聖書に載っていた話を何故だかずっと覚えている。
いちばん最初の男は、一本肋骨を抜き取られてそれが女になったのだと言う。たぶんそれを知ったのはまだ一桁にしか
年齢が達していない頃で、それでその話は頭の奥の方にこびりついて放れなくなった。人体の構造を学ぶまで、ほんと
うに自分の肋骨はきっと一本足らないのだろうと思ってた。

だからきっと足らない肋骨から出来た相手がどこかに居るのだと信じていた。

大抵の女はうっとりと笑って素敵ねと言った。
それじゃあ私があなたの肋骨なのかな。そう言う女はかなしいほどたくさん居て、けれど残念なことに誰も残らなかっ
た。そのなかには自分の肋骨は居なかったのだろう。

「下らねェな」

ひとりだけ、そうやって嘲り笑わられたことがあった。
自分の肋骨探して嵌め込んだところでおまえは満足するのか。そう言われてなんて詰まらないんだろうと思った。そう
いう問題ではない。けれど他の女とちがって、やはりその相手は笑って馬鹿にした。
精々犬みてェに骨探して彷徨いてろ。


腹が立ったが、振り返ってみて覚えているのは聖書の話とその相手の名前だけだ。



























                天 国 か ら 飛 び 降 り る 音

























完璧な偶然だった。

雨が降っていた。猿飛佐助は紺と白のストライプの傘をさして、待ち合わせのために自分が勤める診療所の近くにある
喫茶店に向かっている途中だった。信号が赤になって、人の流れが止まる。佐助はポケットに突っ込んでいた携帯を取
り出して時間を確認する。午前の診療がおもいのほか長引いてしまって、待ち合わせの時間を既に十分ほどオーバーし
ていた。息を吐いて、ぱちりと携帯を閉じる。
顔を上げた。目の前に大きな男が立っていて信号の色が確認出来ない。ひょいと体を横にずらしてあらためて見ると、
車線側の信号が黄色く点滅していて、もうすぐ歩行者用の信号も色が変わることがわかった。前の人間に当たらないよ
うに傘をずらしつつ元の位置に戻ろうとする。
が、手が滑って傘がくるりと回って水が飛んだ。

「あ、すいません」
「いえ」

謝ってすぐに体を引こうとした。
けれど佐助は、短く返ってきた相手の声に目を見開く。一歩進んで顔を覗き込んだ。
視線が合って、相手の目もおなじように丸くなる。

「わお」
「おまえ」
「すごい、ちょう偶然じゃね」

佐助は笑って、相手の男の肩を叩いた。
笑ったままでねえ元気だった片倉さん、と男の名前を呼んだ。

「まァな」

男は、片倉小十郎は短く答える。
相変わらずの小十郎に佐助はにいと口角を上げた。

「相変わらずあんたの返事は短いな」
「おまえはよく喋るな」
「そうかねえ。あんたが喋らな過ぎなだけじゃないかなあ・・・ああ」

信号が青に変わった。
人の流れが急に動き出す。それにならって小十郎と佐助も横断歩道を渡った。日曜日なので小十郎は私服だった。深い
緑のセーターを着ている。佐助の目的地は横断歩道を渡りきったところにある喫茶店だったが、どうやら小十郎もそう
らしかった。
喫茶店の前で、傘を閉じて佐助は聞いた。

「待ち合わせかなんか」
「あァ」
「誰と」
「これ、だ」

こん、と小十郎はウィンドウを手の甲で叩く。
佐助はついと視線を上げた。ウィンドウの向こう側で、椅子に腰掛けている少女がにこりと佐助に笑いかける。若草色
のキャスケットの下で短い髪がくるくると巻かれていて、真っ赤なカーディガンを羽織っている。佐助はちいさく手を
振ってから、小十郎にだけ聞こえるようになんか林檎みたいな子だねえと言った。

「林檎、ね」

小十郎は苦く笑う。
佐助はまたちらりとその林檎のほうへ目をやった。どう見ても、十代の後半か二十代の前半にしか見えない。親戚かな
んか、と聞くと小十郎は首を振る。まさか。佐助はにいと口角をあげた。

