「おまえも、女なのか」

その言葉で猿飛佐助は、自分が女であることが相手に知れていなかったのだという事と目の前に居る生き物が女
であるという事をまったくおんなじ瞬間に知ってしまった。

















              着
               せ
                 替
                   え 
                     人
                       形
                         の
                           叶
                             わ
                               ぬ
                                 恋
                                   の
                                     話















片倉小十郎は、奇妙な生き物である。
なんだか良く解らない。女なのだということが先に知れた。それだけである。佐助はしのびであるという事柄を
抜きにしてしまえば平々凡々たる女であるので、男として軍団に組み入れられ、況んやその頂点で指揮者として
檄を飛ばす女の心情など知りようもない。世にはいかにも不思議なことがある、とぼんやりと思うだけ―――そ
の、筈だった。
どうも、そうもいかないらしい。

「ふむ、成程女だな」

小十郎は感心したように、佐助を上から下まで眺めて頷いている。
佐助は低い声を絞り出し、盛った猫のように唸った。小十郎はくつりと笑い、噛み付くなよ、と言う。
怪我をしたところを偶然助けられたが、こうなってみると助けられないほうが幾らか良かった。
血が抜けすぎてふらふらと米沢に辿り着き、思いつく中でいっとう安全が満ちていると思われる小十郎の畑へと
潜り込んだのは昨夜のことである。一応顔見知りでもあるし、まさか顔を見てすぐさま殺されるということもあ
るまいと思ったら屋敷へと担ぎ込まれた。なんて丁重なんだそんなに右目の旦那がやさしいなんて知らなかった。
もしかしたら俺のことを憎からず思ってるンじゃあないかしら、とつらつらと都合の良いことを考えていたら件
の台詞である。
世の中には理不尽と残酷が満ちている。

「―――女かよ」

かすかに抱いていた憧れめいたゆるい感情が一瞬で消えた。
佐助は怪我の痛みにうつらうつらと頭を揺らしながら、小十郎をかすれる意識の中で睨み付けてみた。もちろん、
目の前に居る生き物に罪はない。佐助が勝手におかしな幻想を抱いたのが悪いのだ。小十郎は近くでよくよく見
てみると確かに女であるようだった。顔の線が細く、睫毛も長い。ただ肌は硬く肩幅も広い。佐助が不覚にも多
少の夢を見てしまった顔は端正だが、女であるには、なにもかもが大味にできている。
佐助の手当を家人に任せたまま、小十郎は愉しげに佐助を見下ろしている。女さ、と言う。

「そんな話、聞いてねえよ」
「言ってねェからな。おまえも言ってねェだろう」
「言ってないけど、べつに男だとも言ってませんよ」
「胸がねェから、てっきり男だと思ってた。ふうん、でも良く見るとまァ」

女だな。
小十郎はひどく愉快そうにしている。
まったく由がない。意味が解らない。佐助は唸るしかない。手当はありがたいよ、と唸りながら佐助は言った。
怪我をしているので口以外では抗えない。小十郎は矢張り、あくまで愉しげに、うんどうした言ってみろ、と顎
で佐助を促す。佐助はひくりと口元を歪めた。

「どうして俺様は素っ裸にされてるわけ?」
「本当に女なのか確認が要ると思ってな」
「へえ、じゃあそれはもう済んだよね。なんで未だそのまんまで俺は手当されてんの?」
「そうだな、うん」

