片倉小十郎ほど、猿飛佐助を知っている男は居ないだろうと思う。
小十郎は夜に似た目で、ただ佐助を見る。そこになにか感情が入り込むことはなくて、だから真っ直ぐに見据えられて
もいやだとは思わない。薄い唇からこぼれる言葉は静かで、さらさらと流れる砂のように触り心地がいい。さらされて
いるとうっとりしてしまう。このひとがおれのことをしってる。佐助はそう思うたびにほう、と息を吐く。
小十郎は佐助のことをよく知っていて、なのに小十郎の口からこぼれる佐助はほんとうのそれより何だかひどくきれい
な人間のような気がする。
それを聞くのがすきだ、と思う。
「ねえ、俺のことすきなの」
子栗鼠にそう聞いてみた。
息を飲んで手を口元に寄せて、子栗鼠はふるふる体を震わす。佐助は笑みを顔に貼り付けて、そうなんだ、と首を傾げ
てしろい顔をのぞきこむ。赤くなるかと思ったら、反対に子栗鼠の顔はすうと青くなっていく。おかしくて笑ってしま
った。日曜日の喫茶店は混み合っていて、自分の出した声は他人が出した声に掻き消されてすぐに消えていく。
手を伸ばして栗毛の髪を撫でてやった。
「じゃあさ、俺の恋人になりたかったりするのかな」
ふい、とあげられた目はうっすらと潤んでいた。
弱々しくて、ちいさくてか細い生き物だ。佐助は柔らかい髪を撫でながら、小十郎のことを思い出した。おまえにはこ
っちのほうが合っている、と小十郎は笑った。
ではそうなのだろう。
佐助は笑った。
「なろっか、恋人」
子栗鼠は泣き出してしまった。
佐助は困ったように眉を下げて、とりあえず髪をまた撫でた。
泣いている子栗鼠を抱き締めながら、小十郎に言わないといけないなあと佐助は思う。
一週間後、診療所に松葉杖を返しに来た林檎の後ろに小十郎は立っていた。
甲斐甲斐しいなあと笑う。会計に向かった林檎の後ろ姿を見ながら、付き合うことにしたよ、と言ったら小十郎は驚い
たような顔をした。
「早ェな」
「俺様、スピードが自慢なんで」
「ろくでもねェ」
「もう大変。手ぇ握るだけでもふわあ、とか言って顔真っ赤」
中学生かっての。
佐助がそう言って肩をすくめると、小十郎はくつくつと笑う。丁度良いんじゃねェか、と言われて佐助は首を傾げた。
小十郎は会計を済ませてひょこひょこと戻ってくる林檎に軽く手を振って、それから視線を佐助に落とす。そのあたり
からやり直すのがおまえにはお似合いだ。
佐助は目を見開いた。抗議をしようとしたら林檎が戻ってきてしまったので口をつぐむ。さるとびせんせい、と今日は
黄色いワンピースを着た林檎が笑いかけてくる。ひょこひょこと不安定に歩く細い体を、小十郎の腕がさりげなく支え
た。佐助はそれを横目で見ながら林檎に向かって首を傾げた。林檎が言う。
「仲良いね」
「気のせいだろ。俺はね、今このおっさんに虐められてたんだぜ」
「え、そうなの、小十郎さん」
「言いがかりだ」
林檎に見上げられて小十郎は首をすくめる。
こじゅうろうさん、という響きがいやに佐助の耳に残った。林檎は低い声で笑いながら、なんだか妬いちゃうくらいだ
なあと言う。佐助と小十郎は顔を見合わせて、それから佐助は笑って小十郎はしかめっ面になった。
腕を伸ばして、小十郎のそれに絡める。
「ばれちゃったかぁ」
群青色のタートルネックにほおを寄せた。
見上げると、奥底から不愉快だという顔で小十郎が睨み付けていた。佐助は笑いながら、ふられちゃった、と体を離す。
林檎も笑って、だめだよこれはわたしのだから、と佐助とは反対側の小十郎の腕にしろい指で触れた。
俺は物じゃねェよと小十郎は言う。佐助と林檎はまた笑った。
「猿飛先生、ほんとうに今度ごはん一緒に行こうよ」
小十郎さんとも色々話したいことあるでしょう、と言う。
佐助はすこしだけ驚いた。小十郎は林檎に、佐助とはもうすでにふたりで会ったことを言っていないということになる。
