「だって暇なんだよ」 「おまえ、りんご組は」 ひとつ学年が上がったので、小十郎はいちご組、佐助はりんご組を担当している。 佐助はひょい、と肩をすくめてもう寝ちゃった、と言う。佐助の受け持っているクラスは比較的扱いやすい園児が多い。小十郎の クラスが問題児が多すぎるという話もある。 寝転がって政宗と幸村を抱き込んでいる小十郎に視線を合わせるように、佐助もへたりと座り込んでふたりの顔を見る。寝てると かわいいねえ、と言う佐助の声があんまりしみじみとしていたので小十郎は思わずちいさく笑い声を立てた。小十郎にしてみれば ふたりとも――特に政宗は――いつだってかわいいが、佐助にはいろいろ含むところがあるらしい。 それで何しに来た、と聞くと佐助はへらりと笑って首を傾げ、 「俺さぁ」 とやけにきらきらと顔を輝かしながらことばを繋ぐ。 「こないだ気付いたんだけどね」 「ほう」 「すっげー勿体ないことしてたんだよ」 「勿体ねェこと?」 「せっかく俺らおんなじ職場なんだからさー」 「・・・おう」 このあたりで、多少いやな予感はした。 佐助がこういう顔で笑っているときは大体、くだらないか阿呆らしいかいやらしいかのどれかで、要するに小十郎にとっていいこ とであることは十中八九無い。小十郎が寝転がったままずり、とすこし後ずさると、佐助も笑顔を浮かべたままでずい、と寄って くる。そして言った。 オフィスラブしよう、と。 死んでこい、と言っても佐助はへらへらと笑う顔をくずさない。 小十郎は疲れ切った息を吐いた。そうだろうよ、と思った。小十郎はほとんど朝の挨拶レベルに佐助に「死ね」とか「消えろ」と か「埋まってこい」とか言っているので、この言葉が持つ相手に与えるであろうダメージは限りなくゼロに近い。案の定佐助はま るでなにも言われていないかのように、ずりずりと顔を近づけながら、やっぱりシュチュエーションは最大限に活用しねーと、な どと意味のわからないことを言っている。ああ、と小十郎は思った。 ああ、こいつ本当に馬鹿だ。 「楽しいと思わない、職員室でふたりでちゅうしたりするの」 「思わん。一ミリも思わん」 「じゃあ飼育小屋の裏でもいいよ?」 場所の問題じゃねえ、と睨み付ける。 佐助は眉を寄せてすこし黙ったが、それからああ、と頷いてまた言う。 「みんなが帰ったあとならえっちも出来ないことはねーと思うよ」 「てめェの使っているのは本当に日本語か?一切伝わってねェうえに一欠片も理解が出来ん」 「俺って、英語だけは苦手なんだよねー」 「・・・・あァ、そうかい」 「ドイツ語は得意だから、旅行するならヨーロッパだね」 フランス語もちょっとは出来るからさー、と佐助は言う。 小十郎は目を閉じた。二歳違うということは、こんなにも人間同士の意思疎通を難しくするのか。 大体オフィスラブというのは職場の人間同士で恋愛をすることであって、べつに職場で性行為をすることではないだろうと思うの だが、小十郎の記憶違いだろうか。腕のなかで政宗がちいさく寝返りを打った。目を開いて佐助を見る。眠っているとはいえ幼児 三十人に囲まれたこの教室内で、いったいこの男は何を言い出すのだろう。 「でも今日はコンドーム持ってねーからさ」 えっちはまた今度ね、と言い出すのに至っては小十郎は三本目の腕がない自分を恨んだ。 今すぐにでもこの男の首根っこを掴んで放り投げてやりたい。子供がいるのだ。コンドームだと。そんなもの職場に持ってきてく るようだったらコンマ一秒も考えずに速攻で二度目の別れを決意してやる。 おまえはわざわざそんなこと言うために他の教室まで来たのか、と呆れて言うと、佐助はへらへら笑いながら、そうだよーと頷い て、だってあんたこういう時でもないと聞いてくれないじゃん、とほおを膨らませる。 「最近あんまり残業ねーし」 「・・・いいことじゃねェのか、そりゃあ」 新年度になって新しい保育士が入ってきたので、最近は雑務をさせられる割合も減って、ときどきは定時帰宅もできるようになっ た。