書状をぺしりと板間に投げつけた。 幸村が首を傾げる。 「断られたでござるか?」 冷たい視線だけくれてやって、佐助はその場に座り込む。 「あんたねぇ。俺はいーけど、他のひとにまで迷惑かけないでくださいよ」 「迷惑?」 「片倉の旦那にも迷惑でしょうに」 「・・・むう」 片倉殿は迷惑そうであったか、と問われて言葉に詰まった。 見た限りでは相変わらず無愛想ではあったけれど、迷惑そうというのとはちがう。 笑っていたし、同情もされた。それに小十郎はすこし楽しそうだった。ような気がする。うっかり穏やかに笑っている 顔を思い出してしまって、佐助は顔をしかめた。 うっすら赤くなった顔を見て、幸村はかすかに眉を寄せながら書状を開いた。 しばらくそれに目を落としていた幸村の目が、見開かれていく。 首を傾げた佐助に、幸村は書状を手渡した。 そして笑う。 「よかったな、佐助!」 其も、骨を折った甲斐があったでござるよ! 爽やかに笑う主に、佐助は眉を寄せる。何を言っているかよくわからない。心なしか幸村の顔は紅潮していて、ますま す謎は深まるばかりである。どうしたのさ、と問うと幸村はおお、と手で膝を打った。 「まずは読んでみるでござるよ」 「なにをさ」 「書状でござる」 「俺様が読んじゃっていいわけ?」 「無論だ」 むしろ、と幸村は言う。 「それは」 「これは?」 「そなたへの文でござるよ」 途中まで読んでしまった。済まぬ。 幸村はぺこりと頭を下げて、では其はどこぞに行っておるから心おきなく読むとよいでござるよ、と襖をすぱんと開い て本当にどこかへ行ってしまった。残された佐助は手の中の書状を見下ろす。真っ直ぐな、そのひとそのものを示すか のような蹟。ぱらり、と開いてそれを追った。 最初には幸村への返事であろう。お決まりの文句が綴ってある。書状への礼、時候の挨拶。その先を読み進めて、思わ ず佐助はくしゃりとその書状を握りしめた。 書状は二枚あった。 一枚目は幸村への返事で、 もう一枚は佐助宛だ。 (後ろに居たじゃねーかよ、俺!) あの男は平気な顔で、その場に居た佐助宛の書状を書いていたということか。 読めない。意味が分からない。片倉小十郎という男の複雑怪奇さに、佐助はほとんど泣きたいようなきもちになった。 書いちゃったのかよ、とつぶやく。佐助宛の書は一枚だった。冒頭には時候の挨拶が書いてある。それ以上読むのはあ んまりこわくて、佐助はとりあえずそれを床に伏せた。 ぺたん、と体を折って頭を膝にくっつける。 「・・・なんなわけ、あのおひとは」 好かれるような何かをした覚えはなかった。 片倉小十郎という男のすべてを知っているわけではない。知っているわけではないけれど、とても愛想がいい男には見 えないし、礼にはうるさそうだが人に媚びるような男ではないだろう。大体佐助に媚びてなにになるのだ。たかだか敵 国のしのびだ。誼を通じたからといって得があるというわけでもない。 勘違いをしているな、と小十郎は言った。 書状に記されていたおそろしい幸村の勘違いを、小十郎はきちんと解っていた。 だったらどうしてこういうことになるのだろう。そんなに俺のことがすきなわけ、と声に出してしまってから佐助は後 悔した。おそるおそる書状をつまみ上げてみる。 真っ直ぐな字が、目に飛び込んできた。 時候の挨拶と、後ろに佐助が居る状態で佐助宛の書状を書くことのおかしさが、すこしだけ茶化して綴られている。 それからこの間の真田幸村と伊達政宗の決闘のあとに、調子に乗った政宗がまたやりたいとうるさかったこと、幸村の 書状に字の誤りがあったこと、それから近々雨が降って桜が本当に全部散ってしまうであろうことが淡々と続く。 なんということもない、ただの書状だ。 読み終えて、それを畳む。 額にそれを押しつけて、佐助は目を閉じた。 「・・・やばい」 書状など貰ったことはない。 当然だ。