これは俺のとてもだいじな、男同士の誓いのはなしだ。
ゆ び き り げ ん ま ん
弟ができた。
名前を十助、という。
俺と幸の六つ下のその弟は、髪は母上とおんなじまっくろで、目はしのびとおんなじでまっかだ。目はまんまるくて
くるくる動いて、見ているとこっちのほうが目が回る。良くけらけらと笑って、誰にでも引っ付いて、猫みたいにこ
ろころと甘えるのが上手な、母上に言わせると「末っ子性質」な十助は、この間二つになった。
もちろん俺も、十助のことはだいすきだ。
でもちょっと納得がいかない。
「ち、ぃぅえ」
「うわあ、ちょっと今の聞いた」
うれしそうな声をあげて、しのびが十助の脇をひょいと持ち上げる。
幸が横でこくこくとうなづく。きいた、と言う。しのびはへらりとゆるゆるの顔を更にゆるゆるにして、今父上って
言ったよねえとこれ以上ないくらいに顔を溶かして、ぎゅうと十助を抱き締める。
良い子ですねえ、と、うっとりと言う。
「どっかの、未だに『父上』って呼んでくれないおにいさんにも見習わせたいわ」
「うっせェ」
「ほらあ、これだもんなあ」
「ちちうえ、べんてんまるははんこうきなんだ」
幸が真顔でへんなことを言う。
俺はぎゅうと眉を寄せて、ちがう、と怒鳴った。
ちがう。ほんとうにちがうんだから、これは嘘じゃない。
十助はしのびに思い切り抱きしめられたのがうれしいのか、もうほんとにびっくりするくらいにしあわせそうにとろ
んと笑って、ちいさな手で必死にしのびの肩に縋り付いてる。俺にしてみればぜんぜん「父上」とは聞こえないさっ
きとおんなじ言葉をもう一度言う。もっとしのびが喜ぶ。ちいさな口を、ちゅ、と吸う。
へらりと十助は笑って、「ちぃうえ」とまた言った。
「ちぃうえ、ちいうえ」
「はいはい、なんですか」
うれしそうにしのびは笑う。
幸もとてもしあわせそうに、ほんのちょっとだけど、顔をゆるませる。
それを見ていると、なんだか俺ばっかりが悪者みたいな気持ちになったので、あわてて目をふたりから離して、代わ
りに障子を見た。障子のむこうがわは、雪がさらさらと降っているはずだ。もう冬に入った奥州は、毎日毎日、日が
昇るのとおんなじくらいに当たり前に雪が降る。そのうちにその雪は全部にかぶさって、全部がまっしろになる。
そうすると馬にも乗れなくなるし、稽古もあんまりできなくなる。
膝の上に置いたじぶんの手を、俺はぎゅうと握った。
「あれ、おねむかな」
しのびが首を傾げながら言った。
座敷には火鉢と、ぼんぼりと、鉄瓶が置いてあってほわほわとあったかい。十助はねむくなったみたいで、大きな丸
い目をぱちぱちとまばたかせて、でも寝ないように頑張ってる。十助はまだ二つだけど、知ってる。
寝たら、じぶんを抱いてる男が居なくなることくらいちゃんと知ってる。
でもしのびは馬鹿なので、全然そこんとこを解ってない。
へらへらと笑いながら、十助のほっぺをゆっくりてのひらで撫でる。
「はいはい、おねむなら早く寝ちゃいなさいな」
馬鹿だ。
大馬鹿だ。
ものすごく苛々する。
十助はしばらく頑張って目を閉じないようにしていたけれども、しのびの手に―――――――あれは実は魔法の手な
んだと思う―――――――結局は負けて、こくこくとねむってしまった。幸が布団を持ってきて、しのびの横にそれ
をひく。しのびはゆっくり十助をそれの上に置いた。
しのびは目を糸みたいにして、十助の髪を撫でる。
しのびは十助の髪がとてもすきだ。
「きもちよさそうに寝ちゃって、まあ」
「ちちうえのては、あったかいからだとおもう」
「へえ、そうかな。気付かなかった」
「あったかい」
「そうか」
しのびはうなづいてから、幸のほっぺをてのひらで包んだ。
幸が目をつむる。しのびはうれしそうにもう一回笑って、今度は俺のほっぺをおんなじようにてのひらで包んだ。