小十郎は顎をさすり、それから首を傾げた。
そしてにんまりと笑みを浮かべる。

「俺の個人的な好みだ。まァ、気にするな」
「気にするよね。気にするだろ、普通」
「そうか。残念だな。じゃあ」
「服を返してください」
「我慢しろ」

小十郎はさらりと言い放ち、ぱん、と手を叩く。手当を済ませた片倉の家人が一斉に立ち上がり、ひとつ礼をし
てから座敷を退がっていく。佐助は晒を傷跡に巻かれただけの、他には糸くずも纏わない姿で小十郎の前に放置
されることになった。小十郎は何が愉しいのか、他ではついぞ見たこともないような上機嫌の体で立ち上がり、
顎に手を置いたままなにやら吟味するように佐助を上から下まで目で撫で回し、ふむ、と最後にまた頷く。
佐助は唇を噛んでその視線に耐えるしかない。辱められているような感触がする。小十郎の視線がざわざわと肌
を粟気だたせて、体がおかしなふうに疼いて仕様がない。かといってそれを逃れる術も佐助にはなかった。なに
しろ足も腕も折れているらしく、ぐるぐると添え木と一緒くたに晒で巻かれている。佐助はせめてもと小十郎を
睨み付けようと顔を上げたが、夜のようないろの目に見据えられて、思わずすぐさま逸らしてしまった。女であ
ると知れても、その目が持つ圧のようなものが消えるわけではなく、直視するには佐助はいささか未だ目の前の
生き物に慣れていなかった。

「しろいな」

しばらくしてから、小十郎はそうつぶやいた。
佐助は顔を上げた。しろい。小十郎はしゃがみ込み、佐助の肌にてのひらを押し当てる。それはぎょっとするほ
どつめたい手だった。水気がおそろしくすくなく、からからに乾いてひび割れている。それがするりと何の意味
も持たないまま肌の上を滑り、佐助の乳房にまで辿り着く。佐助はさすがに身を固めた。小十郎はまったく何も
気にする様子も見せない。
しろい、とまた繰り返す。

「吸い付いてくる。傷もねェ。しのびは、傷を負わないものか?」
「は、まッさか。隠してンのさ。そういう術があるんですよ」
「ほう、そりゃァ便利だ」

小十郎はそう言いながら更に手を動かし、佐助の腰の括れた部分に両手をかけ、腰骨を抉るように撫で回す。佐
助は息を飲み、体を収斂させた。小十郎がちいさく笑い声を上げる。

「兎か栗鼠みてェなことをする」

するりと指が臍をなぞり、そのまままた上って鎖骨までを辿る。佐助は顔を真っ赤にした。羞恥と小十郎の指の
刺激で拾ったかすかな悦とで、頭がおかしくなりそうだった。辱められるのならばいい。そういう意志も持たな
いかさついた女の指に感じ入っているという事実がいやに息苦しい。
小十郎はしばらくそうやって佐助を撫で回してから、満足げに指を引いた。

「女だ」

と言う。
佐助は舌打ちをした。

「最初ッから言ってンだろう。こんなに撫で回さなくったってお解りでしょうに」
「いや、きれいな物だと思ってな」
「―――なんだって?」
「女というのは、いやにきれいな生き物だな」

感心するように小十郎はつぶやいて、それからすこしだけ口の端を持ち上げた。佐助のほおに手を押し当て、首
を傾げる。
ほおには敵の苦無で付けられた一筋の傷が刻まれていた。

「これも、治るのか。その術とやらで」
「治ります、けど、ね。そりゃあ」
「そうか」

手が離れていく。
小十郎はひどく嬉しそうに笑った。佐助は目を丸めた。それから思わず顔を赤らめた。小十郎は不思議そうにし
ている。佐助は唯一動く首を動かし、小十郎から顔を背けた。やけに心の臟が煩い。男らしい、純然な男より余
程男めいた小十郎の中に、ひとつ「女」を見つけてしまったようで居たたまれない。見てはいけないものを見て
しまったような気がする、と佐助は思った。意図せずひとの閨でも見たような、それくらいに艶めいた笑みだった。
佐助を余所に、小十郎は義務的に佐助に襦袢を着せると矢張り満足げな顔のまま立ち上がり、養生しろ、と言う。

「治ったら、」

そこで言葉を止める。
それからまた、いやに「女」の匂いのする顔で笑って小十郎は座敷を去った。残された佐助はやたらに煩い左の
胸と、馬鹿に高い温度のほおを持て余したまま、仕様がないので取り敢えずきつくきつく目を瞑ってやった。





































