片倉小十郎が死んだ。 伊達政宗がそれを知ったのは、小十郎が死んでから三日後のことだった。 天下を統一した後、政宗は積極的な外交政策をおこない自らも海外へと幾度も赴いた。成功したこともあったし失敗したこともあ った。それでも確実に、日本は国際化の道を辿りつつあった。政宗はひたすらに忙しく、しかしそんな日常を楽しんだ。日々新し い世界に触れ、そしてそれがおのれの国に流れ込んでくるのは長年政宗が望み続けた光景であったのだ。 小十郎が逝った日も、政宗は明の使者と会うため京都まで遠征していた。 だから書状が届くまで三日、それから引き返して奥州までたどり着くまでに四日。 米沢に着いた頃には、小十郎は灰になっていた。 政宗には髪の束だけ渡された。 いつも髪を上げていた家老の姿が思い出される。つややかなその髪には白いものも随分入っていて、苦労性だからな、と思うのと 同時にそういえばあの家老も随分と年だったのだと政宗ははじめて気付いた。政宗と小十郎の年齢差はほぼ十。小十郎は病で逝っ た。それも年齢による衰えだったのやもしれぬ。 政宗は寝所でぼんやりと空を見ながら、かたわらの壺に手を伸ばした。蓋を開くと、ころころとちいさな白い塊がいくつか入って いる。遺骨だ。小十郎の。これが小十郎だと言うのだ、この白い塊が。 小十郎が死んで、十日が経とうとしている。 まだ政宗は、その事実に向き合えない。 永遠に別れる為に今夜君に会いに行く 第一夜 格子窓から見える外はしろい。 雪が降っている。初雪だ。今年はいつもより早いが、夏はひどく暑くて雨も多かったので食料に不足はないから案ずることはない だろうと政宗はぼんやりと思う。単衣しか身につけていないが大して寒くない。 雪は積もらないだろう。 ひとり寝所でぼんやりしていたら三日経ってしまった。政務はどうなっているのか、とすこし思うが誰も持ってこないのでみずか ら行くのも煩わしい。ので、放っておく。ほんとうに困ったら誰かが持ってくるだろう。だから米沢に帰還して四日目の朝、また 政宗は襦袢のまま格子窓を眺め続ける。 涙は出ない。 書状を見たときも、帰還の途中も、帰ってきて泣き崩れる家臣たちを見ても、政宗のつり上がった眼はひとつぶの水も零してはく れなかった。涙のひとつやふたつ安いもんだろうと思うんだがどうにも。 (存外、俺も薄情だな) 悲しくもない。 泣いて、叫んで、悲しんで、そうしたらすこしはあの男の死を実感できるのかもしれないのにそれすら出来ぬ。 政宗の帰還を待って、六人の片倉家の人間が殉死した。 政宗はそれをすこしうらやましく思う。殉死することが、ではなく殉死しようと思うということはあの男の逝き先を彼らは知って いるのだろうということが、だ。政宗だって知りたい。ほんとうにあの男が此処にはもう居ないのだと誰かはっきり言ってくれ。 でなければ政宗は解らぬ。 だからこうして毎朝毎朝、ただ待ってしまう。 「まさむねさま」 そう言って、小十郎が政宗を起こしに来るのを待ってしまう。 うう、と政宗は唸って寝転がった。かすかに差し込むはずの朝日は厚い雲にはばまれて、いっこうに政宗にひかりを与えない。朝 なのか夜なのか昼なのかそれすら解らぬ。小十郎が来なければ政宗はいつ起きていいのかも解らぬ。天井を見上げる。そこにはも ちろんなにもない。 「まさむねさま」 なにもない。 「政宗様、いつまで寝ておられるのか。いい加減になされよ」 はずだった。 がばりと起き上がる。 入り口の襖からはじめて端の壁までぐるりと見渡す。なにもないはずだ。はずなのに、 「何時だと思ってるのですか。