佐助はしのびで、そもそもが幸村の影で表に出ることはない。指令の密書を受け取ったことはあるけれど、そ れは見た直後に証拠を残さぬために燃やさねばならぬもので、手元に残ることはありえぬ。ぱさり、と書状を床に落と した。手に持っていると、握りしめて破ってしまいそうだった。 真っ直ぐな字が、真っ直ぐに佐助だけに宛てられている。 困惑するほど、それはじわりと胸のあたりをあたためた。 すこしだけ迷って、それを懐に仕舞う。 無機質な筈の紙がなんとなくぬくいような気がして、困った。 それを手渡すと、小十郎は何度か瞬きをした。 なんだこりゃ。問われて佐助は憮然とした顔で、見りゃあわかるでしょうが、と言った。 「書状だよ」 「真田からか」 「ちがいますよ」 「じゃあ」 誰から。 首を傾げられて、佐助はほおを二度掻いた。 「・・・はじめてだから変なとことかあるかもしれないけど、字の間違えは無いと思うんだよね。 形式とかもちゃんと武士用のやつで書いたし・・・。あと、紙は真田の旦那から貰ったし墨もちゃんとしたの使った し、失礼なところはないと」 「おい、ちょっと黙れ」 そこまで喋ったら、小十郎に止められた。 ひらひらと書状を振りながら、小十郎は落ち着け、と言って腕を組む。 「つまり」 「うん」 「これは、おまえが書いたわけか」 「・・・纏めるとそういうことにならないこともない」 まどろっこしいことを言うな、と小十郎が眉をひそめる。 ぴらり、と書状が開かれる。目の前でおのれの書いたものが読まれるというのはひどい羞恥だった。逃げだそうかと腰 を浮かせかけたが、小十郎に手で坐っているように促されてまた腰を落とす。眉ひとつ動かさずに小十郎は佐助の書い た書状に目を走らせて、しばらくしてから顔をあげた。 「返書は今書いたほうがいいか」 佐助はすこし黙った。 それから、よくわかんない、と言う。 「俺、書の遣り取りなんてしたことないからさ」 「そうか」 「ていうか、普通は書なんて直接受け渡ししないだろーね」 「そりゃァそうだろう」 ちいさく小十郎が笑う。 この間おまえが後ろに居るときも笑いそうだった。そう言われて佐助は苦く顔を歪ませる。 おかしいだろあれ、と言うと小十郎はそうだな、と平然とした顔で言う。大体さぁ、と佐助は髪を掻きながら、小十郎 から視線を外す。どうしてこの男は、こんなに相手を真っ直ぐに見るのだろう。 顔が熱くなる。 「ふつう、あんたほどの御大尽が俺なんぞと書の遣り取りなんざしねーって」 「そうかね」 「そうだろ」 「そうか」 佐助の書状を丁寧に畳んで、文机に置く。 小十郎は足を崩して、立てた膝に肘を置いて首を傾げる。なんでかね、と不思議そうな顔をしながら、おかしいのかも しれんな、と言う。それからちらりと佐助のほうへ視線を寄せて、すこしだけ笑ってだが、と続ける。 「おまえとそういうことをするのも、悪くないかと思った」 佐助は呆けた。 小十郎が手をひらひらと顔の前で振っている。 「どうした」 「・・・あんたって」 「俺がなんだ」 「ああ、もう・・・なんでもねーです、よ」 そうか、と首を傾げながら小十郎は手を下ろした。 文机の上に置いてある書状に目を落として、返書はうちの飛脚に運ばせよう、と言う。佐助は黙ってそれに頷いた。お のれの書いた書状の返事を持って帰るというのもおかしな話だ。持ってきているのもおかしいと言えばおかしい。 字とか間違ってなかった、と問うと小十郎が頷く。 「上手いもんだ」 そう言われて、佐助はほうと息を吐く。 初めてだったのだ。おのれの何かをしたためるなどということを、今までしたことがなかった。 綴ったことは在り来たりなことばかりで、さぞやつまらぬ書であろうと思う。中身がない。つまんなかっただろ、と言 うと小十郎が首を傾げる。佐助はそれに笑う。 「俺様さぁ、語るよーなことないからねえ」 薄っぺらい書で悪いね。 なんとはなしにそう言うと、小十郎がしげしげと佐助を凝視する。 