赤毛の男が召使いになったのは、まだ彼がほんとうに幼かった頃のことです。 産まれたときからおかしな力のあった赤毛の男は、周りのひとびとから気味悪がられて いました。お父さんやお母さんからも忌み嫌われ、見世物小屋に売られそうになったこ ともありました。その場はなんとか逃げ出すことができましたが、逃げ出したところで 家に帰るわけにもいかず、その日から赤毛の男はたったひとりで生きていかなくてはい けなくなりました。でもそれはそんなに辛いことでもありませんでした。もともと、家 に居たってひとりで居るのとおんなじことだったからです。 男がいくつになった頃だったでしょう。 町中でひとりの少年に、赤毛の男は呼び止められました。 「おぬし、髪がおひさまのようでござるなあ」 上等な服を着た少年は、そう言ってにこりと笑いました。 少年は迷子のようで、周りには彼の親らしき人間は誰も居ませんでした。驚くほどあい らしい顔をしている少年に、赤毛の男は思わず息を飲みました。少年は赤毛の男の髪を 見ながらおひさまだおひさまだと言いますが、男から見れば少年の笑顔のほうが、よほ どおひさまに似ているように見えたのです。 赤毛の男は少年を家まで送っていきました。 そこで男は、少年の家がお城で、少年が王子様であることを知ったのです。 赤毛の男は王子様の召使いになりました。 王子様がどうしても赤毛の男と離れたがらなかったので、お城のひとびとも最後には諦 めてしまったのです。召使いになった赤毛の男はいつも王子様と一緒でした。王子様は 赤毛の男を召使いだとは思っていないようでした。まるで友達にそうするように、名前 を呼び、傍に置き、一緒に遊びたがるのです。召使いは今まで、一度だってそんなふう に誰かに扱われたことがありませんでした。王子様は召使いのおかしな力のことを知っ ても、召使いのことを怖がったりはしませんでした。むしろ大層なお喜びようで、すご いすごいとはやし立て、もっと見せろとせがむほどなのです。 はしゃぎ回る王子様を前にして、召使いはぽろぽろと泣いてしまいました。 「どうした、何故泣くのだ?」 「ううん、なんでもありませんよ」 不思議そうに首を傾げる王子様に、召使いは笑って首を振りました。 そして王子様があのおひさまのような笑顔で笑いかけてくるたび、召使いはこのひとの ためだったら自分はなんだってしようと思うのです。国のひとびとは王子様のあいらし い笑顔を愛していましたし、家臣たちも兵士たちも王子様のことが大好きでした。召使 いもやっぱりおんなじように、王子様のことを大好きになったのです。 でも王子様には両親が居ませんでした。 だから王子様のことを叱れる人間は、王国に誰ひとり居なかったのです。 王子様は次第に成長して、体が大きくなりました。でもいつまでも王子様は召使いと初 めて会った頃のまま、純粋で、無邪気で、残酷なこどものままだったのです。 召使いは王子様が成長していくのに従って、だんだん不安になっていきました。 果たしてこのままでいいのだろうか。 召使いは王子様に変らないでいてほしいと思いました。でもまったく反対に、変ってい くべきなんじゃないかとも思いました。王子様はもう十六歳になるのに、召使いと初め て会ったこどもの頃のまま、自分が願えばこの世のなにもかもが自分のものになると考 えているのです。そしてそれがほんとうに適ってしまうのです。きっと王子様はこれか らも変らないでしょう。でもそれがいつまで続くでしょう。いつかなにか決定的なこと が起きてしまわないでしょうか。そしてそれは、王子様からあのおひさまのような笑顔 を永遠に奪ってしまうのではないでしょうか。 これでいいんだろうか。 召使いは繰り返し繰り返し考えました。 自分になにかできることはないんだろうか。 でも考えても考えても、その答えが出ることはありませんでした。 召使いはあるとき、用事があって隣国の緑の国を訪れました、 その頃召使いは毎日毎日王子様のことを考えては眠れない日々を過ごしていたので、う つくしい国の風景も、幸せそうなひとびとの笑顔も、むしろそれに苛立つばかりで、ま るでこころの慰めになどなりません。用事を早々に済ませると、召使いはすぐに王国に 戻ろうとしました。でも途中で召使いは道に迷ってしまったのです。 召使いはしばらく歩きまわって、森の近くにぽつりと建っている家に辿り着きました。 ちいさな家で、なにかを拒絶するような暗い場所にそれはありました。召使いは国境へ の道を聞こうとその家に近付き、そこでふと足を止めます。 笛の音色が聞こえたのです。 それはとてもとても、うつくしい音色でした。 笛を吹いているのは家の主人らしい男でした。男は召使いに気が付くと不審げな顔をし ました。召使いは慌てて言い訳をして、男に笛の続きを吹くように促しました。