※86の続きです。 「ええっと―――」 猿飛佐助はベッドの上で胡座を掻いて、眉間に指を置いて熊のようなうなり声をたてた。 彼の目の前には、二人の小人がちょこんと行儀よく正座をしている。佐助はそれらをちら りと視線だけで見下ろした。すると二人のうちの一人、少女のほうがこくりと首を傾げる。 その拍子に、ふわりと見慣れた赤毛が揺れた。 佐助は深いため息を吐きそうになり、寸でのところでそれを堪え、努めて自然に見えるよ うな笑顔をにっこりと顔に貼り付けて、首を傾げた。 「話を整理させてもらってもいいかな?」 「ごゆっくりと」 少女が凛とした声で答える。 その声には何かしら、気品のようなものすら漂っている。横で同じく正座をしている少年が とっととしろよ馬鹿、とかわいげのないことを宣う。それでも正座しているところに、やは り一定の気品というか、育ちのよさのようなものが感じられるのは否めない。 佐助はやけにきらきらしい二人の小人を見下ろしながら、ほう、と息を吐いた。 「つまり、―――君らは俺様のこどもだと仰りたい」 「はい」 「しかも片倉さんとの?」 「そうだっつってんだろ」 「いやいやいや」 佐助は苦く笑いながら首を振った。 「俺ら、男同士だし」 「大丈夫、父上。そんなのはとても些細なこと」 「いやいや、ぜんぜん些細じゃないからね。めちゃくちゃ根本的なことだからね、これ」 「解らねえ野郎だなあ」 少年が―――彼の名前は弁天丸というらしい―――苛立たしげにシーツを叩くが、容積の関 係上、シーツはほとんど沈まず、「ぽすん」とあいらしい音を立てるに止まった。 弁天丸はぽすぽすとシーツを叩きながら言う。 「だから俺らは野菜から出てきたんだろ」 「ええ、――それ、「だから」って問題かなあ」 「父上」 幸と名乗った少女が立ち上がり、佐助の膝にそっと手を添える。 「私の顔を見て、誰かを思い出さないか」 バービー人形ほどしかない小人が、じっとこちらを見上げてくるのに、佐助はすこし圧倒さ れて顎を逸らせた。小人の目はおそろしく単色の黒だった。濁りもしなければそこには光沢 もない。ほんとうにただただ、その目は黒いのだ。 自分のものとまったくおんなじ赤い髪と対比して、ますますその黒は際だっている。 佐助はしばらくそれを覗き込んでから、あ、と声をもらした。 切れ長の目、黒すぎてブラックホールみたいに吸い込まれそうな虹彩、一重のくせにいやに 印象的なそのまなじり。 ―――小十郎に、似ている。 いやまさか、と佐助は眼を逸らした。 それで赤毛で、―――そんな馬鹿な。 「父上。信じられないかもしれないけど、これが事実。私と弁天丸は、母上と父上のこどもだ」 「とっとと納得しろよ」 「―――はあ」 佐助は思わず、こくりと頷いてしまった。 二人の小人には、もうひとり弟が居るらしい。 そちらは小十郎のところに行ったようだ。携帯電話の向こう側で、鴉の鳴き声とちいさなこど もの声と、小十郎のうなり声がミックスされて佐助の耳になだれ込んできた。とりあえず小十 郎も佐助のアパートに来るということになって、佐助は携帯の通話を切る。 「―――はあ、まだよく納得できねえなあ」 佐助は牛乳パックから出て来た小人ふたりを、やはり牛乳パックで作ったソファに乗せてテー ブルの上に乗せると、ほおづえを突いて眼を細めた。 目の前に否定しようがない現実が居るのでしかたがなく納得しているものの、野菜からこども が生まれるなんて、ちいさい頃からかわいげのないこどもだった佐助は一度だって信じたこと がない。しかも記憶が正しければ確か赤ん坊が生まれるのはキャベツと相場が決まっていたは ずだ。牛乳パックにハンカチを詰めて作ったソファに腰掛けている幸が、首を傾げる。そして どうしたの、と言う。その顔はほとんど変わらないが、それでもかすかに眉がひそめられたの が見てとれて、佐助はその仄かな変化をとてもあいらしいと思った。 弁天丸のほうはなぜだか佐助に対して敵意をむき出しにしているけれども、それはそれで他愛 ないと言えば他愛ないし、さっき温めたミルクをスプーンで飲ませてやったら素直にこくこく と飲み干していて、なんだか猫みたいで和んでしまった。 つまるところ、どうやら我が子らしき二人は文句なく可愛かった。 だから佐助としては、目の前のアリエッティが自分のこどもであることには何の文句もない。 文句はないが、疑問がありすぎるのだ。 だって、と佐助は思う。 だってなあ。 「セックスどころか、キスもしたことねえし」 キスどころではない。 