「どうよ、丸」
「――――あったけえよ」
「そう、そりゃ結構」
「も、はなしやがれ、ばか」
「馬鹿はないだろ、馬鹿は」
すいと手が引かれる。
ぽわぽわと耳の辺りがあつくなったので、俺は頭をふった。
ほっぺに手をやる。しのびの手は、ごつごつしてる。いろんなところにまめがあって、長くて固い。俺はもう一度自
分の手を見た。俺の手は、ちいさい。とてもとてもちいさい。
今度はちらりと幸の手を見た。
幸の手は、俺よりすこしだけ大きい。
幸のほうが俺より体も、ほんのちょっとだけど大きい。双子なのに不公平だ。
みんな解らないと言うけど、でもどう見ても俺のほうがちょっとちいさいし、俺のほうが足も遅いし剣も弱いのはだ
れよりも俺がいちばん知ってる。
俺の手はちいさい。
俺の手には、まだまめがない。
母上よりしのびより―――――――幸より俺はずっとよわっちい。
急にはらの辺りがすうすうして、気持ち悪くなった。
眉間に母上みたいにしわを寄せていたら、ちらりと十助が見える。十助はくうくうちいさな声を出しながら寝ていて、
その寝方がすごくお気楽だったので、もちろん十助はわるくないけど俺はますます気持ち悪くなった。
しのびが来た日の次の日は、絶対に幸はとても早起きになる。
俺が起きるといつもとなりの布団はからっぽになっている。ほんとはしのびは大体夜のうちに帰ってしまうので早起
きはあんまり意味がない。でも幸はしのびがだいすきなので、必ず早起きをする。俺はしない。俺はあの、俺と幸と
おんなじいろの髪を持ってるしのびのことがとてもとてもきらいだ。もし早く起きてしまっても、幸がもう一度布団
に帰ってくるまでそのなかでじっとしてる。
冬の朝に布団のなかでじっとしてると、雪がさらさら降る音がする。
辺りは灰色で、布団にもぐりこんで俺はその灰色をにらみつける。冬になると雪が降る。雪が降って、全部まっしろ
になって、そうすると奥州はどこへも行けない場所になって、誰も来れない場所になる。
しのびは次の春まで来ない。
からっぽのとなりの布団に、足をつっこんでみた。
ひんやりとしてる。冷たくて、慌てて引っ込める。幸は寝たんだろうか、と思った。幸はちゃんと寝たんだろうか。
布団のはじをぎゅうと掴んで、ぎゅうと目をつむって、ぎゅうと丸まって、なんとかもう一度寝ようとしたけど、さ
っきのつめたい布団が気になってどうしても寝れない。全部しのびのせいだ、と思った。
しばらく待ってから、俺は寝るのをあきらめた。
布団から出て、綿入れを羽織る。それはつめたかった。全然あったかくならない。
俺はこおりそうに寒い朝に、馬鹿みたいにまだ早い時間なのに起き上がって、つめたい綿入れをぎゅっと抱きしめて、
からりと障子を開いた。庭はまっしろだった。吐いた息もまっしろだった。
渡り廊下を歩くとぺたぺたと音がする。俺はぺたぺたひとりで音を鳴らしながら、母上の寝所に向かった。そこには
十助が居て、それから多分まだ帰ってないならしのびも居る。
しのびにけりをいれてやろう、と俺は思った。
ぺたぺた歩いていたら、廊下のむこうがわに母上が立っていた。
空を見上げている。まだねむそうで、ふわあ、とひとつあくびをする。
「ははうえ」
「あァ―――――――弁天丸じゃねェか、どうした」
「あの、ねむれなくて」
「ふうん」
母上はちょっと黙った。
それから残念だったな、と言う。
「帰ったぞ、あれは」
俺は思いきり首をぶんぶんと振る。
母上はちいさく笑って、寒いだろう、と俺の髪をくしゃりとかきまぜた。母上は俺と幸の髪がすきだ。
俺の髪をくしゃくしゃしながら、母上は幸もそこに居るぞ、と言う。そこっていうのは、母上の寝所らしい。ねてる
んですか、と聞くと母上はうなづいた。
「あれを見送ったらぱたり、だ。死んだみてェに寝てる」
「―――――――じゃあ」
ちゃんと会えたんだ。
