「あァ、猿飛」 どうしておまえ、此処に居るんだ? 佐助はくらりと眩暈に襲われつつ、目の前の光景を隅々まで視界に収め、その末にまた、くらりと体を揺らがせそう になった。白粉と酒、安っぽい香と汗と埃のにおいが座敷中に蔓延している。染みついたにおいである。連れ合い茶 屋特有の、倦怠そのものを表象するようなにおいだ。破れた障子、ささくれ立った畳に染みの付いた天井、薄汚れた 布団は黄ばんでいて、かけられた掛け軸は紛い物であることが一目で知れる。しかしそれらは半端な橙の灯りによっ て、すべてが一種の淫靡さを醸し出す要素として機能している。 そのなかでひとつ、異質なものが床に転がっている。 「そりゃ、こっちの台詞ですよ」 掠れそうになるところをぐっと堪えて、努めて平静な声で佐助は返した。 あんたこそなにしてるんだ。そう言うと、柱に手首を括られて、肘の部分まで小袖を剥がされた格好で足を開いてそ こに誰とも知らない男の顔を挟み込んでいる女は―――小十郎は、真っ平らな声で、 「見て解らんか?」 と言い放った。 星の数ほど男はあれど意地を張るのは主ばかり 2 こういうのを惚れてしまったというんだろう、と佐助はだらしなく崩した顔でだらしなく崩れた事を考える。 大体において佐助の生活は任務に次ぐ任務で、合間があることなどはほとんどないのだけれども、時折できるその 合間にはほとんど延々とその女ことを考えている。不思議なものだと思う。本人すら、自分が女だとは考えていない ような女にここまで入れ込んでいる。 主の真田幸村に報告を済ませ、次の任務は部下の報告待ちとなった。今頃は京に居る部下はどんなに早くとも戻って くるのは四日後である。行き帰りで一日使うとしても、二日は奥州へ行っていられる。幸い戦もなく、主の護衛もし ばらくは気を抜いていていい。佐助はいそいそと幸村から了承を得ると、奥州へ向かうことにした。 ちょっと通いすぎかと思わないでもない。 この間行ったのは十日かそこら前のことでしかないのだ。 しかしどうせ甲斐に居ても考えるのは奥州に居る女のことだけである。それならば会いに行ってしまったほうが早い。 どうせ小十郎はうっとうしげな顔をするに決まっているが、―――その顔がまた佐助は好ましくって仕様がない。ど うしようもなく惚れているのだ。それに多分、否、きっと、あの女も佐助のことを憎からず思っているのはほぼ解り きっている。佐助は木々の間を駆け抜けながら、こぼれそうになる笑みを噛み殺して不自然な息を吐いた。 この間の小十郎さんは、ほんとうにかわいかったなあ。 先の逢瀬のことを考える。 情人といえる間になって大分刻も経つというのに、佐助はまだ小十郎を抱いていない。もちろん抱きたいとは思って いるしそのうちには抱くつもりだけれども、あんまり年上の女が初心なので、そのくすぐったい感触をもうすこし味 合っておきたいという欲求に素直に従じている。元よりそう欲が盛んな質でもない。それよりは佐助が手を出さない ことで苛々と腹を立てている小十郎を見ているほうが余程たのしい。 「―――ああでも、そろそろ最後までしちまうかも」 前戯だけでとろとろととろけている小十郎もとても好い。 けれども、それがひとつにぴったりと重なったときにどれほど更にとろけてくれるかを考えると、矢張りうずうずと 腹の下がくすぐったくなるのは否定できない。初心な女を堪能するのも捨てがたいけれども、それを崩していくたの しみもそろそろ味わってみたい。迷うところだよなあ、と佐助はにんまりと笑みを浮かべた。 走り続けて、日が落ちんとするところで米沢に辿り着く。 片倉の武家屋敷には主の姿は見えなかった。 米沢城も探してみたが居ない。畑かと思ってそちらも見てみたが、矢張り情人の真っ直ぐな背は見えなかった。はて と首を傾げつつ、佐助は再び武家屋敷に向かう。 小十郎の寝所に入り込もうと屋根裏に潜り、天板を外すとそこには女がふたり居た。 「嗚呼、ほんとうに夢のよう」 「そうでございますね」 ひとりは上等の小袖をまとった三十は半ばの女で、もうひとりは女房風の二十絡みの女だった。 ふたりともひどく上機嫌で、板間の上に散乱している小袖を葛籠へと仕舞い込んでいる。その小袖がすべて女物であ る。おやと佐助は目を細める。