自分の せいで途切れてしまうのは、あまりにも勿体ないような音色だったのです。 男はしばらく黙り込んでから、再び笛を吹き始めました。 それを聴いているうちに、召使いはうとうととつい眠り込んでしまいました。はっと気 が付くと周りはもうすっかり夜になっていて、召使いの肩には一枚の毛布がかけられて いました。男はもう家のなかに入ったようで、傍には居ませんでした。 召使いはそれから、休みがある度に緑の国を訪れ、男の家に立ち寄りました。いつ行っ ても男はひとりで笛を吹いていました。召使いの他に男の元を訪れる人間はひとりも居 ないようでした。男はまるで誰かから隠れるように、その家に住んでいるのです。 気難しくて、とても無口、そのくせ笛の音色はとびきりやさしいその男のことが、召使 いはとてもとても好きになっていきました。男も召使いのことを嫌いではないようでし た。ふたりはすこしずつでしたが、仲良くなっていったのです。 召使いはすこしだけ、男に王子様のことを話してみました。 なにか訳がありそうなこの男なら、召使いの悩みを理解してくれそうな気がしたのです。 あいまいな召使いの相談にも、男は真剣に答えてくれました。 それは答えとは言えないような答えでしたけれども、召使いは自分の悩みを共有してく れる相手が居るというだけで、なんだか胸が軽くなるような気分になりました。男は最 後に召使いの髪をとてもやさしく撫でてくれました。召使いはとても驚きました。 誰かに髪を撫でられたのは初めてだったのです。 召使いはとてもしあわせな気持ちで、王国に戻りました。 王国に戻り、王子様の部屋に行くと、王子様は珍しく深く沈み込んでいました。青の国 の王子に何度も何度も手紙を送っては決闘を申し込んでいるのに、王子はまったく相手 にしてくれないのです。それどころか、今度の手紙では絶対に決闘はしないとまで言い 切られてしまったのだと王子様はとてもかなしそうな顔で言いました。 「緑の国とはどういう国でござるか」 王子様は急に顔を上げて、召使いに聞きました。 召使いは首を傾げながらも、とてもいい国だ、と答えました。うつくしくて平和で、そ していい人ばかりだ、と答えました。召使いはもちろん男のことを考えていました。考 えるだけで召使いはしあわせな気持ちになれました。 召使いの話を聞いて、王子様もにこりと笑顔を浮かべました。召使いはそれでますます しあわせな気持ちになりました。どれだけ自分がしあわせでも、王子様がしあわせでな いならば、そんなしあわせにはなんの意味もないからです。 王子様はあいらしい笑みを浮かべたまま、口を開きます。 「緑の国がなければ、あの御方はきっと其と戦ってくれような」 召使いは一瞬だけ、間を置きました。 その一瞬の間に男の笛の音色が耳の奥で響き、男の声が響き、最後に髪を撫でてくれた 男の手の感触がまざまざと思い出されました。でも目を瞬いてみると、そこにはおひさ まのように笑う王子様が居ました。召使いはにこりと笑い返しました。 そして畏まりました、と頭を下げたのです。 十日後に緑の国に兵士たちが攻め入って、また十日後には完全に滅びました。 召使いは緑の国には最後まで入りませんでした。ぜんぶ終わったあと、ひとりで荒れ果 てた国を歩きまわっただけでした。森が焼け果てていたので、男の家がどこにあったの かは、もう召使いにもよく思い出せませんでした。 しばらくして、青と紫の国が王国に攻めてくるという噂が流れました。それはどうやら ほんとうのことのようでした。二国の王子はどんどん王国に攻め込んで、とうとう城の 外は完全に占拠されてしまいました。家臣たちは逃げだし、兵士たちはみんな倒されて しまいました。王子様はそれでも、なにが起こっているのか解っていないようでした。 誰も居なくなった城内で、どうして誰も居ないのかと不思議そうに召使いに聞くのです。 召使いは困ったように笑って、王子様に粗末な洋服を着せました。 「俺様とかくれんぼをしましょう。見つけるまで、絶対に出てきちゃ駄目だよ」 王子様は喜んで、クローゼットのなかに隠れました。 召使いは王子様の姿に化けて、王子様の部屋で青の国の王子を待ちました。 そのあいだ、召使いは男の言葉を思い出していました。きっともう死んでしまったであ ろう、とても大好きなひとの言葉を、ふいに思い出したのです。 「どうかあんたが、―――何処に居てもしあわせでありますように」 召使いは目を閉じて、祈るようにつぶやきました。 それと同時に、ドアが乱暴に開かれます。兵士たちが雪崩れ込んできました。先頭に居 るのは、鬼のような顔をしている片目の男でした。召使いにはそれが青の国の王子であ ることが一目で解りました。 召使いはにこりと笑顔を浮かべ、王子様の槍を構え、口を開きました。 次 |