「まさか」
「何だ」
「こいびと」

だったりして。
顔を覗き込むように聞いてみると、小十郎は眉を寄せる。おやちがうのかと思ったが、しばらくしてから降参というよ
うに小十郎は息を吐き、それからまァなとちいさく言った。佐助はけらけら笑いながら肩を叩く。
隅に置けない。そう言うと小十郎は佐助の頭をぱんと叩き、煩ェと吐き捨てる。

「おまえは」
「ほえ」
「おまえも待ち合わせだろう」
「まあご名答」
「どれだ」
「んー、居るか、ねえ」

喫茶店を覗き込む。
目を細めて目的の人物を探すと、店内の奥の方にちょこんとボブカットの栗毛の女が俯いて坐っているのが見えた。小
十郎の裾を引いて、あれ、と指さす。小十郎は佐助の視線に合わせるようにすこし身を屈めて、それから首を傾げた。
そうだな、と言う。

「子栗鼠か」
「こりす」
「そう」
「成る程」

佐助はへらりと笑う。
残念ながら。首を竦めて息を吐く。俺の方はあんたとちがってデートの待ち合わせじゃないんだよ。小十郎は眉を寄せ
て、決めつけるな阿呆と言う。

「俺だってそんなんじゃない」
「え、だってあの林檎ちゃん恋人なんでしょ」
「大学の実験で、足に怪我したって言うから迎えに来た」
「そらまたお優しい」

よく見ると林檎の細い足にはまっしろい包帯が巻かれていた。
まあそれでもいいじゃない、と佐助はくるりと傘を回す。

「俺なんてもう意味不明だぜ」
「なにが」
「あれ、何を隠そう俺の元奥様の妹」

疲れた声を出す。
小十郎は目を何度か瞬かせた後に、一度だけ店の奥のほうへ視線をやって、

「似てねェな」

と言った。
佐助は笑う。そうだねえ。

「なんか上京してきたから面倒看てやってほしいんだとさ。意味分かんねえですよ」
「災難だな」
「まあ薄幸の美青年だからね、俺様。しょうがない」
「ワインにでもなる気か」
「漢字がちがうっつーの」

気付けば雨は止んでいた。
空を見上げる。まだ空は厚い灰色の雲が敷き詰められていた。
じゃあこれから家に送ってあげるの、と佐助が聞くと、いや、と小十郎は首を振った。
林檎が通院するための病院を探していると言う。

「大学に近い所で、何処かあればいいんだが」
「大学って、この近くにあんの」
「あァ」
「じゃあさ」

ポケットに手を突っ込む。

「手、出して」

小十郎は首を傾げた。
しばらくしてから大きなてのひらが上がってくる。佐助はそこにぽんと手を置いた。
小十郎のてのひらに名刺が一枚残る。

「俺の診療所。この近くだって言ってませんでしたかね」
「おまえの診療所」
「そうそう。まあサービスはしないけど、あんたの彼女なら当社比五割り増しの気合いで診療してやるよ」

へらりと笑うと、小十郎は名刺を持った手をそのまま佐助の頭にこんと落とした。
最初から十割でやれと言う。相変わらず真面目な男に、佐助はやけにたのしくなって殊更に笑った。こんこん、とウィ
ンドウが叩かれる。痺れを切らしたらしい林檎が時計を指さしてすこし眉を寄せていた。佐助はちらりと自分の待ち合
わせの人物のほうへ視線をやったが、さっき見たときの姿勢と一切変わらずにまるで石像のように椅子に座っている。
佐助は苦く笑いながら言った。

「ほいじゃま、もしよかったらうちの診療所来なよ。
 診療七時までやってるからさ、結構使い勝手いいと思うよ」
「悪いな」
「いえいえ」

元お隣さんのよしみ。
そうやって笑うと、小十郎もすこしだけ口角をあげた。
喫茶店に入ると、小十郎は林檎を連れてすぐに出て行ってしまった。別れ際にすこしだけ視線を寄越される。ひらひら
と佐助はそれに手を振ってから、目の前の元妻の妹へ視線をうつした。
緊張しているらしい栗毛の―――小十郎に言わせれば子栗鼠は、お知り合いですかと聞いてきた。佐助はコーヒーを頼
んでから、こくりと首を傾げた。