小十郎は佐助の体を気に入っているらしい。
やけに触りたがる。その度になにやらうっとりと目を細めている。肌を触れられることなど慣れたもので、く
のいちとして今更とやかく言うようなものではないのだけれども、小十郎にされると途端にその行為はなにか
しらの意味を持ってしまう。
佐助は触れられる度におぼこのようにほおを染める自分にうんざりした。
小十郎は平気な顔をしている。もちろんそれには何の意味もないのだというふうである。女同士で、佐助もま
さかいろめいたことを想定しているわけでもないのだけれども、男と女の中途に居るような小十郎を未だどう
いったものとして捉えていいのか決めかねているからだろうか。助けて貰った、という感謝の念を、そこから
先に何処へつなげていいのか解らない。
女ならばそのまま尊敬と、小十郎さえ許せば友愛にしてもいいようなものが混じるだろう。
男であればそこには矢張り多少はいろめいたものも含まれてしまうかもしれない。
元々佐助は小十郎のことを、なんとも好い男だと、遠巻きながらそう思っていたのだ。女であることが解った
今も、折に触れても小十郎の角張った精悍な横顔など見ると惚れ惚れと見入ってしまう。しかもまったくそれ
とおんなじに、小十郎の体のかすかなところに在る女めいた曲線を見つけるとおかしな動悸の乱れが起ってし
まって、まったく始末が悪いとしか言いようがない。
男にせよ女にせよ、佐助にとって小十郎は余り体に良くないようである。

「治ったか」
「治りましたよ。触らなくても結構。治ったから」

すかさず手を伸ばしてくる小十郎にさっと身を翻し、逃れる。
詰まらなそうにふうんと小十郎は鼻を鳴らした。治ったようだなと言う。十日ほど療養して、佐助の体はすっ
かりとは言えないまでも概ねのところは元の通りになった。もう動いても支障はない。床を上げてもいいと薬
師も言っている。
そろそろ甲斐に戻るつもりだと告げると、そうするといいと小十郎も頷いた。

「だが、ひとつ」

しかし、次にそう繋げる。
ひとつだけ、条件がある。

「条件」
「あァ」
「はあ、まあいいですけど―――悪いけど、上田に関する事なら教えらんねえよ」
「そんなもの、端から期待しちゃァいねェ。しのび風情が知ってることなんぞ、此方の草でも十二分に知れる」
「左様で」

佐助は目を細めてほおを膨らませた。
小十郎の言うことはもっともだが、だからといって聞いて愉快なものでもない。小十郎は佐助の気分を害する
のがほとんど芸術的に上手い。それでいて、それに本人はおそろしく無自覚である。今も機嫌を害したらしい
佐助の様子には気付いたが、それが自分のどのあたりの言動によるものかは見当が付かないようで、とても不
思議そうな顔をしてしげしげと佐助を眺めている。首を傾げて、どうかしたかと問うてくる。佐助は諦めて首
を振った。

「なんでもない。それで、たかだかしのび風情の俺様に、一体どんな条件があるってのさ」
「あァ、そうだったな」

小十郎は急に声の調子を上げて頷いた。
佐助はまたそれに動悸が乱れるのを感じた。なんだかいやに、少女めいた仕草である。視線を逸らし、なんな
の、とまた被せて急かすように問う。それに応えるように、小十郎はぱんぱん、と手をふたつ叩いた。
襖が開き、先から女房が三人ほどなにやら大きな葛籠を抱えて座敷に入ってくる。佐助はぼうとそれを眺めた、
葛籠は三つ、どれも大きいが、女房がひとりで持ってこれたところを見るにそう重いものでもないらしい。な
んだいこれはと問うと、小十郎は嬉しそうな笑みを顔一杯に浮かべ、うっとりと佐助の肩にてのひらを落とした。
そして、言う。