そんなだらしない格好で情けない」 居た。 髪を上げてお決まりの陣羽織を着て、家老というよりどちらかといえば獣のような眼をした政宗の右眼。 片倉小十郎。 片倉小十郎が、そこには居た。 間。 な。 「なんでいんだおまえええええええ!!!!」 「落ち着きなさい、みっともない」 「Hey!!おまえが落ち着きすぎなんだよっ小十郎ぉ!!」 ひとしきり騒いで。 政宗は肩で息をしながらぎろりと目の前の家老を睨み付ける。が、家老は涼しい顔で突っ立ったまま、てきぱきと政宗に指示を出 し始めている。曰く、布団をたたんで着物を着替えよ。 そして政務を片づけろ。 「政務がどれだけ溜まっていると思っておられる」 「・・・知らねェよ。誰も持ってこねーんだから」 「持ってこないのはあなたが座敷を締め切っているからです。とっととご自分で取りに行きなさい。もう童ではないのだからそれ くらいできましょうや」 小十郎の静かな切れ長の目がひどくいらだたしくて、政宗は行ってやるよっと息巻いて座敷を出た。伊達成実のもとに行くとうわ 行かなければよかったと思うほどの書状の山、山、山で政宗は思わずそのまま寝所に戻ろうとしたが着物の裾をがしりと成実に掴 まれて逃げられない。なんだかほぼ死にかけの幼なじみを見て流石に政宗も反省した。どうやら三日、ほんとうにおのれは腑抜け ていたらしい。 政宗は成実に悪かったな、と謝った。すると成実は驚いたように眼を丸くして、それからくしゃりと泣き笑いに歪めた。 「や、いいよ。・・・よかったんだ、ろうな」 「What?なんの話だ?」 「おまえがさ」 吹っ切れたみたいで。 成実はぽろぽろと涙をこぼしながら笑って、それからじゃあ頼むよ政務!とさわやかに笑って行ってしまった。残された政宗はし ばらくぼんやりとしながら、吹っ切るってなにを、とちいさく呟く。吹っ切る。 小十郎の死を、なのだろう。 「・・・・・・・・・・・・や、でも」 いるんだけど。 夢だったのかもしれぬ。 政宗はそう思った。あんまり食べ物も口にせず、ろくに眠りもしなかったからもしかしたら幻覚でも見たのかもしれない。 そう思って、政務室の襖を開いた。 「お帰りなさいませ、政宗様。朝餉の用意ができておりますぞ」 やっぱり居た。 あまつさえ、膳の前に正座して、まるで病に倒れる前とおなじように。 政宗は額に手を置いて、唸る。小十郎がどうかなさいましたかと心配している。おまえのせいだと言ってやりたい。政宗は顔を上 げて、改めて小十郎の顔を見た。ほおの傷、するどい眼。 ーーーーーーーーーーーーーーーーああどこからどう見ても片倉小十郎だ! 政宗はまた唸った。 唸って、それから畳に座り込む。すこし上のほうに小十郎の顔がある。心配そうにのぞき込んでくる顔は、それこそ昔日の、病に 倒れる前の小十郎そのもので、なんだか政宗はこれまでのことが夢だったのではないかとすら思う。だってあの小十郎が病ごとき で死ぬなんて、嘘くさいだろう。 そう思ったら急に腹が鳴った。 「・・・・・・・・・・・・食う」 「そうなさいませ」 小十郎は安心したように息を吐く。相変わらず顔は怖いまま。 それがとてつもなく政宗は安堵させて、結局政宗は三杯おかわりをした。自分でひつからよそった。なんとなく小十郎が居るとこ ろを見られてはいけない気がして女房たちは下がらせたのだ。小十郎は黙って政宗を見ているだけで、食事の補助をしようとはし ない。膳も女房らが用意したらしい。 さわれないのだ、と言う。 「古来、幽霊とはそういうものでしょう」 さらりと言うその言葉に悲壮な響きはかけらもなく。 政宗は空になった茶碗をもてあそびながら、やはり解らないと思う。