「うん、まあ、もと」

もと。
すこしだけ間を置いてから、佐助は元お隣さん、と言った。
子栗鼠はそうですか、と細い首を傾げてから、おそらくはほとんど冷めきっていると思われる紅茶を飲んだ。

佐助は嘘はつかなかった。
本当のことを言わないということは、嘘をつくこととイコォルではない。


































マンションの隣の部屋に片倉小十郎は居た。
佐助のほうが後からそのマンションに引っ越して来た。引越しの挨拶をしに行ったときには小十郎は部屋には居なくて、
しかたがないのでポストにタオルセットを突っ込んでおいた。後でもう一回行ったほうがいいかなあと佐助は言ったが、
いいわよ突っ込んでおけばと言われたのでそうした。佐助はそのとき結婚したばかりで、黒髪をくるくると巻いた奥さ
んと一緒にその部屋に住むことになっていた。目が大きくて、全体的に派手な顔をした女だった。
 
「私みたいな女が肋じゃ、あなた肺に穴が空くんじゃないの」
 
例の聖書の話をしたときに、そう言われたのが気に入って結婚をした。
この猛禽類みたいな女が自分の肋骨なのだとそのとき佐助は疑いもしなかった。自分のようなひねくれた男の肋骨なの
だ。ふつうの女ではないだろう。波を打つ夜の海のような黒い髪はセックスをするとき体のいろいろなところに絡み付
いてきて、佐助はそれをあまり好まなかったが、自分の一部なのだと思って我慢した。診療所が忙しかったので、そう
頻繁にあの髪に絡み付けられることもないだろう。そう思った。
 
小十郎と初めて会ったのは、エレベーターの中でだった。
 
丁度佐助がマンションの玄関の自動ドアを開けたところで、エレベーターの扉が閉まろうとしていた。あわてて走りこ
もうとすると、一度閉まりかけた扉が電子音をたててまた開いた。
 
「あ、どーも」
 
へらりと笑うと、そこに小十郎が居た。
もちろん互いのことなど知らない。エレベーターの中は静かだった。同じ階に住んでいるのだとは思ったけれど、だか
らといって話しかけるつもりは特になかった。きっかり十五秒が沈黙のなかで過ぎて、うぃん、と開いた扉から外の空
気が狭い箱の中に入り込んでくる。つめたい空気だった。
たしかそのときは十二月だったような気がする―――とにかく冬のことだ。
エレベーターを降りた後も、なぜか後ろから大きな男がついてくるのではてと思っていたが、目的の部屋の前で止まる
とすいと通り抜けられ、そして小十郎も横で立ち止まった。思わず佐助は自分より拳ひとつぶん大きな男の顔をしげし
げと見つめた。
小十郎も佐助を見ていた。
 
「この間越してきたのは、あんたか」
 
低い声だった。
鉄筋コンクリートの建物のなかで、それはひどく響いた。
 
「じゃあ、あんたがお隣の、えーと」
「片倉、だ」
「そう、片倉さん」
「猿飛、だったか」
「そうそう。以後お見知りおきを」
 
手を差し出して笑う。
小十郎はすこし目を丸めて、しばらく躊躇ってから手を重ねてきた。つめたい手だなあ、と佐助は思った。背の高い隣
人はタオルどうも、と言った。そのあとですこし苦く笑って、ただ無理やりポストに突っ込んでおくのは頂けねぇなと
つけくわえる。
 
「開かなくなっちまった」
「うわあ・・・そりゃ、悪かったね」
「いいさ。いつもこんなに遅いのか」
 
既に時計の短針は十一を指している。
佐助は苦く笑いながらまあねえと言った。
 
「職業柄どうしても、ね。一応、医者してるんで」
「ほう」
「片倉さんは、なにしてるひと」
「普通に勤めてる。人使いが荒い会社でな」
 
そうやって笑う顔は、最初の印象よりは若く見えた。三十代の前半くらいか、と見当をつける。
それじゃあ今後ともよろしく。佐助は部屋の鍵を開きながらそう笑った。ああ、と小十郎も頷いてドアノブを回す。横
顔が月に照らされて白く見えた。左のほおに切り傷があるのだとそのときに気づいた。
 
