もちろん対策の練りようがない問題である。 誰に問うわけにもいかないので、まったく対処のしようがない。しかしいつまでもこのふたりをここに 置いておくわけにはいかねェ、と小十郎は強く思った。百歩譲って“佐助”はともかく“小十郎”は困 る。目の前で自分以外の何者でもない女がおかしな言動を繰り返すのを見ているのは実に耐え難い。 「いやいや、あんたも負けず劣らず変ですけどね。俺様に言わせりゃ」 「もうおまえも一緒にあっちに帰ったらどうだ?」 横からひょいと顔を覗かせた佐助を睨むと、けらけらと笑い返された。 さっきあれだけ踏みにじってやったのにまるで堪えていない。 「俺まで帰っちゃったら、佐助ちゃんの恋がますます前途多難になっちまうでしょ」 「おまえが黙ってりゃァ済む話だろうが」 「まッさかあ」 佐助は元から丸い目をくるりと丸め、ちらりと視線を背後へやった。 座敷の真ん中で“佐助”と“小十郎”が話している。あちらはあちらで何か相談しているようだが、何 を話しているかまではよく聞こえない。大体は“佐助”が話しているようだった。“小十郎”は聞いて いるんだか聞いていないんだかよく解らない態度で、それでも一応黙って“佐助”の前で座っている。 佐助は“小十郎”をしばらく眺めてから、にんまりと小十郎に笑いかけた。 「女のあんたが居て、俺が何もしないで放っておくとでも?」 しかもおぼこだろ、ありゃあ。 「たまンないよね、実際の話」 俺色に染めちゃいたいっていうか? 佐助はへらりと顔をゆるめながら、下卑た物言いで“小十郎”を評した。小十郎は目を細め、黙って佐 助の赤い髪を一掴みぐっと引っ張って引っこ抜いてやった。ぶちっという感触と佐助の悲鳴が一緒にな る。“佐助”と“小十郎”が不思議そうに縁側に座るふたりを見やった。小十郎は佐助を中庭に叩き落 としながら首を振り、なんでもないから気にするな、と言ってやった。 「そうか。おまえらも仲が良いな」 “小十郎”が感心したように言う。 小十郎は黙って何も答えなかった。 “佐助”はすこし照れたようにほおを赤らめている。その由が解らず小十郎はしばらくあんまりおさな い女の顔をじいと眺めた。そのうちに“佐助”は“小十郎”の「おまえらも仲が良いな」の「も」の部 分に照れているらしいということに気付いて愕然とした。 小十郎はのそのそと庭から縁側に戻ってきた佐助に視線を落とす。佐助は小十郎の視線を見返すと、唇 を尖らせてから目を細めた。そしてふふんと笑う。 「だから行かないって言ってンじゃんか。右目の旦那ったらほんッと焼き餅焼きなんだから」 俺様困っちゃう、と佐助は首を振った。 小十郎はしばらくそれを見下ろしてから、ぽつりとつぶやいた。 「おまえはどこでどう間違ってそうなっちまったんだ?」 「はあ」 「なんでもねェ」 言っても仕様がない。 隣の芝生がどれだけ青く見えようとも、刈り取って植え替えるわけにはいかないのである。 二人で話していても佐助がどこまでも脱線するので、四人で相談することにした。もちろん数が増えた からといって何かいい案が浮かぶというようなものでもないけれども、それでも一応上がったのは、と りあえずまた寝てみたらどうだろうかという案である。 「というか、眠いんだが」 日が落ちてきて、いろいろと面倒になったらしい“小十郎”の案である。 小十郎は“小十郎”を見ているとやたらと不安になる。あれが軍師で、あちらの伊達軍はきちんと機能 しているのだろうか。政宗は天下を取れるのだろうか。考えても仕様がないことだが、無性に気になる。 しかし“小十郎”の能力如何は別にして、その案にも一理はある。 「寝てこっちに来ちまったんだから、もう一遍寝りゃァ戻るだろう」 “小十郎”の言い分は、今の段階ではもっとも解決に近いようだった。 小十郎は渋々それに同意した。同類嫌悪というやつだろうか、この“小十郎”に感じるなんとも言えな い感触は、小十郎にとってもどう名付けていいのやらよく解らない。見ているとなんだか焦れったくて 放っておくと何かやらかしそうで目が離せない。政宗がまだ梵天丸と呼ばれていた頃をすこし思い出す 感触である。 自分相手に。 不毛だ。 ともあれ、四人はすこし早いが床に就くことにした。 縁側に座って、小十郎と佐助は月を見上げている。 “小十郎”と“佐助”は障子を挟んだ座敷でおんなじ布団で眠っている。佐助が、とりあえず昨夜と反 対の場所で寝てみようと言ったためである。“佐助”は大慌てしていたが、“小十郎”は特に躊躇もせ ずに頷いて、真っ赤な顔で挙動不審になっている“佐助”の首根っこを掴んで布団に放っていた。 佐助は杯の縁を舐めながら、小十郎の袖を引き、 「あのふたりしちゃうかな?」 と問う。 小十郎は黙って空の杯に酒を注いだ。もう罵倒する気にもならない。 佐助はそわそわと後ろを振り返ったり前に向き直ったりと落ち着かない。小十郎はくっと杯を傾け、酒 を喉に流し込んだ。どうかあのふたりが戻るようにとほとんど呪うように念じながら。 まだ夜に外で寝るには寒い季節である。 酒を流し込むと体がすこし震えた。 しちゃうかなあ、と佐助がまだ言っている。 小十郎は舌打ちをして、するか阿呆、と声を潜めた。 「手も繋いでねェだろう、あれじゃ」 「だよねえ。佐助ちゃんも初心だね。俺なのに」 「おまえなのにな」 小十郎は心底から同意した。 あのちいさい生き物が横に居る男とおんなじ類の生き物だということに小十郎はいまだに納得していな い。佐助はけらけらと笑って、それからはっと背後を振り返って笑い声を止めた。小十郎も障子を振り 返る。物音はしない。 もう眠ったのだろうか。 佐助が声を潜めて、耳打ちをしてくる。 「手ぐらい握ったかな」 「あれじゃ無理そうだろう」 「折角ふたりで寝かせてやったのに。俺なら絶対しちゃうね。どこまででもね」 「すぐ後ろにひとが居てもか?」 「え、だってどうせ俺じゃん。居るの」 小十郎は思い切り顔を歪めた。 「俺も居るだろうが」 「でもあんたって言ったって、女のあんただろ?按摩してると思ってくれるよ、きっと」 「あんまり馬鹿にするんじゃねェ」 「してませんよ。事実じゃん、事実」 佐助の笑い声が、きんと冷えた夜の空へと控えめに放られる。 酒もひえてしまった。けれども小十郎は義務的にそれを口に運んだ。そうしないと間が持たない。佐助 もいつのまにか黙ってしまっている。相変わらず背後の障子からは物音ひとつしない。まるでしんとし ている。もしやするともうふたりは戻ってしまったのかもしれない。 春もまだ入ったばかりでは音を立てる虫も居ない。丑の刻を過ぎては鳥も鳴かない。 しんとして、沈黙だけが満ちている。 しばらくして、 「なんか静かだね」 と佐助が言った。 小十郎はもう中身の無くなった銚子を揺らしながら、そうだな、と答えた。佐助はそれにくつくつと肩 を揺らして笑った。 「なんかさ」 「なんだ」 「困るね、こういうの。話題がねえっていうか間が持たないっていうか。なんかよく考えるとさ、俺と あんたってこういうふうに喋ったりしたことねえもんな。何話していいかとんと解ンねえや」 小十郎は銚子から佐助へ視線を移した。 佐助は空になった杯をくるくると指先で器用に回している。 「会うとやってばっかだもんなあ」 どことなく不満げな顔で言う。 小十郎はしかめ面でふんと鼻を鳴らした。 「したくなけりゃァ、しなけりゃいいだろうが」 「そうじゃなくッてさあ。そりゃ、したいことはしたいんだけど」 「じゃ、なんだ」 「ああいうのもいいよね」 小十郎は首を傾げた。 佐助はすこし眉を下げて、へらりと笑い、視線で障子の向こうを示す。相変わらずそちらはしんとして いる。佐助は空を仰ぎ、ともだちなんだって、と急に言った。 「佐助ちゃんと、女のあんた」 「へェ」 そういえば“小十郎”もそのようなことを言っていた。 いいよねえ、そういうのも。 佐助は小十郎ではなくて月を見ながら続ける。 「俺とあんたってさ、友達ではないだろ」 「まァ、―――そんないいもんじゃねェだろう」 「友達ってのもいいよな。なんか。こそばゆくてさ。こんなふうに酒飲み交わして、いろいろ話すのと かもいいじゃない。仲良しって感じで」 「ふうん」 小十郎は胡乱に答えた。 解るような解らないようなことを佐助は言っている。したくねェのかと問えばいやしたいけどと矢張り 言う。よく解らんな、と小十郎は首を傾げた。 佐助は唇をひん曲げて、黙り込んでいる。 「ちょっと思ったンだよね、さっき」 矢張りまた唐突に佐助は話を変える。 小十郎は眉を寄せた。 