しばらく黙って、ああでも、と思い直す。小十郎は口数が多いほうではない。わざわざ言うほどのことでもないと判断
したのなら伝えていなくても不自然ではなかった。
だから佐助は待った。小十郎が、林檎にああもうこいつとは一度食事に行ったんだと言うのだと思った。
けれど、小十郎は何も言わなかった。
「ごめんよ」
すこし戸惑いながら佐助は言った。
「しばらくは暇が無くッてさ、お付き合いできそうにねえんだわ」
「そうなんだ。残念だな」
林檎は眉を下げて、小十郎を見上げる。
残念だね。そう言って小十郎に同意を求める。切れ長の目がすい、と佐助のほうに一瞬だけ向けられて、またすぐに下
に落とされて細められる。
「そうだな」
聞き慣れた声が淡々とその言葉をつむいだ。
冷房が効いたエントランスで、佐助はてのひらに汗がじわりと滲むのを感じた。
「それじゃあね、また来週」
しろい手がひらひらと振られる。
小十郎に支えられながら診療所を出て行く林檎に、佐助はぼんやりと手を振り返した。ちらりと小十郎のほうを見たが、
真っ直ぐな背中は一度も佐助のほうを振り返りはしないで、そのまま駐車場のある道への角を曲がって消えてしまった。
出会いは平凡で始まりは曖昧でそして別れは唐突だった。
小十郎の部屋の玄関には、真珠のピアスと銀色の指輪が置いてある。どちらも佐助のもので、いらないから捨てればい
いと言うのになぜか律儀な隣人はそれを躊躇うらしくいつまでも花瓶の横にころりと転がしてある。佐助はそれを見る
たび首を傾げる。あの輪っかが特別な意味を持っていたことがあるのだと思うと不思議でしょうがない。
その日は雨が四日間続けて降ったあとに、ようやく晴れたかと思ったらまた午後から雨が降り出したので、佐助はこれ
はいやがらせだなと思った。出掛けに毛布を虫干しするためにベランダに出してきてしまったことを思い出して、患者
の診療の合間に憂鬱に息を吐く。濡れてしまった毛布は使えない。そう考えてまあいいか、とボールペンを回した。片
倉さんの家に今日は泊まろう。
六月だった。水道の蛇口が壊れてしまったように毎日毎日雨が降って、水を含んだ空気がひどく煩わしくて眠るのさえ
難しい。佐助はほとんど毎日小十郎の部屋に行ってはベッドに潜り込んでいた。小十郎の肌は冷たい。セックスをすれ
ば疲れきって汗だくでもすぐに夢に浸かることができる。
なんて便利なひとだろう、と佐助は思う。
診療が終わって、マンションの自動ドアを潜りながら腕時計に目を落とすと九時過ぎだった。まだ小十郎は帰っていな
いだろう。かさかさとスーパーの買い物袋を揺らして、じゃあ晩御飯でも作って待ってようかなあと佐助は思いながら
エレベーターのボタンを押した。
エレベーターのドアが開く音と、背後の自動ドアが開く音が同時にした。
佐助はなんとはなしに振り返る。
「あれ」
目を瞬かせて、首を傾げた。
自動ドアを潜って佐助のほうへ歩いてくるのは小十郎だった。いつものスーツではなくて、私服のカッターシャツを着
ている。佐助を見ると、ああ、とだけ言って小十郎は横に並んだ。
「どうしたの、随分早いね」
「今日は午前だけだったんでな」
「へえ」
珍しいね、と言うとなぜか小十郎は黙った。
佐助は首を傾げながらもエレベーターに乗り込む。小十郎はエレベーターに乗っている間も口を開かなかった。それ自
体は珍しいことではないけれど、佐助はなんとなく不愉快だな、と眉を寄せる。なにかあったのか、と聞くことを躊躇
っている自分が不愉快だった。
ドアの前まで来てから、ようやく佐助はへらりと笑って口を開く。
「今日、俺が晩御飯作ってやるよ」
だから泊めて。
そう言う前に小十郎がすこしだけ顔を歪めたので、佐助はその先を続けることを忘れてしまった。どうしたの、と聞く。
なんかあったの。
小十郎は顔を歪めたまま、なにも、とだけ言う。
「飯作るなら、早く入れ」