小十郎は女物の小袖などまちがっても着ないはずである。 女ふたりは更に浮ついた声で話を続けている。 「めげずに常に用意しておいた甲斐があったというものだわ。おまえ、見た?あの子のあの姿」 「もちろん見ましたとも。とても凛々しゅうございました」 「いやだわ、凛々しいなんて。それじゃいつもと一緒じゃない」 くすくすと女が笑う。それに女房風の女も釣られて笑っている。 「そりゃ、おひいさまと言うには丈がありすぎるし、第一三十路も前なんだから薹は立っているけれど、それでも決 して見苦しいものじゃありませんよ。いろは黒いなりに、濃い紅がとても映えていたと思わなくって?」 「ええ、ええ。ほんとうに。女でもうっとりするような女振りであられましたわ。薄物を被った御姿なんぞは、なん だか絵草紙にでも出て来そうな気がしてしまって、私」 「政宗様にもお見せしたいところだけど、嫌がるかしらね」 「きっと切腹してしまいますわ」 女房の言葉に女が笑い声をあげる。女らしい高さのない、落ち着いた低い声である。すこし小十郎に似ている。 もしかしたらひとり居るという姉かもしれないと佐助は思った。とすると話しているのは小十郎のことである。紅だ の薄物だの、小十郎に似つかわしくない単語が紛れているのが気になるけれども、 「何方にお見せするのでしょうか?」 女房が聞く。女は首を振った。 「言ってくれないの。吝嗇だわ」 「照れてらっしゃるんですよ」 「そうかしら」 「そうですよ。政宗様以外の殿方にお心を移したことを、恥じてらっしゃるのかもしれませんわ」 「忠義と恋慕は別のものだというのにね。まったく、堅い妹だわ」 「でもその御方の為に着飾るなんて、とてもあいらしいですわ」 「見返すなんて言ってたけど」 くすくすと女は笑いを口にこもらせた。こどもみたいねと言う。 佐助は下を窺いながら、てのひらを口元に押しつけた。顔が熱い。女たちはまだあれこれと話し合っている。小十郎 の相手は一体何者であろうという話しである。佐助は聞いていられなくなって屋根裏から出て屋根に登った。空はす っかり黒で覆われている。月は春のかすみでぼんやりと薄曇っている。 「―――うわ、やばい」 佐助はてのひらをほおに当てて、ぬるい風に顔をさらす。 それでも火照りは取れない。益々ひどくなっていくばかりである。心の臟がやたらに煩く騒いでいる。 ―――小十郎が着飾って、化粧をしている? そんなことありえるんだろうかと思う。小十郎である。片倉小十郎というのはそういう生き物ではなかったような気 がするのだけれども、しかし姉らしき女が嘘を―――第一誰にそれを聞かせるつもりもないのに―――吐く意味もな い筈だ。 小十郎が着飾って、女の形をしている。 聞く限りではそれは主の為ではないのだという。それはそうだろう。小十郎は主の前ではなによりも女であることを 厭う女のはずだ。望まれたとしても決してそんなことはすまい。 では。 佐助は息を吐いた。 「俺の為、かねえ」 見返す、と女は言っていた。 あんまり手を出さないから焦れたのかもしれない。そう考えると些かかわいそうなことをしたような気もするが、し かしそれで小十郎がこんなことをしたのならば、矢張り成る丈先延ばしにしたのは成功だったのだ。もちろん佐助は 小十郎の浅黒い肌やかさついた髪、女らしくないたくましい腕や足をこの上なく好ましいと思ってはいるけれども、 おんなじくらいに、豊かな胸や日にさらされないだけしろい腹にも欲をそそられる。普段無粋な詰め物や晒で抑えつ けられているそれらが、ゆるやかに女物の小袖で覆われていると考えれば、嫌が応にでも期待は高まってしまう。 第一俺の為にってところが、いじましくッて素敵じゃないの。 顔をゆるませながらそこまで考えて、佐助はふと目を細めた。 小十郎はそれで、何処に居るのだ。 屋敷には居なかった。城にも居ない。そのような格好をしているとなれば今探しに行っても矢張り居ないだろう。畑 に女の形で行く由はないし、―――とすれば町だけれども、 佐助は慌てて屋根を蹴って、鴉の足を捕まえて町へと発った。 佐助が小十郎の元に趣くのは不定期で、小十郎は佐助が次にいつ来るかなど知りようがない。つまるところ、女の形 などしたところで、その日に佐助が来るか否かなど解りようがないのである。 