鴉 さ ん の 贈 り 物 猿飛佐助が奥州に来なくなった。 それ自体は大した問題ではない。よくあることである。佐助はしのびであり、長期の任務になれば訪問の数は自然と減る。 片倉小十郎は元より多忙の身にあって、気紛れに訪れる他国のしのびのことにかまけている暇は無い。来ないならば、来 ない。来るならば来るだろう。もし死ねば永劫来なくなるやもしれぬけれども、だからと言ってそれがどうということも ない。 けれども、ちいさな赤毛のおさなごふたりは構うらしかった。 「ちちうえはなぜこないのですか」 もう幾度問われたか解らぬ言葉に、小十郎は筆を置いて息を吐いた。 振り返り、そこにちょこんと正座をしている幸に向き直る。真っ直ぐなおのれとおんなじ色の目は、ひかりがすくなく底 が知れない。けんかですか。続く声はおさなごにしてはひどく落ち着いている。小十郎は首を傾げて、さァな、と答える。 死んだんじゃねェかと続けてやろうかとも思ったけれども、そうすればこのちいさな娘がぴたりと動かなくなり、そして そのまま微動だにせずに終日そうしているであろうことはあまりに容易く想像出来た。小十郎は何も言わず、気が向けば また来るだろうさ、と結んだ。 そうですか、と幸はちいさくつぶやいて、黙った。 小十郎は体に比べてやや大きな丸い頭を見下ろし、眉を寄せた。 「そんな顔をしても、あれは来ねェぞ」 「もとからこのかおです」 「俺はそんな不細工を産んだ覚えはねェ」 「ちちうえはわたしのかおは、ははうえにそっくりだとよくいいます」 「良く回る口だな」 小十郎はほおづえを突いて、ちらりと笑う。 そういうところはあの男似か、と思う。そうしたら、久し振りに佐助の顔を思い出した。赤い髪赤い目、しろい肌。部分 部分が思い出される。小十郎は視線を天井に向けた。これは拙いかも知れない、と思った。そろそろ全体像が思い出せな くなりつつある。まァ目がふたつで口と鼻がひとつずつあるのだろう、と小十郎は思った。ひとなのだから。 ははうえはわすれてしまいます、と幸が言う。 「ちちうえのなはおぼえていますか」 「おまえは俺をなんだと思っているんだ」 「では、かおは」 「覚えて」 いる、と一応小十郎は言った。 幸は口を噤んで小十郎をじいと凝視している。 面倒になってきて、小十郎はすくりと立ち上がった。幸の視線がそれを追う。細い、冗談のように脆い首がかくりと傾げ られる。腕を組んで、すこし考える。最近は戦も無く、秋の刈り入れも終わり、しばらくは特に火急の用は無い。政宗も このふたりのおさなごの為にならば、しばしの暇は許すだろう。 行くか、と小十郎は言った。 「弁天丸を呼んでこい」 幸はしばらく黙ってから、立ち上がった。 きらきらと、黒い目が此方を見上げてひかっている。 小十郎はそれを見て、ちらりと口角を上げた。さらさらと細い髪に指を絡めて、するりと肩まで落とす。会えるかどうか は解らんぞ、と言うと、幸は首を振って、いいです、と答えた。 いいです、それで。 「べんてんまるをつれてきます」 珍しくほろりと幸は顔を笑みで崩した。 そして座敷を下がり、下がるまでは一応礼儀通りの作法で出て行ったが、障子から出た途端にたたたたた、と廊下を走り 抜けていく音が耳に飛び込んできたので小十郎は息を吐いた。六つになったばかりとは思えぬほどに大人びているこども であるようで、矢張りあれも六つなのだ、と思った。 腰を下ろし、中途で放り投げてあった書状に再び筆を走らす。どんな顔をするかな、とすこし考えてみた。此方から、何 の用も無いのに訪ねて行くなど初めてのことである。あの飄々とした男の顔がどう歪むかを考えていたら、小十郎もすこ しずつ甲斐に行くのがたのしみになってきた。 「おれはまず、なぐってやります」 と、弁天丸は馬上で息巻いて言う。 小十郎は振り返らずに、そうか、と答える。ははうえと、ゆきと、おれのぶんでさんぱつです。小十郎に抱えられるよう にして馬に乗っている幸がいらない、とそれに返した。「わたしはちちうえをなぐらない」弁天丸が呻いた。おまえはあ まい、と言う。 