小十郎とは帰宅時間が大体一致しているようで、それからもしばしばエレベーターや、駅からの帰り道で会った。

小十郎は駅から徒歩でマンションまで帰っているようだったので、車で通勤していた佐助は時々あのまっすぐな背中を
見つけると声をかけて乗せてやった。最初は断っていた小十郎も、途中からは当然のように乗るようになった。話して
みると遠慮のない男だ。そこがまた佐助はいいと思った。
佐助は二十九で、もうこんな年になると新しい友人などほとんど出来ない。だから隣人が面白い男なのはとても心地よ
かった。小十郎も佐助と話すのをそれなりに楽しんでいるように見えた。
そういう関係が一年くらい続いた。
 

終わったのは、自分の肋骨だと思っていた女が実はただの女だということが分かったからだ。


予定されていた手術が中止になって、ぽっかりと空いてしまった時間に佐助は家に帰った。ドアを開けると相変わらず
のきつい香水が漂っていて、佐助は眉を寄せる。靴があった。二足。佐助のものではない男物のそれに、なんとなくそ
の時点で予想はついた。
はあ、と息を吐く。
 
(ちがったんだ)
 
怒りだとか悲しみだとかのまえにがっかりした。
折角二年もあの髪に絡まれても我慢したのに、その努力が水の泡になったような気がした。
予想通り寝室には裸の男女が居て、佐助は怒るでもなくただ眺めてやった。かつて自分の肋骨だと思っていた女はなに
か喚いていたけれど、ほとんどは聞こえなかった。ただの女だ。興味はない。もちろん罪があるのは女のほうで、佐助
は被害者なのだから部屋から出て行くのは佐助ではない。ひとり部屋に残された佐助は、腕を組んでむうと唸った。
目の前の、今の今まで自分ではない男女がセックスをしていたベッドで寝る気になるとは思えなかった。
ホテルに行ってもいいけれど、それも癪だ。
 
「で、うちに来る、と」
 
小十郎は苦く笑った。
枕だけ持って部屋にあがりこんできた佐助の頭を呆れたようにはたく。
 
「傷心の隣人を慰めるくらいの男気はあるよね、片倉さん」
「随分と元気な傷心ぶりだ」
「俺はね、心が傷つくとそれを隠すためにわざと明るく振舞うタイプの人間なんだ。
 だからこれは物凄く傷ついてるってわけよ。おわかり」
「あァ、そうかい」
 
小十郎は呆れながらも佐助を招きいれた。
リビングには真ん中にソファがふたつとテーブルが置いてあって、液晶テレビが窓の傍に鎮座している。全体的に黒と
グレイで統一されたシンプルな部屋だった。
こんな部屋に日付が変わる一歩手前に帰ってきてさみしくないだろうかと思ったが、振り返らずとも自分もそんなに変
わらないことに気づいて佐助は何も言わずにソファに腰掛けた。日曜日の午後のひかりがレースのカーテンから差し込
んでいて、フローリングの床に模様を作っている。
 
「俺の肋じゃなかったんだよ」
 
コーヒーを淹れてくれた小十郎に礼を言ってから佐助はそうつぶやいた。
小十郎は正面のソファに座って、なんだそりゃ、と首を傾げる。佐助は説明した。
 
「ずうっと探してんのに、全然見つかりゃしねえ」
「あばら、ねえ」
「あの女はそうかと思ったんだよ。だって見たことあるだろ、あんたも」
「あるが」
「どう思った」
「どう、な」
 
小十郎はコーヒーを一口含んでから、そうだなと指で顎をなぞる。
それからすこし黙って、鷹みてェな女だったなと言った。でしょうと佐助はソファに沈み込みつつ息を吐く。
 
「俺の骨だから。きっとそんくらい凶暴だと思ったんだ」
 
違ったのか、と小十郎が聞く。
佐助は首を縦に振った。だって俺の骨は他の男とセックスなんてしないだろ。
 
「あのベッドもう使えねえよ」
「そらァ、確かに災難だ」
「慰謝料でベッドからシーツから、全部新調してやりますよ。まあいいや。香水のにおいってきらいだったし、あの黒
 い髪がセックスするとき纏わりついてくるのもあんまりすきじゃなかったしさ」
 