がっかりするより前に、佐助は嫌な予感に足を急がせた。 片倉小十郎は聡明な女だ。女ながらに智の片倉と世に名高い軍師である。軍略治世、京の雅やかな趣味から武家の作 法までそつなくこなすだけの教養を持っている。佐助もそれは認めよう。 あの女は確かに、とても賢い女だ。 しかしながら、決定的に足りないのだ。 主にひととの関わりの面に置いて、小十郎は聡明どころかまるっきりの童のようになる。それが政略の場面であれば 誰よりも聡いかの女は、日常においては以心伝心とすら思える主の言葉すらきちんと理解しない。況んや、いろめい た言葉など異国語のように聞こえるのだろう。佐助が幾らとうとうと惚れた腫れたと説いたところで、小十郎はいつ もぼんやりとほうけた顔をするばかりである。 それも常なら、惚れた贔屓目でそこが好いと言うこともできる。 「―――俺様の嫌な予感って、当たるンだよねえ」 佐助は吐き捨て、町の灯りのなかに降り立った。 それから連れ合い茶屋を何軒か探して、まさかこんなところには居るまいと思ったいっとう見窄らしい茶屋で佐助 は小十郎と対面している。 小十郎は成程、女の形をしている。顔もこしらえたらしく、肌にはほのかに粉が乗って、薄い唇はうっすらと赤い。 それはなかなか悪くない見栄えだったけれども、如何せん他の状況があんまり悪すぎた。 小十郎は何故だか手首を両方ひとまとめにされて、柱にそれを帯で括り付けられている。群青の上物の生地でつく られた小袖は襟が大きく開かれていて、晒を巻いていないので大きな乳房が完璧にあらわになっている。そこには 幾つか赤い吸い痕のようなものが残っていて、座敷の橙の灯りと相まってひどく卑猥に見えた。裾は割られ、長い 足は左右に開かれて、そのちょうど真ん中には佐助が見たこともない男の赤茶けた頭が挟み込まれていた。 小十郎は特に焦った様子もない。 常とおんなじ仏頂面で、佐助を不思議そうに見上げている。 「どうして此処に居るんだ」 先とおんなじ問いをする。 佐助は怒りでくらりと眩暈を感じつつ、黙って小十郎を睨み付けた。そしてつかつかと小十郎と男の傍まで寄って、 先刻からひくりとも動かない頭をぐいと引き離す。苦無を懐から取り出して脅してやろうかと、男に視線をやり、 「―――あれ」 佐助は目を瞬かせた。 小十郎の股ぐらに顔を突っ込んでいた男は、佐助がなにかする前にすでに白目を剥いて事切れていた。思わず小十郎 を見ると、ひょい、と肩を竦められた。 「なにこれ」 「気絶してるんじゃねェか」 「見りゃ解りますよ。なんであんたの股の間で気絶してンのかって聞いてんだよ」 「かかとで蹴りつけたら動かなくなっちまった」 悪ィことをしたな。 小十郎は佐助によって座敷の隅に放り投げられた男を見やりながら、なんの感情も籠っていないような空っぽの声で そうつぶやいた。佐助はひくりとほおを引きつらせる。 悪いことをした? 「そりゃ、あんたまずは俺様に対して言うべきじゃあないの?」 「おまえに?」 小十郎は目を丸くして、首を傾げた。 「何故」 「何故じゃねえでしょ。俺としちゃ、間男の現場を捕えたつもりでいるンだけどね」 「間男?」 「あれだよ、あれ」 汚らしげに座敷の隅の男を指さす。小十郎は佐助の肩越しにそれを見て、また首を傾げた。知らん、と言う。佐助 は思い切り顔を歪めた。 「あんたは知らない男の顔、股に突っ込むわけ?」 「突っ込ませたわけじゃねェ。勝手に突っ込んできた」 「おンなじだよ。此処は何処だと思ってンの?」 「連れ込み茶屋」 佐助は舌打ちをして、手を伸ばして小十郎の膝をするりと撫でてやった。小十郎の体がひくりと揺れる。するすると 手を滑らせていくと、足がかすかにばたついたが、もう片方の手で押さえつけてやれば大した抵抗もできない。代わ りにと睨み付けられたが、顔に白粉が塗りたくられた痕では常の威圧感も大分薄れている。 佐助は薄く嗤って、引き締まった太い股の付け根を指でくるくるとなぜた。 「化粧なんてしちゃッて、十日しか経ってないってのに、もう足りなくなっちゃった?」 「ッ、あほ、か」 「俺が来るまで待てなかったンでしょ。そんなあんたは大層かわいらしいけど、でもこいつは些ッとばかし頂けない ねえ―――まさか最後までしてないでしょうね?」 