「ははうえだって、なぐりたいでしょう」 「いや、べつに」 「だって、はんとしもこねぇなんて」 「都合もあるだろう」 「そうだ、べんてんまる」 ちちうえをいじめてはだめだ。 幸が良く通る声でそう言った。こどもに擁護されるあの男はどうなのだろう、と小十郎は思った。 辺りはすっかりと秋に色づいていて、駸々と積もるように赤と黄色がそこらに染みこんでいる。おのれのすこし下でゆら ゆらと揺れているおさなごの髪とおなじ色である。これから向かう先にあるいは居るやもしれぬ男の目ともおなじ色であ る。はらりと一枚、紅葉が落ちてきて幸の髪の上に乗った。小十郎はそれを摘んで、おさなごの顔の前に差し出す。 幸はそれを受け取って、しばらく眺めた後に、 「わたしは」 と口を開いた。 「ちちうえにあったら、かみをなでてあげたい」 「髪か」 「はい」 「おんなじだろう、弁天丸のでも撫でてりゃいいんじゃねェか」 「ちがいます。ぜんぜんちがいます」 ぶんぶんと幸の頭が揺れる。 ふうん、と小十郎は鼻を鳴らした。そんなものだろうか。おんなじ色ならそれでいいではないか、と思うのだけれども、 そういうものでもないらしい。ちちうえのかみはふわふわなんです、と言う幸はすこしだけ顔に笑みが浮かんでいて、ど うだったかな、と小十郎はすこしその感触を思い出そうとしてみたが、結局思い出せなかったので考えるのを止めた。 上田城の周りは、赤で満ちていた。 馬から幸と弁天丸を下ろすと、予め訪問を伝えてあった為に幾人かの小姓連中が小十郎たちを迎えに城から出てくる。そ れに続いて、真田幸村も駆けてきた。 「片倉殿、お久しうござる」 「あァ、久しいな」 「幸殿と弁天丸殿も、大きくなられたなあ」 にこにこと笑いながら幸村はふたりの頭を順繰りに撫でる。 それからすこし申し訳無さそうに眉を下げて小十郎の顔に視線を戻した。耳元に口を止せ、おさなごふたりには聞こえぬ ような声音で、実は佐助が、と言う。 「会わぬと言って、出てこぬのです」 「ほう」 小十郎は眉を上げた。 珍しいこともあるものだが、わざわざ来てやったのに大層な態度だ。小十郎は、すぐさまに苛立った。 声を落として、何故、と問う。幸村は首を傾げてそれからふるふると振る。足下でふたりのこどもが不思議そうに小十郎 を見上げていた。それに目をやって、幸村を見返し、小十郎は静かな声で、解った、と頷く。 「それで、あいつは何処に」 「上田城の何処かには居ると思うのでござるが」 「連れて来てくれるか」 「佐助は会わぬと申しておるでござるよ」 「そうか」 小十郎は息を吐いた。 それから、幸村の襟を掴んで引き寄せ、耳元に口を寄せる。一言、二言、そこでつぶやく。幸村はこくこくと頷きながら それを聞いていたが、そのうちにおお、と感嘆の声をあげて、かしこまってござると笑顔で答えた。助かる、と小十郎は 言った。 そして腰の刀に手をかけた。 「―――――おい、猿飛佐助ッ」 声を張り上げ、刀を引き抜く。 幸村の後ろ毛をぐいと引っつかんで、おのれの体に引き寄せてひたりと寄り添い、脇の下に右手を差し込んで羽交い締め にして膝で押さえつけた。抜いた刀をすうと幸村のほおに当てる。それから首をすこしだけ傾げて、更に続けた。 「政宗様に言われているから、殺しはしねェが顔に傷付けるくれェなら俺はする」 ちゃきり、と刀を返す。 刃の部分が幸村のほおに当たった。 「佐助、助けろ」 幸村が言う。 すると、ひゅうと風が吹いて、木の葉が舞い上がった。 見慣れたしのび装束がその中央で座り込んで顔を覆っている。なんだそりゃ、と言う。意味が解らない、と続く。 小十郎は幸村を抱えたまま、幸と弁天丸に、「捕獲」と短く指示した。 たたたた、とおさなごふたりが木の葉の真ん中に座り込んだ赤い髪の男に駆け寄って、覆い被さるように飛びつく。小十 郎は刀を鞘に戻した。幸村を起こして、乱れた襟を直して「協力どうも」と頭を下げる。いえいえなんのこれしき、と幸 村は笑った。 「捕獲」された佐助はそれを不快げに眺める。 小十郎はそれを見下ろして、すこしだけ口角を上げて「久しいな」と言ってやった。 次 |