今度は髪の短い肋を探すよ。
そう言うと小十郎はおかしそうに笑った。おまえ全然へこんでねェな。佐助は首を傾げて、そうだねえと唸った。気は
沈んでいなかった。むしろあの黒い髪からさよならをできると思うと、家に帰るのが今までよりもたのしみな気さえし
た―――ベッドは変えなくてはいけないけれども。
次の日も朝から仕事だということで、その夜は互いにすぐ寝た。ベッド貸してやるよ、と小十郎は笑った。嫁に逃げら
れた傷心の旦那を労わってやろうじゃねェか。佐助はそれに枕を投げつけながらも、ありがたく使わせてもらった。小
十郎のベッドはセミダブルで、佐助の部屋のそれよりはすこしちいさかったけれど、ひとりで使うには十分なほどの広
さだった。
布団に包まれると、いつも体に纏わりついてくる香水のにおいの代わりに、日中外で虫干しをしていたそれからは冬の
太陽のにおいがした。佐助は自分でも驚くほど深く眠った。
朝起きて、まだ自分の妻であるはずの女のことを考えようとしたが、顔が浮かんでこなかったのですぐにやめた。

水曜日が診療所の定休日だったので、その日まで小十郎の部屋に居候をさせてもらい、水曜日になるとすぐに業者を呼
んでベッドを処分させる。ベッドの下から真珠のピアスが出てきた。
佐助はそれを、小十郎の部屋の玄関に置いてある花瓶のなかにぽとんと落とした。
どんなベッドにするんだ、と小十郎は聞く。
 
「シングルでいいや。とりあえず離婚調停中に他の女引き込むわけにゃいかねーし」
 
シングルにした。
前のベッドよりひとまわりちいさなそれが、寝室にやってきた。
そうすると新しいベッドの周りには、太陽に焼かれていない部分のフローリングがくるりと取り囲むように濃い木の色
をさらしていて、佐助はこれはこれで新しいインテリアかなと満足した。小十郎にはそりゃ変だろうと言われたが気に
しない。
注文してからベッドがやってくるまでは一週間あった。やはりその間も佐助は小十郎の部屋に居候し続けた。小十郎は
なにも言わない。慰めも励ましも一切言わず、ただ佐助がそこに居ることを黙って享受した。佐助は一応わるいかと思
って朝食を作ったりしたが、それが特に感謝されるということもなかった。
ひどく楽だ、と思った。小十郎の部屋は、余計なにおいがしなくていい。
時々洗濯物の石鹸のにおいがふいに体を包んでくるくらいだ。
ベッドがやって来た日、佐助はワインを買って小十郎に礼を言った。
 
「何の酒だ、こらァ」
「うん、そうだねえ。ベッドの開通式とかでいいんじゃないの」
「大層だな」
 
小十郎は笑って、それからつまみをいくつか作って佐助の部屋に持ってきてくれた。
寝室でそれをつまみながら、片倉さんって恋人居ないのと聞いてみた。
居たらこんなとこで酒飲んでねェよと小十郎は言う。
 
「意外。居てもよさそうだけどな」
「悪かったな。忙しくてそんな暇がないんでね」
「ふうん。じゃあ」
 
さみしいね、と佐助は聞いた。
小十郎はひどくおかしなことを聞かれたかのように、しばらく目を丸くしていたがそのうちにワイングラスを床に置い
て、すこしだけ笑った。カーテンが開いていたので月のひかりが差し込んできている。それにしらじらと照らされた小
十郎はひどくさみしげに見えて、佐助はすこし眉をひそめた。
かもな、と小十郎は短く言う。
 
「まァ、おまえが来てからはそんなセンチなこと考える余裕もなくなったが」
「わお、じゃあ俺は片倉さんの孤独を埋めるってゆー、貴重なお手伝いができてるわけだ」
「ありがたくて涙が出る」
「いつでも俺の胸でお泣き」
 
腕を広げると小十郎が手元のコルク抜きを投げてきた。
ワインボトルは三本開けたところまで覚えている。つまみは途中で無くなってしまった。
月のひかりが差し込まなくなったのはいつかは覚えていない。

それで、佐助はその夜後悔した。
 



やはりベッドはダブルにしておくべきだったのだ。
 









 





私だけが楽しいんです。
未だかつて無いぐだぐだの予感。


空天
2007/05/03

プラウザバックよりお戻りください