「偉そうだなあ、ちょっとは感謝してほしいんですけど」
「殆ど居候がよく言う」
すこしだけ小十郎は笑った。
佐助はそれにひどく安堵した。玄関に靴を脱ぎ捨てて、キッチンへと向かう。ビニール袋から野菜を取り出してテーブ
ルに並べようとして、佐助は手を止めた。
ソファに座った小十郎も、鞄の中からなにか取り出している。
「そういやあ、さ」
ジャガイモをひょいと投げて佐助は聞いた。
小十郎が振り返る。手の中にはガムテープが握られていた。
「買い物でもしてたの、さっき」
「あァ」
「なにを買ってたの、食べ物じゃねーみてぇですけど」
「ガムテープとハサミ」
ソファ越しにそれを見せて、小十郎は言う。
ガムテープは二つあるようだった。多いな、と佐助はちらりと思ったが、ふうんとだけ言って視線をジャガイモに落と
した。肉じゃがでいいよね、と聞くと構わんと返ってくる。
キッチンからは部屋全体が見渡せる。帰りにはまだ降っていた雨は、もう止んでいるようだった。小十郎はテレビをあ
まりつけない。大体は新聞を読んでいるが、今日はそれもしないで寝室に引きこもってしまった。誰もいない部屋に、
ことこととお湯が沸く音だけが響いて、佐助はなんとなく不安定な気分になった。
出来上がった食事を並べて、小十郎を呼びに寝室のドアを叩きながら、これはこっちから言ったほうがいいのだろうな
あと佐助はぼんやりと思う。かちゃりとドアが開いた。小十郎はすぐにそのドアを閉めた。
「いつ」
椅子に座る前に佐助は聞いた。
小十郎の目がふいとあがる。
「いつ行くの。もう準備始めてるってことはわりとすぐだろ」
「隠しちゃいねェが」
よくわかったな。
淡々と言う。佐助は味噌汁を箸で混ぜながら、すこしだけ笑う。隠さないのは誠実なのだろうか、それとも冷酷なのだ
ろうかと思ったが、どちらにせよ自分たちの関係においては無意味だ。どこに行くのかと続けて聞こうかとも思ったけ
れど、聞いたところで大した意味はないので止めた。
二週間後だと言われて佐助はそう、と頷く。
「左遷か」
「違う」
「じゃあ栄転だ。おめでとさん」
へらりと笑って、ビール瓶の蓋を開けた。
こぽこぽとグラスに注ぐと泡が出来る。それを見ながら二三年はあっちだろうなと小十郎は言う。佐助はじゃあこの部
屋は売るんだね、と確認するように聞いた。やはり小十郎は頷いた。
「さみしくなるなあ」
すこしだけ零れてしまったビールを布巾で拭きながら佐助はつぶやく。
小十郎は黙って、それから笑った。
「じゃあ、とっとと骨探してそれに埋めてもらえ」
「骨じゃねえって。肋だよ。俺は犬ですかっつーの」
「同じようなもんだろう」
ビールを飲みながら小十郎はそう言う。
佐助が睨み付けると、ふん、と鼻を鳴らしてグラスをテーブルに置いた。箸を煮物につけながら、まあ精々犬みてェに
骨探して彷徨いてろ、と馬鹿にしたように―――おそらくは本当に馬鹿にして―――笑う。佐助はテーブル越しに足を
蹴った。仕返しにすぐに小十郎もその足を踏みつけてくる。
踏みつけられてひりひりと痛む足の甲を手でさすりながら、半年だっけ、と佐助はつぶやいた。
「長いのか短いのか、微妙なところだね」
初めて小十郎とセックスをしたのは冬だった。
もうすぐに夏が来る。丁度よかったのかもしれない、と思った。もう周りの空気は皮膚を剥いでしまいたいくらいにじ
っとりと熱くて、小十郎が佐助を受け入れる理由はとっくに無くなってしまった。小十郎の部屋の冷房はいつも佐助の
手で効き過ぎるくらいに効かせてある。夏に抱き合うのは、地球にやさしくないということがよくわかった。
地球にやさしくなれるね、と言うと小十郎は眉を寄せて意味がわからない、と言った。まあいいよ、と佐助は笑う。わ
かってほしいとも特に思わなかった。小十郎は小十郎で、佐助の隣人で、セックスの相性はひどくよかったけれどそれ
以上にどうという存在でもない。
