「Mission Compriet、だ」

という声は水の流れのように涼やかだった。


















                   Our Perfect Plan



















その前の晩まで降りしきっていた雪が止んで、空は珍しく快晴であった。
雪にどこもかしこも埋もれた冬に戦があるのは西の国々の話で、甲斐も上田も冬はおとなしいものである。もっとも
猿飛佐助の主であるところの真田幸村に休息などは似合わぬので、冬であろうと雪が降ろうと、常に鍛錬を怠るとい
うことは有り得ない。それでも吹雪のなか外に出るのは家の者どもが止めるので、ようやっと訪れた小春日和に幸村
はそのおさなげな顔を喜色で満たした。

「佐助ッ、鍛錬に行く、着いて来いッ」
「へいへい」

主の声に、屋根裏からひょいと飛び降りた佐助は苦く笑いながら頭を下げる。
縁側の屋根からはつうと雪の溶け水が氷柱を伝って地面へこぼれ落ちている。丸裸の木々にはかすかにちいさな春の
芽が芽吹き始め、空から降り注いでくるひかりはなまぬるい。長くつめたい冬の終わりはもう傍らまで来ているよう
で、それでいて肌に直に感ぜられる空気はまだひやりとつめたい。佐助は幸村の肩をぽんと叩いて、あんまり無理を
して風邪を引くのは無しだぜ、と笑いを含めて忠告する。
幸村は不愉快げにほおを膨らませた。

「其はこどもではない」
「はいはい、解ってンなら良いんですがね」
「解っておらぬのは佐助の方だ―――――――ん」

しかめてあった幸村の顔がふいに緩む。
視線が佐助の髪を超えて、空へと注がれている。佐助は首を傾げて振り返った。
刷毛で塗りたくったような人工的に青い空に、ひとつ黒い点が見える。それは鴉のようだった。羽音が徐々に近付い
てくる。あれはおまえの鴉ではないか、と幸村が問う。
佐助は髪を掻いて頷いた。

「そうなんだけど、あれ、どうしたンだろ」
「どうかしたか」
「あれ、奥州に置いてある奴なんだけど」

佐助は一羽、鴉を龍の右眼の元に置いている。
なんだかんだで三人に増えた不可思議なこどものうち、赤い目と黒髪を持つ十助を連れてきた鴉がそれである。優秀
な鴉なので、なにかあるときは特に連れて行くこともあるけれども、普段は奥州に居る筈だ。佐助が首を傾げている
間にもばさばさという羽音は近付いてくる。
佐助はそれに、眉を寄せた。

「ええ―――――――ちょっと」
「佐助、」

幸村も気付いたのか慌てた声をあげた。
何か乗っておらぬか、と言う。佐助も口元に手をやってのろのろと頷いた。

鴉の背に、何か乗っている。

鴉は羽ばたくのを止めて、すいと下降してきた。
目の前に来た黒い鳥に、佐助は慌てて駆け寄り、声を上げる。その声に鴉の上に乗っていたちいさな影が、くるりと
振り返る。そして佐助の顔を見て、赤く丸い目をへらりと細めて思い切り笑い、

「ちちうえ」

と両手を差し出した。
佐助は深く息を吐いて「十助」と名前をこぼす。
十助はにこにこと笑いながら鴉の背からひょいと飛び降り、佐助の足に飛び付いた。佐助は眉を下げて後ろを振り向
く。幸村がその視線を見て頷いて笑うので、佐助はようやっと十助を抱き上げた。
驚くほど軽い体がふわりと浮かんで、きゅ、と佐助の首にしがみついてくる。ちちうえちちうえ、と十助は鸚鵡かな
にかのように繰り返しながらぱたぱたと足を揺らす。鼻先をくすぐる黒い髪から覚えのある土の匂いがして、おんな
じ匂いの幾分硬い黒髪を思い出して佐助は顔をゆるめた。
十助が落ち着くまでしばらくぎゅうぎゅうと抱き合って、それから佐助はようやっとどうしたのさ、と黒髪のおさな
ごに問いかけた。
十助はへらりと笑う。