「あ、ッぅ」 するりと指を一本秘部に添わせる。陰毛の感触がかすかに濡れていて佐助は眉を寄せたが、更に下へと滑らせてみる と奥はまだ乾いていた。後ろに転がっている男はどうやらここに顔を埋めるのとおんなじに蹴りつけられたらしい。 もちろん同情はしない。当然の結果である。 伊達政宗ですら知らない、片倉小十郎の女の部分を愛でていいのは佐助だけだ。 「きもちよかった?俺様以外の男にされてさ」 あらわになった胸をてのひらで覆う。その天辺も唾液でぬれていた。佐助はしのび装束を脱いで、それでそこを忌々 しげに拭う。乱暴にしたので小十郎がすこし呻いたが、構わないで続ける。きしきしと柱が軋んでいる。小十郎が動 く度にそこにくくられた帯が柱とかすれて音を立てているのである。 一頻り体を拭ってやってから、その帯を見上げて佐助は深く息を吐いた。 「これは?」 「―――あ、帯、見りゃ解るだろ」 「それは見りゃあ解るけど、だからさ、どうしてあんたはそんなんに括られてンのよ」 「ふ、うぅ、う」 問うのと一緒に陰核をくすぐると、答えの代わりにいろめいた声が返ってきた。じんわりとそれとおんなじに秘部も 湿りを帯びてくる。それに釣られるように顔を寄せ、転がっている男とおんなじように秘部に舌を這わすと、ぐいと 背中に小十郎の足が食い込んでくる。が、それは頭に振ってはこない。 佐助はにんまりと笑みを浮かべて、小十郎の腰を引き寄せた。 「いやらしいおひとだ。もしかしてそういう趣向なの、小十郎さんは縛られるのがおすき?」 「ど、こで―――ッ、あ、喋ってンだ、あほ」 「答えてくれりゃあ黙るさ」 「は、」 ねっとりと舌で秘部を嬲ると小十郎が息を飲む。 常ならそろそろ頭を叩かれたり髪を引っ張られたりする頃だけれども、腕を括られてそうできるわけもなく、気を散 らすことのできない小十郎は必死で顔を左右に揺さぶっている。しゃらんしゃらんとその度に何かが音を立てる。 佐助は首を傾げて、ふと目を上げた。 小十郎の髪に簪が差してある。 「それ」 上等な小袖に比べてそれはあんまり貧相なものだった。 そして見覚えがある。佐助は伸び上がって小十郎の髪に指を差し込んだ。目を細め、その簪をじいと凝視する。鼈甲 のちいさな赤い花飾りが唯一の華やかさであるその簪は、どう見てもいつかに佐助が小十郎に贈ったものだった。 贈ったときは冗談に紛れて言ったこともあって、確か大層嫌な顔をされたという覚えがあるけれども、 「持っててくれたの?」 髪からほおへと指を下ろし、佐助は心持ちやさしげに声を落として問うた。 小十郎は目を伏せて肩で息をしている。目元が赤い。佐助はそこを親指で撫でるように擦ってやって、もう片方の手 でしゃらりと簪を鳴らした。小十郎の切れ長の目がゆるゆると開く。 しばらく間を置いてから小十郎は、それしか持っていなかっただけだ、と吐き捨てた。 佐助はへらりと笑って、小十郎の目元に口付ける。 「嬉しいね。俺様の見立て通りだ。よく似合ってるよ」 目元から唇を動かして、小十郎の唇に重ねる。 小十郎はすこしそれに抗った。顔を背け、目をきつく瞑る。佐助は気にせず唇を追いかけてまた重ねた。顎を捕えて 上を向かせ、おとがいを押して無理に口を開かせる。そして舌を差し入れ、小十郎の舌を絡め取る。柱に押しつける ようにして深く舌を絡め噛み付くように口づけを続けると、ようよう抵抗も止んで小十郎がとろとろと蕩け出す。 それを見計らって佐助は小十郎の腰を持ち上げ、自分の胡座の上にひょいと乗せて抱え込んだ。 唇を一旦離し、そして最後に啄むようにちいさく重ね、また離す。 「ねえ、小十郎さん。怒ンねえからさ、なんでこんなことしたのか教えて頂戴な」 声よりは息に近い声を耳に注ぎ込むと小十郎が首を竦めた。 元よりなにか約束をした仲ではないから、互いが互い以外と睦んだところで何か非難をできるような立場でもないの だけれども、小十郎が酔狂で他の男と体を重ねるような気の利いた女ではないことは佐助がいっとうよく知っている。 そこには明確な―――余所から見れば的外れであったとしても―――由があるはずなのだ。 小十郎はしかめ面をうっすらと赤らめて黙っている。