「何を」 「うん、手なんだけど」 「手」 「そう」 「あァ、あいつらが繋ぐとか繋がねェとか」 「うん、まあ、そうなんだけど、そうじゃなくてね」 「なんなんだ、さっきから。まどろっこしい野郎だな」 小十郎は舌打ちをした。佐助は不満げな顔で下を向いている。 しばらく黙ってから、鈍い、とつぶやく。小十郎は再び眉を寄せた。 「なんだって?」 「いやいや、ひどいな。鈍すぎるでしょ、あんた。いくらなんでも。矢っ張りあんまり変わンねえよ、 男でも女でも。此処まで来てそう来る。いや、ないな。ありえないな。うん、矢っ張りあんたは変だ。 根本的にどっかおかしいわ」 「何が言いてェんだ、おい。殴るぞ」 「だから、」 佐助は顔をしかめて言葉を区切った。 「手」 と言う。 手。 「手?」 小十郎は佐助の手を見下ろした。 見慣れた佐助の、小柄な体格と比較すると大きめの手がそこにはあった。位置的に左手である。 「これがどうした」 「いやいやいや。そろそろ気付いてくれてもいいでしょ。ありえないでしょ」 左手がひょいと持ち上がる。 小十郎はその動きを目で追った。それはひょいと持ち上がったあと、小十郎と佐助の間にある杯を飛び 超えて、小十郎の右手の上に落ちてきた。 佐助の皮膚はぬるい。 小十郎は目を瞬かせた。 「なんだこれは」 「手を握ってる」 「何故」 「―――これだよ」 佐助はうんざりと顔を歪めた。 「何故はないでしょ、何故は。どこまでも雰囲気のないおひとだよ」 もういいや。 面倒臭そうにすぐに左手は離れていった。 小十郎は離れていった佐助の左手と、仏頂面で月を睨んでいる佐助と、取り残された自分の右手を順番 に眺めて、それからようやく目を細め、あァ、と声をもらした。佐助は拗ねた顔でずるずると小十郎か ら距離を置く。小十郎は息を吐いた。 どこまでも面倒臭い男だ。 髪を掻いてから、ほおづえを突いている佐助の左手をぐいと引っ張ってやる。 「何すンの」 佐助は嫌そうに顔を歪めた。 「繋ぎてェなら繋ぎてェと言えばいいだろう」 「繋ぎたいなんて誰が言いました?え、ちょっと自意識過剰じゃない?ありえなくない?」 「とことんまどろっこしい野郎だな、―――おい」 「なんだよ」 「手」 小十郎は右手のてのひらを佐助に向けた。 佐助は黙ってそれを見下ろしている。しばらく間が空いた。それでも佐助は仏頂面で小十郎てのひらを 眺めるばかりで、自分からは一向に手を出そうとしない。 てのひらに佐助の視線で穴が空きそうだ。 小十郎はとうとう焦れて佐助の左手を無理矢理握った。 佐助はそれにはっと顔を上げた。赤い目が見開かれている。小十郎はそれを呆れ返って見返した。なん で今更こんなことにこの男はためらって見せたりするのだろうかと思った。手を繋ぐどころか、昨夜散 々抱き合ったのはすぐ後ろの座敷でのことなのだ。 それが今、手を繋いだ程度のことで佐助は目を丸めて固まっている。 「ひでェ阿呆面だな」 小十郎は吐き捨てた。 佐助は繋がれたふたりの手を見下ろしてから、また顔を上げた。 そしてへらりと、ますます阿呆面で、えへへ、ととんでもなくおさない仕草で笑った。 小十郎はまた何か罵倒してやろうかと口を開きかけたのだけれども、佐助があんまり阿呆面で嬉しそう にしているので、なにもかもが馬鹿馬鹿しくなって、結局口を閉じてしまった。佐助が空を見上げてい るのでおんなじようにそれを見上げる。 月はちょうど、落ちて山に沈もうとしているところだった。 日が昇ったところで障子を開くと、矢張りそこにはすでに誰も居なかった。 小十郎は安堵の息を吐いた。佐助はすこし残念そうに眉を下げた。それを見て苛立った小十郎が佐助の 頭を思い切り掴んで板間に叩き付けた。 「―――これで終いだ」 繰り返すが小十郎は心底から安堵した。 もう二度とあのふたりとは―――いや女の自分とは顔を合わせたくない。 何度叩きつけてもけろりと立ち上がってくる起き上がりこぼしのような佐助が、矢張り何事もなかった かのように起き上がって、ひょいと小十郎の肩に顎を乗せ、いやあどうだろうねえ、といやにたのしげ に、謡うような調子で言う。 どうだろうなあ。 「俺は、これは単なる「一件」落着なんじゃないかと思いますけどね」 不吉なことを言って笑う。 小十郎はしばらく仏頂面のまま、抜け殻になった布団を見下ろし、それから後ろでたのしげにけらけら とけたたましく笑っている佐助を再び板間に沈めた。 |