「ぷれぜんと」
「ぷれぜんと」
「そう、とすけちちうえにぷれぜんともってきたっ」
「ぷれぜんとって」

佐助は首を傾げる。
また独眼竜の外来語だろうか。佐助はすこし顔を歪める。なんだか我が子が間違った方向に行ってしまっているよう
な心地がして不安がくるくると渦巻く。大丈夫か、あそこに俺の子三人預けといて。
十助は佐助の顔を見て、すこし困ったように眉を下げる。それから「ああ」と声を上げて、

「おくりもの」

と言い直した。

「あのね、にぃにとねぇねといっしょにつくったの」
「十助殿もでござるか」

幸村がひょいと肩越しに覗き込んでくる。
十助は目をぱちぱちと瞬かせて、へらりと幸村に笑いかけた。ゆきむらさまもあとでみてね、と言う。幸村もにこり
と笑って是非見せて欲しいでござる、と十助のちいさな手を握った。

「十助殿はそれで、鴉に乗って来たでござるか」

佐助から十助を抱き取った幸村が首を傾げる。
そう、と十助は自慢げに胸を反らせた。とすけからすにのれる、と言う。佐助は顔をしかめた。

「危ないだろ」
「あぶなくないよ」
「危ないでしょ。昨日なんて雪降ってたじゃねえのさ」
「ねぇねがもこもこにしてくれたからへいき」

十助は両腕を拡げる。
確かに綿入れの上に蓑が被せてあって、これ以上ないくらいに十助の防寒対策はされている。それでも佐助は唇を尖
らせて十助を乗せてきた鴉の頭をぽんと叩き、おまえもな、と低く言う。鴉はひょいと首を曲げた。
幸村の腕から飛び降りて、たたた、と鴉に駆け寄る。

「たけつのはわるくないよ、ちちうえ」

たけつの、と十助は鴉の名を呼んで首を振る。
小十郎が名付けたその鴉は建角といって、もう佐助の言うことより小十郎の言うことを聞くようになっている。その
上十助を何処からか連れてきてからは益々佐助の言うことを聞かないどうしよもうない鴉になっている。たけつのは
とすけのいうこときくだけだよ、と十助は大きな目を潤ませて言う。
佐助の前に幸村が折れた。
良いではないかおまえに会いたかったのだ、と主に言われれば佐助も黙るしかない。
幸村はしゃがみこんで、十助の頭を撫でた。

「―――――――で、ぷれぜんとはなんでござるか、十助殿」
「そうだっ」

ぱん、と十助が手を叩く。
蓑の中に手を突っ込んで、ちいさな風呂敷包みを取り出す。佐助もしゃがみ込んでその風呂敷包みを覗き込む。十助
は顔を赤く染めて、しゅるしゅると風呂敷を解いていく。
するりと風呂敷が解かれた。

「あ」
「お」
「これは見事でござるなぁっ」

幸村の上げた声に、十助がえへへ、と笑い声をたてる。
風呂敷の上にはちいさな雪だるまが四つ置いてあって、髪や目がきちんと加工されている。持ってくる途中で崩れた
部分もあるけれども、丁寧に運んできたのだろう、大部分はしっかりと残っていた。
十助は右から雪だるまを指さしていく。

「これがね、ははうえで、ねぇねで、にぃにで、とすけっ」
「良く出来てるでござるなぁ。上手いものだ」
「にぃにがじょうずなの。でもね、とすけもここらへんがんばった」

ここらへん、と十助は雪だるまの頭の天辺を指さす。
佐助は笑いながら十助の髪を撫で回す。頑張ったねぇ、と言うと、十助は目をとろんとゆるめてころんと佐助に寄り
かかって腹の辺りにほおを擦りつける。

「でもねぇねはへたっぴなの。こわしちゃうから」
「幸は不器用だからねえ」
「ねぇねがにぃにをごにんくらいこわしちゃってたいへんだったよ」
「それは大変でござるな」