いいことだ。いいことだけどさーと佐助は言いながら、でもさーでもさーとおまえは園児か、と言いたくなるような口調でご ねる。はあ、と息を吐いた。この教室には三十一人園児が居るらしい。 なんなんだ、と言うと佐助は眉を寄せたままさみしいじゃん、とつぶやいた。 「あんま一緒に居らんねーし」 基本的に毎日一緒なんだがな、と思うが一応黙っておく。 「片倉さん電車にしろっつーのにバイクで帰るし」 小十郎のマンションは、電車で帰った場合駅に出てから更にバスに乗らなくてはならない。 バイクで行けば直行で三十分で着く。 「金がかかるだろうが」 「二百四十円じゃねーか。恋人と一緒の三十分と一日二百四十円とどっちが重いのわけ」 「行き帰りで四百八十円だ」 「・・・あーなるほど」 それだと俺もちょっと迷うかも、と佐助は言う。 その返答もどうだろうと思いながら、小十郎はとりあえずどっか行け、と言った。他の同僚はおそらく職員室で休憩中だろうけれ ど、小十郎と佐助が帰ってこないことを不審に思って様子を見に来ないともかぎらない。ただのオフィスラブなら見つかっても多 少ばつがわるいだけだが、この場合佐助も小十郎も生物学的に言うと牡なのでばつがわるいどころではない。この年で新しい就職 先を探すのは御免だ。 佐助はちぇ、と呟いて、黙った。 黙ったまま、小十郎の腕のなかの政宗と幸村を眺める。 「・・・・いーなー」 ころり、と小十郎の横に寝ころんで佐助は笑う。 俺も園児になりたい、と言うので今度こそ本当に小十郎は呆れた。呆れてうつ伏せに寝ころびながら腕のなかに顔を埋めている同 僚を見下ろすと、見上げてきていた佐助と目が合った。薄暗い教室のなかで見ると、赤い眼が黒く見える。おまえら贅沢なんだぞ、 と佐助は眠っている幸村のほおを突きながら笑う。 「そこは俺だって行きたくてしょーがないのに、行けないんだからな?」 わかってんの、とほおを突いていたら幸村が顔をしかめて寝返りをうつ。 やめろ、と言うと大人しく佐助は手を引っ込めた。腕のなかの政宗と幸村は、もう動かしてもいい程度には熟睡しているようだっ た。そ、と腕を外して布団をかぶせる。今まで引っ付いていたなにかが無くなったのが不安なのか、お互いに寄り添うようにして いるのがひどくかわいらしくて小十郎はちいさく笑った。 わあ、と横から佐助が声を漏らす。 「なんだ」 「すげ」 「・・・なにが」 「ちょう、やさしそうな笑顔」 初めて見たし、と体を起こしながら言う。 園児っていいなあ、とうるさい。ようやく自由になった手のひらで赤い頭をひとつ叩いてから、小十郎は立ち上がった。佐助も続 いて立ち上がる。伸びをして、写真取っときゃよかったなあなどと言っている。 すこし下にある赤い頭を見下ろしながら、小十郎は今日何度目になるかわからないため息というやつを、また吐いた。それから歩 き出す小十郎に、佐助は首を傾げる。 「おーい、どこ行くのさ」 小十郎が歩いて行ったのは教室の入り口とは反対側だった。 電子オルガンが置いてある。園児を踏まないように気をつけながらオルガンの隣まで行った小十郎は、しゃがみ込んで佐助を無言 で手招いた。佐助は首を傾げつつ促されるままにそちらへ向かう。 隣に来た佐助を、小十郎はしゃがめ、と手で促す。佐助は素直にすたん、と座り込んだ。 「なに」 「黙ってろ」 「へ。・・・わ、あ」 ぐい、と。 腕を引っぱると、簡単に佐助の体は傾いて腕のなかにすぽんと収まった。 赤い髪がちくちくと顎の辺りをくすぐる。 何かわめくかと思ったが、よく見ると佐助は固まっていた。 年下のこの同僚兼恋人は、粗方のすることを済ませたあとも時々こうやって固まる。規準がよくわからない。髪の毛と目の色とお なじように赤くなっている顔を見ながら、小十郎はぽんぽんと髪を撫でた。 こいつは阿呆だ、と思う。 (図々しいくせによ) 大体のことにおいて、猿飛佐助は遠慮を知らない。 そのくせ肝心なところでおかしな遠慮をする。