額にかかった髪を払ってやって、そこに口づけ、それから佐助 は黙っている小十郎の顔に順繰りにちいさく口付けていった。小十郎がうっとうしげにそれを振り払おうと頭を振る。 佐助は両手で顔を固定してやって、その動作を続けた。小十郎はこういった甘やかな戯れがとても厭うている。それ を知っていて佐助は顔中に口付けを降らせる。閨での戯れは甘ったるければ甘ったるいほど好いと佐助は思っている。 そのうちに観念したのか、小十郎が呻き声をあげた。 「言う。言うから、そのうっとうしい口を何処ぞにやっちまってくれ」 「最初ッからそうすりゃいいのに。おばかさん」 佐助は笑みを浮かべ、腰をずるりと前へ進め、小十郎を更に深く抱え込んだ。ちょうど隆起し出した佐助の性器が布 越しに小十郎の秘部に触れる。小十郎が眉をひそめた。佐助は事も無げにさあどうぞと小十郎を促してやる。 小十郎はしばらく佐助を睨んでから、しぶしぶという体で口を開いた。 「おまえがいつまでもちんたらしてるからいけねェんだろうが」 佐助は目を瞬く。 それから首を傾げた。 「どういう意味?」 「そのままの意味だ。おまえがいつまで経っても寝惚けた事をぬかしてひとのことを馬鹿にするのがいけねェ」 「馬鹿にって」 「してるだろうが」 強く睨み付けられる。佐助はその眼光の強さにすこしだけ身を引いた。小十郎は舌打ちをして、思い切り眉を寄せて 更に続ける。声は次第に怒りのせいで熱を帯びていく。 「男を知らんことがそんなに悪ィってェなら、知ってやりゃァいいんだろうと思ったまでよ」 大事にするだの、俺は待つだの。 誰がそんなこと頼んだってェんだ。眠てェこと言ってんじゃねェよ。阿呆か。 「やるならやるでとっととやりやがれ」 「ちょ、ちょっと、ちょっと」 佐助は慌てて小十郎の口をてのひらで塞いだ。 小十郎はまだ唸って佐助を睨み付ける。手負いの獣のような獰猛な顔をしている。佐助は眉を下げて狂暴な顔をした 情人を見下ろし、深く息を吐いて困ったように首を傾げた。こりゃあ、と思う。 こりゃあどういうことだ? 「つまりさ」 「なんだ阿呆」 「阿呆はまあ、いいんだけどさ、それってつまり―――俺に抱かれたくッて、あんたこんなことしちゃったわけ?」 「ひとの話を聞いていたのか、おまえは」 小十郎は忌々しげに足でどんと板間を蹴りつける。 「俺が男を知らねェからとおまえがちんたらしやがるから、とっとと知っちまおうとしたんだと言ってるだろう」 「いやだから、それってつまりそういうことじゃないの?」 「まるでちがうだろう」 「そうかなあ」 おんなじじゃないかなあ。 真顔でよく解らないことを言っている小十郎を眺めながら、佐助は複雑に顔を歪めて。つまりこの女は矢張り佐助が 手を出さないことで焦れてこんなことをしたようだが、ならば何故おんなじ女の形をするにしたって佐助にそれを見 せるという結論に達しないのだろうか。どの思考の糸を捻れさすと他の男にまず抱かれようという考えに至るのだろ う。佐助は途方に暮れて、それでもとりあえずまだぐるぐると唸っている小十郎の背に腕を回して抱き寄せた。 今まで解っていた分より更に、腕のなかの女はいろいろなものが足りないようだ。 「あんたって、ほんとうにおかしなおひとだよ」 佐助はつぶやいて息を吐いた。 嗚呼でも、矢張りこの女は自分のことを恋うているのだ。そう考えるとくすぐったかった。まるで見当違いで素っ頓 狂だが、これはこの女なりの閨への誘いなのだ。しかしほんとうにどうしようもない。当人も気付いていないところ がますます手に負えない。 耳元でおまえに言われたくないと小十郎が唸る。 佐助はいいやあんたのほうが絶対に変だときっぱりと断じた。 「怒っていいんだか喜んでいいんだか困っちゃうな」 もうすこしで折角大事にしていた小十郎の最初の男になる権利を無くすところだった。 普通の女にするような駆け引きは小十郎に対してはもうするまい。そう決めてだらんと小十郎の肩に顔を埋めていた ら、すこし間を置いてから小十郎がちいさく、 「―――先刻、怒らねェと言ったぞ」 とつぶやいた。 佐助はしばらく言葉の意味を考えてから、くらりと襲ってくる眩暈にぐっと耐えて、背骨を折るような勢いで小十郎 の背を抱き締めて、にわかに赤くなってしまったほおを見られないよう誤魔化した。 次 |