幸村はにこにこと笑っていたけれども、途中でふとそれを止めた。

「佐助が居らぬ」

小十郎と幸と弁天丸と十助。
確かに佐助だけ居ない。佐助はそうだねえ、と首を傾げた。
それにふるふると十助が首を振る。

「ちちうえもいるよ」
「何処にでござるか」
「よねざわじょう」
「なんで父上だけ仲間はずれなのさ」

佐助はほおを膨らませる。
十助はそれを見上げて、ちちうえはねぇねのおにわ、と行った。

「とすけみんなもっていこうとしたんだけど、ねぇねがちちうえはだめっていうからおいてきた」
「幸殿が」
「そう」

ねぇねちちうえだいすきだから、と十助は言う。
佐助はその言葉に、この上なく居たたまれない心地になった。きょろきょろと忙しなく辺りを見回す。べつに今回
は何かあって奥州に行くのを避けていたというわけでもないので、特に佐助が罪悪感を感じるところでもないのだ
けれども、小十郎にそっくりのあの娘の真っ黒い目を思い出すとなにかしらおかしな感触がして、訳もないのにお
のれが悪いことをしたような心地になる。
俺悪くないよな、と佐助は胸のうちでつぶやいた。
悪くない筈だ、今回は―――――――多分。

「ちちうえどうしたの」
「え、やぁ、なんでも、ない、うん」
「かお、こわいよ」

冷や汗を流す佐助を不思議そうに見上げる十助の肩を、ぽん、と幸村が叩いた。
その音に佐助も主に顔をやると、顔を伏せた幸村はかすかに涙を眦に浮かべている。佐助は目をくるりと回して、
どうしたの旦那、と問う。幸村はき、と顔を上げた。

「佐助」
「なに」
「おまえ、何も思わぬでござるか」
「え、なにに」
「幸殿のお心だっ」
「ゆきのこころ」

幸村は涙を拭って、立ち上がり佐助の髪をぐいと掴む。
痛みに佐助が声を上げるのも構わずに、とすけどの、と赤い目を覗き込んでにこりと幸村は顔を笑みで満たした。
ぐい、と赤い髪を掴んだまま佐助を十助の前に引きずり出す。

「佐助をお貸しするでござる」
「はあ、ちょっと旦那、なに言ってンのっ」
「煩い。おまえは黙っておれ。十助殿、幸殿と弁天丸殿にもよろしくと伝えてくだされ」
「わかった、とすけがんばる」

がんばってちちうえをもってかえる、と十助は笑顔で佐助の顔を包み込んだ。
それから、は、と何か気付いたように幸村の顔を見る。

「ゆきむらさま、とすけせきにんじゅうだい?」
「責任重大でござるなあ」
「ござるなあ、じゃねぇよ、おい」
「よいではないか。どうせ戦も無くておまえ暇でござろう」
「そうだけど、ていうかそういう問題じゃなくッて」
「とすけがんばるっ」
「十助、ちょっと黙ってなさい」
「頑張るでござるよ十助殿っ」
「あんたもっ」
「煩いでござる。黙るのは佐助のほうでござる。
 どうせ会いに行けるくせに冬前にもう春まで行かないと行った手前行くに行けなくなってただけなのだろう」

男らしくないでござるなあ、と幸村は十助の顔を覗いて首を傾げる。
ねえ、と十助もおんなじ向きに首を傾げる。

「でもとすけはそんなちちうえもすきだからだいじょうぶ」
「果報者でござるな、佐助」

さ、行くでござる。
帰る時は土産を忘れるなよ。
幸村はにこりと小春日和も消し飛ぶようなあかるい顔で笑って、ぱんぱんと手を叩き、片倉殿にお渡しする土産
をもてと小姓を呼んだ。佐助はもうこうなっては主に従うしかないと諦めて深く息を吐く。
てのひらで額を抑えつけて、嫌味なまでに青い空を仰いだ。
ちょいちょいと袴を引かれる。

「ちちうえ」

十助が佐助を見上げていた。
どうしたの、と首を傾げると不安げに赤い目が揺れる。

「ちちうえ、いやだった?」
「ん、なにが」
「おうしゅうにいくの」
「ああ」

佐助は笑ってしゃがみ込む。
いやなわけないでしょ、と頭を撫でてやると十助は安堵したようにゆるゆると息を吐き出した。よかったぁ、と
笑う十助を抱き上げるて佐助は困ったように笑う。もちろん佐助だって会えるのが嫌なわけがない。
あの男に会うことで、素直に喜ぶのが癪なだけだ。
ほんとによかったぁ、と十助は胸にちいさな手を押し当てる。