俺はちょっとだけ笑った。けりはいれられなかったけど、まあいい。
「俺ももう一眠りするが、おまえはどうする。
幸が寝ちまったからそれ用の布団もあるが、そこで寝るか」
「え、いいんですか」
「偶にはいい。どうする」
俺はすぐにうなづいた。
母上はからりと障子を開く。そこには布団が三つ並んでいて、まんなかに幸が寝ていた。いちばん右に十助の布団が
ある。俺は母上の横で寝るのはちょっとはずかしかったので、幸と十助の間にねころんだ。
母上は障子を閉める。それから、「明日は寝坊しても特別に構わん」と言ってから自分も布団に入った。
俺はしばらく息をあんまりしないようにして、じっとしていた。そのうち母上のほうからもちいさなねむってるとき
の声がし始める。俺は思いきり息を吐き出した。全然ねむくない。
俺は隣の幸の手を握ってみた。それはひんやりとしていて、やっぱりしのびをけれなかったことはすごく残念だと俺
は思った。今度来たらいちばんさいしょにけってやる。
こすったらあったかくなるかと思って、俺は一生懸命幸の手をこすった。
ちょっとずつ指がぬるまったくなっていく。右手が終わったので、次に左手をこする。
しゅるしゅる、と俺の手と幸の手がこすれる音がする。それしかしない。幸は全然起きない。
全部あったかくなったので、俺が満足して寝返りを打って寝ようとしたら、十助と目があった。まんまるのまっかな
目が、ぱちぱちと開いたり閉じたりしている。
俺はすごくびっくりした。
「と、すけ」
名前を呼ぶと、十助はひょこりと体を起こす。
きょろきょろと辺りを見回す。それからこくんとまだ重そうな頭を傾げる。
もう一度きょろきょろし出す。途中でちいさな手で一生懸命掛け布団を引っ張り出したので、俺も起きて手伝ってや
った。ばさりと布団をめくる。十助はじいと、もちろんなんにもないそこを見て、またこくんと頭を傾げた。
俺はそこでようやく、十助がしのびを探していることに気付いた。
ぐぐ、と気持ちの悪いものが喉の辺りまで来て口から出そうになる。
必死でそれをどっかに投げて、俺は正座をした。十助が泣き出したら俺がなんとかしなければいけない。母上も幸も
疲れててぐっすり寝てるんだから、起こしちゃいけない。
十助はしばらく不思議そうに目をぱちぱちさせてから、それを急に大きくした。
「ち、ぃうえ」
「とすけ、とすけなくな」
「ち、うえ、ちぃうえ」
声がどんどん高くなる。
泣く。
と、俺は思った。
手を伸ばして抱き上げようと身を乗り出して、
途中で止めた。
「―――――――ッ、ぁ、う」
十助の目がぐにゃぐにゃになってる。
口もひどいことになってる。ぐにゃぐにゃしてる。でも十助は急に重い頭をぐいと上にあげて、ゆらゆら水を溜めて
た目からそれがこぼれないように必死で目を見開く。ちいさな手がぎゅうと握りしめられて、普段はしろい顔がまっ
かになっている。あんまり上を向こうと頑張ってたので、ちいさな体がゆらりと後ろに倒れそうになった。
俺はあわてて手を伸ばして、それを捕まえる。そのひょうしにぽろりと涙がひとつ流れた。
十助はあわてて顔をてのひらでおおう。
「ち、ぁう、にぃに、ちあう」
十助は俺のことを「にぃに」と呼ぶ。
それは解るけど、他が全然わかんない。
俺は首を傾げた。十助は何度も何度も「ちあう」と言う。ちあうちあう。俺はずっとそれを何だろうと思って、十助
のまっかな顔を見て、それでようやく解った。
「違う」と十助は言ってる。
俺は息を飲み込んだ。
「そうか」
「ちあう、ちあう」
「そうだな、そうだよな」
俺は十助をおこして、くるりと体を回転させた。
「おまえはないてなんていねえよな」
「ない、ちあう」
「わかってるぞ。おれには」
十助の肩をつかんで、うなづく。
どくどくとむねが痛い。体中がぽかぽかしてる。