どうせ佐助の隙間を埋めてはくれない。
「元気でね」
「あァ」
「あんたが俺以外の体に満足出来るのか、それが俺は心配でしょうがないや」
「俺の台詞だな」
苦く笑いながらこぼされた言葉に、佐助は黙った。
満足出来ないんだけどな、と言えば目の前の男は何と言うのだろうとすこし興味が沸いたが、結局へらりと笑ってだい
じょうぶそうだねあんしんしましたよ、と言うに止める。佐助が女だったら小十郎についていくことが出来ただろうし、
小十郎が女だったら佐助は行くなと言うことも出来ただろう。想像したら笑ってしまった。佐助は男で小十郎は男で、
二週間経てば隣の部屋が空き部屋になる。
事態はひどくシンプルで、それ以上もそれ以下もない。
毛布が濡れちゃったんだけど今日この部屋に泊まってもいい、と聞くと、ああそれなら取り込んでおいたから大丈夫だ
ぜと返される。佐助は目を瞬かせた。そう、とつぶやく。それから笑って、ありがとうと言った。
「ほいじゃま、そろそろお暇しましょうかね」
皿を重ねると、俺がやると小十郎が立ち上がる。
それを見ながら佐助はもう帰らなくてはいけないような気分になった。理由が何もかも無くなってしまって、そうした
らこの場所に居るのがひどく息苦しかった。もう帰るねと言うとキッチンで小十郎がすこしだけ驚いたように目を丸め
たが、構わずビニール袋を引っつかんでリビングを出た。
外に出ると、皮膚の上に一枚なにかが被さってくるように熱気が佐助を包みこむ。突っ立っているだけでも汗が滲むよ
うな空気のなかで、それでも佐助はひどく寒いと思った。寒いというのなら、いつだって寒い。すうすう風が通り抜け
ていく体を持て余したままもうどれだけの季節が過ぎていったかなど忘れてしまった。
小十郎と一緒に居ると、寒かった。セックスをしても、キスをしても、抱き合っても、決してひとつになろうとはしな
い男が時折ひどく苛立たしかった。ひとつになんてなれるか、と小十郎は言う。
おまえはおまえで、おれはおれだ。
「例えじゃねえかよ」
玄関のドアにずるりと背中を預けて、佐助はつぶやく。
今まで抱き合った女は、みんな喜んで佐助の話を聞いてくれた。誰もほんとうに肋の話を信じていたわけではないのだ
と思う。ただ、睦言の一種としてこの話題は適度にあまったるくて馬鹿馬鹿しくてきれいだから、セックスの余韻に浸
りながら聞くのには丁度いいという、それだけだ。
誰も佐助が本気だと知らない。佐助は本気で体の中の隙間を誰かに埋めて欲しくてしょうがないということを、今まで
通り抜けてきた女たちは誰一人知ることはない。
小十郎だけがそれを知っている。
冗談ではなくて、本気のそれとして佐助の言葉を受け取った。
そして馬鹿みたいに真面目に返してきた。それは否定だったけれど、それでも佐助に向かって真っ直ぐに投げつけられ
た言葉はひどく重かった。重すぎて逃げたくなるくらいだったし、佐助は事実逃げた。逃げても小十郎は佐助を見棄て
なかったので佐助はそれに甘えることにした。
その期限が来たのだ、と思う。
「さよなら、かあ」
空を見上げると、昼間の雨が嘘のようにちかちかと星がひかっていた。
もう会わないのだろうなあとなんとなく思った。連絡先を聞く気はないし、小十郎も教える気はなさそうだった。では
このよくわからない関係もおしまいだ。続ける意味がなくて、理由もなくて、離れてしまうならば方法すらない。
すこしずつ小十郎の部屋の中身が段ボールに詰められていく二週間の間、結局佐助は一度も小十郎の部屋に行かないで、
二週間後引っ越してしまうときも玄関から顔を出してばいばい、と言っただけだった。
隣の部屋は三ヶ月後に新しい住人がやって来たが、その新しい隣人は挨拶に来なかったので佐助は今でも隣にどういう
人間が居るのかよく知らない。
こじゅうろうさん、と呼びかけると小十郎はひどくいやそうな顔をした。