「ははうえもすっごくよろこぶよ」
「―――――――だといいけど」
「よろこぶよ」

十助は胸を反らして断言する。
佐助はそれに不思議そうに首を傾げた。






























「ここでの一番大事なところは」

幸は真っ直ぐに黒い目でおのれの弟の目を見据え、声を潜める。
十助は姉の目をひしと見返し、こくりと喉を鳴らす。『冬季父上召還計画』と滑らかな蹟で書かれた半紙にぱんと
ちいさな手を置いて「ここだ」と幸は静かに宣言した。
父上の雪だるまが奥州にあることを、

「『幸村様に聞こえるように言う』―――――――ここが成れば、この策は成ったも同然」
「解ったか、十助」

隣に座っている弁天丸が十助の顔を覗き込む。
十助は両手を膝に置いて、こくこくと頷いた。

「ゆきむらさまにきこえるように、いう」
「そうだ、十助。くれぐれも自然に」
「くれぐれも、しぜんに」
「あんまり言うと十助爆発しちまうぞ、幸」
「そんなことはない。十助は賢い」

幸はちらりと笑って、十助の頭に手を置いた。
父上に会いたいか、と言う。十助はこくこくと頷く。あいたい、と声を張り上げるのに幸は満足げに頷いて、これ
はおまえにしか出来ない仕事だ、とやさしく続けた。

「建角なら一日で甲斐まで行ける」

父上を連れてくるのに早くて二日。
弁天丸は視線を奥の間にやった。昨夜、珍しく、ほんとうに珍しく小十郎が倒れた。奥州では完全に雪に埋もれる
この季節、本来ならいつも暇である筈だが、主である伊達政宗の鬱憤があらゆるところに散らされるので、お目付
役の家老はいっそ戦の時期のほうが余程暇だ。政宗の尻ぬぐいで奔走していた小十郎は、その一段落が終わった昨
夜、唐突にぱたんと熱を出して倒れた。
奥の間で、今小十郎は熱に魘されているところだ。

「母上の病気が治る前に連れて来いよ、十助」
「とすけがんばる、にぃに」
「ひとは」

背中まで伸びた赤い髪をさらりと揺らして幸はつぶやく。
ひとは弱った時には、なにかしら実物以上に見えたりするものだから、

「きっと母上も、いつもより父上が来ても文句を言わないだろう」
「ははうえ、ちちうえのこといじめない?」
「十助、べつに母上はしのびのこと苛めてるわけじゃねェぞ。ただちょっと、斬り付けるだけで」
「きりつけるのはいじめじゃないの?」
「―――――――ええっと」
「ともかく」

鬼の霍乱。
千載一遇。
棚からぼた餅。
幸はつらつらと並び立てる。

「こういうときに、父上が自分から来てくれれば言うことはないけど、それは無理だ」
「しのびだからな」
「そうなの?」
「肝心なところを外すのがしのびの得意技だ」
「そうなのかあ」
「つまり果報は寝てもやってこない」

鳴かぬなら鳴かせてみせよう時鳥。
幸はぴし、と上田城がある方向を指さした。

「さあ、行け。十助」
「はいっ」

元気よく手を挙げた十助に、心配そうに大丈夫か、と弁天丸が声をかける。だいじょうぶですっ、と十助は弁天
丸に向かってちいさな手を握りしめた。
とすけだいじょうぶ。

「みっしょんをいんぽっしぶるしてきますっ」
「十助違う」
「へ」
「それじゃ失敗する」

そもそも、と幸は言う。
そもそもimpposibleは動詞じゃない。
こういう時はな、と幸は十助の耳元にそっと口を寄せ、




























「とすけ、みっしょんこんぷりーと」
「ん、なんか言った?」
「なんも」

十助はへらりと笑ってぎゅうと佐助の首にしがみついた。
幸村から貰った大量の土産を風呂敷にきゅ、と包み込み、建角の足を掴んだ佐助の背に背負われた十助は奥州の
ある方向の空を眺め、兄と姉に褒めて貰う大きなてのひらを思い浮かべてうっとりと目を細めた。







おわり
       
 




haloさんに十助くん付の素敵親子イラストを頂いたので・・・なんという恩仇。
十助くんは甘えんぼで、幸ちゃんは順調に小十郎に近付いています。


この後の父上と母上の夜の営み話、さすこじゅorこじゅさすのどちらにいたしましょうご主人様。

空天
2008/02/20

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