これもよく規準がわからない。 しばらく髪を撫でてから、肩に手を置いて体を離してみると佐助はようやく石化からとけていた。相変わらず顔は赤い。緑を好ん で着るこの同僚がこういう状態になると、色の配色的にトマトそのものになる。夏もまだ遠いというのに腕のなかのトマトはまさ に収穫間近だ。もぎ取ってやりたい衝動にかられる。 羨ましいかよ、と聞いてみた。 園児が、羨ましいか。 「べつにここは、園児だけの場所じゃあねェよ」 おまえのもんでもねェが、と言いつつ額を合わせる。 「それに」 ぽかん、と間抜けに開いた口を、顎を下から押し上げて閉じさせる。 うぐ、とおかしな声を佐助があげた。くつくつ、と小十郎はすこし笑う。 それから、ゆっくりと自分の唇をそこに重ねた。 ちゅ、とちいさな音が鳴った。 「これは、園児にはしない」 すぐに唇を離す。佐助が目をまんまるに見開いているのがよく見えた。もう一度唇を重ねると、それがゆるゆると閉じられる。 ぺろり、と下唇が舌でなぞられたので、ちいさく口を開くと佐助の腕が後頭部に回って、さらに深く口づけられる。舌が入り込ん できたので小十郎もそれにならった。くちゅ、と水音が静まりかえった薄暗い教室に響く。 「・・・ん、ふ」 唇を離すと、佐助がへたりと肩に頭をくっつけてきた。 息が荒くなっている。それをひょい、とどかして小十郎は立ち上がった。 え、と佐助が声をあげる。え、うそ。 「これでおしまい?」 「当たり前だ。てめェ、教室で最後までやるつもりか」 「いやそうは言ってねーけど。うっそ、ちょう中途半端なんだけど。俺のこのテンションはどこへ行きゃぁいいわけ」 「あと三十分はあるから、男子トイレにでも持っていけ」 園児を避けながら入り口のドアに向かう。 振り返るとまだ佐助は赤い顔で、オルガンの横に座り込んでいた。さるとび、と小声で呼びかける。すい、とあがった視線に、小 十郎は口元をくい、とあげて笑った。 それから、続きは週末にな、と言ってやる。 佐助はしばらくぼう、と小十郎を見てから、悔しそうに顔を歪める。 そして立ち上がってすたすたとドアまで寄って、小十郎を睨み付けた。 「・・・あんた、たらしだよな」 「そうかね」 「そうだよ。あーもう、ほんっとに敵わねーからやになる」 「人聞きが悪ィな」 オフィスラブしたかったんだろう、と言うと佐助はなんかちがう、とほおを膨らませる。 その栗鼠のようなほおを両手で掴んで引き延ばすと、痛い痛いと佐助が叫き出した。その声で近くの園児がちいさく呻いたので、 あわてて教室を出てドアを静かに閉める。赤くなっているほおを抑えながら、佐助は恨めしげに小十郎を見上げて、今に見てろよ、 と言った。週末を楽しみにするがいいよ、と宣言されて、小十郎はすこし笑う。 楽しみにしてる、とでも言えばきっとまた真っ赤になるのだろう、と思う。 佐助は小十郎から向けられるそういう表現にかわいそうな程慣れていないので、逐一反応がおおきい。自分からいくら恥ずかしい 台詞や行動をしてもすこしも悪びれないくせに、小十郎が髪を撫でたり手に触れたりするだけであわあわする。やはり規準はさっ ぱりわからない。 とりあえず佐助はこっちが驚いてしまうほど、小十郎のことがすきなんだろうということは解る。 (物好きな) 何度も思うがやはりまた小十郎は思った。 そんな物好きになんだかんだで結局惚れた小十郎も十二分に物好きなので、もちろん人のことは言えない。言えないけれど、やは り佐助は馬鹿だし阿呆だ。付き合って一月近いのに、いまだに小十郎が自分をちゃんとすきだと思っていない。 言ってやろうか、と思わないこともない。 「・・・まァ」 言うと調子に乗るから今はやめておこう。 と、小十郎は横をひょこひょこ歩く赤い頭を見て思った。 職員室のドアを開けようとしたら、案の定調子に乗りきっている佐助がエプロンを引っぱってまたオフィスラブしよーね、と言っ てきたので小十郎はにこりと笑って、それから思い切り佐助の脛を蹴り上げてやった。 おわり |