居るじゃないか、此処に。と。 言ってしまえば、完全に否定されるような気がして政宗はついぞその言葉を言うことが出来なかった。 朝餉が終わると小十郎はさて、と立ち上がり、 「それでは政務を」 と笑った。いやな笑顔だ。 政宗はげ、と呻いてそれから逃げようとしたが政宗様、とたしなめられれば否とは言えない。諦めて泣く泣く文机に向かうと小十 郎が腕を組んで言う。さぼったら取り憑いてやりますよ。政宗はうえええ、と言いながらそれもまたいいかもしれぬとちらりと思 った。ちらりと、すこしだけ。 筆を書状に走らせながら、政宗は問うた。 「おまえさ」 「なんです」 「死んだんじゃねーの」 「死にましたよ」 「なんでいるんだよ、そんなNaturalに」 「ああこれは」 小十郎はぐ、ぱ、と左手を何度か握ったりほどいたりしている。 なんだろうと思ってのぞき込もうとしたら、小十郎に睨まれた。 「筆が進んでおられぬようですが」 仕方なく諦めて顔を書状の方に戻した。 なので。 政宗は、小十郎の指が三本しかないことに気付かなかった。 「うあー、働いたぜちっくしょー」 開けはなった障子から差し込んでくる太陽のひかりはすでに橙だ。そういえば気付かぬうちに雪が止んだのだなあと政宗は今更の ように思う。背後から小十郎の声がする。 「積もりませんでしたな」 「まぁ、初雪だしな。今日はあったけぇし」 「もう、降らないでしょうな、しばらくは」 小十郎はそう行って外を見た。 降るだろうこの冬中には。政宗はそう言おうとしてやめた。政務室から見える松の木は、雪の名残でかすかに濡れている。 しばらくすると、女房が夕餉の膳を持ってきた。政宗は慌てたが、いつのまにやら小十郎の姿は消えている。女房が去ると、 また何もなかったように政宗の横に座っていた。 膳は政宗のものひとつだけである。 「Gohstは腹へらねぇのか」 「空かないようです、今のところ。他は知りませんが」 政宗も幽霊の知り合いは小十郎しかいない。 膳を下げた後、政宗は政務室の縁側からすぐに出れる中庭に出た。楓が赤い。燃えるような色をしている。もう一月になるだろう か、京へ向かう前に病床の小十郎を見舞ったときに見た楓はまだかすかにしか色づいていなくて、政宗はもう起きることもできぬ 家老に向かって紅葉狩りに行こう、と言ったことを想い出した。 小十郎はただ笑うだけでなにも言わなかった。 なあ、と政宗は呟く。 「もみじ、見に行かねぇか」 足音もしないのに、小十郎はすでに政宗の右に立っていた。 ぱちくりと眼を瞬かせて、それからすこし笑む。 「お約束でございましたな」 お供いたしましょう、とすこし頭を下げた。 青葉城の裏はそのまま青葉山に繋がっている。名前のとおり、常緑樹が中心であまり紅葉には縁のない場所だがすこし登った場所 に何本か楓が植えてあった。そこに草庵を建てたのは政宗の師である虎哉宗乙だったが、かの翁も逝って四年経つ。 草庵は以前と変わらずそこにあった。 楓は、緑のなかにあってよりあざやかに赤い。 政宗は草庵の縁側に腰掛けながら、その赤を見上げる。かたわらで小十郎はそんな政宗を見ている。気付いた政宗が小十郎を見上 げて、眉を潜めた。 「小十郎」 「なんです」 「おまえ、もみじ見ろよ。俺なんて見てねーで」 呆れたように言う。 小十郎はばれましたか、と笑いながらすこしだけ眼を細めた。目前にひらりと一枚の楓の葉が降ってきたのだ。それがひらひら と地面に落ちたのを見届けると、小十郎は木に付いている葉を、向こう側を透かし見るようにして細眼で見た。