不躾なほどのそれに佐助が眉を寄せると、小十郎がちがうだろう、とよく通る声で言った。ちがうってなにが。佐助が 問うと小十郎は立ち上がって、からりと障子を開く。 中庭に面している障子のその先には、既に花が散って葉だけになった桜の木が一本立っている。 「違うだろう」 振り返って言う。 「おまえは、語り方を知らんだけだ」 さんさんと差し込む日のひかりが、木陰から零れてきらきらと光っている。 桜の葉が、真っ青な空の色を映し込むように青々としていた。覚えてねェだろうが、と小十郎はそちらへ目をやりなが ら座り込んで、言う。なにをさ、と佐助が問うと、ちいさく笑った。 「葉桜がきらいだと、言ったろう」 「・・・覚えてないけど」 「あァ、だろうよ。大したことを話してたわけじゃねェからな」 「なに話してたっけ」 「さァな」 俺も覚えてねえ。 小十郎はそう言って口元に手をやった。 「ただ、おまえさんがその後に言ったことは覚えてるぜ」 卯月のはじめだったか、と小十郎は首を傾げながら言う。 いつものようにお互いの主が目の前で争っていて、小十郎は生真面目に突っ立っていて佐助はごろごろと寝ころんでい たのだ、と言う。そりゃァ巫山戯た格好で叶うなら三枚に下ろしてやろうかと思ったな、と淡々と言う小十郎に佐助は 眉をひそめた。仏頂面でそんな物騒なことを考えていたのか、この男は。 歪んだ佐助の顔にくつくつと笑って、まァ聞け、と小十郎は言った。 「桜が咲きかけてた」 「そりゃ卯月ですからねえ」 「そうむくれるな」 「むくれてませんよーだ」 「むくれてんじゃねェか・・・まあ、そこで、言った」 「葉桜がきらいだ、て?」 「あァ」 咲いてるときは綺麗かもしれないけどさあ、と。 ―――実際の話、散りかけの桜なんざ無様でしかねえよな。もう時は移ってんだぜ。青々と葉が芽吹いてるってぇのに まだ未練がましく枝にしがみついてる花びら見てると薄ら寒くッていけないねえ。 ううん?なにさその視線は。ああ、情緒が無いッて言いたいのかもしれないけどさ、残念ながら俺はそういう大 層なもんとはとんと縁が無い卑賤の身ですんでね。あんたらとは違って花愛でて酒飲んで歌詠んでとはいかんわ けよ、当然だけど。色々とさあ、まあおんなじもの見ても、おんなじものが見えるとは限らないよね――― 佐助はそう言ってそれから笑ったのだ、と。 桜は絢爛と咲き誇ろうとしていて、まだ蕾が膨らみかけているところであったのに、もう散ったあとのことを話す佐助 を小十郎は呆けたように眺めたのだと言う。飄々として、実体の掴めぬ得体の知れない男がふいに霧のなかから姿を現 すようなそういう感触がした。佐助は小十郎が呆けているのに気付いているのかいないのか、きらいだけどでもそうい う葉桜を許してあげてほしいなあとも思うんだよね、と笑う。 『どうせ葉が繁るんだ。いずれ泥にまみれて潰れる身。 だったらせめて最後に意地汚くしがみついたッてさ、まあ大目に見てやってほしいわけよ』 『おかしな言い方をしやがるな』 『へ、そうですかね』 『まるでてめェの身内の話でもするようじゃねェか』 『身内か』 へらりと佐助は笑う。 『ああ、なかなか鋭いところを突くねえ旦那。 そうさね、俺は図々しくもこのきれいな花にてめェをうつしてるのかもしれねーわ』 俺が花で、あそこで戦ってる戦馬鹿が葉。 佐助はうっとりと主を遠巻きに眺めながら、そう言った。 『たとえ派手でも、本当に長く繁るのは葉なんだ』 言ってみれば前座だよ花なんてさ、と佐助はまだ花の付かぬ木を見上げる。 体を起こして座り込んで、桜を見上げて佐助は笑う。 『でも桜は咲くだろ。葉の為にさ』 『で、それがおまえか?』 『まあそうかな』 『随分と自信過剰なことを言うな』 『そうかなあ。俺はこの薄汚い感じがずいぶん俺らしいと思ってるんだけどね』 葉は綺麗で、花は醜い。 