佐助はまだ、小十郎と手を繋いだことだってない。驚くほど完璧な片思いなのだ。それなのに 一足飛びにこどもが出来たなんて言われても、はいそうですか、と納得できるわけがない。 処女懐胎かよ、と思う。 だとしたら妊娠したのはどっちなんだろう。佐助なのか小十郎なのか。 いやいやそんなことはどうでもいいだろう。おそろしく論点がずれている。 佐助は頭を抱えて、深い息を吐いた。 「父上」 項垂れている佐助に、幸が声をかける。 佐助はのろのろと顔を上げた。幸は少女とは思えないほど大人びた表情で、まるで異教徒に正 しい教えを諭そうとする宣教師のように、ゆっくりと、凛とした声を薄い唇からこぼした。 「私は、大事なのは原因じゃない。結果のほうだと思う」 「結果?」 「そう。原因を突き止めるのって、とても難しい。卵か鶏か、どっちが先かなんて考えても誰 にも解らないし、たぶん解ってもなんの意味もないこと。もっと大事なことは他にあると思う」 「もっと大事なこと、っていうのは」 この場合は、なんだろう。 佐助が首を傾げると、幸はにこりと、微かに解りにくい笑みを浮かべた。 「大事なのは、私たちが父上と母上のこどもだっていうこと。つまり、父上と母上は、今がどう であれ、いずれはそうなる運命になっているんだと思う」 「え」 「だってそうじゃなかったら、私たちはここに居ないんだから」 そうだろう? 幸はこくりと可憐に首を傾げた。 佐助はぼう、とちいさな少女を見上げた。少女は物わかりの悪い生徒を見る教師のように、慈悲 に満ちた眼差しで佐助を見下ろしている。 佐助はたっぷり十秒間ほうけてから、一瞬後にぼっと顔を真っ赤にした。 え、え、と慌てたように身を起こす。 「それって」 「そう」 幸はゆっくりと、鷹揚に頷いた。 「父上と母上は、結ばれる運命にあるの」 熱くなるほおを、てのひらで覆って、佐助はうわあ、とつぶやいた。顔は段々熱くなる。じんじ んとこめかみがひりつくような感触があって、喉がからからに乾いた。 運命。 小十郎と結ばれる運命。 「うわあ」 佐助はまたつぶやいた。 耳の奥で、教会の鐘の音が聞こえたような気がした。 ほおを両手で覆ったまま、浮かれて虚空を見詰めている佐助をちらりと横目で見て、弁天丸は 大きく息を吐いた。ハンカチのクッションはなかなか悪くない座り心地だけれども、すこしバ ランスを崩すとそのまま埋もれてしまいそうなところがいただけない。 弁天丸は、幸の肩を指で突いた。 「おい、いいのかよ」 「何が」 「あんなこと言って」 コレ、ただの手違いなんじゃねえの? 弁天丸の言葉に、幸はひょいと首を竦めた。 「かもしれない」 「かもしれない、って―――あいつ、完全にその気になっちゃってるぞ」 「そうみたい」 「そうみたい、って」 弁天丸は不安げに佐助を見上げた。 傍から見ても笑ってしまいそうなほど幸せそうな顔をしている男は、たぶん片思いの相手との 幸福な未来を想像しているんだろう。でもその想像は、もしかするとただの妄想かもしれない のだ。もっと言えば、ただの妄想である可能性のほうが、ずっと大きいのだ。 「いいじゃないか」 幸は涼しげな目元をちらりとも揺らさず、言い切った。 「わざわざ戻るのも面倒だし、それに手違いでもここに来たのだって、運命と言えば運命だろう」 「でもなあ」 「弁天丸は、いやなの」 幸はくるりと弁天丸のほうを向いて、首を傾げた。 「私はこの父上のこと、とても好きだ」 「―――ちょっと間抜け過ぎねえか?」 「それもまた、愛嬌」 「ううん」 弁天丸はちらりと佐助を見上げた。 佐助は顔を真っ赤にして目をやたらに瞬かせている。よっぽど嬉しいんだろうけれども、それ にしても仮にも「父上」にするにしては、やっぱりすこし他愛がなさ過ぎるような気がした。 「父上」というのはもっと圧倒的なものでなくってはいけない、と弁天丸は思った。滅多なこ とでは揺らがず、感情の起伏はすくなく、見ているだけで安心して、追い越す気すらなくなる くらいに圧倒的じゃなくてはだめだ。 すこし黙り込んでから弁天丸は口を開いた。 「俺は、母上が来てから考える」 「なるほど」 幸はにこりと笑った。 「母上に会うのが、今からとてもたのしみ」 ほんとうに珍しい妹の満面の笑みに、弁天丸は文句を言おうと思っていたのに、結局言い損ねて しまった。
061: 照 れ る
小松菜in牛乳パック第二弾。 このあと丸くんは母上にめろめろになって幸ちゃんの言いなりになります。 2010/11/27 プラウザバックよりお戻りください。 |