橙の太陽はもうとっくにどこかへ行ってしまって、暗 がりでその葉を透かしたとこ ろでそれはただの黒い色にしか見えぬ。政宗はそう思いながら家老を見上げた。 小十郎はすこし、口角をあげる。 「想い出しますなあ」 「なにを」 「なにやら、政宗様のお手がこの楓のようでありました頃のことを」 くすくすと家老は笑う。 政宗は照れくさくなって、おまえほんとに最近セリフがじじくさい、と吐き捨てた。小十郎がまた笑う。政宗も気付いて笑ってし まう。そういえばすでに二人とも世間では老人と言って差し支えない年齢なのだ。そんなふうに考えたことは一度もなかったな、 と政宗はすこし不思議に思うくらいに年齢について実感したことがなかった。 たぶん横に小十郎がずっと居て、しかもいくつになっても小言と文句で責め立てたせいだ。政宗は文句を言う。 「おまえのせいで、いつまで経っても梵天丸の気分だぜ」 「あなたさまがいつまで経ってもその頃と同じようなことをなさっているからでしょう」 「Shit!!また小言かよ」 「小言が嫌ならそれを言われぬ努力をなさってくださいと何度も・・・ああ」 急に。 小十郎が言葉を切って、眉を潜めたかと思うとその体がうすくなった。 呆然とそれを見つめる政宗に、すまなそうに小十郎が笑う。 「時間切れのようです」 透けた体の向こうが見える。 うすい小十郎の体のまわりをふわふわと蛍のひかりのようなものが舞った。 咄嗟に政宗は小十郎へ手を伸ばし、 「あ」 体を通過した手は宙に浮く。 そして小十郎は消えた。 自失した政宗はしばらくその場に突っ立っていたが、やがて気付いたように周りを見渡し、それから山を下りた。 城に戻ると愛姫が待っていて、ようやく寝所から出てきた夫を涙目で迎えた。彼女にも心配をかけたのだろう。ここは抱きしめて やるべきなのかもしれぬと政宗は思ったが、ひどく疲れていたのでその日もひとりで寝所に行った。 寝具に寝ころび、天井を見上げて、考える。 (あらぁ、夢か) たしかに居たような気がしたのに。 消えてしまった。いっしゅんで。ならば現実と考えるより政宗の願望が見せた白昼夢と考えた方が無理がない。そうなのだろう。 政宗は思う。死んだあとまで政宗に会いに来るなんて、いや小十郎ならやりそうだがやはりそれは。 (俺に都合がよすぎらぁ) 笑う。 その日はすぐに寝た。それならばまたおんなじ夢を見ればいい。 小十郎が出る夢を。 翌朝。 「いつまで寝ておられるのですか、政宗様。ほら、早く起きなさい」 「・・・・・・」 「どうかなさいましたか」 小十郎が首を傾げる。 政宗は、眼を見開きながら寝具のうえで絶叫した。 「なんでまだいんだこじゅうろおおおおおおお!!!!????」 「なにを仰っているのですか。誰が居なくなると言いました」 「だっておま、昨日、時間切れって!!!」 「ですからそれは昨日の話でしょう」 「What!?」 「今は今日です」 「そんなもん!?」 幽霊って。 小十郎は動じない。 「御託はいいから早く起きなさい。一日で終わる政務の量ではございませぬ。 あと二日は馬車馬の如く働いていただきますぞ」 「・・・・あぁ、こらぁ、夢の続きか?なら仕事とかじゃねぇ夢がいいんだが」 「まさむねー起きたかー」 「あ、成実」 「おお、成実。久しいな」 「あ、小十郎さんお久しぶりですねえ・・・・・・ってえええ!?」 「おまえNaturalすぎる」 「なんのことです・・・ああ」 「どうした」 「成実が」 「あ、倒れた」 倒れた成実を尻目に、政宗はおのれのほおを抓ってみた。痛い。 どうやら夢ではないらしい。 阿呆のような奇跡のはじまりだった。 次 |