それでも花は咲いて、すぐに散って葉が繁る。 葉は一年を通して繁って、散るときも赤や黄色に色づいてうつくしい。俺はきっとあのひとが本当に色づくのを見るこ とはないだろうと思うんだよ。俺はしのびで、きっとすぐに野垂れ死ぬからさ。 『だから、せめて長くしがみつきたいじゃない』 そういう自分はきらいだけど、と。 困ったように佐助は笑った。小十郎はそれを黙って眺めて、それからそうか、と。 ああ、と佐助は手を打った。 「言ったような気がする」 思い出したかよ、と小十郎は空を見上げながらつぶやく。 言われてみればそんな会話をしたような気もした。小十郎は佐助にちらりと目をやり、それから視線を木漏れ日が差し 込んでいる大地に落としてちいさく笑う。 「ああ、こいつはこんな顔で主を語るんだな、と思った」 それこそ。 俺はおまえにてめェを映し込んだのやもしれん。 小十郎はそう言って、わからんが、と目を閉じる。それから苦く口角をあげた。 「もっとも俺はおまえと違って、そこまで綺麗に主を語れんがな」 「俺だってべつに、綺麗になんて語ってねえよ」 体のどこかがむずがゆいような感触がした。 そんなふうに、小十郎が微笑んで話すようなものを佐助はなにひとつ手にしていない。俺なんもねえよ、と思わず佐助 は言った。あんたがそんなふうに言ってくれるようなものなんにも持ってねえよ。 小十郎は不思議そうに首を傾げて、それからやはりまたかすかに口角をあげる。 「いいんじゃねェか」 「・・・なにが」 「おまえがなにも持ってなくとも、すくなくとも俺はあるような気になってんだ」 放っておきゃあいいだろう、と。 佐助はたまらなくなって、それを押し隠すように笑い声をあげた。 「大変な錯覚だよそりゃあ!」 「錯覚じゃねェものなんざ、世の中にどんだけあるってェんだ」 小十郎は不思議そうにそう言う。 佐助は口をつぐんで黙り込んだ。小十郎は佐助をじいと眺めている。その視線は真っ直ぐにすぎて、やはり居たたまれ ない感覚で佐助を包み込んでくる。俺はきれいじゃないよ、畜生だから。絞り出すようにそう言っても、小十郎はそう かい、と静かに言うだけで視線を外さない。 そんなふうに見られても困る、と佐助はほとんど怯えるように思った。 もう帰る。 佐助は立ち上がって吐き捨てた。 「面倒だったら返書はいらねえよ」 「そうもいかんだろう」 「いいよもう」 視線を振り切るように手を振った。 それじゃお暇するよと城を出る。振り返りもせずに全速力で駆けて、米沢から抜けたところでようやっと佐助は息を吐 いた。はあ、と深く息を吸い込み、また吐く。 触れられてもいないのに、全身がざわめくように小十郎の視線でふるえた。 (なんなんだよ) 語り方を知らない、と言った。 「あんたに、なにがわかる」 つぶやく。 小十郎が佐助と見えたのなど数えるほどで、それこそ両の手で足りる。 佐助はおのれのなかに何かがあるとは思っていない。そしてあったとしても意味がないことなど知っている。佐助はし のびで幸村の影で、それ以外の意味など猿飛佐助の何処を探しても存在しない、と。 語るべき言葉などあっても、誰が聞くのだと笑うしかない。 真田幸村は、そういう佐助にとってたったひとりの語るべきなにかだった。 そこにしか佐助は存在しない。 そういうおのれの直向きなほどの、異様な執着を佐助はひどくきらっている。 ひどくそれは分不相応で、身に余る感情だ。持つべきでない感情を、それでも時折小十郎に漏らした時のように佐助は 漏らしてしまう。が、それは漏らされたまま零れていくだけで、何処にも残らぬ。 だって佐助は影で、影の言うことなど何処に残ろうか。 嗚呼、だというのにだ。 覚えてる、と。 小十郎は笑ってそう言った。 視線をあげる。空だった。青い。目に痛いほどに、青が濃い。 それを見上げながら、あの小十郎の真っ直ぐな視線を思い出して佐助はまた恐怖に似たなにかで震えた。 次 |