「着物だ。小袖に打ち掛け、広袖もある」

小十郎の後ろで、三人の女房は一斉に葛籠を開けた。そして中からいろも形も取り取りの、上等だということ
だけが知れる装束を取り出して佐助にそれを見せつけてくる。小十郎は立ち上がり、女房の手から一着の鮮や
かな珊瑚色の小袖を手に取り上げ、佐助の元に跪いてそれを体にするりと添い合わせる。ぞっとするほど滑ら
かな絹の感触に佐助は思わずぴんと背を伸ばした。嗚呼、と感極まったような高い声を小十郎が薄い唇からこ
ぼす。

「矢張り、似合う。思った通りだ。肌がしろいと、いろが映えるな」
「―――ちょっと、よく、状況が俺飲み込めてねえンだけど」
「おまえは何もしなくていい。黙って突っ立ってりゃァそれで済む。さァ、此奴を些っとひん剥いてやれ」
「ちょっと、」

女房らが背後に回るのに、佐助は慌てて声を荒げた。
自分の意志が途切れたのが不満らしく、小十郎は眉を寄せて佐助を軽く睨み付ける。

「条件と言ったろう」
「そりゃそうだけど、ひん剥くって俺の意志はどうなんのさ」
「そんなもの、どうして俺が気にしなけりゃァならねェんだ。おい気にすることはねェ。とっととそこの女を
 ひん剥け。おまえも抵抗は勝手だが飲まねェってェんなら、ここ十日間の飯代宿代薬代、丸々請求するぜ」
「え」
「ほら」

小十郎は何処から取り出したのか、しゃらん、と算盤を左手に構えてそう吐き捨てた。
佐助はぴたりと抵抗の動きを止める。さあ、と一気に体温が下がった。お幾らですかと怖ず怖ずと問うと、
ちゃらりと算盤が佐助の給料では到底払いきれない値段を弾き出してきた。あの薄給の上田では、向こう十年
は無償で働かなくてはこの金額は作り上げることができない。
佐助はしばらくそれを睨んだ後、のろのろと顔を上げた。

「嘘、だよね」
「嘘だと思うか?」

小十郎はにんまりと、口だけで笑う。
佐助も釣られて、引きつった笑みを浮かべた。背後では既に女房の手が佐助の肩に掛かっている。このままに
すれば、纏っている襦袢を「ひん剥」かれる。佐助は迷った。けれどもその迷いは一瞬で終わった。なぜなら
ばそもそも佐助には二者択一の選択肢のうち、ひとつは完璧に不可能であるという事実が残酷なまでに明らか
にされていた。
元より、選択の道はひとつきりしかなかったのだ。

「ならば、重畳」

佐助がこの上ない敗北感と一緒に項垂れるように頷くと、小十郎は上機嫌でぱん、とまた手を叩いた。
ずるりと佐助の肩から襦袢が肘の辺りまで落とされる。ひんやりと冬の奥州の空気が肌を刺し、目の前で愉し
げに佐助を見下ろしている男なのだか女なのだか良く解らない生き物の視線もおんなじように肌を刺してくる。
佐助は唇を噛んだ。小十郎は目を細めて佐助の前にしゃがみ込み、つい、と男のように無骨な指で佐助の顎を
持ち上げ、ほう、と息を吐く。

「随分と手間をかけさせられたものだ」

まァ、いい。
その分此方は愉しませて貰うからな。
まるで人攫いのようなことを吐き捨てて、小十郎は指を顎からほおへと移動させ、十日前には傷があった箇所
をいとおしむように撫でた。そしてまたうっとりと「嗚呼」と声を上げる。

「しろい肌だ」

佐助は思い切り目を瞑った。
小十郎が触れたところから溶けていきそうになる自分の体に、心底からうんざりした。














       
 





ひとさまの本で百合を書くことになったので、自分ちの百合観の整理。
小十郎が最低で佐助がかわいそうなのはホモでも百合でも特に変わりません。

空天
2008/11/19

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