おまえはつよいな、と俺は言った。十助はまだ一生懸命泣かないように顔をまっかにしてる。俺はなんだかものすご
くうれしくなった。十助はちゃんと、男だ。まだこんなにちいさいけど、ちゃんと男だ。
とすけ、と俺は十助の顔をじいと見ながら言った。
「とすけ、おまえはりっぱなぶしになれるぞ」
「ぶ―――――――うし、にぃに、うし?」
「ばか、うしじゃねえよ、ぶしだ、ぶし。にぃにはな、おっきくなったらぶしになるんだ」
それでな。
ははうえとあねうえをな、まもってやるんだぞと俺は言った。
十助は良く解ってないみたいで、ぼんやりとしている。でも俺が「まもる」と言ったとたんに、身を乗り出した。そ
れで「まぉる」と舌っ足らずに俺の言葉を繰り返す。
その目はまさに、武士の目だった。
俺はにやりと笑う。
「そうだ、まもるんだ」
「まぉる、とおけも、とぉけもまおる」
「そうだ、とすけもまもるんだぜ―――――――おまえ」
ちちうえのことすきだろう、と俺は言った。
十助は何度もうなづく。
「ちぃうえ、すき」
俺は満足げにうなづく。
それからがしりと十助の肩をつよくつかむ。まっかな目を見ながら俺は「これはおとこどうしのやくそくだから、ちゃ
んときくんだぞ」とせんげんした。十助はちょっと緊張したみたいにびくりとふるえて、それでもこくんとうなづく。
俺は一回息を吐いてから、もう一回吸う。
それで、言った。
おまえはちちうえをまもれ。
「おれはははうえとゆきでいっぱいだから、あのばかまでてがまわんねえんだ。
だからおまえがちゃんとおっきくなって、すげえつよくなって、それでちちうえをちゃんとまもってやるんだ」
おれたちはおとこだからな、と俺は言った。
十助が産まれたときから、ずっと考えていたことだ。ふたりのほうがいっぱい守れる。
十助は俺が早口だから良く解らなかったのか、しばらくぼうっとしていた。俺は小指を差し出して、「やくそくだぞ」
と言ってやる。指切りげんまんは十助もすきなので、解りやすいかと思ったのだ。
十助はやっぱり手をひょいと出して、俺の指に捕まった。
「げ、まん、すう」
「とすけ」
「あぃ」
「わかってるか、これは」
おとこどうしの、ちかいだぞ。
俺がそう言うと、十助はこくりとうなづく。
「まおる」
「そうだ、まもるんだぞ」
「とぉけ、げんまんすぅ」
「よし、それでこそおれのおとうとだ」
俺は十助のちいさな手から小指を探して、それに自分の小指をからめた。
手をゆらゆらと揺らしながら、ぽつりとまだ、と俺はつぶやいた。まだおれはよわっちいけど、でも、いまやくそくし
たからな、おまえと。十助は揺れる手がたのしいみたいで、にこにこしてる。
とすけ、と俺は弟を呼んだ。
「とすけ、おれはこのちかいにかけてぜってぇつよくなるからよ」
がんばろうな、と言ってやる。
十助はすこし赤くなった顔を更に赤くして、だらんと垂れていたほうの手を俺に伸ばして、俺の手をぎゅうとつかむ。
それでこくこく何度もしつこいくらいにうなづいて、
「ちあう」
と言った。
それは多分、「ちかう」だったんだろうと思う。
でもさっき聞いた「違う」とまるっきりおんなじだったので、俺はちょっと笑ってしまった。
おわり
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十助くんデビュー。
丸くんだって父上がすきなんですよというおはなしでした。
素敵な小松菜’sと鴉っこをくださった春生さんに献げます。いらんと言われても 献げます。
マイラバー弁天丸を好きだと言われて嬉しかったので丸くん視点にしてみました。いただいたものには
とうてい釣り合いませんが、どうぞお納めください。。。
空天
2007/12/11
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