笑いながらカウンターの席に腰掛ける。半分ほど残っている小十郎のカクテルを奪い取って、一気に喉に流し込んだ。
「おい」
苛立たしげな声が佐助を咎める。
くつくつと笑いながら佐助はバーテンに新しいカクテルをふたつ頼んだ。約束をしたわけではなかったけれど、別れる
まえは毎週金曜日はこの店で過ごしていたことを思い出してふらりと訪れたらやはりそこに小十郎は居た。背筋に得体
の知れない感情が走り抜けていくのを感じながら佐助はちらりと小十郎に視線をやる。
目を合わせながらなあにこじゅうろうさん、と言うとまた小十郎が顔をしかめた。
「おかしな呼び方は止めろ」
「おかしかねえでしょ。ほぅら、林檎ちゃんの真似」
「阿呆が」
ぺしりと頭を叩かれる。
それを手で撫でながら、佐助はそういや聞いてなかったなあと小十郎をのぞきこむ。
「あんたさ、あの女のどこがいいわけ」
言ってから佐助はすこし後悔した。
思いのほか声がつめたくなった。小十郎は不愉快に思うだろうかと思ったが、鋭角な横顔は一切そのいろを変えずに、
下らん質問だなと淡々と返してくる。ほう、と胸のうちで息を吐いて、いいじゃないかと佐助は笑った。俺が下世話な
ことはあんたがよくご存じだろう。
小十郎はすこし黙って、それから諦めたように息を吐いた。
「騒がしい」
「はあ」
「それから馬鹿だ。が、適度に引き際を知ってる」
「それ、褒めてるように聞こえないんだけど」
「褒めてねェからな」
かたん、とバーテンがカウンターにカクテルを置いた。
それを引き寄せながら小十郎はくつりと笑う。楽なんだよ。
「あとは」
「あとは」
「体温が高い」
冬は便利だと言いながら小十郎はカクテルをあおった。
うっすらと朱いカクテルに視線を落としながら佐助はふうんと鼻を鳴らした。なんだか、とつぶやきそうになった。な
んだかそれは、おれでもいいんじゃないの。勿論何も言わなかった。かつん、とカクテルグラスを爪で弾いて、相変わ
らず淡泊な人だよまったく、と笑う。
「小十郎さん」
そう、声にすると背筋がふるえる。
小十郎は呆れたように視線をあげた。文句を言われる前に矢継ぎ早に言葉を続ける。
「なんで林檎ちゃんに、こうやって会ってることこの間隠したの」
「隠しちゃいねェ」
「でも言わなかったね」
「言う理由が無いと思ったまでだ」
「言わない理由も無かったと思いますがね」
隠すとなんだかいやらしくっていけないよ。佐助は笑いながら言う。
小十郎は黙って、それからちいさく舌打ちをする。いやらしいのはおまえの思考だと言われて佐助は思わず声をあげて
笑った。ちがいないなと言いながら、いとおしげに目を細めてカウンターに顔を伏せた。斜め下から小十郎を見上げて、
うっすらと笑う。小十郎が訝しげに眉を寄せた。
「なに笑ってやがる」
「嬉しいんだよ」
「なにが」
「あんたが」
「答えになってねェ」
「でもほんとうなんだもの。あんたが、嬉しいんだ」
へらりと笑って、目を閉じた。
寝るな、と小十郎の大きなてのひらがぽんぽんと佐助の頭を叩いてくる。その振動が心地よくて佐助は喉を猫のように
鳴らした。眠くはないけれど、眠ってしまおうかと思う。そうしたら小十郎は佐助を家まで送ってくれるだろうか、と
ぼんやりと佐助は思った。きっと放り出されるだろう。小十郎は佐助を甘やかすけれど、やさしくはない。
こじゅうろうさん、とつぶやくと今度はすぐになんだ、と答えが返ってきた。
この呼び方をしてももういいらしい。
振動は続いている。
疲れてるのか、と聞いてくる声がやわらかくて佐助は叫び出したくなった。
次
|
さあ本格的に小十郎も駄目になってきました。
書きたいシーンが終わってしまったので、この後続けられるかどうかは私の根性にかかってます(そんな)。
空天
2007/05/10
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